息を止めて水中を泳ぐ②
家に着いてシャワーを浴びて洗濯機を回してからアンディモリのベンガルトラとウイスキーを流しながら僕はパスタを作った。茹でたパスタにマヨネーズとお酢と醤油をかけただけの簡単パスタ。僕は絶対にパスタは茹でるんだ。いくら時代が電子レンジを進めようがね。味は店に並ぶほどの美味しさではないが美味かった。それからポッケに入れてたせいで汗で濡れた文庫本を乾かしてからクーラーのついた部屋で少しだけ眠った。
アラームは予定通りに僕を起こし、それから出かける準備をした。人生は素晴らしいと声に出して言ってみたくなったが心の中だけに留めていた。きまぐれ。ロボットが人生と僕に呟いた。
「人生」
「ルーレットで決まる感情を飼い慣らさなくてはならない」
いろんな人生がある。ひとりの人生だとしても。
僕はそのままアンディモリのandymoriというアルバムを流しながら家を出て電車に乗り下北沢で乗り換えて渋谷に向かった。少し早く着いたがネコも大体同じくらいのタイミングで着いた。ネコは赤いボタンダウンシャツにブルージーンズを履いて髪をハーフアップにしていた。それから今朝とは違う香りのいい香水をつけていた。僕がその香りを褒めると軽く微笑んでありがとうと言った。
「お腹減ってる。結局あの後なにも食べなかったから」
僕はお腹は減ってなかったがネコがお腹が減っている時よりは食べれる自信があった。女の子の言うお腹が減ったなんて大したことないからさ。
「なにも食べなかったんだ。じゃあ食べれるところに行こうか。なにが食べたい?」
「なんでもいい。お腹減ってるから」
ネコは選択肢が沢山あるとすぐになんでもいいというタイプの女の子だった。窓のない宇宙船もそういう感じだったことを思い出した。もしかしたらこれは僕の聞き方が悪いんじゃないだろうかと考えた。建設的な考えだ。
「僕は昼にパスタを食べたからご飯系でいい?」
ネコは少し考えてからそれでいいと言った。
「肉か魚でいうとどっちがいい?」
「お肉がいいかな」
「がっつり食べれるなら近くに焼肉屋さんがあるよ。なかなか安くて美味しい」
ネコは微笑んでそこでいいと言った。大体の場合2択にすれば答えられない女の子はいない。君が男ならどっちも嫌だと断られても他の2択を出し続けなくてはならない。
僕らは焼肉屋に入って注文をした。ディナーのセットをそれぞれひとつと単品でタンを頼んだ。ネコはご飯を2杯おかわりした。本当にお腹が空いていたんだなと思った。こういうのってすごく好印象なんだよね。かわいこぶられちゃうと突然冷めちまうから。僕は結局話せずにいたアンドロイドの話の続きをしようとしたが途中で料理が来たので結局また途中で辞めてしまった。別に大したことじゃない話を何度も途切れられるとすごく嫌な気持ちになる。なんだか勝手に期待されて勝手に呆れられそうな気がするから。
会計を済ませて外に出るとネコが食べ過ぎたから少し散歩をしたいと言った。僕も渋谷のことを大して知らなかったからその意見に快く賛同した。僕らは道玄坂方面に歩き蔦屋のそばにある動物のおもちゃだとかが売ってある店に入った。僕はヘンリーのことを思い出して少し寂しくなった。きっとヘンリーも寂しくて吠えているだろうなと思った。
「去年飼っていた猫が死んだの。突然家から居なくなってすごく探し回ったんだけど見つからなくて…見つかった時にはもう死んでたの。家からあんまりでない子だったのに多分自分の死期を悟ったんだと思う」
ネコは話しながら少しだけ悲しい顔をしていた。ひとりで居たら涙を流していたかもしれないといったような表情だった。
「すごく後悔してる。もっと愛してればよかったって」
「どんなに愛しても、死はいつも僕らに後悔をもたらすものだ」
ネコは頷いた。
「あなたは何か動物を飼ってる?」
「昔、犬を飼ってた。ヘンリーって名前のボルゾイ。とてもいい奴だった」
「そう。その子も死んじゃったのね」
「死んだ。だから少しだけ君の気持ちもわかる。だけど僕らは生きてる。孤独ってのは単に盲目なだけだから、顔を上げて歩いていくしかない」
「それはそうね。うん、少しわかる気がする」
僕らは店を出るとまた並んで歩いて渋谷まで戻った。それから地下にあるジャズバーに入って2人とも赤ワインを頼んだ。僕は彼女にアンドロイドの話の続きをした。僕は工場で働いている間自分をアンドロイドだと思って働いていたんだ。同じ作業をずっと繰り返すと頭がおかしくなるから。
「それで心をなくしていたの?」
「心?あぁ、心ね」
僕が大袈裟にそういうとネコはクスクスと笑った。
「ロボットにも心はあるのね」
「うん。鬱病で自動ドアを嫌って人生について語られると不機嫌になる」
「ふうん。あなたにも心はあるの?」
僕は考えてみた。それから赤ワインをもう一杯頼んだ。ネコは僕が頼んだのをみてマティーニを一緒に頼んだ。それから僕は席を立ちカウンターの奥あたりにいた従業員に紙をもらいjust the two of us とノルウェイの森を流してもらうように頼んだ。彼はその紙を見て少し大きめのメガネの位置を調整すると頷いてから棚にあるレコードを漁った。僕はそのままトイレに行ってから席に戻ると新しく来ていたワインを一口飲んでからピーナッツを食べた。
「たぶん、僕にも心はあるよ」
ネコは僕のほうを見つめてから手をカウンターの下に下ろした。
「それじゃ、私のことどのくらい好き?」
ネコは照れくさそうにそう聞いた。それからマティーニを一口美味しくなさそうに飲んだ。酔ってるんだ、ネコも僕も。
「へびのしっぽくらい好きだよ」
バックグラウンドミュージックはjust the two of us からノルウェイの森に変わり、近くにいた誰かはそれに気がついたようだった。
「へびのしっぽ?」
ネコは少し考えたがわからなかったようで僕に聞き返した。
「うん。蛇のしっぽ」
「それってどういう意味?何かとても素敵な響きね」
「なんでもいいから蛇を想像してみて、大きさも色も君が1番好きなやつ」
多分ネコは今日見た大きなニシキヘビを想像したんだと思う。大きくて壁側に丸くなって眠っていたニシキヘビを。それはその蛇をネコが最も簡単に想像できたからではなくてその蛇が僕と二人で見た大切な思い出だったからだ。こんなことを言えるくらいに僕とネコの間に淀んだ雰囲気は素敵であたたかいものだった。
「その蛇の尻尾を切ってみてよ」
ネコは空中を手刀で優しく切った。そんなに優しく切ったら蛇の尻尾は落ちないなと思った。
「だけどさ、ここを切っても、こっちを切っても蛇のしっぽになっちまう。僕は君のどこを切り取ったって好きなんだよ、本当の話」
僕も同じように空を手刀で切った。ネコはほほえんで静かに僕の目を見た。僕はドギマギしちゃって目を逸らした。
「こんな素敵なこと言われたのはじめて」
ネコは僕の右頬に向けてそう言った。それが鼓膜を揺らし僕のクソ雑魚な脳みそがそれを言葉に変換させた。
「僕もはじめてだよ、ようやく心を取り戻せたから」
ネコはまたほほえんでからマティーニを不味そうに飲んだ。それから素敵ねとひとりごとみたいに言った。本当に素敵な時間だった。こんな日々が続けば戦争は終わり、砂漠に植物が芽吹き海に捨てられたゴミは宇宙に飛んでいきブラックホールに吸い込まれるだろうなと僕は思った。
その日はそれ以上はなにもなく僕は家に帰って歯を磨いて、水を一杯だけ飲んで眠った。深い微睡の中で僕はあの娘を探す夢を見た。




