フワフワおやつの落とし物
翌日の午後、学院の売店前は、放課後のおやつを求める生徒たちで賑わっていた。
聖メンデーレフ魔法女学院の売店は、学院の敷地内で採れる珍しい元素材料を使ったお菓子や、魔法の力が込められた不思議な日用品が並ぶ、生徒たちの人気スポットだ。
水素ちゃんは、買ったばかりのわたあめを両手に持ち、その軽やかな感触に満面の笑みを浮かべていた。
「わくわくするね!ふわふわー!」
透き通るようなアクアブルーの髪が、彼女の喜びを表すかのようにぴょんぴょん跳ねる。
彼女の嗜好は、わたあめや炭酸飲料といった「軽くてシュワシュワしたもの」だ。
その綿菓子は、学院内の研究室で開発された、ほんのり水素の香りがする特製わたあめだった。
隣で酸素ちゃんは、優しい眼差しで水素ちゃんを見守っている。
「ふふ、水素ちゃんは本当にわたあめが好きね。でも、あんまり食べすぎるとお腹壊すわよ」
世話好きなお姉さん気質の酸素ちゃんらしい言葉だった。
彼女の鮮やかなオレンジレッドのポニーテールが、優しく揺れる。
彼女のウエストポーチからは、万が一のための胃薬が見え隠れしていた。
二人は中庭へと続く小道を歩いていた。
中庭は、学院のシンボルでもある巨大な世界樹がそびえ立ち、その根元からは様々な元素が湧き出す不思議な場所だ。
小鳥のさえずりや、風に揺れる葉の音が、心地よいBGMのように響いている。
その時、突如として強い風が吹き抜けた。
中庭を抜ける風は、学院の建物にぶつかり、予測不能な旋回を描くことが多い。
「ああっ!わたあめがー!」
水素ちゃんの悲鳴が、風の音にかき消されそうになる。
手から離れたわたあめは、水素ちゃんの「軽さ」の魔法が発動したかのように、ふわりと空高く舞い上がってしまった。
わたあめはみるみるうちに小さくなりながら、学院の屋根を越え、遠くへと飛んでいく。
水素ちゃんの瞳には、今にも涙が溢れそうだった。
彼女にとって、わたあめはただのおやつではない。
軽やかで、宇宙の始まりのような、彼女自身の存在を象徴するようなものなのだ。
「私、一人でいるの苦手なのに…わたあめも、遠くに行っちゃうの…?」
彼女の口癖である「私と合体!」は、彼女が単独では不安定で寂しがり屋であることの裏返しでもあった。
大切なものが、自分から離れていくことに、彼女は途方もない寂しさを感じていた。
「待って、水素ちゃん!諦めないで!」
酸素ちゃんは、水素ちゃんの気持ちを察した。
彼女は水素ちゃんの小さな手を掴むと、力強く走り出した。
スポーツ全般、特に持久走が得意な彼女は、水素ちゃんを抱っこしながら風を切ってわたあめを追いかける。
「私が軽ーくしたげる!」
水素ちゃんは、自身の「軽量化」の特技を発動させた。
オレンジレッドの髪が風になびき、彼女の体がまるで光の粒になったかのように、驚くべきスピードで駆け抜ける。
しかし、わたあめはさらに高く、学院の荘厳な校舎の屋根を越えていってしまう。
「これ以上は無理ね…!」
酸素ちゃんは立ち止まり、歯がみした。
だが、諦める気は毛頭ない。
彼女の「正義感」と「誰かの役に立ちたい」という思いが、彼女の特技を呼び覚ます。
「でも、諦めないわ!私が燃焼をコントロールして、上昇気流を作り出すわ!」
酸素ちゃんは、両手を空に掲げた。
彼女の体から、微かに熱を帯びた空気が放出される。
それは、彼女の「燃焼を自在に操る魔法」だ。
通常、物を燃やす際に使う魔法だが、彼女はそれを微細にコントロールし、細く長く、しかし確かな上昇気流を生み出した。
その上昇気流は、空高く舞い上がるわたあめの真下へと伸びていく。
「水素ちゃん、私の炎に乗って!」
酸素ちゃんの声に、水素ちゃんは迷わずその上昇気流に乗った。
彼女は軽い体質をさらに「物質を軽くする魔法」で強化し、酸素ちゃんが作り出した熱の柱を、まるで遊具のように駆け上がっていく。
屋根の端っこで、水素ちゃんはふわりとわたあめに追いついた。
彼女の小さな手が、縮んでしまったわたあめをしっかりとキャッチする。
しかし、わたあめはすでに風と酸素ちゃんの上昇気流で縮んでしまい、小指の先ほどの大きさにしかなっていなかった。
「しゅわーっと、ちっちゃくなっちゃったけど…でも、酸素ちゃんのおかげでキャッチできたよ!ありがとう!」
水素ちゃんの瞳は、再びキラキラと輝いていた。
たとえ小さくなってしまっても、大切なものが手元に戻ってきたことが、彼女には何よりも嬉しかったのだ。
彼女は、酸素ちゃんの口癖を真似るかのように言った。
「私がいないとダメなんだから!…って、なんだか、酸素ちゃんみたいだね!」
酸素ちゃんは、屋根の端でわたあめを掲げる水素ちゃんの姿を見て、ふっと優しい笑顔を浮かべた。
「ふふ、仕方ないわね。でも、ちゃんと戻ってきてよかったわ」
少し呆れたような口調だったが、その声には安堵と、そして満ち足りたような響きがあった。
「深呼吸して、休もうねー」
彼女の口癖が、今、中庭にいる見えない誰かに問いかけるように呟かれた。
彼女の瞳は、まるで生命の息吹そのものを見るかのように、優しく、そしてどこか満足げに空を見上げていた。
水素ちゃんと酸素ちゃんの間に、小さくなったわたあめを分かち合うような、温かい空気が流れていた。