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世界を知るため

「アルベール様、力になれず申し訳ありません」


 ガタ、ゴトと揺れる馬車の中。

 縄で縛られた私の監視役である警備の兵士が申し訳なさそうに言ったが、私は首を振った。


「気にすることではありません。ベッケンに手を出してしまい、付け入る大きな隙を与えた自分が悪いのですから」


 やがて、馬車は領地の境界である橋の手前で停まった。

 だだっ広く、空と大地で視界がいっぱいになる。一本だけの街道に人は見当たらず、数時間待ってもおそらく誰も来ないだろう。

 御者と兵士がすまなそうな顔をするので、私は二人の肩を叩いた。


「気にしないでください。あなたたちは、私のことではなく自分のことを考えてください」


 御者と兵士は、しばらく私へのお礼を語り、そして「お世話になりました」と頭を下げて去っていった。


 私の手元には、衣類をまとめた鞄がひとつきり。

 中に入れていた財布を確認すると、中身は空っぽだった。大方ベッケンが指示したのだろう。


 上着のポケットに固い感触を覚えて手を差し入れてみると、一枚の銀貨が入っていた。

 こんなところにお金を入れる習慣はない。

 となると、さっきの兵士か御者か。


「ありがたくもらうことにしよう」


 心残りがあるとすれば、私のことを慕ってくれていた家人のことだ。

 執事も兵士も庭師もメイドも料理人も、理不尽で不当な扱いを受けなければいいが。

 もう少し猶予が与えられれば、共を連れて出ていくことができたかもしれないが、今さら言っても仕方のないことだ。


 そのとき、私の肩に硬い何かが服の上から食い込んだ。

 おや、と首を回してみると、そこにはフクロウが一羽止まっていた。

 屋敷で私が可愛がっていたフクロウのリオンだった。


「リオン、おまえは私についてきてくれると?」

「むぅー」


 丸っこい体型に驚いたような真ん丸のぱっちりした瞳。指の腹で喉のあたりをくすぐってやると、気持ちよさそうに目をつむった。


 リオンはおまけのようについているクチバシで、ぐるりと首をひねって毛づくろいする。

 艶のある羽は、撫でると非常に気持ちよく、いつまでも触っていたくなる。

 硬い足の爪だけが、リオンを猛禽類だと思い出させてくれた。


「ここにいてもしょうがない。ひとまず東へ歩きましょう」

「むう」


 歩きながら、私は馬車の中で考えていたことをリオンに語った。


「この際だから、国や世界を見て回ってみようと思います。どこかで路銀を稼ぎながら、色んな物を食べて見て聞いて訪れて、焦らず急がず、のんびりと」


 ちらりと横を窺うと、リオンは寝ていた。

 私の肩はそんなに心地いいのか。


 普通のフクロウとは違うようで、魔鳥の一種ではないかとされていたが、詳しい者はおらず、わかることは私に非常に懐いているということ、あとはとても可愛いということだった。

 歩いては木陰で休憩し、また歩く。


 日が暮れはじめたころ、ようやく馬車が遠くに見え、どんどん接近してきた。

 行商人とその荷馬車だ。方角からして、ドラスト領からどこかの町へ向かう途中だろう。

 乗せてもらるように交渉しよう。


「おーい!」


 私が手を振ると、御者台に座る男が目をすがめた。

 見たことのある顔だった。

 すぐに彼も私に気づいたようだ。


「あら? あらららら? アルベールの旦那様じゃあないですかー! こんなところで一体何を? しかもお一人だなんて……」


 荷馬車が停まって私が事情を説明すると、最初は「ご冗談を」とまったく信じなかったが、詳しく話すにつれて深刻そうに表情が険しくなっていった。


「そんなことが起きるなんて。ドラスト家はアルベール様だから発展したっていうのに」

「お世辞でもそう言ってくれると嬉しいです」


「いやいや、お世辞なんかじゃあなく……。そいつぁね、旦那様、きっとベッケンの野郎が仕組んだ罠ですぜ、きっと。領民たちは、旦那様を追い出そうなんてこれっぽちも思ってないはずです」

「ですが、もうどうすることも出来ません」


 ドラスト家は、あのベッケンが当主となり権勢を振るうだろう。ベッケンに私はずっと疎まれていた。戻ったことが知られれば、今回のように無事とはいかないはず。

 呆れ気味に行商人は言う。


「旦那様は、人が良すぎるんですよ。まったくもう……乗って下さい」

「ありがとうございます。助かります」

「ここからだったら、ククリシュラ伯爵領のキューレルの町が一番近いです。そこでいいですか?」

「そちらにご予定が?」


 ついでであればちょうどいいのだが、もし私のために送るというのであれば、気が引けてしまう。


「旦那様。受けた恩は返すってのが、アタシの流儀なんでさぁ。こんなんで返せたとは思いませんがね」


 ついでかどうかなんて訊くな、と彼は言外に言っていた。


「汚い荷台ですが、ささ、早く乗ってください」


 シシシ、と笑う行商人に急かされ、私は空の荷台に乗った。

 私は彼に見覚えこそあるが、恩を感じるようなことはした覚えがない。

 何かあっただろうか、と記憶の中を探っていると、手持無沙汰だったのか、御者台で彼は話しはじめた。


「きっと旦那様は覚えてないでしょうがね」


 そう前置きして、続けた。


「あれは、雨が何日も続いた日だった。森の中で荷馬車がぬかるみに足を取られちまってね。タイミング悪く、また酷い雨が降りはじめちまった。


 馬もアタシもどうにかしようとしたが、まったくダメで、夜がすぐそこに迫ってた。商品を下ろして、荷馬車を動かして、また積む時間なんてないし、狼が出る森の中で夜は明かしたくない。


 そんなとき、ドラスト家の馬車が後ろからやってきて停車すると中から一人降りてきた。アタシは、貴族様の道中を邪魔したってことで酷い目に遭うんだと思ってた。……けど、違った。


 降りてきたのは貴族の若者で、上着を御者に預けて、雨に打たれるのにも構わず、荷馬車を押してくれた。上等な靴は泥まみれで、雨に濡れた前髪はおでこに張り付いて、必死になってアタシを助けようとしてくれた。それを見た部下たちも手伝ってくださって」


 そこまで言われて、私はようやく思い出した。

 何年か前にそんなことがあった。


「おかげで荷馬車はぬかるみから脱出することができて、アタシは何度もお礼を言った。貴族の若者は、気にかけた素振りもなく『一人だとこんなこともありますよね』と気さくに笑った。でね、アタシは、この方がなんか困ってることがあったら、助けてやりてえなって思ったんでさぁ」


「十分助かりましたよ」


 前を向いたまま訥々と語る行商人の表情は見えない。


「そりゃ良かった。孫の代まで自慢してやりますよ。アルベール様を助けたことがあるんだってね」


 だがその背中は、私には笑っているように見えた。




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