79話
森を往く彼の武装は、冒険者たちと違って丸腰だ。
丹念に鍛え上げられた剣など無く、衝撃から身を隠せるような盾も無く、強打から身を守るような鎧も無い。
着ている物は普段着で、それは即ちトリントル校の制服たる、黒いローブ姿であることを示していた。
それなりに腕のある冒険者が無防備な彼を見れば、呆れるどころか激昂するだろう。
さらには説教を加えつつ、荒縄でその体を縛り上げ、納屋の奥に放り投げてしまうに違いない。
しかしそんな彼であっても、常と違って準備はある。
たとえば、彼の手首と足首には軽銀の輪が嵌められていた。
それらは装着者の体重を僅かではあるが上下させることのできる魔道具で、『軽量化』、『重量化』などといったワードを唱えることで即座に効果を発揮する。
首から提げている飾り紐には疲労を軽減する効果がある。
これのお蔭で歩き慣れない闇の森でも、ソルトはあまり疲労を感じないで済んでいる。
履いている靴もまた、彼が独自に製作した魔道具だ。
つま先を叩けば叩くほど、走る速度を増加させるという、ある意味において脚力を強化する効果を発揮する。
強化を減じたいときには、かかとを叩くか脱げば良い。
こういった魔道具は一般にはまったく普及されていない。
というのも、これらは魔法を直接肉体に付与する類のものであり、肉体に掛かる負担や不慮の事故性、健康を損なう危険性などを厳しく指摘されているため、生産・流通が見送られているのである。
ソルトは独自にこれらを開発したものの、魔道具の効果を限界まで高めた際における肉体の負荷をまだ完全に把握できてはいなかった。
つまるところ、これらもまた使用における安全がまったく保障されていないのである。
そのような試作品をいきなり現場に持ち出さねばならないほど、彼は焦っていた。
その焦りはひとえに、親しい者の生命が失われるかもしれないという不安と恐怖から生じたものであったろう。
それは逆に言うなら、急ぎに急げばシュガーの命が助かるかも知れないという思考が前提としてあったということになる。
彼はこのときどういう心理状態であったのかは不明であり、後々においても不可解な思考だと思えるほどに、シュガーが生きていることを信じて疑っていなかったらしい。
精神的重圧を回避するための、一種の逃避行動と取れるかも知れないが、どうであろう。




