窓のない宇宙船について②
やがてくる別れに備えることも必要になる。
3月というのは過大評価だ!過ごしやすいやらなんやら言われてるけど案外そうでもない。地味に寒く、地味に暑い。ちょうどいい日なんてほとんどない。クーラーをかけるなんてことはまずないし少し厚着しすぎると嫌な汗をかく。過大評価なんだよね、ほんと。そういった地味な外気温度は地味に誰かに迷惑をかけていた。怒るほどではないけれど、案外許し難いというものは結構存在するもので、それは距離を置くことでしか解決できない。人間関係の多くはそういうことが積もることでゆっくりと壊れていく。乃至はある一瞬の決定的な出来事が全てを決めるということもある。どっちにせよ全ては終わりに向かうためにあり、それが死であることはある意味幸福なのかもしれない。もしも君が傷つきたくなければ別れは早い方がいい。そしてそれは死であってはならない。死であってなどならないんだ。
僕は少し前に1匹の犬と暮らしていたんだ。彼はボルゾイという犬で名前はヘンリードナーズっていうんだ。とてもスマートだった。賢かったんだよ。それでいて優しくてとても僕になついていた。僕は彼のことをいまでも愛しているんだ。だってそうだろう?単に死んだってだけで愛することをやめることなんてできないよ。戻ることはできないとしても忘れることなんてないんだからさ。とにかく彼が死んでからすごく僕は落ち込んだ。何日も部屋からでなくってぶっ倒れちまったんだ。それで親に病院に連れていかれて点滴を打った。なにか新しいものが僕の中に入ってきたのが分かったんだけど、それじゃ足りないくらいに僕からは色々なものが出ていったんだ。それが何なのか僕は知っている。あれは心なんだと思う。形がないものってのはどうも出ていることに気づきにくいもので両親や医者はそれには気づいていなかった。ただ、僕からは確かに何かがこぼれていた。正直自分じゃもう駄目だと思っていた。その時僕は今よりずっと若かったからそれが孤独から来たものだと思っていた。だけど父さんが僕に教えてくれたんだ。僕の父さんはいつだって僕に何かを教えてくれる。
「ウーリー」
僕の名前を父さんが呼んだ。
「なに?」
僕はちっとも反応をしたくはなかったがそれで父さんを傷つけるのは嫌だったからだるそうに反応した。
「それは孤独に思えるかもしれないけれどそうじゃない」
「いいや、父さん、悪いけどこれは孤独だね。ヘンリーが死んでから最初に僕にくれたプレゼントなんだよ。残念だけど」
「いいや、違うよ。孤独ってのはそういうことを言うんじゃない。今はわからないかもしれないけれどね。孤独ってのは単に盲目なだけなんだ」
その時の僕にはその意味はちっとも分からなかった。だけれど今、立ち直ることができた今なら少しわかる気がする。父さんは孤独のことを説明したんじゃなく、その時の僕の状態の説明をしてくれたんだ。それは孤独じゃなくて、盲目なだけだ。周りをもう少し見渡してみれば案外君の傍に愛があふれているってことを。心もそうだけど愛も同様に目に見えない。目に見えないものがたくさんある。僕たちはどうにかして見ようとしなくちゃならないし逆にいえば君の何もかも、例えば才能だとか愛情だとか目に見えないものは君から世界に見せつけなくちゃいけない。腐っててもダメだし誰も見ていないだなんて嘆いていても仕方ない。見せつけなくちゃならないんだ。
「だけど、ヘンリーはあなたのことを愛していたはずよ。きっと幸せな場所に向かったのよ」
窓のない宇宙船は僕に優しくそう言った。
「あいつが1番幸せを感じる場所はいつだって僕のそばだったんだ」
僕はそう言った。そして少し後悔した。窓のない宇宙船は自分が軽率に放った言葉を後悔したようだった。それからしばらく二人とも言葉を交わさずに流れていく雲を数えていた。3月の雲は薄く伸び、やはりカモが時折飛んではほとんど同じような場所に着地した。僕は一度彼女の方をチラリとみた。窓のない宇宙船はそれに気づいてこちらに微笑みかけたがそれはあまりにも不器用な微笑みだった。
「あなたのこと好きよ」
彼女は唐突にそう言った。
「時々わからなくなることもあるけど、私はあなたのことが好きなんだと思う」
僕は彼女のそばに体を寄せた。
「どうしたの?そんなにかしこまって」
彼女も僕のそばに体を寄せた。
「私は……」
それからしばらく沈黙が続いた。僕は聞き返すこともなくゆっくりと彼女の紡ぐ言葉を待った。
「幸せだった」
彼女はそう言った。はっきりとは言わないが確かにそう言った。僕は何も言わず彼女の肩を撫でて僕の方にそっと寄せた。別れが近づいていることを僕らは互いに理解していたんだと思う。僕は彼女の感情を反芻してみた。幸せだった。幸せだった。幸せだった。
どうして過去形で言うんだよと僕は思った。




