夢とせせらぎ②
次の週の日曜日にせせらぎは僕にハーブティーを作ってきてくれた。ピクニックかなにかが出来ればもっといいんだけどきっと許されないからと愚痴をこぼしながらコップ付きの少し大きな水筒を家から持ってきてそれにハーブティーを注いでくれた。
「この前のと違うやつですね。これはあんまり好きじゃないです」
僕は正直に言った。この先もハーブティーを持ってくる可能性があったからだ。彼女はクスクスと笑いながら僕にハーブティーの説明をしてくれた。
「この前のはカモミールで、今回のがレモングラス。私もレモングラスはそんなに得意じゃないの。だけどときどき飲みたくなるのよね。あなたも飲み続ければそうなるかもしれないわよ」
「飲み続けなきゃなんないんですか?いやですよ」
彼女はまたクスクスと笑って僕の方を見ていた。
「ダメよ、身体にいいんだから。次も違うやつを持ってくるから」
僕はレモングラスティーをもう一口飲んでまた嫌な顔をした。
「次って、あなたハーブを何種類育ててるんですか?」
彼女はスマホをおもむろに取り出して家で栽培しているハーブの写真を見せてくれた。専用の機械のようなものに入れられて丁寧に育てられていて彼女がスクロールをするたびにそれらの名前を呼んだ。ミント、カモミール、レモングラス、ルイボス、ローズマリーラベンダー。それから香り強すぎるものはブレンドして作ると教えてくれた。楽しそうに且つ真面目に話す彼女の顔を見て僕は思わず笑ってしまった。
「もう、研究者じゃないですか!僕を何か危ない実験に巻き込もうとしてるわけじゃないですよね?」
彼女は微笑んで僕の手からコップを優しく取り返した。
「私が研究者ならもうあなたは死んでるわ」
僕は苦笑いしてまた差し出されたレモングラスティーを受け取った。ちっとも欲しくなかったが続けてみれば時々思い出すようになるという思考が気に入ったので飲んでみた。
「昔っから家は厳しかったんですか?」
僕は彼女の目を見て聞いてみた。目はすぐに逸らされて僕はそのまま彼女の頬や唇を眺めていた。
「昔といえば昔ね、でもこの話は長くなっちゃうから…」
僕は難しい顔をした。そしてなんとなく頭のなかで思ったことを伝えてみた。
「あなたはひとりっ子じゃないですよね?他の兄妹にも両親は厳しいんですか?」
彼女は驚いたような顔をした。それから僕の方を見て僕と目を合わせた。そして少し寂しそうな顔をした。相変わらず喜怒哀楽が激しいなと僕は思った。驚いたり、寂しくなったり。
「ひとりっ子よ。今は」
彼女はぽつりと嘆いた。強調しないように放った言葉がそうしようとしたせいでより強調されてしまっていた。
「ねえ、本当に無理なんですかね、ゆっくり時間つくって話すのは。僕はあなたのあれこれについて知りたくなってしまってるんです。本当に知るだけでいいんですよ」
相変わらず店長は店の中を忙しそうに走り回っていた。いったい何がどうなればそんなに忙しくなるのかわからなかったが彼には彼の事情があるんだろう。せせらぎは困った顔をした後に僕の方をもう一度見て柔らかい笑顔を僕に向けた。
「いつか話せるといいわね」
僕はため息をついた。
「あなたが人生に絶望しようが世界は回るんです」
僕は優しく語り出した。どうしてそんなことを言うのかよくわからないけれどなんとなく語りたくなった。彼女は紺色のスーツっぽいズボンの皺を優しく伸ばしながら僕の方を見つめていた。
「ぐるぐるぐるぐる回ってるんですよ」
続けて僕はそう言った。それから少しまた間をあけて言葉を選びながら話した。多分いつもより不器用に話していたから彼女はいつもよりもずっと優しい目で僕を見ていたんだと思う。
「僕の人生は素晴らしいしあなたの人生も素晴らしいものなんです。あなたは過去に何かあったかもしれない。それが悪いことだとしてもですね、だからといってそれはあなたの人生が酷いものだってわけじゃないんですよ。僕はね、よく言われるんです。お前の人生、今まではよくなかったかもしれないけどあーだこーだってね。僕はちっともよくなかったなんて思ってないってのに。他人から見るとどうもダメみたいなんですよ。あなたの人生もそうです。他人には語れないんですよ。つまり、ええと、何が言いたいかというとですね……
人生、私に人生を語らないでくださいってやつですよ」
彼女はわけのわからないところで熱くなった僕を真面目そうに見てた。
「ねぇ、メモしたほうがいいかしら?」
僕は頷いた。
「えぇ、しといてください。これを。いいですか?これから何かを始めるにはいつだって今が1番若いんです。これは紛れもない事実です」
彼女は頷いた。
「でもどうしてあなたは私に真摯に接するの?私あなたに何もしてあげられないわよ」
僕は考えてみた。多分説教が気持ちがいいってだけだ。僕は僕の思考にはまった彼女に何か話したいだけなんだろう。
「ハーブティーを淹れてくれます。美味しくないやつでも美味しいやつでも」
彼女は微笑んだ。それから少し考えていった。
「ありがとう。だけどやっぱり無理だと思うの。とりあえず今はあなたの話を聞いているだけで私の世界が広がる気がしてるわ」
僕はにこやかに笑った。
「僕は多分、あなたに何かを話すのが気持ちがいいだけなのかもしれませんね」
彼女はぽかんとした顔をして僕の方を見ていた。それからハーブティーを注いで僕に渡した。
「私も同じだと思う。あなたにハーブティーを飲んでもらうのが嬉しいだけなのよ」
店長はまだ忙しそうに店中を行ったり来たりしていた。僕らは時間になるまで他愛のない話をしていた。彼にも彼の生き方があり、せせらぎにもせせらぎの生き方がある。誰が人生を語ろうが結局はその人にしか語れないものがあるのだ。人生とロボットが言った。僕はそれにきちんと応答した。それから頭のなかでこう言葉が響いた。
人生、自分が語るより他人が語るほうが真実に近いこともある。
やれやれ、僕は今日だけでどのくらいの嘘をついたんだろう。僕はハーブティーの最後のひとくちを飲んでコップをせせらぎに返して悪くない味ですね、慣れてみればと言った。せせらぎも僕に微笑み返して無理しなくて良いわよと言った。それから二人でバックヤードから店内に足を進めた。




