大きなイチョウの木の上で。
玉兎たちの隠れ家は、京の都の北はずれにある山の中だ。
目指す中務省は、そこからさほど離れていなかった。四人は山を駆け下りると、都の外にある大きなイチョウの木に、ひとまず身を隠した。
『さて、どうしたものかな……』
鉄鼠が唸った。
『まず、玉兎。お前はここに残れ』
言葉は静かだったが、口調は厳しい。
それもそのはず、ただ山を下りるだけなのに、玉兎は駆けるどころか歩むことすら出来ず、今、狐丸の背におぶされているのだった。
鉄鼠の言葉に、玉兎はグッと言葉を呑む。
本当は、《嫌だ!》と言いたいのだろう。
けれど、今の玉兎では、明らかに足を引っ張ってしまう。
耳を切なげに垂らし、狐丸の背に顔を押し付けた。
『……。分かりました。……狐丸さま、私はここで待ってますから、必ず帰って来てくださいね……』
力なく呟く。
そんな玉兎が可哀想だったが、今から行こうとしているのは、都の中枢部。その中には玉兎たち妖怪の宿敵である、陰陽師たちの本拠地《陰陽寮》がある。
いくら澄真が、玉兎たちを助けてくれたからと言って、今回もそうであるとは限らないし、ましてや、他の陰陽師に見つかってしまえば、それで終わりなのである。
……もちろんそれは、狐丸でも例外ではない。
さきほどの鉄鼠の話で、痛いほどに理解した。澄真はやはり陰陽師以外の何者でもないのである。
狐丸は、ゆっくり口を開く。
「玉兎。ありがとう……心配してくれて……」
『……狐丸さま』
玉兎の声が、微かに震えている。
本当は、一緒に行きたいのに違いない。しかし玉兎は、それをグッと堪えている。
我慢する玉兎を見て、狐丸は今までの自分を少し反省する。
思えばいつも、我儘を言っていたように思う……。
「僕ね、玉兎が羨ましい。……ずっと僕は一人だったから、仲間がいるっていいよね……!」
少し悲しげに笑う。
玉兎に仲間がいるのは、きっと相手を思いやる心があるからだ。
人を思いやるとは、時として自分を殺さなければいけない時がある。
普通、妖怪はそんなモノ持ち合わせていない。だからこそ、大抵のものは一人で行動する。
一人であるが故に孤独だ。
狐丸は、その孤独が嫌だった。
──誰かと一緒にいたい……。
今までずっと悲しかったのは、多分そばにいる誰かを感じなかったから。
そして、その誰かを求めるのなら、相手を思いやることだと狐丸は思った。
(……多分、それは今だ)
いつも我儘を言っていた自分を振り返る。
澄真は、自分の知らないところで、自分の為に動いていてくれていた。まずは、そんな澄真に、心配をかけてはいけない。
狐丸は、少し目を伏せた。
一人ぼっちだった自分に、ずっと傍にいてくれると言った澄真の顔が浮かぶ。
そんな事がある訳がないと、最初は突っぱねたが、澄真は諦めなかった。
諦めずに、仮契約をしてくれた。
(……でも、アレは意味が分かっていないはずだから)
狐丸は頭を振る。
勘違いをしてはいけない。自分は一人なのだからと……。
『な……なにを言いますのやら……!』
半ば諦めた時に、そんな声が聞こえた。
「!」
狐丸は驚いて、顔を上げる。
声の主は姮娥だった。
《一人だった》と言う狐丸の言葉に、意を唱えたのだった。
気落ちした狐丸に気づいたのだろう。姮娥もまた、思いやっての事だと、狐丸は感じた。
妖怪にそのような感情があるのが、狐丸には何だか可笑しかった。
『狐丸さまも、我々にとっては大切なお方! そのような悲しいことを仰せにならないでください』
「……姮娥」
狐丸は少し驚きながら、ふふふと笑う。こんな自分を気遣ってくれる事が、何だか嬉しかった。
(……だけど、それも上辺だけだ)
狐丸は思う。
昨日今日出会ったばかりのモノに、心を許すわけがない。自惚れてはいけない。
心配そうに狐丸の顔色を窺う姮娥に、少し悲しげな目を向けて、狐丸は小さく呟いた。
「うん。そうだね……」
狐丸が欲しいのは、他人行儀な仲ではない……。
この三人は、確かに狐丸に対して、親切にしてくれる。
けれど、それだけだ。
《仲間》ではない。
(仲間って、なんなの……?)
狐丸は、ふと思う。
三人の関係は、ひどく羨ましい。
その関係が《仲間》なのだとは分かる。
けれど狐丸は、その中には入れない。
《入れて》と言えば、三人のことだ。入れてくれるハズだ。
だが、それは入れてくれただけで仲間になったわけではない。
「……」
澄真との関係も、本当はソレと同じなのかも知れない。
(敦康って人に、命じられたと言ってたし……)
自分の意思ではなく、仕方なく傍にいてくれるのかも知れない。
(だから、わけの分からない仮契約の事を話に出したんだ……)
人である澄真が、あんなの承諾なんてするハズがない。
そんな風に思いながら狐丸は、ぼんやりと澄真がいるだろうと思われる建物を見た。
そこは大きな建物が混在していて、何が何だかよく分からなかった。
その、何が何だか分からない所に今、澄真がいる。
そして、そこにいるということは、狐丸の敵であるということに他ならない。
(……敵であるなら、仲間にはなれないじゃないか……)
狐丸は、小さく溜め息をつく。
どう足掻いても、澄真は狐丸の天敵陰陽師なのである。
相容れぬ者同士なのだと言うことを痛感して、狐丸の心は複雑だった。




