第二話 白面
しばらく泣き続けたホームズはやっと落ち着き、恥ずかしそうに母から離れ顔をそらす。
「それで何があったの?」
「……家に殺人鬼か何かが来たんだと思う。村に薪を卸しに行って夕方ぐらいに帰ってきたら父さんが死んでて母さんも瀕死だった。助けようと思ったら僕も殺された」
「犯人の姿は見たのか?」
「こんな話信じてくれるの?」
ワトソンの言葉はこのありえない話を信じているから出た疑問だ。
普通なら誰も信じない話を簡単に信じる父にホームズが疑問をこぼすのは当然だろう。
しかしワトソンは優しい笑みを浮かべながら彼女の頭をなでて答える。
「娘の言葉を疑う父親なんていないさ。俺たちはホームズの味方だ」
父の言葉にホームズはまた泣きそうに瞳を揺らし一瞬表情を歪める。
だが泣いている時間はない。こうしている間にも死へのタイムリミットが迫っているからだ。
すぐにホームズはあの絶望で塗り固められたトラウマに等しい出来事を思い出す。
思い出すだけでも辛いがこうして戻ってこれたなら未来を変えることができる。
そうすればトラウマそのものがなくなる。
それだけを心の支えにして思い出そうとする。
だが背後から襲われたため犯人の姿は見ていないことに気付く。
見てないと言いそうになるが、未来で感じた痛みを思い出し胸をおさえる。
そして犯人の凶器を思い出した。
「犯人の姿は見てないけど刀を使ってた。うっすらと赤く光るやつ」
刀はムサシの侍が使う武器だ。宝剣祭では刀の展示も行い、犯人の刀は特徴的であるためホームズは覚えていた。
刀だけでは犯人の特定は無理だろう。だがハロイド王国で刀を持つ者など普通はいない。つまり今日会う刀を持つ者が犯人である可能性が高い。
何かその刀について知っているのかワトソンとセイラは顔を見合わせて頷く。
「セイラとホームズは村に行って憲兵を呼んできてくれ。おそらく《スカーズ》だろう」
「なんだいそれ?」
「あなたは知らなくていいことよ」
容易に名前を出したワトソンをセイラがにらみ、彼は申し訳なさそうに視線をそらす。
「もう隠し事なんてしないでよ! 僕にだって知る権利はあるはずだ」
家族を殺した者のことを母たちは知っている。ホームズ自身も一度殺されたため、その犯人を少しでも知りたいと思うのは当然だ。
怒りで顔を染めるホームズにセイラは困った顔をする。そんな彼女の肩にワトソンが手を置く。
「この子も魔法書の契約者なんだ。いずれ知ることになる」
「……わかったわ。私は少しでかける準備をするからあなたが説明してくれる?」
「もちろんだ」
村に行くための準備をするためにセイラが出て行き、ワトソンはホームズが横になるベッドに腰かける。
「スカーズっていうのはこの世界に悪王の死後から暗躍する犯罪組織だ。そいつらの首領がホームズの言う刀を持っているんだよ」
「そんな組織のことをなんで木こりの父さんたちが知ってるの? 僕は初めて聞いたよ」
悪王の死後から暗躍する組織なら長い歴史があるだろう。
しかしホームズはスカーズという名前すら今まで聞いたことがなかった。
憲兵ならともかく、ただの木こりの一族であるワトソンがそんな秘密組織を知っているのはおかしいことだ。
鋭い質問にどう答えたものかとワトソンは後頭部をかく。
「それはこの事件が終わってから話してもいいか? 約束するから」
「絶対だよ」
ホームズは小指を差し出しワトソンはそれに自身の小指をからませる。
「ああ、約束だ」
それからすぐにホームズは外出のための準備を始める。最低限の荷物と三年前にもらったレイピアを腰に下げ、玄関で母が来るのを待つ。
階段をバタバタと急ぎ足で降りてきたセイラの装いはおとぎ話の騎士のようだった。
軽量化された胸当てや手足を覆う銀色の鎧。腰には剣を下げている。一市民が普通はもたないような鎧を母はまとっていた。
「母さん、その恰好って……」
「全部終わったら話すわ。さぁ、行くわよ。ワトソンも気を付けてね」
「ああ。セイラもな」
セイラとワトソンはまるで戦場に行く大事な人を送り出すように抱きしめ合う。
しばし抱き合ったあとセイラはワトソンから離れ外に出る。そしてワトソンはホームズの前に行き膝を曲げ視線を合わせる。
瞳を揺らし泣きそうなホームズを安心させるためにワトソンは彼女の頭をなでる。
「これが終わったらそろそろ宝剣祭の季節だ。去年は行けなかったし今年は行こうな」
「うん。絶対だよ」
ワトソンと小指を交え約束をかわしていると家の外から馬の鳴き声が聞こえてきた。
外に行くと母が馬の背にまたがっていた。セイラはホームズに手を伸ばす。
「乗って! 飛ばすから振り落とされないでね」
「うわっ!」
戸惑いながら手を伸ばすホームズの手をセイラは掴み引き上げる。後ろに座らされたホームズは母の腰に手を回す。
それを確認してセイラはワトソンの目を見て頷くと馬を走らせる。
本気で走る馬の背に乗ったことがないホームズは振り下ろされないよう必死だ。セイラの腰から手を離せばすぐに振り下ろされるだろう。
セイラは慣れた様子で馬の手綱を握り、姿勢はまったく崩れていない。
「母さんが馬に乗ってるの初めて見たよ。いったいいつ乗馬なんて習ったの?」
「……お母さん昔騎士だったからね。お父さんもよ」
昔から木こりの一族だと教えられ、両親が騎士だったなどと聞いたことはない。
ホームズに剣の振るい方を教えたのは猟師兼木こりの父と村の憲兵だ。母が剣を振っているところなど見たことがなかった。
一度死に時間を巻き戻してから次々と知らないことがあらわになる。
このまま平穏な生活がなくなるのではないかという恐怖がホームズの心をうめる。母の腰に回す手に力が入り手が震える。
するとホームズの手の上にセイラは自分の手を重ねた。
「大丈夫よ。あなたのことは絶対に守るから」
その言葉に安心したようにホームズは母の背中にもたれる。
それからしばらく馬を走らせ続け一番近くの村に着く。セイラのことは村の人も知っているため検問で止められるようなことはなかった。しかし騎士の装いの彼女を見て困惑した様子だ。
「セイラさんじゃないですか。そんな恰好でどうかしたんですか?」
「マルス憲兵長に会えますか? 急ぎでお願いします」
「わかりました。こちらでお待ちください」
有無を言わさぬ雰囲気に疑問を言ったりせず、憲兵は村の中に入っていく。
しばらくすると鎧をまとった白髪の男が出てきた。
名をマルス。村によく薪を卸しに行くため、ホームズもよく知っている人だ。
「おやおやお揃いで。その恰好、どうかしましたか?」
「白面が現れました。戦力をかき集めて私たちの家に向かってください」
セイラの言葉を聞いた憲兵は戸惑い顔を見合わせる。白面という言葉がわからないのだろう。
一方マルスは大きなため息をつき空を見上げる。
「もう少しで引退だったんだがなぁ……」
まるで戦地に送られる前の兵士のような哀愁をマルスは漂わせる。
しかし正面を見た彼の顔を見てホームズは身震いした。
マルスが殺気と表現できるような気迫を放っていたからだ。子供のホームズにそれが殺気だとわかったのは、父の狩猟の手伝いでよく森に入り、野生動物の殺気というものに触れてきたからだ。
それは他の人も感じているはずだ。現場は緊張感に包まれる。
「最低限の憲兵を村に残して出撃だ。装備は対竜装備でいい。他の村にも伝令を飛ばせ。憲兵長に白面が出たといえば伝わるはずだ」
「わ、わかりました」
早馬を走らせ騎士が一人村を出て行く。
それから村は慌ただしくなり十分ほどで四人の騎士が集まった。全員鎧に身を包み剣と銃を所持している。
「他の騎士たちを待っている時間はありません。今すぐ行きましょう」
「それは構いませんがホームズ様はどうするのですか? 白面は危険です。おいていくべきだと思います」
いつもマルスにはただのホームズと呼ばれている。急に様付けで呼ばれたホームズはぎょっとして彼の方を見る。他の憲兵も同様の反応だ。
どうやらホームズたちの知らないセイラとマルスの関係があるようだ。
「危険だし村に残していくわ」
「いや僕も行く」
娘の安全のために言った母の言葉を否定しホームズは同行を願い出る。母の腰に回した手が引きはがされぬように力を込める。
セイラはホームズを引きはがそうとするが手に込める力が強く彼女は離れない。力では引きはがせないと理解したセイラは呆れたようにため息をつく。
「相手は危険な殺人鬼よ。あなたは村にいなさい」
「僕が行けば万一白面とかいう奴を倒せなかったときにやり直せる。そうすれば誰も犠牲にならない幸せな未来を歩める。だから――」
「馬鹿なことを言わないで!」
初めて声を荒げる母を見てホームズは驚いたように手を離す。
後ろに座っているためホームズから母の顔は見えないが肩が震えていた。
「やり直せるから死んでいい? ふざけないで! 私の娘は今ここにいるあなたしかいないの。お願いだからそんなこと言わないでよ……」
声も震えていて泣いているのだろう。
確かにホームズであれば死に戻りで誰も犠牲にならない最善の未来をつかめる。しかし死ぬという事実に変わりなく、その時間軸に残された者の悲しみは計り知れない。
ホームズは前の時間軸の母の言葉を思い出す。娘が死に戻りするとわかっていても母は守れなくてごめんと謝っていた。
それを思い出したホームズは馬から降りる。
「ごめん。馬鹿なこと言って。でも母さんと父さんがいない人生なんて僕は嫌だ。だから絶対に戻ってきて」
目元の涙を拭いセイラはホームズに笑みを向ける。
「宝剣祭に行かなきゃだめだからね。じゃあ行ってくるから待ってて」
セイラは馬を走らせ憲兵も後に続く。
ホームズは母と父が村に迎えに来てくれるまで村長の家にお邪魔することになった。
事情を知るのは彼女だけだからだ。他の村人にはワイバーンの討伐と伝えてある。
「ホームズちゃん。お菓子あるけど食べる?」
「うん……」
この村の村長はホームズにとっておばあちゃんのような存在だ。優しくしてくれているのに無下にすることなどできずホームズはお言葉に甘える。
昨日、正確には前の時間軸でも食べたチョコ入りクッキーだ。そのときは美味しく食べることができたが今はその甘さを感じることができなかった。
「さすがメアリおばあちゃん。美味しいね」
しかしいつも優しくしてくれる大切な人に余計な心配をかけさせたくない。
だからホームズはばれないように無理やり笑みを作る。
人生経験が長いメアリならホームズの作り笑顔をすぐ見抜きそうだ。しかし彼女は何も言わず、ホームズを安心させるように頭をなでてから台所に向かう。
規則正しい包丁の音。窓から入り込む太陽の光。朝からずっと緊張状態だったため眠気がホームズを襲う。そのままホームズは椅子に座りながら眠りについた。