心配事
姮娥に続き、鉄鼠が、狐丸の異様さに気づいた。
これで、気づいていないのは玉兎のみである。
二人は目で合図を送ると、玉兎を見た。
玉兎は無邪気に、狐丸との会話を愉しんでいる。
『そうなのですね。狐丸さまは、あの陰陽師……澄真さま? と、お知り合いだったのですか……』
『うん。最初は敵同士だったんだけどね。……あ、ほら見て! この捕縛符!』
言って左手に巻きついた捕縛紐を見せた。
『ひっ……!』
それを見て玉兎は思わず悲鳴をあげた。
有り得ないほどの、呪詛が絡みついている。巻き付けている狐丸が祓われていないのが不思議なくらいだ。
一気に顔色が悪くなり、玉兎は慌てて二人を見た。
『「……」』
当然二人は、既に真っ青だったが、更に青さを増し、もう色がない。
石のように固まって、フルフルと震えていた。
『……』
ゴクリと唾を飲み、玉兎は耳を伏せる。
捕縛紐は三人にとって、有り得ないものだった。
もしかしたら、その紐に触れただけで消し飛んでしまうかも知れない。そう思うと、不用意に動けなくなる。
三人は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
そんなこととは知らない狐丸は、ふふふと笑って言葉を続ける。
『この捕縛符はね、澄真と対峙した時に投げられたんだ。すっごく痛くて……腕が落ちるかと思ったんだけど、後から痛くないように巻き直してくれたんだよ……!』
ね? 優しいでしょ? と続けるが、三人にはそれが優しい行為だとは、到底思えない。
もしかしたら狐丸は、騙されているのでは……? と、少し不安になる。
『でもね、あの時、ムッとしたんだ……』
狐丸が軽くグルルルと唸りながら、口を開く。
ひぅ……。と三人は縮み上がる。
『な、何に、……?』
恐る恐る玉兎が尋ねる。
『ん? だってさ、僕には捕縛紐投げたんだよ? でも、玉兎たちには風式神使っただろ? ……僕には、そんなに優しくしてくれなかったから……』
一気に悲しげな表情になり、狐丸の耳がパタリと垂れる。
『それにさ、君たちを抱き上げて、僕から背を向けたんだ……』
しょぼんとなる狐丸。
『……』
『……』
「……」
三人は顔を見合わせた。
沈黙に耐えきれず、鉄鼠が口を開く。
『え、と……? それは、もしかして……やきも……ゴフッ! ……うぐ……い、いや、な、何でもありませぬ……。た、確かにそれはないでありまするな……!』
途中、再び姮娥から肘鉄を喰らいながら、ガクガクと頭を振り鉄鼠が同意する。
『あ、で……でもですよ? 狐丸さま……』
苦笑いを浮かべながら、玉兎が言葉を足す。
『もし……もしも、あの時、その捕縛紐を投げかけられていたのなら、……』
そこで言葉を切り、玉兎はゴクリと唾を飲み込んだ。
『……私はもう……、この世におりません……よ?』
色をなくし、力なく答える。
言ったあとで、狐丸の反応が怖かった。
《そんなに弱いヤツらだったのか!?》と、怒り出したら、どうしよう……。三人は逃げる用意をしながら、狐丸の言葉を待った。
『……え?』
三人の心配をよそに、しかし狐丸は目を丸くする。
純粋に、驚いている。
何故……? そんな声が聞こえてきそうな顔だった。
『……』
『……』
「……」
驚き方に、全く邪気が感じられず、三人は顔を見合わせる。
恐る恐る姮娥が、口を開いた。
「あの、……その捕縛紐ですら、……その、言いにくいのですが……私たちは触れられません……。えっと……呪詛が……強すぎて……?」
遠慮がちに、そう答えた。
『え? うそ……?』
狐丸の口から、驚きの声が漏れる。
狐丸にとっては、驚きでしかない。
『あ、……いえ、嘘ではなくて。私も見て驚きましたが……、その捕縛符……私たちには耐えられません。その紐で触れられたら最期、きっと消されてしまいます……』
苦笑いする玉兎を見て、狐丸はポン! と人形になると、慌てて袖で、捕縛紐を隠した。
「ご、ごめん。気づかなかった……。僕は平気だったから……っ」
ギュッと袖に隠した左腕を抱きしめた。
その様子に三人は目を丸くする。
恐れていた目の前の白狐は、それほど悪いモノではないらしい。ホッと胸を撫で下ろした。
『あぁ、気になさらないで下さい』
玉兎は笑う。
『どうやら澄真さまは、我々を気遣って下さったのでしょうね。……あの時、狐丸さまが我々を《捕まえて》、とおっしゃったので、消すわけにはいかないと……』
「あ……」
初めて澄真の行動を理解し、狐丸は下を向く。
『あの時……今朝もそうでありましょうな』
鉄鼠が静かに口を挟む。
「今朝……?」
狐丸は鉄鼠を見る。
見られて鉄鼠は、頷く。
『儂は、祓われそうになりましたでしょう? あの時のあの目は、確実に祓うつもりであったことは、言うまでもありませぬ。あの目に情が分け入る隙間は、微塵もありませなんだ。……けれど、狐丸さまが飛び出して来なさったでしょう?』
「う。……うん」
狐丸は、素直に頷く。
『護符を展開していたのにも関わらず、あの者は躊躇することなく、握り潰したではありませんか』
『「えぇ!?」』
狐丸が返事をするよりも早く、姮娥と玉兎が反応を示す。
目を丸くして、鉄鼠に詰め寄る。
「握り潰した!? 護符をですか……!? 嘘でございましょう!?」
『な、……なんてことを……』
言いながら二人は狐丸を見る。
その顔は真っ青で、理解し難い……と、顔にありありと出ていた。
「え? ……え、と? あの? ……え?……」
訳が分からず、狐丸は後ずさる。
『……』
玉兎が改めて、狐丸に向き直る。
『……狐丸さま』
「……は、はい……?」
狐丸も改まって座り直す。
『澄真さまとは、いったいどのようなご関係なのですか?』
「え……? あ、あの?」
真剣に尋ねる玉兎に気圧され、狐丸は怯む。
「と、どうって……?」
その様子に、玉兎は小さく溜め息を吐く。
『はぁ。……狐丸さま。護符は呪詛を唱え始めると、解除は不可能なのです』
キッパリと言う。
「え? で、でも澄真は……!」
目を見開き、玉兎を見る。
玉兎は目を細め、悲しげな表情を見せ、フルフルと頭を振った。
言葉を理解すると共に、狐丸の血の気が少しずつ引いていく……。
『解除は出来ません。それは絶対です。……澄真さまは呪詛を発動させないために、ご自身を傷つけなされたのは確かです……!』
「……!」
狐丸が立ち上がる。
「あ、……そ、んな……。す、み……澄真……!」
バッと飛び出して行こうとした狐丸を、鉄鼠がのしかかって止める。
「や……! 何するの! 離して!! 澄真が……澄真がぁ……!!」
ジタバタと鉄鼠の巨体の下で暴れた。
『いやいや、なりませぬ。あの時、澄真さまは出かけられていた……。どこへ行ったか、ご存知か……?』
「え? あ。そうだ……」
狐丸は大人しくなる。
「今日は、……今日は、仕事に行くって……仕事場。仕事場に行った」
その言葉に、三人は顔をくもらせる。
小さく溜め息が聞こえた。
「澄真さまは陰陽師。陰陽師の仕事場は中務省……あそこは少し、厄介です」
言って姮娥は、憐れむように狐丸を見る。
澄真に会えないと悟ると、狐丸は、ひどく動揺を示した。
「あ……。いや、嫌だ。やめて、離して……! 僕、澄真に会う。会って傷を治してあげなくちゃ……。僕、僕が……傷つけた……また、傷つけた……」
泣き出しそうになりながら、狐丸が悲痛な声をあげる。
《……傷を治す……?》
鉄鼠は、心の中で小さく反芻する。
傷を治せる妖怪がいるとは、聞いたことがない。
《しかし、優れた薬を作る妖怪がいることも、また確か。狐丸さまはその事をおっしゃっているのか……?》
鉄鼠は頭を抱える。
少なくとも狐丸は白狐。
規格外の妖狐ではあるが、発展途上の高位の妖狐ならば、それも頷ける。しかし、キツネにそのような薬を作る技術はなかったハズだと、頭を捻った。
《いやしかし、どこかで薬をもらったのかも知れぬ。……今は、そんな事よりも、人間相手に慎重になる事をお教えせねば……!》
鉄鼠はそう心に決めると、口を開く。
『畏れ多いことながら、狐丸さま……?』
言って狐丸を見る。
狐丸の顔は心配にまみれて、哀れなほどに歪んでいた。目も当てられない。
『……っ、』
しかしここはグッと堪え、鉄鼠は続ける。
『狐丸さまは、前日大暴れされておりまする。……いえ、それが悪いと言うのではありませぬ。しかし、陰陽師である澄真さまには、それを報告する義務がございまする』
「……うん。澄真……そんな事、言ってた……」
今朝のことを思い出しながら、狐丸はクゥンと、鼻を鳴らす。
そんな狐丸を見ながら、鉄鼠は言葉を続ける。狐丸は、あまりにも世間知らずだ……。静かに、そんな事を思いながら。
『……。報告では、ありのままを伝えまする。当然……狐丸さま、あなたさまが関係していることは、報告されると思って下さりませ』
「……」
狐丸は黙り込む。
『今朝のことも当然、見つかりまする。怪我を負っているハズなのですから……』
ビクッと狐丸の肩が跳ねた。しかし、それは事実である。
それを横目でみながら、鉄鼠は続ける。
『幸いにも、相手はこの鉄鼠。ただの小ネズミ一匹のこと、傷はそう酷くないハズ。しかし、報告するとなれば、ネズミと白狐がいた……と言うしかないのでございまする。……この意味、分かりまするか……?』
「……」
狐丸は答えない。ギュッと唇を噛み締めた。
要は、一度ならずも二度まで……しかも日を開けずして、『白狐』が問題を起こしたと、澄真は報告するのである。
狐丸はまだ澄真の式鬼ではない。
こうも度々問題を起こす妖怪なら、祓ってしまえ! となるのが目に見えている。
たとえ、いくら帝の嫡子である敦康が、『護れ』と命令したとしても、庇いきれるものではない。庇おうとしている澄真の足を、狐丸は自ら引っ張っていることになる。
その事に狐丸は、今更ながら気づいたのだ。
気づいて今度は、狐丸が色をなくす。
「澄真……」
小さく呟いて、泣きそうな程に顔を歪めた。
鉄鼠は小さく息を吐く。
『気持ちは分かりまする。……しかし激情にかられて駆けて行くのは、いただけませぬ』
『鉄鼠……、そんな風に言わなくても……』
狐丸の顔を見て、玉兎の心が悲鳴を上げる。たまらず助け舟を出そうとした。
しかし姮娥が軽く首を振り、それを止める。
『……』
そんな二人のやり取りを鉄鼠は目の端で捉え、狐丸に向き直った。
辛いかもしれないが、ここは狐丸に理解してもらわなければならない。
理解しなければ、また同じ思いを味わうのは、目に見えていた。
そうなればまた、玉兎も深い悲しみに落ちるだろう……。
鉄鼠は口を開く。
『また再び、《白狐が》……と澄真さまに、言わせるのございましょうや……?』
「う……、それは……」
フルフルと震えながら、顔を伏せる。
狐丸にも、理解出来た。
理解出来はしたが、自分のせいで傷を負ったかも知れない澄真を、放って置くこともまた出来なかった。
その様子に、鉄鼠は困った顔を見せたが、思い切ったように言葉を繋げた。
『……それでも、心配なのでありましょう?』
大きく溜め息をつく。
「……うん。……僕は、行かなくちゃ。……どうしても、……せめて澄真が今、どうしているのかだけでも、見ておきたい……」
狐丸は頷く。
その言葉を聞いて鉄鼠は、思い切ったように、膝を叩く。
『ならば、この鉄鼠、お供致しまする!』
そう言って立ち上がった。
『……鉄鼠!』
鉄鼠の言葉に、玉兎が非難の声をあげる。
人間の住む世界は、危険で溢れている。先日、今日……と、痛いほど味わったハズだ。
そんな所へ行かせたくはなかった。
鉄鼠を……ではない。狐丸をだ。
けれど鉄鼠は笑う。
『大丈夫だ。狐丸さまが暴走しないように、儂がちゃんとお諫めする……!』
カカと笑った。
「……鉄鼠。それは、ひどいな……」
狐丸は図星をさされ、悲しげに笑う。
『なんの! 行くのを止めて、放っておけば狐丸さまは、一人で飛んでゆかれる。……ならば、行くのを認めて、一緒に行った方が安全ではないか!』
『……鉄鼠。……だったら私も行きます!』
玉兎が立ち上がる。フラフラとよろけた。
「な、何を言いますの! 今まで倒れていた者が……!」
今度は姮娥が唸る。
『いいえ、私は行きます! もう、後悔などしたくないのです……!』
玉兎の決心は固い。
「……っ、ならば……!」
姮娥はフルフルと唇を震わせ、口を開く。
「ならば、私も行きまする! こんな状態の玉兎を放ってはおけませんもの……!」
「え……? あ、あの。そんな……悪……」
『『「いいえ! ついて行きます……!」』』
三人は同時に叫び、顔を見合わせた。
ふふふふと、笑いが込み上げる。
『狐丸さまは、もう他人ではこざらん』
鉄鼠は言う。
『そうです。最後まで見届けさせて下さい』
玉兎が、狐丸に擦り寄る。
「妖怪は馴れ合わないもの……。気持ち悪いとお思いかも知れませんが、これが私たちなのです……」
困った顔で姮娥が呟く。
「ううん。そんな事ない」
狐丸は目を閉じ、頭を振る。
「僕は、嬉しい。三人に会えて、良かった……!」
満面の笑みで、三人に飛びついた。
妖怪としては異質な四人ではあったが、その不可思議な出会いの絆は、このまま終わることはないのであった。




