風の生命体
生命の形態には謎が多いが、ひとつだけ、少なくともこの地球上においては、全ての生命体に共通している事がある。
それは、100%に近い生物種が、二重螺旋のDNAという同じフォーマットの下で存在している、という点である。ちょうど、同じオペレーションシステムによって、多様なコンピュータープログラムが管理されているのに似ている。
「ガス状の生命体など、そもそも存在する筈がない。それが生物学上の共通認識だった。少なくとも地球上ではね」
まだ若いが、カールした髪と濃いヒゲのせいでどこか中年に見える、黒縁眼鏡の白衣の男性が言った。彼が立つ横には、巨大なスクリーンに地球上の生命の概要を示した画像やグラフが示されている。やや狭い室内に、数名のもっと若い研究者らしき男女がデスクに座って、講義を聞いていた。白衣の男性は続ける。
「しかし、生命の多様性を研究する学者の間では古くから、DNAの基本フォーマットそのものが異なる、それどころかDNAに依存しない生命体さえ、この宇宙に存在する可能性がある、という説もあった」
男性が手を叩くと、画面が切り替わって不気味な人の形の影が表示された。
「そこに出現したのが彼らだ。人類は"Aero Lively Object" ―――AELIO、エアリオと呼称した。出現時期は明確ではないが、おおよそ2520年前後だと、学者たちの意見は一致している」
ここで、だいぶ簡略化された年表が表示された。2180年ごろの第五次世界大戦に始まり、宇宙開発競争が本格化。2230年ごろ、初めて月と地球間での宇宙戦争が起こる。それを皮切りに火星の開発、領土争いまで発展したが、ある事故によって火星は壊滅的な打撃を受け、向こう25万年は生命が存在できなくなってしまう。再び月と地球間の戦争は激化し、凄惨な宇宙での事故と莫大な資源の浪費、人口減少と人材の損失によって文明レベルそのものが後退し、人類全体が戦争をしたくても出来ない”後ろ向きの平和”と呼ばれた200年ほどの時代が経過した。
やがて、エネルギー問題を一挙に解決すると言われた世界的な”プロジェクト・ミストラル”なる計画が立ち上がった。これは、ある種の核エネルギーの応用とされているが、その研究内容はほとんどブラックボックス化しており、ほとんどの人類は出来上がったエネルギー供給システムだけを目にする事になった。それが、西暦2480年ごろだとされる。それから数十年は新エネルギーによって、再び人類文明はかつての栄華にむけて歩き始めた。まさにそんな時、エアリオは現れたのだ。
「ベンドリンガー博士、彼らが生命体であるという根拠は」
一人の青年が挙手して質問する。ベンドリンガーと呼ばれた博士は、髭を触りながら答えた。
「いい質問だ、と言いたい所だが、実のところそれは最も答えにくい質問だ。生命の定義を言ってみたまえ」
「一般論のレベルで?」
「かまわない」
「遺伝子を持つ有機体であり、外部からのエネルギー獲得とその代謝活動によって生存を維持し、何らかの生殖活動によって種としての個体を増殖できる存在…そんな所ですか」
「そんな所だろうな」
ベンドリンガー博士は手をスクリーンにかざして、不気味なエアリオの姿を拡大した。
「そこで、このエアリオが生命かどうか、という問いだが。そもそも、生命か否かを判断するための情報が少なすぎる。わかっているのは、明らかに人類文明に敵対している行動原理だが、それ以外は不明だ。生態も、生殖方法も…個体の増殖が彼らにあるとしたら、だが。だから、呼称の末尾が"Object=現象"、となっているんだよ」
「ですが、学習過程では生命体である、との認識で我々は教わりました」
ほかの若者たちも青年に同調して頷く。ベンドリンガーは答えた。
「まあ、厳密に生命体だと認められたわけではないんだが、その振る舞いがあまりにも生物的である事から、半ば便宜的に生命体、とされている、という事だ」
「では、今後の研究しだいで、生命体ではなかったという結論に至る可能性もあるのですか」
今度は、ブロンドの女性が訊ねる。
「その可能性もあるだろう。ただそれは、我々の知っている生命体とは違う、という結論かも知れない」
「どういう意味ですか」
ベンドリンガー博士は、どこか遠くを見るような目で答えた。
「我々が知らない、未知の形態の生命体かも知れない、という意味だ」
休憩室で、モンツァはテーブルに突っ伏していた。
「だらしねえな」
部屋に入ってきた、大柄で筋肉質な刈り上げの白人男性が言った。腰にはメカニック用のポーチを下げている。
「クルーに叱られた?」
「タイヤを大事に扱えって言われた」
「仕方ないね」
刈り上げのメカニックはサーバーから炭酸入りのドリンクを注ぐと、モンツァの斜め向かいに座った。
「アーリントンは、あたしのタイヤの使い方、悪いと思う?」
「悪いとは思わないけどね」
アーリントンと呼ばれたメカニックは、ぐいっと半分くらいを一気に飲むと、モンツァの方を向いた。
「得体の知れない化け物を相手にするんだ。時にはワイルドに攻める事も必要になる」
「だよね!」
「けど、それも時と場合による。シルバーストンは、ピークパワーでは君よりわずかに劣るけど、基本的に君達は似た能力の子たちだ」
アーリントンは、大柄だが理知的な技師だった。サーキットロイド達からの信頼も篤い。
「彼女のスピードとピークパワーに匹敵できるのは君や、スパ・フランコルシャン、ホッケンハイムといった比較的少ないメンバーだ。そして、そのパワーが必要な相手も出現する。その時、君が確かな相棒になってくれたら、彼女は嬉しいんじゃないかな」
その言葉に、モンツァは少しだけ反応を見せた。ドリンクを飲み干すと、しばし沈黙したあとで立ち上がり、ひと呼吸置いてドアに手をかけた。
「…パーツ交換に行ってくる」
「新品に交換して、元気になっておいで」
小さく頷くと、モンツァは黒い髪をなびかせて休憩室を出ていった。アーリントンは無言でドリンクを飲み干すと、腕を組んで目を閉じた。
ガレージ奥の精密作業ルームで、モンツァとシルバーストンそれぞれの、主に足回りの修理および換装作業が開始された。モンツァは特殊素材でできたサスペンションフレームの交換、シルバーストンは腰から下の事実上のオーバーホールである。
すでに二人は作業のためOSをシャットダウンされ、女性クルーによるコーティングの除去から始まって、極めて精密な内部フレームの解体が進められていた。
それから5時間程度が経過して、オールドウェイ博士が作業中のガレージに現れた。
「作業は順調?」
一人の若い女性メカニックに訊ねると、溜息混じりの声が返ってきた。
「順調は順調ですが、やはり時間を要します。何度やっても信じられない精度です。一体、どういう人間が彼女たちを設計したのか、見当もつきません」
「それは私も同じよ」
目の前にある、取り外された滑らかな形状のフレームパーツを眺めてオールドウェイは言った。美しい。驚くほどシンプルであるにもかかわらず、組み上げた時のよく考えられた駆動システムは、呆れるほど複雑である。単純と複雑、その両方が同時に備わっているのが、サーキットロイドのフレームだった。
「いつ終わる?」
「モンツァはそろそろ終わります。シルバーストンは新パーツのチェックも含めると、あと1時間半は必要かと」
「もし、高速タイプの敵が現れたら?」
その質問に、作業クルー達が一瞬目を見合わせた。
「スパとホッケンハイムは?」
「まだ他のシェルターから戻っていません」
「出られるのはここに何人いるの?」
「ええと」
女性メカニックは、小さなコンピューター端末のデータをチェックする。
「3人です。ハンガロリンク、ラグナ・セカ、マリーナベイ」
「中低速タイプの子たちね」
「まあ、そうそう連続して厄介な相手も…」
そう言っているそばから、見事すぎるタイミングでアラートがシェルター内に鳴った。
『E-AXエリア36ポイントにエアリオ出現!パトロール隊の車両が攻撃を受け応戦中!サーキットロイド隊ただちに出動せよ!繰り返す…』
「!」
「シルバーストン達の改修を急いで!」
オールドウェイはそう言うと、オペレーションルームへと急いだ。
オペレーションルームは、状況の整理と敵の確認で慌ただしかった。
「敵の数は!?」
「気圧レーダーの反応では三体!おそらく先程と同じタイプです!」
「最高移動速度は時速320km以上と推定!平均速度は時速220km!」
「現在の動きは!?」
「おそらく、停止したパトロール車両の動きを窺っているものと思われます!」
オペレーター達の声が飛び交う中、オールドウェイ博士が司令長官のベルガーに近寄る。ベルガーは白髪交じりの、顎と高い鼻が特徴的な壮年の男性だった。
「パトロール車両にサーキットロイドは?」
「キャラミが乗っていた。いま応戦している」
「彼女のスピードなら対応できるんじゃない?」
「ところが、困った事にタイヤがユーズドのミディアムと、インターミディエイトだけだ」
ベルガーは頭を抱えてみせた。要するに、荒れた路面で使い古しのドライ用タイヤと、少雨用タイヤしか持っていない、ということだ。3体もの敵を相手にしているうちに、すぐに摩耗してまともに動けなくなる。タイヤは、サーキットロイドの命とも言うべき存在である。
「とにかく、出られる者は出した。ラグナ・セカとマリーナベイを載せたトランスポーターが現場に向かっている」
「そうですか」
「彼女たちは比較的低速の、テクニカルタイプだからな。君の不安もわかる。しかし、彼女たちの実力は高い」
◇ ◇ ◇
「この!ちょこまか動きやがって!!」
浅黒い肌にブロンドのショートヘア、黄色い戦闘用ドレスが印象的なサーキットロイド、キャラミは単身で3体のエアリオに苦戦していた。相手はそれほど細かな動きをしているわけではないが、とにかく速いので追従が難しい。すでに陽は落ちかけており、フィールドの視界が悪い事も重なって、圧倒的に不利だった。パトロール車輛のオペレーターから通信が入る。
『キャラミ、タイヤが限界だ!』
「わかってるよ、んな事!最悪、タイヤなしでもやってやる!」
すでにブリスターが見えるタイヤで、キャラミは強引に敵の一体に接近した。
「んのやろ――――!!!」
逃すか、という勢いで、思い切り回し蹴りを食らわせる。エアリオは、頭部に蹴りを喰らって全身の構造を維持できなくなり、パーンと破裂して消え去った。
「まず一体!さあ、残りも決めてやる―――うわっ!」
キャラミは、右横から強烈な風の刃を受けて弾き飛ばされた。タイヤはグリップを失っており、派手に地面に転がってしまう。
「あぐっ!!」
『キャラミ、もう少しで増援が到着する!それまで退避しろ!』
「そんな悠長なこと言ってられるか!」
『ばかやろう!自分の命を大切にしろ!!』
そう怒鳴られて、キャラミはしぶしぶ後退した。
「わかった、その代わりインターミディエイトの準備をしてくれ!」
『その路面でか!?』
「火ぶくれのミディアムよりはマシだ!」
寿命が来たタイヤをパンクさせる覚悟で、キャラミは全速力でタイヤ交換のために車輛へと急いだ。しかし、エアリオは追撃の手を緩めない。
「くそ…このままじゃクルマまでこいつらを連れて行っちまう!」
どうするべきか、キャラミは考えた。車両はもう目の前である。
「くそっ!」
キャラミは180度方向転換し、真っ正面から二体のエアリオを迎え撃つ。
『何してる!』
「向こうから来てくれるなら好都合だ!」
キャラミは、両拳にエネルギーを込め、エアリオが接近する瞬間を待った。
しかし、その時だった。
「あっ!!」
酷使に限界を迎えた左タイヤがパンクチャーを起こし、キャラミはバランスを崩して左側に倒れ込んだ。
『キャラミ!』
傾く視界の中で接近するエアリオを見て、これまでかと諦観しかけたキャラミだった。しかし、両サイドから現れたふたつの影が、エアリオの空気の刃を弾き返した。
「!?」
「おまたせ!!」
「後は我々に任せて、トランスポーターでタイヤを交換してください」
それは、鮮やかなグリーンのドレスにオレンジのミディアムヘアという派手な出で立ちのラグナ・セカと、深い紫のジュエリーをちりばめたドレスに、黒いボブカットが妖しげなマリーナベイの二人だった。後方には二人を載せてきたトランスポーターも見える。
「サンキュー!!助かった!!」
キャラミは満面の笑みで、タイヤを捨ててトランスポーターにダッシュする。すでに、クルーがタイヤを準備して待っていた。
「ソフトタイヤだ!」
「なんだって!?」
「いいから!あたしが超高速で決めてやる!サスも硬くしてくれ!」
「わ…わかった!」
クルーたちはキャラミを信じて、耐久性には劣るが最高のグリップを誇るソフトタイヤを準備した。電磁ホイールガンのエネルギーが、ホイールの軸とキャラミの足首を、目に見えない電磁エネルギーで繫ぎ、キャラミの脚は宙に浮く。このホイールを繫ぐエネルギーはサスペンションの役割も兼ねており、この硬さの調整度合いによって走行パフォーマンスが大きく変化するのだった。
「行くぜ―――――!!!」
それまでのヨレヨレのタイヤから一転、新品のソフトタイヤでキャラミは一気に加速し、二体のエアリオと交戦中の二人のもとへ駆け付けた。
ラグナ・セカとマリーナベイの二人は、超高速で周囲を旋回するエアリオに翻弄され、攻撃の機会を掴みあぐねていた。
「何なのよ、こいつら!」
「落ち着いて。向こうが攻撃してきた時を狙うのよ」
「むー」
ラグナ・セカは不満を表明しながら、マリーナベイと背中合わせにゆっくりと回転していた。旋回する二体のエアリオが、徐々に暗闇の中を接近してくる。
だが、そこへ超高速でキャラミが接近してきた。
「でぇりゃあ――――っ!!!」
キャラミは、旋回するエアリオに力任せに飛び蹴りを放つ。二体のエアリオは、自らのスピードで自爆ぎみにその蹴りを受けて、大きく弾かれてしまった。
「ラグナ、そっちは任せた!」
比較的近い方にいるエアリオに接近しながら、キャラミはラグナ・セカ達に叫んだ。ラグナ・セカはマリーナベイと頷き合って、ダメージを受けたエアリオに接近する。
「いくよ、マリーナ!」
「ええ」
「でええ―――いっ!!」
ラグナ・セカは、腕に思い切りエネルギーを込めてラリアットを食らわせる。続けてマリーナベイは、眩く光る脚を優雅に回転させ、華麗な回し蹴りをエアリオの頭に叩き込んだ。二人の攻撃を受けたエアリオは、一瞬で暗闇の中に弾けて消え去ってしまう。
それと同時に、キャラミの強烈なパンチを真っ正面から受けて、もう一体のエアリオも消え去っていた。
「ふう」
キャラミは、やれやれといった様子でその場で脱力した。ラグナとマリーナが駆け寄る。
「待たせてごめんね」
「ううん、あんた達のおかげ。ありがとね」
キャラミが手を差し出すと、二人はその手を取って微笑んだ。すると暗闇の向こうから、ヘッドランプをつけたトランスポーターが走って来る。
『よくやった、みんな。怪我はないか?』
「大丈夫だよ。パトロールのみんなを助けてあげて」
キャラミは、岩陰で停止しているパトロール車輛を指差す。
『わかった。全員、早く乗れ』
トランスポーターの後部ハッチからスロープが降りると、サーキットロイドの三人は低速にシフトして傾斜を駆け上がった。中ではクルーたちが、三人の労をねぎらってくれた。
こうして、ひとまず夕闇の中の戦闘は幕を閉じた。だが、本当の危機が迫っている事に、この時まだ誰も気付いていないのだった。