窓のない宇宙船について①
待ち合わせした場所の近くに来たから音楽を切ろうと思ったが丁度その時音楽が切り替わりさらにそれがフィッシュマンズのバックビートにのっかってだったから僕はイヤホンを取るために上げた手を下ろしてネコに少し遅れるかもと連絡を入れた。8分27秒の遠回りをするために下北沢の古着屋の並ぶ通りを少しだけふらつきながら歩いた。酒は飲んでないし薬もやってない。だけどこの曲をイヤホンで聴くとなんだか本当にクスリをやっているような気分になる。まるで自分がこの世界で少しだけ特別な人間であるような気になるんだ。ふっかけられた喧嘩を買ってボコされて空を見上げるみたいなそんな感じ。
街は相変わらず喧騒を帯びて幸せそうに歩く人や不幸そうに歩いたりしている人たちで溢れていた。交番の横を通り珉亭、劇場それから蔦屋の前を通り改札まで向かった。歩調を曲が終わるのに合わせると気持ちが悪くなるからいつものペースで僕は歩いた。考えていたことはひとつだけ次の曲がウェザーリポートじゃありませんようにということだけだ。ウェザーリポートだったらいよいよ待ち合わせ時間に間に合わなくなるからだ。でも次に流れたのはウェザーリポートじゃなかった。工藤裕次郎の最高の別れ!だった。僕は安堵した。安堵してしまったせいでなんだか少し前のことを思い出してしまった。少し前、僕が高校生の時の話。それはちっとも最高の別れではなかったけれども……
熊本市にある健軍商店街から広木公園までの勾配のなだらかな坂道を自転車を押して歩きながら僕と窓のない宇宙船はどこにでも落ちているような会話をお互いに拾いあっては投げかけるを繰り返していた。僕が早く歩きすぎる度に彼女が僕の制服の裾を握って歩調を合わせ、それをしないときは僕は僕で歩調を合わせることなどなく彼女との距離が離れる度に裾を引っ張られるか少し止まって振り向いて彼女が歩く姿を観察するかをしていた。ストレスのない柔らかな秋晴れは少し冷たい風を纏い、もう少し寒くなれば僕らはより自然に手を繋ぐことになるだろうなと思わせた。途中の公園で休むことはなく広木公園まで歩ききるとそこから江津湖の畔までまた更に歩いた。途中僕らを抜かしていくおんなじ高校の制服を着た人たちがいたが彼らもおそらく僕らを認めたときにおんなじ服の人たちを抜かしたなと思ったくらいだったろう。普遍的な日常、過ごしやすい季節、そして隣には窓のない宇宙船がいた。
「それで、どうして殴ったりしちゃったの?」
窓のない宇宙船はもうだいたいのことはわかってるけどと言ったような声色で僕に聞いた。
「別に殴る気なんてなかったんだよ。ただ僕が腕を移動させようとしたらその通り道にそいつの顔があったってだけで」
彼女は僕の目をじっとみたまま何も言わなかった。
「本当の話、そいつのことは前から好きじゃなかった。すごく傲慢だし自己中心的なやつだったから」
「だから殴ったの?」
「話し合いにならなかったんだ。別にそいつが傲慢で自己中心的なやつだろうが殴ったりはしない。話し合いにならないからわからせてやるしかなかったんだよ」
彼女は少し考えているようだった。他の人の前ではちっとも喋らないのに僕の前ではおしゃべりなんだ。
「だけど殴っちゃダメよ……
だって、殴られたら痛いでしょ?」
僕はそりゃそうだけどと相槌を打った。それからそっぽを向いて続けた。
「俺が殴ったからさ、他の人ももういいやってなったわけだよ。そうじゃなきゃ残りの学校生活を無視されて終わる可能性だってあったんだ。救ってやったってわけさ、別に不意打ちしたわけじゃない。次、空気の読めないこと言ったら殴るからなって言ってから殴ったんだ。そいつが殴ってみろよと言ったからね」
少し熱くなっていた。なんだかすごいエキサイティングしてきたんだ。
「相手はなんて言ったの?その、空気の読めないこと」
「えぇ!?だから殴ってみろよって言い返したんだって。それって空気を読んでない発言だからさ、普通そう言われたら黙り込むか悪かったよって言うだろ?」
「ねぇ、興奮しすぎ、私は責めたいわけじゃないの。ただ…」
窓のない宇宙船は僕をなだめた。
「ただ…なに?」
「ウーリー。最近成績が良くないんでしょ?更に殴ったりして内申点まで悪くしちゃったら行きたい大学に行けないわよ」
僕は黙り込んだ。彼女がそうやって心配してくれることは正しいことなんだけどすごくつまらないことだったから。僕は川辺へと目を移した。数羽のカモが音を立てて飛び立ちあまり変わらない場所に降り立っていた。
「ウーリー、私こうやって誰かの人生を考えたことなんて一度もなかったの。でもあなたに会ってからなんだか不思議なくらいあなたのことを考えるの…ねえ、うっとうしい?」
「うっとおしくないよ。それに僕が思うに、もしも僕が君をうっとおしいと思うようなことがあったとしてもそれは大体僕に原因がある。僕の心が弱ってるのかあるいは行動が良くないか」
「それでもうっとうしいと思われたくないのよ、あなたには」
「どうして?」
僕は彼女の目をじっとみた彼女は目をキョロキョロさせた。
「だって、それは」
彼女はすごく恥ずかしそうにしていた。それがすごく可愛かった。もうあたりは暗くなりはじめていて遠くの方で夕焼けの残り火みたいなものが薄く伸びていた。相変わらずカモはけたたましくないたり黙ったりを繰り返していた。窓のない宇宙船と僕はキスをしたりお互いの身体の気になるところを少し触ったりした。僕は考えていた。鬱陶しいか…そういえばそんなキャラクターがいたな。銀河ヒッチハイクガイドに出てくる鬱病のロボット。
「人生」
僕はボソリと呟いた。窓のない宇宙船は気づかないフリをした。それから僕は心の中でこう言った。
(やがてくる別れに備えることも必要になる)




