アホ毛ぴょこぴょこ水素ちゃんの大洪水!クール窒素ちゃん、氷の美で対抗!
聖メンデーレフ魔法女学院の美術室は、いつも様々な元素の色や形で賑わっている。
ステンドグラスからは虹色の光が降り注ぎ、壁には炎や光の魔法で描かれた抽象画、粘土の代わりに土壌元素で固められた彫刻が並ぶ。
今日は、オストワルト先生担当の「元素造形学」の授業だ。
オストワルト先生はクセのあるブロンドの髪の上にベレー帽を被り、首にはカラフルなスカーフ。
手には自作の色彩環を持った30代くらいの芸術家肌先生である。
著名な科学者ではあるが、科学界でも独自の芸術理論を提唱している少し変わり者だ。
「さて、今日の課題は『自然』をテーマにした立体作品だ!」
オストワルト先生は、生徒たちの前に立つと、やや緊張した面持ちで課題を告げた。
彼の背後には、過去の生徒たちが制作した様々な自然を模した作品が展示されている。
硫黄でできた火山模型、水銀でできた揺れる湖、金と銀で編まれた森。
元素の持つ多様な性質が、ここでは芸術として昇華される。
「元素魔法も自由に使って構わない!ただし、事故には十分注意するように!」
生徒たちからざわめきが起こる。
美術の授業で元素魔法が解禁されるのは、破壊的な性質を持つ元素も多いため、普段は制限が多いのだ。
教室の一角で、透き通るようなアクアブルーの髪を揺らす小さな影が、目をキラキラさせて立ち上がった。
宇宙で最も軽い元素娘、水素ちゃん(7歳)だ。
頭頂部の一本のアホ毛がぴょこんと跳ねる。
「しゅわーっと、わくわくするね!自然かー、どんなの作ろうかな!」
彼女はすでに興奮で落ち着きがない。
周りの空気が、彼女の持つ軽い元素の特性を受けて、少しだけざわつくような、浮き立つような感覚になる。
すぐにでも駆け出したいのを我慢しているかのように、小さな水滴が彼女の周囲をぷるぷると震えている。
一方、教室の別の隅、窓辺の席では、深いナイトブルーのストレートロングヘアの少女が、静かに本を読んでいた。
大気の78%を占めるクールな元素娘、窒素ちゃん(16歳)だ。
長い前髪から覗くアイスブルーの瞳は、感情の動きをあまり映さない。
「…別に、興味ないわ」
彼女は手にした推理小説から視線を上げず、低い声で呟いた。
周囲の温度が、彼女の存在によってわずかに下がるのを感じる。
薄手のショールを肩に纏った彼女の指先から、うっすらと冷気が漏れているように見えた。
暑苦しい状況や自己主張の強い人が苦手な彼女にとって、水素ちゃんのようなタイプは最も相性の悪い部類に入る。
彼女の口癖である「常温では安定しているわ」は、単体では不活性な自身の性質を表すだけでなく、感情を動かされないクールなスタンスを示す言葉でもあった。
オストワルト先生は少し困ったように窒素ちゃんを見たが、彼女の態度には慣れているのか、すぐに他の生徒に目を向けた。
「では、制作開始!制限時間は…そうだな、授業終了までだ!」
号令と共に、生徒たちはそれぞれの元素魔法で作品を作り始めた。
水素ちゃんは、すぐに立ち上がると、水の魔法で巨大な水の塊を作り出した。
彼女は「生命の源」たる水を自在に操ることができる。
その塊を慎重に、しかし興奮気味に変形させようとする。
テーマは『奔放な川』だ。
「しゅわーっと、ここをもう少し高くして…!」
彼女が指先を動かすと、水の塊がうねり、形を変えようとする。
しかし、水素ちゃんの魔法は、その純粋さゆえに制御が難しい面がある。
彼女の好奇心旺盛で予測不能な性格がそのまま魔法の特性に現れるのだ。
ドバン!
水の塊が突然弾け、大量の水が四方八方に飛び散った。
教室の床はあっという間に水浸しになる。
他の生徒たちが悲鳴を上げ、自分の作品に水がかからないように慌てて魔法で防御する。
「あわわ、ごめんなさい!ちょっと張り切りすぎちゃった!」
水素ちゃんはぺこぺこ謝るが、その瞳はまだワクワクしている。
水浸しになった床も、彼女にとっては楽しい水遊びの続きのようだ。
その水浸しの惨状を、窒素ちゃんは冷たい視線で見つめていた。
彼女はすでに自分の作品に取りかかっていた。
液体窒素の魔法で、空気中の水分を一瞬で凍らせ、繊細な氷の結晶を組み上げていく。
テーマは『静寂の氷山』。
彼女のクールで知的な内面を映し出すかのように、作品は静かで研ぎ澄まされた美しさを放っていた。
水素ちゃんのせいで教室の温度と湿度が急激に上がったことに、窒素ちゃんは眉をひそめる。
暑苦しさが苦手な彼女は、無意識に周囲の温度を下げようと、より強力な冷却魔法を発動させる。
キィン、と空気が凍る音が響いた。
窒素ちゃんの周囲だけでなく、教室全体の温度がぐっと下がる。
床の水はみるみるうちに凍り始め、水素ちゃんの作りかけだった水の彫刻も、表面から徐々に氷に覆われていく。
「あわわ、凍っちゃう!えーい、こうなったら…!」
水素ちゃんは慌てて、水の魔法をさらにパワーアップさせた。
凍り始めた水を溶かそうと、水の分子を激しく振動させるのだ。
彼女は太陽のエネルギー源(核融合)をモチーフとするだけあって、実は内に秘めたエネルギーは凄まじい。
ゴォォォ…と、水の塊から白い湯気が立ち上り始めた。
激しい分子運動は、水を気化させる。
みるみるうちに、教室は真っ白な水蒸気で覆われた。
視界はほぼゼロ。
まるで深い霧の中にいるようだ。
「しゅわーっと、これなら凍らないかな!…でも、何も見えないや!」
水素ちゃんは水蒸気の中で楽しそうに声を上げた。
彼女は予測不能な行動を見せると言われるが、それは彼女の純粋さと、莫大なエネルギーを秘めているがゆえの制御の難しさから来るものだ。
水蒸気の中で、窒素ちゃんの冷たい声が響く。
「…騒がしいわね。そして、視界が最悪よ」
彼女は溜息をつき、氷の彫刻にさらに冷気を吹き付けた。
彼女の作品は、水蒸気の中でも存在感を放つように、より硬く、より鋭利な輝きを帯びていく。
彼女にとって、水素ちゃんの無邪気でドタバタした騒ぎは、自身の静かで知的な世界を乱す「ノイズ」でしかなかった。
彼女の作品は、その「ノイズ」から自己を守るかのように、内側へと凝縮されていく。
教室は水蒸気と氷で完全に覆われ、生徒たちは戸惑っていた。
オストワルト先生も、白い霧の中で右往左往している。
「うむ…これは…」
彼は凍りついた床に滑りそうになりながら、二人の「作品」を見つめた。
水蒸気の中でぼんやりと浮かび上がる水素ちゃんの白い雲のような塊と、その中でひっそりと輝く窒素ちゃんの鋭利な氷。
「…素晴らしい…自然の…混沌…!まさに、元素が織りなすカオス…!」
オストワルト先生は、震えながらも感嘆の声を上げた。
彼の目には、これが美術作品として映ったらしい。
生徒たちの混乱ぶりには気づいていないようだ。
水蒸気の中から、水素ちゃんの無邪気な声が響いた。
「しゅわーっと大成功!…かな?先生、私の作品、見えた?」
氷の彫刻のそばで、窒素ちゃんは静かに呟いた。
「…最悪ね。こんな状態で、どうやって評価されるというのよ」
結局、授業終了のチャイムが鳴るまで、教室の水蒸気は晴れず、氷も溶けなかった。
二人の作品(?)は、その後もしばらく美術室に留まり、教室を極寒地帯に変貌させた。
学院の暖房システムはフル稼働せざるを得なくなり、後日、暖房費高騰の原因として、二人の名前が学院長室で囁かれることになったという。
「まったく…水素と窒素の組み合わせは、どうしてこうも騒がしいんだ…」
オストワルト先生は、美術室の凍りついた床で滑って転びそうになりながら、遠い目をして呟いた。
元素の相性には、時として教師でさえ翻弄されることがある。
こうして、聖メンデーレフ魔法女学院の一日は、水素ちゃんと窒素ちゃんのドタバタによって締めくくられた。
二人の性格、魔法、そして元素としての性質は、あまりにも対照的で、一緒になることで予測不能な化学反応を引き起こす。
しかし、それは単なる騒ぎであるだけでなく、どこか元素たちの「らしさ」が詰まった、彼女たちだけの表現なのかもしれない。