第五話 時の呪縛
銃で自害したホームズは時の魔法書の力により時間を巻き戻る。
再び目を開ければ忌々しい男が去る瞬間だった。
それを見もしないでホームズは母を楽な姿勢にする。
「すぐに医者を呼んでくるから待ってて!」
さっきは母を背負ったせいで医者にかかるまでに時間がかかった。
だから今度は医者を急ぎ連れて来ようと考えたのだ。
「ええ、お願い。正直もう立てないの……」
さっきと同じ台詞でホームズは泣きそうに顔を歪め廃教会を出る。
全速力で村に向け走り、ホームズはさっきより早く医者に会うことができた。
ホームズは森に重症の母がいることを話し助けてほしいと必死に話す。
これによりすぐに準備を整えて廃教会に来てくれることに成功した。
帰路は馬で向かったため、これなら助かるとホームズは希望を抱く。
しかし廃教会に戻ったら、セイラはもうこの世を去っていた。
心が折れそうになるも、十歳の誕生日にもらったレイピアをホームズは拾い上げる。
「ごめんね。父さん母さん」
母を救うためにホームズはレイピアで首を斬る。
出血死を狙うものであり少し時間がかかった。必死に応急処置をする医者の声を聞きながらホームズは再び死んだ。
そしてまたさっきの時間に戻る。
憎い男の背中を見届け、母の言葉をもう一度聞き、ホームズは廃教会を出る。
セイラは重症で動かすべきではなかった。というより背負えば動きが鈍る。だから母を廃教会において、ホームズは今度は自宅に向かった。
村より近く、きっと父がいるはずだと思いながら。しかしその希望はたやすく砕かれる。
「父さん。そんな嘘だ。こんなことって……!」
家には最初の時間軸とは異なる状況だが冷たくなったワトソンがいた。最初は血の海に沈んでいたが今回は違う。外傷が少なかったのだ。
体をよく観察すれば右腕と左足、額に切り傷がある。どれも致命傷には至らないはずの傷だ。おそらく白面の使う妖刀ミタマに斬られたのだろう。
床にしみこんだ血が渇いているため死後かなり経過しているようだ。
魔法書に記録したのは数十分前。つまり彼はもう助けることができないと最悪の結論が出来上がってしまう。
しばし呆然と現場に立ち尽くしたホームズは、はっと気づいたように家の時計を確認する。気付けば三十分以上経過していた。
もう母が亡くなっているころだろう。
だからホームズは再びレイピアで自害する。
今度は死んだ父に目もくれず救急セットを持ち出し廃教会に戻る。セイラはまだ無事だったためホームズは泣きそうになる。
「お父さんは大丈夫だった?」
「うん。僕は母さんの治療を頼まれたんだ。父さんは医者を呼ぶために村に向かってる」
「そう、よかった……」
そう言葉を残し、セイラは安心したような笑みを浮かべ息を引取った。
それでもホームズは諦めず何度も母を助けるために時間を巻き戻る。
白面が出現したため森に力を貸してくれる憲兵がいないか探した。医者にどうしたら母を助けられたかを聞きそれを実践したりもした。自分の体のことを無視し村に行ったりもした。他の村に母を助けられる人がいるかもしれないと行ったりもした。
母と同じように魔術を試したりもした。しかし自分が今まで勇者の末裔だったことを知らなかったホームズにそれは無理だった。
何度も繰り返したが結果は同じ。セイラを助けることはできなかった。
ついにホームズは何度も母の死を見たショックで動けなくなった。
「ごめんなさい……。頑張ったんだ。何度も何度も何度も何度も! それでもダメで……」
死を繰り返す途中でホームズは気付いた。
白面は二人を見逃したのではない。セイラをホームズの魔法書を利用して詰ませたのだ。
セイラは白面と互角の力を持つ。次戦えば勝てるかどうかわからない。むしろホームズの助言で次は負けるかもしれない。
だから彼女に致命傷を与えたこの時間軸は彼にとっても有用なものだったのだ。絶対に助からないと確信して魔法書に記録させ、次は悠々と魔法書を奪おうとでも考えているのだろう。
こんなことなら自害しておけばと後悔するが手遅れだ。父に加え母も死ぬだろう。
「ごめんねホームズ」
死を受け入れた悲しい言葉が出るとホームズは思っていた。しかしセイラから出たのは予想外の言葉だった。
頭を優しくなでられたホームズの顔は戸惑いがあふれ言葉が出ない。
「あなたにこんな辛い運命を背負わせてごめんなさい」
「謝らないで叱ってよ。僕には力があるはずなのに使えなかった。これが使えれば母さんたちを助けることができたんだ」
「使えなくていいのよ。あなたには平穏に過ごしてほしかったから。でもごめんなさい。あなたはこれから戦いに巻き込まれる」
セイラがホームズに色々秘密にしていたのはただ娘の平穏を願ったからだ。赤い瞳であることが周囲にばれたり、人間の身で高度な魔術を使えば平穏は崩れる。
勇者の再来だと言われ、話が広まれば今回のように命を狙われるかもしれない。
しかしこうして魔法書を狙われたため、力を持たないのは逆に危険だ。
それを憂うようにセイラは唇を震わせる。
「強くなってホームズ。私の部屋のタンスの奥に隠し部屋があるの。そこにあなたに必要なものをそろえてある」
「うん、わかったよ。母さん、何かしてほしいことはある?」
「じゃあ抱きしめてほしいな。もうあなたを抱く力も残ってないの」
母の命はもう長くないとホームズは理解している。だからせめて安らかに眠れるように母の願いを聞いた。
セイラの願いを聞き入れたホームズは母を優しく抱き寄せて手を握る。
「ふふ。生まれたときは小さな手だったのにこんなに大きくなったんだ」
「村の同年代に比べたら小さいほうさ。まだ大きくなるよ」
「ええ、そうね」
大きくなったホームズの手を見てセイラはほほ笑む。
目を閉じて耳をすませばホームズの心音が聞こえてきた。
風前の灯火である自分の心臓の鼓動とは違い、ホームズの心臓は必死に生きようと鼓動を刻んでいる。
「あなたは私より長く生きてね。好きな人を見つけて結婚して幸せな家庭を築いて」
「うん。約束する」
これからホームズには過酷な運命が待ち受けている。それでもセイラは娘に幸せな人生を歩んでほしかった。
それ自身ホームズもわかっているが母の最期の願いであるため力強く頷いた。
セイラはゆっくりと手を伸ばしてホームズの頬をなでる。
「次が最後のお願いよ。私が死んだらすぐに魔法書に記録して」
「なっ……!」
ホームズは何もかも見抜かれたような驚いた声を出して言葉を詰まらせる。
「きっとあなたはこの時間もやり直そうとするでしょ? 少しでも私と最後の時間を過ごせるように。それともこのやり取りも何回か繰り返したのかしら?」
「そんなこと、ない……」
ホームズは嘘をついた。
ループ中に心が折れて何度かこのやり取りをしたことがある。しかしセイラの最期の姿を見て心を奮い立たせ、何度も助ける術を探した。今回も母に励ましてもらい、救えるまで何度もやり直すつもりだった。
しかしこのやり取りは初めてだった。
「嘘が下手ね。でも約束したよね。私より長く生きるって」
「それは卑怯だよ母さん。そんなことを言われたら何のための時の魔法書かわからないよ」
娘の嘘をセイラは簡単に見抜いていた。
時の魔法書は死によって発動する。それを使えば母との約束を違えることになると、ホームズにはわかっていた。
しかしこの親子の会話が最期であるためホームズは何度も繰り返したのだ。
顔を歪めて泣くホームズにセイラは困った顔をする。
「ふふ。ごめんね。でも今回だけだからお願い。あなたはこれ以上死なないで」
「嫌だ! もう少しだけ繰り返させてよ! これが母さんと話す最後の機会なんだ」
ホームズにとってはもう慣れたただのループだ。
しかしセイラにとってはそうではない。娘が自分の後を追って死に続けるようなものなのだ。親としてそれほど悲しいことはない。
「お願いホームズ。少し疲れたの。もう眠らせて」
セイラの言葉にホームズは何かに気づいたような顔をする。
ループを繰り返すということはセイラに何度も死の痛みを与えるも同義だ。
震える手でホームズはペンを握り魔法書を開く。これを書けばこの地獄のループも終わる。ループのたびにもう目に焼き付いてしまった白面の背中を見ないですむ。
何度無防備な背中に武器を突き立ててやろうと考えたかわからない。
しかしそのたびにセイラに止められていた。
書こうとしても呼吸が荒くなり頭の中が真っ白になって何も書けない。
「大丈夫。落ち着いて」
震えるペン先を安定させるためにセイラがホームズの手に自分の手を添える。
母の最期の願いを叶えるため、覚悟を決めたホームズは呼吸を落ち着かせる。
そしてゆっくりとペンを走らせる。
今までの思い出が次々とあふれてきて視界が涙でにじむ。
「母さん、父さん、今までありがとう。大好きだよ」
そう魔法書にホームズは記し、セイラの手がホームズの手から離れる。
同時に一番古いページの文字が消える。
最後のホームズの言葉は聞こえていたのかセイラの顔は安らかだった。
それだけが唯一の救いだったが、これでセイラの死は確定してしまった。
ノートとペンを落としてホームズは雨が降る空を見上げる。
母の亡骸を抱きしめながらホームズは悲鳴をあげた。白面への憎悪や自分への無力感、両親を失った悲しみなどが含まれた悲痛な叫びだ。
しかし雨音にそれはかき消される。
数十分後、ホームズは捜索に来た憲兵たちに保護される。正体がばれぬよう母の赤いリボンを髪に巻いて、母には自分のリボンをプレゼントした。
この事件で死者は二十二人もいた事実が発覚する。皆妖刀に斬られたのか致命傷に至らない傷なのに亡くなっていたらしい。
セイラとワトソンの遺体は家の横にある木の側に埋葬された。
静かになった家に一人となったところでホームズはセイラの部屋に行く。タンスを開けて服をどけてよく観察すれば確かに隠し部屋があった。
小さな部屋だがたくさんの魔術や剣術の指南書がありホームズはそれを手に取る。
ふと部屋の奥を見ればケープ付きの黒いコートがあった。試しにそれを着てみるとホームズには少し大きかった。
そして一度外に出て父の狩猟用の黒い帽子を被ってリボンをほどき鏡の前に立つ。
目元には泣きはらしたあとがありホームズはそれを拭って無理やり笑みを作る。
「ふっ、アカメ伝説に出てくる勇者みたいだな。でも悪くない」
おとぎ話ではなく実話の勇者と似た姿になれたホームズの心に勇気がわいてくる。
こうしてすべてを失ってからホームズの物語が始まった。
やっとここまできた