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月の手毬 (月星雪✻②✻) 中巻  作者: YUQARI
第二章 恋心
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庭の池

 その後、小狐は部屋へと戻った。

 当然絢子(あやこ)も一緒で、僕はすることが無く、ただただ屋敷の庭を散策した。


「……」

 散策しながらも、さきほどの小狐の事で頭はいっぱいだった。


 父上は《遊び相手になれ》と言った。

(会いに行ってもいいだろうか?)


 そんな思いが頭をよぎり、僕はそれを振り消す。

(ダメだダメだ! いくら何でも相手は女の子だ。四つ上だから、十歳か……)

 ぼんやりと思った。


 十歳……さすがに部屋へ乗り込むことは、躊躇(ためら)われた。


「はぁ……。本家かぁ……」

 ボソリと呟く。



 本家など、特別なことがない限り、足を踏み入れることもない。

 けれど僕は、冬に初めて本家に行っていた。


 本家では、毎年正月になると一族の子どもを集めて、その成長を祝うのである。


 みんなが皆、祝われるのではない。

 特定の年齢に達し、その祝いに相応しいと思われる者だけが本家へ呼ばれる。



 僕が受けたのは《袴着》と《深曽木(ふかそぎ)》。


 袴着は、初めて袴を履き始める祝いで、深曽木は伸ばし始めた髪の毛を、初めて切りそろえる儀式だ。


 別々にするところもあるが、本家では同時に行っている。


 もともと袴着は、九つになった者が受ける物だが、周りの者より体の大きな僕は、早めに行うよう、本家からお達しがあった。


 そこで初めて、僕は本家に足を踏み入れた。



 実際はまだ小さい頃にも、色んな祝い事があるので行っているはずなんだけれど、記憶にはない。

 今、記憶にあるのだって、小狐の屋敷だと思うからこそ、頑張って思い出しているのに過ぎない。


 本家と言えども、自分には手の届かないような、遠くの存在だと認識している。


(……あの大きな屋敷に住んでいるのか)

 ぼんやりと思う。


 自分の屋敷も、そう狭いわけではないと思う。

 けれど本家の……あの屋敷の広さの前には、この屋敷も掘っ建て小屋に見えるに違いない。


「……はぁ」

 自分で勝手に思い、落ち込む。


(やっぱり、どう足掻いてもつり合わない……)

 溜め息をつきながら、目の前の庭を見た。



 庭には池がある。


 たいてい、どこの屋敷にも池はあるのだが、うちの池は手が込んでいた。この庭園を創った曽祖父が、たいそう鯉が好きだったそうだ。

 魚好きが高じて、池の造りがだんだん凝ったものになったのだと、母が溜め息をついていた。


 曽祖父の造った池の近くには岩山がある。


 岩山と言っても、自然にできたものではない。当然、曽祖父が池の為に造り上げたものだ。

 屋敷の屋根ほどの高さがあるその岩山は、既に苔むしており、まるで自然に出来た岩山のようだった。

 そこからこんこんと水が流れており、小さな滝になっている。


 湧き水を利用しているため、池の水は驚くほど澄んでいた。


 大きさもそれなりの広さがあって、朱塗りの橋が掛けられ趣深い。


 群青色の菖蒲が咲きそろい、暖かな春の到来を感じさせた。

 もうじき、菖蒲の節句の時期だ。


 菖蒲の季節には、体を壊しやすいと言うから、用心しなくてはいけない。




 ──パシャン……!




「!」

 激しい水音が立ち、僕はハッと驚いて顔を上げる。


「緋鯉か……」

 ボソリと呟いて、僕は静かにその様子を眺める。


 池には目視できるだけでも、五匹程の鯉が悠々と泳いでいた。


「はぁ」

 再び溜め息が漏れる。


 曾祖父の道楽が高じて出来た池は、他のどの公家たちの屋敷にも、負けず劣らず素晴らしいものだったが、こと本家に対しては別だ。


(本家とは、規模が全然違う……)

 僕は軽く頭を抱える。



 本家にも当然、池があった。


(……)


 池……と言うよりも、(みずうみ)と言った方が早い。

 近くを流れる川を引き入れて、驚くほど大きな池……湖を造っていた。


 朱塗りの橋など、いく本も架けられ、まるで物語に聞く天界のようだった。


 そもそも敷地が半端なく広い。


 屋敷に踏み入れたことすら気づかず、いつの間にか建物が近づいていて、驚いた。


 池の中には鯉ではなく、川に住む魚たちが泳いでいた。

 聞けば、釣りを楽しむことも出来るらしい。


 池と言えどもほどよい流れがあり、青みがかった澄んだ美しい緑色をしていた。


 それだけではない。

 奥には雑木林が造られ、美しい竹林までも見えた。


 狩りは禁じられているが、数頭の鹿を飼っているのだと、本家の侍従が自慢げに話していたのを、ぼんやり思い出す。


 暗に敷地が広いことを、言っているのだろう。

 確かに、ひどく広かった。


 武を主とする家であるので、奥に道場があるのだと、一緒に出掛けた父がこっそり教えてくれたっけ。



(あの子も、何か武道を嗜むのだろうか……)

 ふとそんな事を思う。


 武道は、僕も得意だ。

 体が大きいせいもあるけれど、子ども相手に負けた記憶などない。

「……」

 小狐と手合わせしようものなら、すぐに投げ飛ばしてしまいそうだ。


「……ぷっ。ふふふ……」


 思わず笑みが零れる。

 手合わせするようなことは、きっと有り得ないだろう。


 出来ることなら、僕が守りたい。

 ずっと傍にいられたらいいのに……。


 そんな想いばかりが駆け巡る。



「本家の姫……」


 いずれ然るべき所から、婿を取るのかもしれない。

「……っ」

 考えて、ゾッとする。

 思わずその場に座り込んだ。


(嫌、だ……)


 他の奴と一緒にいるところなんて、見たくもない。

 ましてや祝うなど、絶対に出来るはずがない。


 けれど相手は、本家の人間だ。

 分家の跡取りとなる自分は、絶対にその場に呼ばれるはずだ。

「……っ」


 胸が苦しくなって、僕は着物を掴んだ。


(嫌、だ……。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ……)

 まだ言葉すら交わしていないのに、想いだけが募る。


 うちに娶ることは叶わない。

 ならば、自分が婿として行けないだろうか……?

 そうなれば、家を継ぐことなど出来なくなる。

 父は怒るだろうか?


「いいや……。それも、無理だ……!」

 僕は唸る。


 本家の方が、嫌がるだろう。

「……」

 僕は目をつぶる。



 たかが分家。


 そこから婿を取って、本家になんの利になるというのだろう。

 そんなことは、天地がひっくり返っても、ありはしない。


(いっそ、消えたい……)


 思わずその場に、うずくまる。

(胸が……苦し……っ)

 胸の(ころも)を握りしめた。



「どうしたのだ……? 加減でもわるいのか?」

 不意に声がかかった。


「!」

 驚いて振り返ると、そこに小狐がいた。


 ひゅっと喉が鳴る。

(息が……)


 息が、止まるかと思った……。

 僕は目を見張って、心配気に覗く小狐を眺める。


 あれほど触れたかった、小狐がこんなにも近くにいて、気にかけてくれている。


(う、わ……。灰青(はいあお)の、瞳……っ)


 夢の中にいるような、不思議な色合いに、僕は言葉を失う。

 触れる絶好の機会だと言うのに、僕は緊張で耳まで真っ赤になってしまって、顔を伏せてしまった。


「だ、……大丈夫、です」

 それだけ小さく言って、小狐から逃げてしまった。


「あ……っ! 待って……っ」

 後ろで声がしたけれど、僕は振り返らず、走り去る。

 せっかくの機会を、自分で逃してしまった。



「……」

 自分の不甲斐なさに、もう、何も言えない。


 結局のところ、いつも毎回こんな感じで、小狐が滞在していた三年間……ついぞ一度も、触れることは叶わなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 展開ペースの緩急がいい感じですね。焦ったいのが、雰囲気に合っているかと。 [気になる点] 全体を通して、遅くしたり速くしたり……。難しいですが。 [一言] どうでもいいですが、錦鯉の発祥は…
[良い点] 8/8 ・わかるぞ! 気持ちは分かるぞ!!  欲しいゲームを買ってもらえなくてヤンデレ気味になった思い出。 [気になる点] しっかしおそろしい設定と描写ですな。ぐぬぬ。じれったい [一言…
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