目を瞑って宇宙を見るように①
美しい水色の空が地平線に近づくにつれ白みがかり遠くに入道雲が塗られたように置かれている。車内は一様に冷えて、たった今ゆうらん船のサブマリンが流れ終わったところだった。音楽はバレーボウイズの渚をドライブに変わった。僕はその冒頭のメロディを少しだけ鼻歌で歌う。隣にはネコが座っていて後部座席には色々なキャンプ道具が乗っていた。ネコはペットボトルに入った冷たい紅茶を手に持ち僕はカップホルダーに緑茶を置いていた。黄色いミニは騒音をたてながら僕ら二人を目的地まで一生懸命運んでくれた。車にも愛情を込めなくてはならないという僕の理念から彼の名前はカーターと名付けられていた。
「愛情は生物だけに振り分けるのは勿体無いからね。車にも愛情が必要だし、後ろに乗ってる道具たちにもおんなじことが言える」
ネコは外の景色を見ながらふうんと言った。
「後ろのギターは?あなたギターなんて持ってたの?」
「うん。まあ、弾けやしないけどね。愛情が足りないんだ」
「けど音楽好きだもんね。いっつも知らない曲を聴いてる」
「まあね」
ネコは僕の頬を見てそれからクーラーの勢いをひとつ弱めた。
「私は続けることが苦手だから、すごいと思う。あなたのそういうところ」
僕は首を振った。それから音楽のボリュームをひとつ下げた。
「君は僕を過大評価しすぎているよ」
ネコも首を振った。
「そんなことないわ」
「ギターも7月に買って今じゃもうインテリアになってる。愛情が足りないんだ。名前もつけていないし触ってもいない。完全に不足している。写真を撮るのにも大してハマらなかったし、友達から送られてきたミニチュアも家具をいくつか完成させて諦めた。誕生日にもらったやつなのにだ。最初はやる気があってもなかなか続かない。とにかく僕は続けるのが苦手なんだ。本当の話。毎日やってることといえば歯磨きとそれから君のことを考えることくらいなんだ」
ネコは少し考えた。
「どうして私のことを考えるんだろう」
僕も少し考えてみた。それからできるだけ気持ち悪くならないような口調で正直に言った。
「多分、君のことを考えるのが楽しいからだろうね。それに」
「でも私のことを考えすぎないでね」
僕が何かを言おうとしたがネコは僕の言葉を遮ってそう言った。
「わかった。考えすぎないようにする」
僕がそういうとネコはペットボトルの蓋を爪でいじりながら静かに話を続けた。
「あなたも私のことを過大評価してるから。現実の私に会ってガッカリされたくないから考えすぎないでほしいの」
「わかった。現実の君に会ってガッカリしないくらいに考えることにする」
ネコはまだ爪でペットボトルをいじっていた。綺麗な指だなと思った。白濁色のネイルが丁寧に塗られていてそれも素敵だと思った。僕がそのことについて褒めると彼女はそのネイルについて少し話してくれた。
「だけど不思議な話なんだけど、あなたに嫌われる気がしないの。なんていうんだろう。なんともいえないけれど」
彼女は話を戻してそう言った。
「最近、別の人にもそう言われた。そうやって思われる季節なのかもしれない。だけど僕も思う。どうやったって誰かを嫌いになれない。嫌なところだとか気になる部分があれど切り捨てるまでいかない。関わりが少ないのか、僕が単に鈍感でなにも考えてないのか」
ネコは開けるつもりもないのに蓋を開けてそれをまたキツく閉めてからホルダーに設置すると窓を少しだけ開けた。薄茶色の髪の毛が風で揺れ、その髪の香りが僕の鼻腔を通って脳が認識した。
「窓はあけておくんだ〜」
僕は小声でフィッシュマンズのナイトクルージングの一節を歌った。ネコは風が強すぎたせいで乱れた髪を押さえながら窓を閉めた。
「でも思うんだ、僕も現実の君に会ってガッカリする気はしない。できるだけ精密に現実を思い出してる」
彼女はにこやかに笑った。そして特筆することもなかったようでそれ以上は喋らなかった。信号が赤になり車が止まる。軽い渋滞にひっかかって予定の時間に少し遅れるかもしれないなと思った。
「僕らはなにを買えばいいんだっけ?」
「えっと、ちょっと確認してみる。でも、もうすぐで左手に見えるスーパーに入れば問題ないはず。みんなもそこで買うって」
僕らはスーパーに入って色々と買い物をしてまた目的地に向かった。それから僕らは昔の話をしたりして目的地についた。レイサン島と他の参加者たちはもう先に着いていて僕が車を止めると皆んなで荷物を下ろすのを手伝ってくれた。
「悪くないロッジだね」
僕は言った。
「いいだろ、ここ。夜も結構涼しいんだ。風呂もトイレも綺麗だし。テントを貼りたい時は向こうにスペースもある。沢も流れてるし管理人も丁寧で優しい。悪くない。いや、むしろいい」
レイサン島はそう言った。
「むしろいい」
僕が繰り返すと他のみんなもそれを繰り返した。ネコは女友達との久々の再会を喜んでいるようだった。彼女たちはコソコソと耳打ちをしたりしてクスクスと笑った。まあ、人生って感じだよね。僕らはシンプルにバーベキューを楽しみ近くの浅い川で水鉄砲や水風船を使って遊んだりした。スイカ割りもしたし小魚も捕まえた。夏だ。間違いなく限りある夏が通り過ぎている。僕は夏が好きなんだなと思った。思うだけじゃなくて声に出して言いたくなった。
「夏が好きだな」
隣で僕に水をかけていたネコが動きを止めて理由を聞いた。
「春や秋の方が過ごしやすくて好きな人は多いでしょ?なんであなたは夏が好きなの?」
僕は沢を少し歩いて大きな岩に腰をかけた。ネコも隣に座った。濡れたTシャツから透けて見える水着に僕は目をやってそれからネコの目を見た。ネコはTシャツを軽く伸ばして僕の目を見た。
「夏が好きなんだよ。とにかく。今じゃない。今も素敵だけど、冬だとか秋だとか春だとかに考える夏が好きなんだ。バーベキュー、虫取り、入道雲に沢遊び、これから肝試しもするだろうし花火もするだろう。君と夜何かを話すかもしれない。そういうのが好きなんだ。戻りたくなるような夏が。遠くから見た夏がすきなんだ」
ネコは僕にもう一度水鉄砲で水をかけた。
「春も秋も冬も沢山思い出を作ればいい。全部が好きになるのも悪くないでしょ?」
「むしろいい」
僕は言った。
「むしろいい」
彼女もそう言った。だけどそれは季節じゃなくて君といる時間の話になるだろうねと僕は思った。そしてそれを思うだけにした。気まぐれ。人生は気まぐれなルーレット。止まったところの感情を飼い慣らさなくてはならない。
花火をした後に暇になったので僕はネコを誘って散歩に行こうと誘った。夏だったが乾いた空気が気持ちよかった。他の人も誘ったがみんなは酒がまわっていたせいでまた後から行くと言った。
「どうせならお酒を持っていきましょうよ。あなたが作るお酒を飲みたい。缶チューハイじゃなくて」
ネコがそう言ったので僕は彼女にカシスリキュールを作った。ネコはそれを一口飲んで美味しいと言った。
「ありがとう。お世辞じゃなくて自分で作ったり居酒屋で出てくるカシスオレンジより美味しい気がする。キャンプで飲むからかな?」
僕は頷いた。
「それもあるだろうけど、作り方があるんだ。簡単だよ。来る時に話したようにお酒にも愛情を注ぐんだ。まずリキュールと同じ割合のオレンジジュースを入れる。それらを混ぜ合わせて上手く混ざった後にオレンジジュースを追加する。もう一度混ぜて氷を入れる。順序よくやるんだ。ちょっとの手間をかけるだけで美味しさが変わるんだよ」
ふうん。とネコは言った。それからもう一口飲んでまた美味しいと言った。僕は飲みかけの缶チューハイと懐中電灯とタバコを持ってから二人で山道を歩いた。星はありえないくらい綺麗だった。宇宙に1番近い場所にいるんじゃないかってくらいほとんど全ての星が見えた。
「少し登った場所にひらけた場所がある。そこではもっと綺麗に見える」
ネコは僕のそばを離れないように歩いていた。手はつながないが身体はほとんど密着していた。ときどき離れてはまたくっつくを繰り返していた。
「ねぇ、少し怖いわ」
「大丈夫。さっき肝試しで歩いたところがあるだろ?あの突き当たりを右に行くだけなんだ。怖くなんてないよ。よく考えてみてよ、君のまわりにはいい人が沢山いるだろ?幽霊だってそうだ。いたとしてもいい幽霊に決まってる」
「悪い人が死んだら幽霊になるのよ。だから幽霊はみんな怖いの」
ネコはそう言った。
「そうなの?ならみんな悪い幽霊だ。気をつけよう」
僕があんまり素直に受け止めるからネコはクスクスと笑った。僕は懐中電灯を素早く動かしていろんな方向を照らした。
「ねえ、子供っぽいことはやめてよ」
「僕は子どもだよ。悪ガキなんだ。しかったってやめないぞ」
僕はふざけてそう言った。自分でも足下が見えないせいでより遅いペースで歩いていた。ネコはよりいっそう僕に身体を近づけた。
「ウーリー。前を照らして。いい子にしてて」
ネコもふざけた風にそう言った。僕らは笑いながらゆっくりと山道を登っていった。まあ、山道っていっても舗装された道なんだけど。
ひらけた場所に着くとやはり星空は綺麗で10秒毎に流れ星が見えるくらいに圧巻だった。
「こんなに流れ星を見たのははじめて」
「これだけ広いとどこを見ていいのかわからなくなるね」
それから僕らはしばらく黙りこくっていた。それくらい綺麗な空だったんだ。写真には映らないけれどあまりにも綺麗な空だった。あいつらは損してるぜ。僕らについてくるべきだったんだ。それから僕はタバコに火をつけた。そしてネコに一口吸わせた。ネコは咽せてわけもなく僕をはたいた。僕は一口吸ってまたネコに一口吸わせた。ネコはまた咽せたが次は僕をはたかなかった。
「タバコのなにがいいかわからないし今まで吸ったこともなかったけどこういう場所に立つと少し煙を吸いたくなる気持ちはわかるわ。多分大きいものに当てたれて感じる何かから逃げるために吸うのね。孤独感に似てる」
ネコは少し饒舌になっていた。お酒のせいでもタバコのせいでもなく不思議なことに僕といると誰だって少しロマンチストになるんだ。本当の話。
「そうかもしれないね」
僕はそう言った。
「あなたはひとりじゃないわ。ひとりになんてなれないから」
ネコは言った。
「そうかもしれないね」
僕は繰り返した。それからまた少し沈黙が続いた。僕はもう一度ネコにタバコを吸わせた。今度は咽せなかった。そして僕もタバコを吸ってからネコに見ていてと言った。
「もっと、もっと近くに来て。君に見せたいものがあるから」
僕がそういうと僕らは蟻の行列でも見ているのかっていうような体勢になって僕の指先を見た。僕はもう一度タバコを吸った。ネコと僕の顔がタバコの明かりで照らされた。ウィンストンの匂いが僕らの景色に溶け込むようだった。それから僕はゆっくりとタバコを消した。タバコがアスファルトで消され乾いた空気がそれらを弾けさせた。まるでそれは小さな宇宙のように弾け広がって消えた。ネコは思わず凄い綺麗と漏らした。僕らは目を見つめ合ってそれからまた離した。そしてお互いにもう一度空を見た。
「これはふたりだけの宇宙なんだ。僕と君だけの小さな宇宙」
間違いなくそれはふたりだけの小さな宇宙だった。
「あなたといると自分までもがロマンチックな人になった気になる」
「いいことだよ。想像力が宇宙をつくるんだ。そこに銀河ができて太陽系ができて地球ができる。小さな島に自分たちの住む日本がある。それだけだよ」
「そうよね。いいことなの、あなたといることは」
「間違いない。誰かといることはいいことだ。人生は素晴らしい。人生は素晴らしいんだよ」
隣なんて見てないけどネコは微笑んでいたんだと思う。言葉も何もかもいらない。ときどきそう思うことがある。




