25話
足の短い草を踏みしめ、背丈ほどの高さまで成長している草を打ち払って進んだ先に、妙に開けた広場はあった。
微かな陽の光が天上から幾筋ばかりか射しており、どっしりとした老樹の表皮に侵食している深い濃緑の染み込みが、ここを人跡未踏の場であると如実に物語っている。
緑溢れる幻想的な空間ではあったが、シュガーはそれらの神秘的な光景に目を輝かせることはなく、ただ一点、幻想の中に浮き上がっている現実の非情に、厳しい視線を向けていた。
彼女の視線の先には、熊の死体があった。
それは樹木の根元に腰かけているような格好ではあったが、腐乱が酷く進行していて、羽虫が耳障りな音を立て、貪り喰らうかのように群がっている。
首元から股にかけて大きな裂傷が走っており、内部に収められているはずの臓器は一欠片も残されてはおらず、固まりかけた血塊と朽ちかけた肉塊が蛆虫の孵卵場と化していた。
その惨たる有様から少しも目を逸らすことなく、シュガーは虚ろに呟いた。
「どうやら……怪物が入り込んだようだね……」
熊を殺せるほどの獣は、この山にはいないはずであると彼女は言う。
もしこの仕業が人間の手によるものだと考えるにしても、これほどの惨状を平気で作り出して放置する人間は、怪物と呼ぶに相応しいだろうとも。
「いや、これはほぼ間違いなく魔物の仕業だろうね」
「断定できるの?」
「死体を見れば、大体分かる」
ソルトはシュガーの言葉に応えつつ、熊の死体の側に寄る。
羽虫や腐臭を気にもしないで、その死体を注意深く観察してゆく。
「傷跡が粗雑に過ぎるし、大きすぎる。その割には焦げ跡も無いし切り傷も無い。
かといって、複数回に渡った攻撃とも思えない。まあ、一撃だろうね。
常識に照らして考えるなら、人間がつけられるような傷じゃないよ」
「攻性魔道具の可能性はあるんじゃない?」
「いや、それも無いかな。傷口の周りに、微かだけど魔力の残滓がある。
魔道具による攻撃なら、こういった魔力は残らないはずだ。
特に攻性魔道具の多くは威力を求める傾向があるから、動力である魔石の魔力だけでなく、周辺の魔力も吸収するんだよ」
内部にも魔力の残滓があるから魔物でほぼ決定かな、などと呟きながら、ソルトはその死体を焼写機によって写し取ってゆく。
焼写機とは魔道具の一つであり、この世界における写真機のようなものである。
物体の形を焼写紙と呼ばれる専用の紙に焼き付けることで、精緻な模写を行うのだ。
焼き跡の濃淡によって味わいが異なるのが実に良いと言い、高値で買い取る奇特な富豪がいるために、この道を究めんとする人間も少なくない。
シュガーはそんなソルトを視界に入れながら、けれどその焦点は熊を殺したであろう魔物のことで占められている。
彼の推測を基とするなら、熊を一撃で屠れるほどの魔物がここに入り込んだということになる。
内臓が残されていないことから、捕食するために襲ったのだと考えられた。
(問題は、人間を襲うかということだけど……)
遭遇した場合、まず間違いなく襲いかかるであろうと彼女は結論付けた。
熊の内臓を喰らったということは、魔物は肉食を行うということである。
加えて、熊を一撃で葬り去れるだけの攻撃力を有していることから、人間においても極めて脅威的であると認識せざるを得ない。
そもそも、魔物という存在は身の回りにいる生物全てに対して攻撃性を有していると考えられているため、人里近くにいると判断できた時点で、厳重な警戒を要するべきであると国家から推奨されている。




