了
「よ、吉昌さま? 澄真が倒れたのですが!?」
近くにいた陰陽師がギョッとなって、倒れた澄真に駆け寄った。
いつもなら澄真を遠巻きにして、近づこうとはしなかった者たちなのだが、それは澄真の力を恐れての事だ。行き倒れていれば、なんの問題はない。怯えることなく、わらわらと集まって来た。
……むしろ気を失っているからこそ、普段近づけなかった分だけ興味が湧き、近づいて来る。
(……ちっ。厄介だな……)
吉昌は、心の中で舌打ちする。
出来ることなら、早々に退散したい。
「何でもない。自分の放った呪詛にやられたのだ。……ここでは介抱など出来ぬ。我が屋敷が近いので、ひとまずそこで休ませる。……君たちは、持ち場に戻れ……」
言って吉昌は、澄真を抱えあげた。
(……意外に軽い)
武道よりの家だと聞いていたから、着物の下は筋肉ムキムキなのだと、勝手に想像していた。
この分だと、意外に細身なのかも知れない。
ヒョイと抱えあげると、そのまま濡れ縁(家の外壁から張り出した外部の床のこと)へと出た。
上司である吉昌に、《持ち場に戻れ》と言われて逆らう者などほとんどいない。
集まって来たほとんどの者が、ワイワイと話をしながら自分の持ち場に戻って行く。
残ったのは、ほんの数人だ。
その数人も、吉昌が自宅へ帰るための準備を手伝ってくれた。
「ならば、私が牛車の手配を……」
「いやいい。すぐ側だから、私の馬を引いてくるように、伝えてくれ」
吉昌は牛車を断る。
(牛車などで、ノロノロと帰れるものか……っ)
本来なら薬が回らないように、出来るだけ安静にする方法を取った方がいいのだろうが、正直、そんな悠長に帰るつもりはない。
第一澄真は、痺れて眠っているだけだ。命に別状はない。
しかし、状況が分からない部下の陰陽師たちは、真剣な面持ちで頷く。
「……! わかりました!」
バタバタと走りながら、馬の手配をしてくれた。
(チョロいものだ)
吉昌は思う。
ただ鬼が視える……と言うだけで陰陽寮に入った者は、扱いやすくて便利だ。
どう考えても、澄真が倒れた事は不自然なのだが、そこを追求する者はいない。
陰陽頭である吉昌がいるのだから、任せておけばいい……そんな風に、思っているのだろう。
吉昌は、自分の腕の中で眠る澄真に目を向ける。
(ふふ……薬は、効いているようだな)
ニヤリとほくそ笑みながら、吉昌は無防備な澄真を見た。
いつもは、警戒心丸出しの澄真だった。
近づこうとすれば、すぐに距離を取る。不必要な話も一切しない。
(……こうして見ると、可愛いものだな)
穏やかな寝息を立てつつ、澄真は眠っていた。
痺れ薬のせいだろう。小刻みに体が少し震えている。
(そう言えば、寒がりだったか……?)
そう思いつつ眺めていると、不意に声が掛けられた。
……陰陽生である蒼人だ。
「! 澄真さま!? ……よ、吉昌さま! 澄真さまは、どうなされたのですか……!?」
真っ青な顔で駆け寄って来る。
吉昌は、心の中で溜め息をついた。
(面倒なのに、見つかった……)
再び心の中で舌打ちをしつつ、吉昌は先程言った理由を蒼人にもする。
「呪詛返し? 澄真さまが!?」
蒼人の表情が曇る。やはり一筋縄ではいかない。
先程の陰陽師たちとは違い、疑問点が跳ね返って来た。蒼人は澄真ほどではないが、筋がいい。しかも勉強熱心である。
その上、澄真の事となると、異常な執着を見せる。
蒼人は既に、いい年頃になっているのだが、それでも結婚しないのは、この澄真のせいだと噂が流れている。密かに蒼人が想いを寄せているのだと、専らの噂だった。
苦笑いしつつ、吉昌は答える。
「あぁ。今朝方ヘマをしたと、本人は言っていたよ。何でも白狐が飛び出して来たから、発動中の護符を握りつぶしたとかで……」
「……! 白狐!? あの、狐丸か……!」
苦々しく、蒼人が唸る。
「! 白狐を知っているのか?」
吉昌は、目を細める。
「ええ、昨日、我が家の近くで一悶着ありましたから……」
「あぁ、そうだったな……。しかし名を知ってるとなると、白狐とは面識もあるのだな」
言われて蒼人は、苦笑いをする。
「ええ、と言いましても、あの時初めて会ったのですが、……そう悪い妖怪でもありませんよ……。私は澄真さまのためを想えば、祓った方が良いとも思うのですが……」
言って、手を伸ばした。
「澄真さまは、私が連れて帰ります。……ご迷惑お掛けしました」
口調は困った様子だが、嬉しそうに目を細める。
(この様子だと、噂は事実だな……)
ウキウキと、澄真を抱き取ろうとする蒼人に、吉昌は慌てて体を捩った。
「あ……」
抱き留め損ねて、蒼人の顔が、明らかに曇る。
「いや、それには及ばぬ。我が屋敷がここから近い。……ほら、馬も呼んである。そこで介抱するから、お前は仕事に戻るがいい」
ちょうどいいタイミングで、頼んだ馬が到着した。
吉昌は足早に、階の方へと急いだ。
(ここは早く退散した方が、得策だ)
しかしその言葉に、蒼人の表情が険しくなる。
明らかにムッとして、素早い動きで吉昌に追いつくと、再び澄真を抱き取ろうと、手を出した。
「いいえ……っ! 澄真さまは、我が一族の当主。人の手を借りるに及びませんっ」
言って無理やりに奪おうとする。
なかなか力が強い。澄真の家ほどではないが、こちらも武道を嗜んでいる。どちらかと言うと、腕力に物を言わせるタイプなのだろう……。
正直吉昌では、躱すのに骨が折れた。
(この……色ボケが……っ!)
吉昌にとって、今の澄真は、妖怪を釣る言わば餌。
奪われる訳にはいかない。
必死になって、連れて帰る言い訳を考えたが、いい案が思い浮かばず、思わず本当のことを口走ってしまった。
「いや、そういう訳にはいかないのだ。……その、なんだ。傷の手当を先ほどしたのだが、傷薬と間違えて、麻痺の薬を塗ってしまったのだ……」
吉昌は言いながら、蒼人が納得するのを期待した。
「え? 麻痺……?」
一気に顔色が悪くなる。
麻痺の薬……。
これは吉昌が研究している薬の一つだ。
ひどい病気や怪我の場合、治療に痛みが伴うことが多々ある。それを緩和する飲み薬を、吉昌は開発していたところだった。
興味のあるものなら、その中身まで知っているかも知れないが、大抵は興味を示さない。
今ある薬さえあれば、生活には事足りる。
しかし、蒼人の顔色は悪くなった。
それが意味することはただ一つ。一重にその薬の処方を知っているからだろう。
(これは、引いてはくれぬか……)
はぁ……と吉昌は、大きな溜め息をつく。
蒼人の顔色で、結果が見えた。
思った通りの反論が返ってくる。
「え? ……えぇ? あ、あの麻痺の薬ですか? あれは、試作中ですよね? 確か……確か、あれの処方には、天雄を使ってましたよね!?」
蒼人が血相を抱えて、詰め寄って来た。
真っ青になって、澄真の頬に触れ、震えるその手で熱を診る。
瞼をこじ開け、瞳孔と血色まで調べ始めた。
「澄真さま……」
生きていることを確認できたのだろう。
泣き出しそうな顔で小さく名を呼ぶと、安堵の溜め息を震えるようについた。
「蒼人……大丈夫だ。天雄は、ほんの少しだけしか使っていない……」
その言葉に、カッとなる。
「使っているじゃないですか……っ! あれは猛毒です! 口から飲むならまだしも、傷口に塗り込むなど……っ!」
叫びながら、澄真を抱き込んだ。
「澄真さま! ……澄真さま!!」
気が狂わんばかりに、その名を呼んだ。起こそうとしているのに違いなかった。
けれど澄真は起きない。起きる気配すらない。
蒼人は叫びながら、ガクガクと震え始める。
「あ……あぁ、……なぜ、こんな事に……」
苦しげに呟きながら、その頬に自分の頬擦り寄せる。呼吸を確かめるように耳を寄せ、その名を呼ぶ。
(……"なぜ、こんな事に"……だと? それは、こっちのセリフだ!)
心の中で、吉昌は舌打ちをする。
(見つからなければ、良かったものを……)
そもそも蒼人は陰陽生。正式に陰陽師となった者が仕事をするこの場へ、本来ならいるはずがなかった。
(……何故、ここにいるんだ……)
おおかた、澄真の顔でも見に来たのだろう。
吉昌は、どっと疲れを感じて、頭を抱えた。
「よ……吉昌さま……やはり、何かお手伝いを……」
騒ぎを聞きつけて、他の陰陽師が顔を出す。
(……っ、どいつもこいつも……)
伺うように仰ぎ見る自分の部下をギリッと睨んで、吉昌は口を開く。
「何でもない。大丈夫だと言っているだろ? 君たちは、仕事をしていて構わないから……」
「は、はい……」
すごすごと、顔を引っ込める。けれど、御簾の向こうで、聞き耳を立てているのに違いなかった。
御簾は、ユラユラと風もないのに揺れている。
「……」
吉昌は大きく、溜め息をつく。
「蒼人。落ち着きなさい……」
呆れて呟く吉昌に、蒼人は喰って掛かる。
「……こ、これが落ち着いていられますか……っ! 吉昌さま、その手をお離しくださいっ! 澄真さまは、やはり私が……」
「いや、ダメだ!」
「……っ、」
吉昌は強い口調で、蒼人をねじ伏せる。
伊達に長年生きている訳ではない。
いま今、陰陽生になったばかりのヒヨっ子に、負けてなるものかと、吉昌は目を細めた。
「君も来たければ、来ればいい。しかし、澄真は我が家へ連れていく。ここではゆっくり休ませることは無理だし、第一対処法が分かるのは、薬を作った私以外にはいない。それともなにか? 陰陽生の君は陰陽頭であるこの私よりも、薬に関して熟知しているとでも……?」
吉昌は、蒼人の目を覗き込む。
蒼人から、グッと息を呑む音が聞こえた。
(勝った……)
吉昌は、ニヤリと心の中で笑う。
実際、薬には少量の天雄が含まれている。
天雄は幻覚や麻痺を起こし、呼吸器官に支障をきたす猛毒である。
蒼人には対処法などと言ったが、解毒剤は存在しない。
しかし吉昌は、ミサキの力を借り、安全な麻痺剤を作ることに成功している。
使った澄真が、今気を失っているからといって、死に直結しているわけではない。ただ、痺れて眠っているだけだ。
「……分かりました」
口惜しそうに、澄真から手を離す。
「けれど、すぐ追いかけます! 澄真さまは、私にとって、大切な人ですから……っ」
「……」
真剣な蒼人の目を見て、吉昌は頷く。
「分かった。その事、我が家の門番に伝えておくゆえ、後で来るがよい」
言われて蒼人は、泣きそうな顔で感謝の意を示した。
「ありがとうございます……!」
言ってすぐさま駆け出し、馬を取りに行った。
その後ろ姿を見送りながら、吉昌はホッと胸を撫で下ろす。
(薬は、……まぁ、わざと間違えたんだがな……)
心の中で舌を出しながら、吉昌は、馬丁の連れて来た馬に乗った。
従者たちに抱えあげられた澄真を受け取ると、吉昌は、馬の腹を蹴る。
馬は一声いなないて、その場を離れる。
──カカカッ……。
「!」
大膳職の前にある大銀杏の傍を通った時、妙な気配を感じ取り、吉昌は、身を強ばらせる。
ピクッと一瞬身を震わせ、イチョウの木とは思えないほど大きく育ったその木に、目をやった。
妙な気配は、そこからした……ような気がした。
がしかし、何もいない。
(妖怪……か?)
思いながら、吉昌は、少しほくそ笑む。
(妖怪ならば、思惑通りだ)
思った通りに事が進み、吉昌は嬉しくて仕方がない。
「はっ……!」
横目でイチョウ木を眺め、吉昌は馬を駆った!
馬はカカカッとその場で足踏みをし、その場を一気に駆け抜ける。
もうもうと、砂煙が上がった。
「……」
何もいないように見えるイチョウの木。
しかしそのイチョウの木には、妖が二人が、息を殺して潜んでいた。
一人は白狐が変じた、少年。
もう一人は絶世の美女と言っても過言ではない。妖艶な女性。
少年の方は、明らかに殺気を纏い、ブルブル震えながら吉昌を睨んでいる。
女の方は、同じくブルブル震え色を失いながら、少年を押しとどめている。
そう。木の影からは、狐丸と姮娥が、じっとその様子を見ていたのであった。
姮娥は、必死に狐丸の袖を引く。
「き、狐丸さま……。なりません……絶対になりません……っ!」
ガクガクと袖を引く姮娥に、狐丸は忌々しげに答える。
「……っ、分かってるよ! でも、アレを見ただろ? あれは助けなくちゃいけないやつだ!」
「……」
狐丸の言い分は、最もだ。
明らかに吉昌は、何かを企んでいる。
姮娥は震えながら指を噛み、必死に思考をまさぐる。
どう考えても、あれは助けなければいけない。
考えあぐねていると、馬に乗った蒼人が現れた。
──カッカッカッカッ……!
「……!」
真剣な顔で、馬を駆る蒼人を見て、姮娥はいい事を思いついた。
「狐丸さま……」
狐丸の耳に、口を寄せる。
寄せるとすぐに、何やら囁いた。
狐丸の耳が、ピクリと反応して、真剣な顔で小さく頷いた。
──ビュオォォオォ……。
不意に大きな風が吹いた。
ざわざわとイチョウ葉が、風に揺れる。
小さな木の葉が数枚、サラサラと落ちていった。
風がやんだとき、二人はもう、そこにはいなかった。




