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うさぎを追って穴に入るように

 

 なんだかんだで僕は東京の大学に行くことになった。家を決めて家具を運んで、必要なものを一式買い揃えた。それから散歩に出かけた。いつか適当に作ったプレイリストを流したあとさっきまで工藤裕次郎のアルバムの暑中見舞いを聞いていたからシャッフル再生になっていなかったことに気づきシャッフル再生に戻した。暑中見舞いはシャッフルしないで聞くのが1番なんだ。他にも沢山シャッフルしないで聞いたほうがいいアルバムはあるんだけど僕の中ではこれが1番だね。なんでか説明しろって言われても難しいけど。ランプのランプ幻想ってアルバムともまた違う理由でこのアルバムは連続して聞きたくなるんだよ。少し歩くと厚着をしすぎたかなと思った。そうだ、また3月だよ。やれやれこれだから3月はダメなんだ。中途半端な時期、過大評価、こんなに期待されてばかりだと可哀想だと僕は思った。僕は1度家に帰って服装を変えてくるか悩んだが家までの距離も面倒な距離だったから上着を脱いで歩くことにした。少しだけ経堂を歩くつもりが豪徳寺、梅ヶ丘と進んでいき結局下北沢まで歩いた。そこまでの距離じゃなかったがいささか運動不足だったせいで僕は随分と疲れていた。


(少し休もう。適当に飲み物でもかってどこかに腰をかけよう)


僕は頭の中で自分に語りかけた。悪くない提案だなと僕は思った。


「悪くないね」


僕は声に出していってみた。それからオオゼキで飲み物を買って駅前のベンチに腰をかけた。ひとつ言っておかなくちゃならないことがある。僕はポッケが大好きだ。ポッケの沢山ある服やズボンが大好きなんだ。いや、沢山はなくてもいい、ただ機能性の良いポッケがついている服が本当に大好き!だってバックなんて持ち歩きたくないし手で持ったまま歩くのは面倒だし、それに僕はよくモノを置いたまんまにしちまうからポッケがついてると何かと助かるんだ。それで今日も今日とてポッケのついたズボンを履いてきてたんだ。スマホと財布とそれから文庫本を1冊入れていた。僕はベンチに座って本を取りだして休憩がてらそれを読んでいた。ダグラスアダムズの銀河ヒッチハイクガイド。この本が大好きだ。


「ウーリー?」


どのくらい時間が経ったのか、風は随分と冷たくなっていた。僕はトリリアンに声をかけられたのかと思って顔を上げた。トリリアンってのはその本に出てくる女の子のことなんだよ。


「えぇ?あぁ」


馬鹿みたいな声を出したのには理由があった。そこに立っていたのが僕の知っている人だったからだ。


「久しぶり。なんでこんなところにいるの?」


それがネコだった。


「なんでって、僕はもうこっちに住んでんだよ。いっても今日から住み始めたんだけどさ」


ネコはふうんというと僕にスペースを作るようにジェスチャーした。僕がのっそりと動くと彼女は空いたスペースに腰を下ろして足を組んで座った。何かいい匂いがしたがそれが香水なのか柔軟剤なのかはたまたネコの自然な香りなのかはわからなかった。


「私もこっちに住んでるのよ。知ってた?」


僕は頷いた。ネコが東京に行くことは彼女からも聞いていたし他の誰かからも聞いていたような気がするからだ。僕はイヤホンを取って音楽を消した。確か小沢健二のアルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)が流れていた気がする。


「あなた、卒業式にも来なかったし、その前の1ヶ月なんかは学校にも来なかったでしょ?辞めちゃったのかと思ってたわ」


ネコは襟付きのシャツにアシンメトリーになっているトレンチコートを着ていた。時々胸についている紐のリボンを整えながら、今相対しているのが本当に自分が知っている人間なのかを探りながら話しているようだった。


「悪魔と契約したんだよ。卒業式に行ったら心臓を取られちまうって言われたからどうしても行けなかったんだ」


僕がそういうと彼女はぽかんとした顔をした。


「それで?どうなったの?」


彼女はそれがごく当たり前の会話みたいに聞き返した。馬鹿にするわけでも呆れるわけでもなく、まるで平日のモーニングルーティーンの一部みたいに。


「取られずに済んだよ。それでもなんとか生き延びれたって感じだけど」


「ふうん」


ネコは言った。


「ふうん」


僕も言った。ネコはこちらをみて真似しないでよというような表情をした。


「ところでなんで君はこんなところにいるの?」


「なんでって、洋服見にきたのよ。古着に興味があるから。あなたみたいにここのベンチに本を読みに来たわけじゃないわよ」


「本を読みに来たわけじゃない」


僕は何か付け加えて言おうとしたが何も浮かんでこなかった。


「その本、前も読んでたね。そんなにおもしろいの?」


「おもしろい。だけどおもしろいから読んでるんじゃないと思う。こう、なんていうんだろう。形を保つために読んでるんだ」


ネコは何を言ってるんだろうこいつはといったような顔をしていた。僕は別に続きのある話ではなかったが喋らないわけにはいかなかったから続けた。


「写真を見返すのと同じことだよ。そのとき自分がどういう状態だったのかがわかる。変わらないものを人は基準にするんだよ」


「あなたって案外思慮深いのね」


「僕はずっとこうだよ。先の展開が気になる本は読まないんだ。大抵、そういう本は次にまた読むことなんてないから。繰り返して何度も読みたくなる本が好きなんだ」


ネコは持っていたスマホを軽く揺らして時間を確認してからカバンの中にしまった。


「私の中のあなたは窓ガラスを割ったり、誰かを殴ったり、授業中に眠って怒られたりしてるんだけど」


ネコはあくまでも真面目にただ自分が思っていることを淡々と話している。風が少し強く吹きネコは少しだけ僕にくっついた。


「そんなことした記憶なんてちっともないけど」


ネコは少し微笑んだ。それから気にせずに続けた。


「私たち、もっとお互いのことを知るべきだと思わない?仲は良かったけどそれはグループがおんなじだったから近くにいただけで本質的に私たちはお互いを理解してないのよ」


僕は頷いた。それから少し肌寒くなってきていたので上着を着た。ネコはなんだか気分が良くなっていたみたいだった。

それから僕らはどちらかということもなく同じくらいのタイミングで立ち上がり駅の西口を右に曲がり坂道を下ると左手にあった居酒屋に入った。ネコは年齢確認されるかどうか気にしていたが全く問題なかった。


「地球は広い。こんだけ広い地球の中で猿の子孫が2匹20歳になる前に飲酒をしたってだけだよ。宇宙史でみたら大したことじゃない」


席についてレモンサワーを頼んでから僕は彼女を安心させるためにそう言った。ネコは自分のコートを掛けてから僕の上着を指差したが僕が首を振ったためそのまま座った。


「日本は宇宙史ではまわってないもの。法律でしかまわってない」


ネコは真面目そうな顔で言い、卓上に置いてある灰皿を端っこによけた。


「たいして変わんないよ。まあまあ広い日本で2人の男女が未成年でお酒を飲んだってだけだ」


ネコは少し考えた。それから僕の方をもう一度見た。いや、見たというよりは睨んだに近かった。僕はネコが端に寄せた灰皿を自分の方に寄せてネコに煙草を吸っていいか聞いた。


「あなた煙草吸ってるの?」


ネコは驚いたように言った。


「たまにしか吸わないよ。こういう誰かと飲む時だとかそれから友人といるときくらい。月に一箱減ればかなり吸ってる方だよ」


「ふうん。急にカッコつけ始めたのかと思った。そういうのじゃないのね」


「いや、そういうのだよ。雰囲気に毒されて吸うことがほとんどだ」


ネコはよくわからないといったような表情をした。それから思い出したように言った。


「まあ、なんだっていいわよね。もうお酒も頼んじゃったしあれこれ考えても仕方ないわよね」


「ライフイズパーティ」


僕がそう言うと、彼女も繰り返して言った。


「ライフイズパーティ」


人生は素晴らしい。何もなくても素晴らしいが良いことがあるとさらに素晴らしい。チクタク!僕はそう叫びたくなったが我慢した。


「人生は素晴らしい」


僕はボソッと言った。ネコは多分聞こえていたがそれを繰り返しはしなかった。


 僕らは2人ともレモンサワーを飲んだ。それからしばらく昔のあれこれを話しているとネコが窓のない宇宙船についての話しを切り出した。


「別れたのはいつだっけ?」


僕は考えた。いつだっけ?


「確か秋だとかそんな感じだったと思うよ」


ネコはお酒で少し顔を赤らめていた。


「それから好きな人はできた?」


「まさか、できやしないさ。正直な話、どうやって誰かを好きになっていたか忘れちまってるんだよね。それに僕は本当に彼女を愛してたのかさえわからないんだ」


「どうして?」


ネコは間髪入れずにそう聞いた。僕はこういう反射的な質問が苦手だった。


「誰かを愛したほうがいいわよ。そっちの方が楽しいでしょ?」


僕は少し後悔していた。窓のない宇宙船のことを僕は愛していたつもりだったのに窓のない宇宙船に本質的に愛してないと言われたせいで頭の中がこんがらがっていたからだ。それに加えて自分自身の口でも愛していたのかさえわからないだなんてことを言ったせいで本当に愛していなかったのじゃないかとさえ思い始めてしまった。ネコは僕が考えている間お酒を飲んだり、つまみを食べたりしていた。


「正直な話、この先その人も死んでしまうって考えたら、誰かを愛する気になんてなれないんだよね」


僕は窓のない宇宙船のことではなくヘンリーのことを思ってその言葉を放った。

ネコは箸を止めて僕の方を見たまま静かに言った。


「それじゃ、だめよ。せっかくの人生なんだもの」


僕に向けられたはずの言葉のはずなのにどうしてだかその言葉はネコ自身に放たれた言葉のように感じた。僕はネコに誰かを愛しているのか聞こうとしたが辞めておいた。どんな答えが来たとしてもハッピーエンドな未来が見えなかったからだ。


 僕らは居酒屋を出て駅までの道を戻るとそこでさよならを言ってから別れた。それから僕は電車に乗って経堂にある自分の家に帰った。風呂に入って洗濯機を回して窓を開けてから今日のことを考えてみた。初めてネコと2人であれこれを話してみて案外悪くない時間だったなと思った。それから布団を敷いて水を一杯だけ飲んで眠りについた。僕は多分あの娘の夢を見たんだと思う。小さい頃いつの間にかいなくなっていたあの女の子の夢を……

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― 新着の感想 ―
ネコちゃんの像がこれから解き明かされていくのが楽しみです
同級生だけどなんだか大人びたように感じるネコとの再会、そして本質的に理解しようとする、せっかくの人生だから誰かを愛した方がいいという。なんだかウーリーの人生に影響を与えてくれそうな存在に感じ、この先の…
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