恐怖! 半減期ショートコント!? ポロニウム姉さんの幽体離脱
聖メンデレーエフ魔法女学院には、他の元素たちよりも少しばかり特殊な宿命を背負った生徒たちもいる。
それは、放射性元素の元素娘たちだ。
彼女たちの「半減期」は、寿命が短いという意味ではなく、魂が肉体から離れて幽霊状態に移行する周期を指す。
幽霊状態は、言わばエネルギーチャージのための冬眠期間のようなもので、しばらくすれば元の肉体に戻り、再び活発に活動できるようになる。
繰り返されるこのサイクルは、彼女たちにとって日常の一部なのだ。
しかし、そのサイクルが始まったばかりの元素娘や、周期が短い元素娘にとっては、少しばかり厄介な問題となることもある。
ポロニウムの元素娘、ポロニウムちゃんは、その一人だった。
ポロニウムは、マリー・キュリーが発見した元素の一つであり、その短命さで知られている。
ポロニウムちゃんも、学院の中でも特に半減期が短く、突然、通常状態から幽霊状態に移行してしまうことが度々あった。
その日、水素ちゃんとヘリウムちゃんは、学院の長い廊下を歩いていた。
廊下の窓からは、柔らかな春の陽光が差し込んでいる。
微かに桜の香りが漂ってきた。
「ポロニウムちゃん、また難しい顔してるね!何かあった?」
水素ちゃんは、廊下の窓辺に一人座り込み、膝を抱えて溜息をついているポロニウムちゃんの姿を見つけ、すぐに駆け寄った。
ポロニウムちゃんは、黒や濃いグレーを基調とした、修道女や喪服のような、全身を覆い隠すような禁欲的なデザインのローブやドレスを着ていて、いつもどこか物憂げな雰囲気を纏っているが、時折見せる笑顔はとても優しかった。
ヘリウムちゃんは、水素ちゃんの少し後ろに立ち止まり、ポロニウムちゃんを静かに観察していた。
彼女は、放射性元素の元素娘たちに対して、少し距離を置いているようだった。
それは、彼女が不活性であり、他の元素との反応を好まない性質からくるものかもしれない。
あるいは、彼女自身の持つ絶対零度に近い超低温魔法が、不安定な放射性崩壊のエネルギーと相性が悪いのかもしれない。
「ポロニウムさんは、いつも何か悩んでいるみたいですねぇ……」
ヘリウムちゃんは、やはり抑揚のない声で呟いた。
彼女の観察眼は鋭い。
ポロニウムちゃんの悩みは、彼女自身の存在そのもの、つまり、周期的な幽体離脱の宿命にあることを、ヘリウムちゃんは理解していた。
ポロニウムちゃんは、水素ちゃんが近づいてきたことに気づき、顔を上げた。
その表情には、やはり深い憂いが刻まれている。
「私は……寿命が短いから……」
ポロニウムちゃんは、小さく呟いた。
彼女の言う「寿命」は、もちろん半減期のことだ。
せっかく楽しいことを見つけても、友達と約束しても、突然体が消えてしまう。
それが、彼女の悩みだった。
と、その時だった。
ポロニウムちゃんの体が、微かな光を放ち始めた。
最初は淡い光だったが、徐々に強くなり、彼女の体を包み込んでいく。
「えっ!?何が始まるの!?」
水素ちゃんは、目の前で起こった予想外の出来事に、目を丸くして驚いた。
ポロニウムちゃんの体が光り輝くなんて、初めて見た。
ヘリウムちゃんは、冷静な目でその光景を見ていた。
彼女の周りを漂う風船は、相変わらずぷかぷかとしている。
「あ……また始まった……」
ヘリウムちゃんは、慣れた様子で呟いた。
彼女は、ポロニウムちゃんがこうなるのを、何度か見たことがあったのだ。
放射性崩壊のエネルギーが、魂を肉体から切り離す瞬間。
光が最高潮に達し、フッと消える。
ポロニウムちゃんが座っていた場所には、もはや肉体はなかった。
代わりに、半透明でフワフワとした、ポロニウムちゃんの形をした幽霊が、宙を漂っていた。
幽霊ポロニウムちゃんは、自分の手足を見て、不思議そうに首を傾げた。
「うらめしや~……って、あれ?体が軽い……」
彼女の幽霊体は、まるでヘリウムガスでも吸い込んだかのように、ふわふわと浮遊し始めた。
通常状態の体は質量があるが、幽霊状態になると質量はほぼゼロになるのだ。
幽霊ポロニウムちゃんは、その軽さに驚き、そして少しだけ面白がっているようだった。
「きゃー!お化けー!」
水素ちゃんは、文字通り腰を抜かした。
目の前で、友達の体が消え、お化けになってしまった! 彼女は、怖さのあまり、ヘリウムちゃんの背中に隠れた。
水素ちゃんの体はブルブルと震えている。
ヘリウムちゃんは、水素ちゃんの震えを感じながらも、相変わらず冷静だった。
彼女は、幽霊ポロニウムちゃんを観察するように見つめ、質問した。
「お化けコントですか? 今回はどんなネタですか?」
ヘリウムちゃんにとっては、これはポロニウムちゃんが時々行う、一種のパフォーマンスのように見えているのかもしれない。
あるいは、彼女自身の不活性で、感情に流されない性質が、幽霊という存在に対しても恐怖を感じさせないのかもしれない。
幽霊ポロニウムちゃんは、ヘリウムちゃんの冷静すぎる反応に、少し拍子抜けしたようだった。
そして、怯える水素ちゃんの様子を見て、しまった、という顔をした。
「水素ちゃん、驚かせてごめんね! 私だよ、ポロニウムちゃん!」
幽霊ポロニウムちゃんは、水素ちゃんに近づこうとした。
「ヒィ!来ないでー!」
水素ちゃんは、さらに怖がってヘリウムちゃんの背中に顔を埋めた。
「大丈夫ですよぉ、水素ちゃん。幽霊は物理的な接触はできませんからぁ……」
ヘリウムちゃんは、これもまた冷静に、科学的な事実を述べた。
彼女は、水素ちゃんのパニックを目の当たりにしても、自分のペースを崩さない。
幽霊ポロニウムちゃんは、苦笑いしながら、自身の軽さを活かして、ふわふわと廊下を漂い始めた。
「今なら体が軽いから、一緒に遊べるよ!鬼ごっこなんて、すぐに捕まえられないかもね!」
幽霊ポロニウムちゃんは、この「幽体離脱」を、せっかくなら楽しもうとしていた。
それは、彼女の短命という宿命に対する、せめてもの抵抗であり、悲しみを乗り越えようとする彼女なりの強さだった。
「……って、きゃー! また体が戻っていく!」
しかし、幽霊状態は長くは続かない。
ポロニウムの半減期は短くて不安定だ。
数秒後、幽霊ポロニウムちゃんの体が、再び光を放ち始めた。
今度は、元の肉体に戻るための光だ。
光が強くなり、彼女の幽霊体が収縮していく。
廊下には、再びポロニウムちゃんの肉体が現れた。
彼女は、まるで激しい運動でもしたかのように、ハァハァと息を切らしていた。
「やっぱり、なんだか不安定なのよね……」
ポロニウムちゃんは、グッタリとしながら呟いた。
せっかく幽霊状態になったのに、遊び始める前に戻ってしまった。
この繰り返しが、彼女の悩みだったのだ。
水素ちゃんは、ポロニウムちゃんの体が元に戻ったのを見て、ようやくヘリウムちゃんの背中から顔を上げた。
まだ少し震えているが、幽霊が消えたことに安堵している。
「もう勘弁してー!心臓に悪いよー!」
水素ちゃんは、半泣きになりながら訴えた。
彼女にとって、ポロニウムちゃんの幽体離脱は、何度見ても慣れない、純粋な恐怖体験だった。
ヘリウムちゃんは、グッタリしているポロニウムちゃんを見て、静かにポケットから小さなヘリウム風船を取り出し、空に飛ばした。
風船は、ゆっくりと廊下の窓から外へと飛んでいった。
「お疲れ様ですぅ……。またすぐに、ぷかぷかできますよぉ……」
ヘリウムちゃんは、ポロニウムちゃんの短命さや、繰り返される幽体離脱を、否定も肯定もせず、ただそこに存在する事実として受け止めているようだった。
そして、彼女なりの慰めとして、風船を飛ばしたのかもしれない。
風船が空高く漂う様子は、幽霊状態のポロニウムちゃんの軽やかさに、どこか似ている。
ポロニウムちゃんは、ヘリウムちゃんが飛ばした風船を、物憂げな瞳で見つめた。
水素ちゃんの純粋な恐怖と、ヘリウムちゃんの掴みどころのない優しさ。
二人の全く違うリアクションが、彼女の心を少しだけ軽くしたような気がした。
この学院では、自分のような存在も、当たり前のように受け入れられているのだ。
たとえそれが、水素ちゃんにとっての「恐怖」であり、ヘリウムちゃんにとっての「日常」であるとしても。
廊下には、春の陽光と、桜の香り、そして、周期的に幽霊になる元素娘と、それに振り回される元素娘、そして常にマイペースな元素娘の、奇妙でシュールな日常が流れていた。