危険なデンタルケア!?フッ素ちゃんの過剰な愛情と水素ちゃんの涙の惨劇!
危険なデンタルケア!?フッ素ちゃんの過剰な愛情と水素ちゃんの涙の惨劇!
聖メンデーレフ魔法女学院の壮麗な尖塔に、初夏の陽光が降り注いでいた。
濃い緑に色づいた木々はそよ風に揺れ、学院全体が微かにオゾンのような、あるいは甘い花の蜜のような、複雑で活気に満ちた匂いを漂わせている。
ここは、元素の力が魔法として顕現する、魔法と科学が融合した学び舎。
周期表に名を連ねる少女たちが、それぞれの元素の特性を活かした「元素化学魔法」を日々研鑽している場所だ。
学院の廊下は磨き上げられ、大理石の床は鈍い光を放っている。
壁にはメンデレーエフ学長の威厳ある肖像画が飾られ、時折、古びた蔵書から元素の知識がささやくような音が聞こえてくる。
そんな静謐な空間に、いつも騒がしい二つの影があった。
朝のホームルームは、元素構造学教室で開かれた。
窓から差し込む初夏の陽光が、周期表が刻まれた大きな黒板に光と影の模様を描いている。
担任のヘンリー・モーズリー先生は、端正な顔立ちの青年だが、どこか頼りなげな雰囲気を纏っている。
彼が教壇に立ち、僅かに溜息をついた。
「さて、皆さん、おはようございます。今日は月に一度の歯の健康チェックの日です。元素の力は歯にも影響を与えることがありますから、定期的なチェックは重要ですよ。」モーズリー先生は手に持ったクリップボードを見ながら続けた。
「特に、反応性の高い元素の皆さんは念入りにお願いします。フッ素ちゃん、いますか?」
教室の後方から、淡い黄緑色の髪をツンツンと逆立てたショートヘアの少女が、自信満々な笑みを浮かべて立ち上がった。
9番、**フッ素ちゃん(F)**だ。
ライムグリーンの鋭い瞳は、獲物を射るかのようにキラリと光っている。
蛍光グリーンをあしらったパンキッシュな戦闘服姿は、他の生徒たちのセーラー服の中でも一際異彩を放っていた。
「ええ、当然ですわ、モーズリー先生!」フッ素ちゃんは手に持った特製の歯ブラシを掲げた。
「雑菌どもなど、私の神聖なるフッ素ちゃんの力で根絶やしにして差し上げますわ! この私に虫歯などあるはずがありませんのよ!」
フッ素ちゃんの言葉に、何人かの生徒が苦笑いを浮かべる。
彼女の極端な潔癖症と攻撃性は、学院でも有名だった。
特に口腔衛生へのこだわりは凄まじく、常にピリピリとした刺激臭を微かに漂わせている彼女が近づくと、生徒たちは無意識に歯に舌を這わせてしまうほどだ。
一方、教室の前方でソワソワしている少女がいた。
透き通るようなアクアブルーのショートヘア、頭頂部に一本ぴょんと跳ねたアホ毛。
大きなスカイブルーの瞳は、不安げにきょろきょろと揺れている。
宇宙で最も軽く、最も多い元素。
1番、**水素ちゃん(H)**だ。
彼女は足元で、無意識に小さな水滴を生成しては消している。
「えへへ…虫歯はないと思うけど、ちょっとドキドキするな~」水素ちゃんは不安そうに呟いた。
彼女は誰とでもすぐに打ち解けるムードメーカーだが、ちょっぴりドジで予測不能な行動(時に核融合のようなエネルギーを生み出すことも)を見せることもあり、周囲をヒヤヒヤさせることも少なくない。
特に、じっとしていることや複雑な話が苦手で、直感で「しゅわーっと行こう!」と動き出すタイプだ。
健康チェックはモーズリー先生と、数人の上級生が担当した。
生徒たちは順番に呼ばれていく。
水素ちゃんの番が来た。
モーズリー先生は慣れた手つきでライトを当て、口の中を覗く。
「うーん、水素ちゃん、基本的には綺麗ですが…少し磨き残しがありますね。特に奥歯が。」モーズリー先生が指摘すると、水素ちゃんは「えへへ…やっぱり!」と少し照れたように笑った。
彼女は水遊びや炭酸飲料が大好きで、甘くてシュワシュワしたものをよく口にする。
それが歯に影響しやすいのは、元素の特性としても納得がいく。
そこに、自分のチェックを終えたフッ素ちゃんが、鬼のような形相で近寄ってきた。
彼女は水素ちゃんの口の中を覗き込み、鋭い息を呑んだ。
「なんですって!? 磨き残しですって!? それに、この…この炭酸飲料の痕跡は!?」フッ素ちゃんの声は、教室内に響き渡った。
「甘いな! 甘すぎますわ、水素! 不衛生極まりないですわ!」
水素ちゃんは肩を竦めた。
「えへへ…つい、しゅわーっとしちゃって…美味しいんだもん。」
「美味しい? ふざけないでくださいまし! 私にとって、不潔な口内環境は何よりも許しがたい汚点なのよ! 私が徹底的に磨き直して差し上げますわ! 雑菌どもは私が根絶やしにしてやりますわ!」
フッ素ちゃんは問答無用で、自分が使っていたフッ素ちゃん入り歯磨き粉のチューブを取り出し、キャップを開けた。
そして、ごっそりと歯磨き粉を歯ブラシに塗りたくり、そのまま水素ちゃんの口に押し付けた。
「はい、開けて! 奥歯まで丁寧に…ゴシゴシゴシ!」
「ふぇっ…ふぇっ…しゅわ…しゅわ…」
水素ちゃんの口の中は、瞬く間に大量の泡で満たされた。
フッ素ちゃんは非常に反応性が高く、水(H₂O)に含まれる水素ちゃんから電子を奪い、酸素ちゃんと結合しようとする性質を持つ。
しかし、歯磨き粉に含まれる他の成分や、口腔内の唾液(水)とフッ素ちゃんの強力な反応、さらに歯磨きによる摩擦エネルギーが加わった結果、予期せぬ化学反応が加速したのだ。
フッ素ちゃんは水素ちゃんと反応してフッ化水素酸(HF)を生成し、これがさらに口腔内の水分や歯の成分と反応することで、ガスを発生させて泡を急激に膨張させた。
水素ちゃんは目を白黒させ、もごもごしながら泡を吹き出した。
普段の彼女の能天気さとはかけ離れた、何かに耐えているような表情だった。
「さあ、まだまだですわ! 前歯も舌も…!」フッ素ちゃんは容赦なくゴシゴシと磨き続ける。
「あ…あ…あぶない…!」
水素ちゃんが突然、叫んだ。
その声は、泡に塞がれながらも、どこか切羽詰まっていた。
彼女の体から微かな熱が発せられ始め、髪のアホ毛がぴくりと震えた。
口から溢れ出る泡が、みるみるうちに膨張していく。
フッ素ちゃんは「うるさいですわね! 我慢しなさい!」と構わず磨き続けた。
次の瞬間、それは起きた。
「ボンッ!!!」
水素ちゃんの口から、圧縮された泡が爆発的な勢いで噴き出したのだ。
フッ素ちゃんはまともにその衝撃を受け、泡と歯磨き粉のペーストが顔全体に浴びせかけられた。
爆発といっても、核融合のような凄まじいものではなく、せいぜい炭酸飲料のペットボトルを激しく振って蓋を開けた時のような、あるいは過酸化水素に触媒を加えたような、ガスと液体が混ざったプチ爆発だった。
フッ素ちゃんの顔は、真っ白な泡とペーストで見るも無惨な姿になった。
目や鼻、口の周りには、白い塊が付着し、まるで石膏像のようだった。
ツンツンしていた髪も、泡でぺったりと潰れている。
「なんですって!? なんですの、これ!?!?」フッ素ちゃんは、顔を拭うことも忘れ、驚愕と激怒の入り混じった声を上げた。
「私の…私の高貴なるフッ素が…あなたのような不潔な存在と反応して…!」
水素ちゃんは、口の周りに少し泡を残しながら、目を丸くしてフッ素ちゃんを見つめた。
「ご、ごめんね! フッ素ちゃん! でも、歯磨き粉が…なんか、すごく『しゅわーっ』としすぎちゃって…体の中でびっくりしたんだ!」
「『しゅわーっ』としすぎただですって!? それが爆発の原因ですの!? 信じられませんわ!」フッ素ちゃんは、自分の顔についた泡を乱暴に拭き始めた。
彼女の顔が露わになるにつれて、怒りが再燃していく。
「フッ素ちゃん…水素ちゃん…」
モーズリー先生が、呆然とした顔で二人に近づいてきた。
彼のクリップボードは、いつの間にか床に落ちてしまっていた。
「水素ちゃん…歯磨き粉で…まさか、爆発を起こすなんて…初めてのケースですよ…。しかも、フッ素ちゃんと反応して…フッ化水素由来のガスでしょうか…。一体、どうしたらそんなことに…。」モーズリー先生は頭を抱えた。
「水素ちゃんの予測不能な反応性とフッ素ちゃんの攻撃性が最悪の形で組み合わさってしまった…。てかフッ化水素ってお前…」
水素ちゃんは、まだ少しだけ泡を口元に残しながら、困ったように首を傾げている。
フッ素ちゃんは、顔についた泡を拭き終え、煤けたような顔で水素ちゃんを睨みつけていた。
「全くですわ、水素! あなたのせいで、私の顔が…! この屈辱、忘れませんわよ!」
「えーん、ごめんね、フッ素ちゃん! 今度から、歯磨き粉は優しく塗るね!」
「優しく塗る問題ではありませんわ!」
朝のホームルームは、かくして、元素娘らしい突拍子もない騒動で幕を開けたのだった。
聖メンデーレフ魔法女学院の日常は、今日も元素たちの予測不能な化学反応によって、賑やかに彩られていく。