7話
そういった感覚を得るときは決まって良くないことが起こるので、彼は草むらから距離を取ろうと道へと戻る。
否、戻ろうとした。
足を踏み出して二歩三歩、といったところのことであった。
草むらを飛び越えるようにして、いきり立った猪が飛び出してきたのである。
体長はおよそ一メートル半といったところだろうか。
大きくはないが、小さいということもない、平均的な体格の猪である。
ソルトの住んでいた村の住民であれば、山をうろつくときに必ず銃を持っていくから、特に恐れるほどの獣でもない。
とはいえ、彼は現在丸腰であるから、体当たりを食らうこともあるだろう。
死に至るほどの傷を負わせてくることはほぼ無いと分かっていても、獣特有の臭気と存在感は少なからず彼の平常心を奪っていた。
(……怖っ! 昔の僕はよくこんなのを平気で相手にできたな)
そんなソルトの心情などつゆ知らず、猪は鼻息と鼻音を激しく噴き出しながら辺りを見回していた。
しかしそれも、それほど離れていない位置に突っ立っているソルトを視界に入れると一瞬、怯えと恐れの色をその眼に映して動きを止めた。
が、すぐにそれを塗り潰すようにして憤怒と覚悟の色を眼光に宿し、彼に向かって突進する。
その走りに迷いはなく、確実に突撃しようとする強い意志の力がある。
野生の獣であるために難しいことを考えず、単純な思考でもって最短且つ最善の行動へと移るのだ。
けれどもそれは相手が同じ野生の獣である場合にのみ有効であり、さらには格下の相手にのみ通用する方法である。
相手が格上だと確信すれば、彼らは一も二もなく逃げ出すのだから。
(そういうところが、人間と違ってシンプルで好きだな)
のんきにそんなことを思いつつ、ソルトはローブのポケットから幾つかの球を取り出していた。
それらは一センチほどの大きさの、何の変哲もない鉄球である。
鉄くずを丸めただけの簡素な代物で、もちろん、魔道具のような機構は備えていない。
ソルトはすぐそこまで迫っている猪に向かって、その鉄球を投げつけた。
ただ、何の力も加えずに投げつけたわけではない。彼は魔法学校で学んだ技術を、この場で用いたのである。
魔法と呼ばれる、自然現象を人工的に起こす技術であった。
物質に蓄積されている魔力を消費して発動されると言われているそれは、自然をも超越する超常現象を生み出す可能性があるとして、今もなお研究され続けている不確定要素の多い技術だ。
このときソルトが鉄球に付加した魔法は、風に属する類であった。
風には、野に咲く小さな花を優しく揺らす小風もあれば、人間の住む建物を軽々と分解させるほどの暴風もある。
彼は後者に近しい風の力を借り受けて、鉄球を猪へと飛ばしたのである。
結果、鉄球は目にも映らぬほどの速さで飛翔し、残らず猪の顔面へと食い込んだ。
外皮を破り、肉を穿ち、生命の飛沫を散らしたのだった。