64話
一方のブラックグリズリーは、右腕を振るおうとしたその付け根、右脇の根を貫かれたからたまらない。
とはいえ、その巨大な体躯に比すれば魔槍による傷など、精々が小さな針に刺されたようなものだ。
傷口から生じる痛みと熱さはそれほどでもなく、けれども激昂するには十分で、右腕による薙ぎ払いは先の振り下ろしよりも一層の速度をもって目の前の敵を散らさんとして振るわれる。
「おっと」
キーリもロアも振るわれる豪腕からの攻撃範囲から一瞬早く飛び退いて、その攻撃を容易に躱す。
見て分かるほどの大振りで、避けるだけならわけもない。だが――
「直撃したら死ぬね、こりゃ」
完全に避けたはずだったが、二人の盾には横に三本の、浅からぬ溝が生じていた。
明らかに爪痕であろうその溝は間違いなく、先の豪腕による薙ぎ払いがもたらした傷であると思われた。
濃い黒色が入り混じった紫の魔力が薄らと揺蕩っていることから、魔法攻撃の類であることは紛れもない。
「遠距離攻撃とか反則でしょう……!」
ロアも自身の盾に傷がついたことに驚きつつも、その表情には凄絶な笑みを浮かべていた。
その頬には豪撃の余波による一筋の裂傷が生じていたが、それを気にした風もない。
そう、ここは互いの命を賭けた闘争の場なのである。
その高揚は恐怖を塗り潰し、怯えを抑え、精神と思考を研ぎ澄まし、弱き人間を一等の戦闘者へと変えるのだ。
敵の動きの僅かな隙すら見逃さず、自身の僅かな隙すら生み出さず、ただただ敵を必殺する機会を狙い、死の世界へと突き落としてゆく討伐者へと変貌させるのである。
それは冒険者たちにだけ言えることではなく、対峙している魔物においてもまた、言えることであったろう。
互いの眼に宿る光は自分たち自身が思っている以上に鋭く輝いており、打倒と勝利を望んでいることが手に取るように分かるのだから。
「油断するんじゃないよ! ロア!」
「分かっています!」




