人形
『しかし、よくまぁあの状況で、無事でしたなぁ』
鉄鼠が感嘆の声をあげる。
狐丸の背から飛び降りると、ポン! と軽い音を立てて、元の牛サイズのネズミになった。
ぎしっと、東屋が揺れた。
大きくなった鉄鼠を見て、狐丸は目を見張る。
『うわ! 凄い!! みんな自由自在に大きさを変えられるんだね』
驚く狐丸に、玉兎がクスクスと笑う。
『何をおっしゃるのですか。大きさを変えるよりも、人形をとる方が難しいのですよ』
『え? そうなの……?』
狐丸は、キョトンと返した。
『それはそうですよ! 儂などは、未だに人形はとれませぬゆえ……』
鉄鼠が細い指で頭を搔きながら、困った顔をする。
『ふふ。何を言うかと思えば……』
玉兎が笑う。
『鉄鼠はそもそも人形になろうなどとは、思っていないでしょう……!?』
うふふふふ。と手を口に当てて玉兎が笑う。
鉄鼠は、それほど人間に執着していない。
ネズミである己に誇りを持っているし、人に変化しなくとも、ネズミである限り、今の世の中では十分やっていける。
『そう……だな。違いない……!』
鉄鼠もガハハと笑った。
そんなみんなの様子を見て、姮娥も困ったように微笑んだ。
姮娥も玉兎も、そして鉄鼠も、狐丸が人形をとれることを知っている。
知っているが、その裏に秘められた何かに気づいているのは、姮娥だけだろう。
その何かが、姮娥を底知れぬ恐怖に陥れる。
目の前にいる妖狐は、妖狐じゃない。
鉄鼠は人形をとろうとは鼻から思っていない。
玉兎は興味を持っていた時期もあったが、難しいと言って、今は諦めている。
だから気づかないのだ。
「……」
姮娥は、初めて狐丸を見たあの時を思い出し、青くなる。
初めて出会った時、狐丸は人の姿をしていた。
完璧な姿ではなかった。
所々、妖怪の本性が漏れていた。
「……っ、」
おそらく玉兎は、その事実を《人形をとるのが難しいから》とでも思ったのに違いない。
(……あれは、違う)
姮娥は、唸る。
思い出しても、鳥肌が立つ。
気づかれないように、姮娥はそっと、自分の腕をさすった。
あの時狐丸は、人形であったのにも関わらず、信じられないほどの濃い瘴気を放ち、その身に青い鬼火を纏っていた。
もともと天女であった姮娥にとって、人形をとるのは造作もないことなのだが、普通の妖怪は違う。
多くの妖力を必要とするために、人形になってもなお、鬼火を纏えるものはそう多くはない。
しかし狐丸は、当たり前のように鬼火を纏い、地を蹴って追いかけてきたのだ。
途中、何に怒ったのか、人形を放棄し、本性をさらけ出しはしたが……。
思い出して、姮娥はブルっと震える。
(あんな妖気を、並の妖狐が纏えるものか……)
あの狐丸を見て、逃げ出さない者などいるわけがない。
(現に、あの場にいた陰陽師すら、逃げ出したではないか……。)
姮娥はそっと玉兎を見る。
もしかしたら、とんでもないモノと知り合ったのかも知れない。
「……」
しかし、それを玉兎に伝えるのは憚れた。
『ふふ。でも良かったです。こうしてまた狐丸さまにお会い出来ましたから……』
玉兎は笑う。
心からホッとした微笑みだった。
姮娥はそれを見て、小さく溜め息をつく。
(……しかしそれも、私の杞憂かも知れない……)
そう思い、微笑む。
「陰陽師が目の前に現れた時は、驚きもしましたが、まさか屋敷に招き入れられるなど、思いもよりませんでしたわ」
姮娥は続ける。
「絶対、祓われる! と覚悟したのですよ……」
その言葉に玉兎が耳を伏せる。
『あれは……私が助けを求めてしまったんですよ……』
「え……?」
姮娥は驚いて、玉兎を見た。
玉兎は、しゅん……と耳を伏せ、上目遣いで狐丸を見る。
『あ、……あの時は、本当に申し訳ございません。……その、ひどく……狐丸さまが、怖くて……』
言いながら手をモジモジと動かす。
『目の前に陰陽師が現れたので、……その。……陰陽師ならば、この場を丸く収めてくれるのではと……』
実際、言葉にして助けを求めた訳ではない。
玉兎は助けて欲しいと言ったふうな顔を、澄真に向けただけだ。
当然相手は陰陽師。下手をすれば、祓われていたかも知れない。
しかし、あの時、そんな事を考えるような思考は飛んでいた。
追いかけられている恐怖が上回り、藁をもすがる思いで無意識のうちにやってしまった事だった。
しかし、それを聞いて鉄鼠は青くなる。
『なっ! 玉兎! あれほど人に頼るなと、言っておっただろう? お主は世間知らずもいいところだ! 陰陽師は特に危険なんだ! 相手が良かったからいいようなものの、下手をすれば祓われていたのだぞ!!』
叱られて、玉兎は更に小さくなる。鉄鼠の言っていることは正しい。
『ご、ごめんなさい……』
泣きそうな声を出す玉兎が可愛そうになり、狐丸は思わず助け舟を出す。
『で、でも、こうして無事だったんだから、……次は気をつければ……ね?』
スリスリと玉兎に頬ずりしながら、狐丸が宥める。
『はい……! 申し訳ございません』
玉兎は素直に、狐丸に身を寄せる。
『ふふ。でも、相手が澄真で良かった』
狐丸は、微笑む。
「澄真……? と言うのですか? あの陰陽師は……」
姮娥が顔をあげた。
あの時の陰陽師は、こう言っていた。
──「何をして、狐丸を怒らせた?」
話しぶりからして、狐丸の知り合いであることは、間違いない。
しかし結果的には攻撃を仕掛け、追い込んだのも、その陰陽師なのではないだろうか?
あの場のあの惨状だ。結局仲違いしたのだと思い込んでいた。
(万が一、仲違いしているなら、言葉に気をつけないと……)
そう危惧していたが、今の口ぶりだと、そうではないかもしれない。
少し、カマをかけようと、澄真のことに話を振った。
『うん。澄真とは最近知り合ったんだけどね。良い奴だよ!』
狐丸は、にこにこと微笑んで答えた。
(《良い奴》……か。ならば、関係はよいのか……)
姮娥は、少しホッとする。
仲違いしていないのなら、言葉に気遣うこともないだろう。
そうホッとしたのも、ほんの少しの間だけだった。
その言葉に鉄鼠が、噛み付いたのだ。
『《澄真》!? 今朝のあの陰陽師でありまするか!?』
物凄い剣幕で、まくし立てた。
姮娥はギョッとなる。
「て、鉄鼠……!」
青くなりながら、抑えようとするが、鉄鼠は黙らない。
『あの澄真と言う陰陽師に、今朝方儂は、祓われそうになった! ……こう、護符を向けられてな……』
言いながら、護符を構える真似をする。
『あの時の、あやつの顔ときたら……! 黄泉の亡者ですら逃げる勢いの冷たさであったぞ!!……ゴフ。……こ、姮娥、何をする……』
「……」
姮娥は、小さく《バカ!》と唸り、頭を抱えた。
出来るだけ、狐丸の機嫌を損ねたくなかった。
肘で思いっきり鉄鼠の、横腹目掛けて突きを入れ、狐丸の様子を窺った。
けれど、狐丸は面白そうに笑う。
『ふふ。だって、鉄鼠。あそこは蒼人の屋敷だよ? 澄真の知人の家で、代々陰陽師をしている。護りは完璧なのに、そこに入り込もうとチョロチョロしてるんだもん。僕だって気になったさ……!』
その言葉に鉄鼠は、目を丸くする。
『え……? もしかして、ずっと見て……?』
鉄鼠は驚く。
長年、隠密業を得意として生きていた。背後を取られたことなど一度もない。そこは古参の妖怪としての、自負がある。
それが、やすやすと背後を取られ、しかもその事に気づかなかったとなると、それは一生の不覚と言うべきものだった。
鉄鼠は思わず黙り込む。
しかし狐丸は、そんな事とは知らず、笑って返事する。
『うん。ずっと見てた。……ふふふ。玉兎、鉄鼠ってね、面白いんだよ? しっぽを踏まれたのに、全く気づかないの……! もうね、全部踏まれてたんだよ? 見ている僕の方が痛かったんだから……!』
カラカラと笑う。
『なに? 鉄鼠、そんな事になっていたんですか?』
ふふふと玉兎も笑う。
『あ……あは、あはははは……』
鉄鼠も、乾いた笑い返しながら、チラリと姮娥を見た。
「……」
姮娥は、笑っていない。狐丸の異様さは、さきほどから痛いほどに気づいていたのである。
むしろ、鉄鼠が、その事に気づいた素振りを見せ、ホッとしていた。
姮娥は鉄鼠に、苦笑いを向ける。
『……』
鉄鼠は悟る。
何故、さきほど姮娥が肘鉄を、お見舞いしてくれたのか。
鉄鼠の笑いが固まる。
《……やばい》
基本鈍い鉄鼠が青くなる。
《ただの妖狐じゃない……》
疑惑は確信へと変わり、ゴクリと唾を飲み込んだ。
鉄鼠は、背後にいるものの気配は分かるのです。
が、今回しっぽには気を使ってなかったので、
踏まれたのに気づかなかった……
という事にしておいて下さい。(;A;)
しっぽ踏まれないと面白くないじゃなーい?
人がいるのは知ってたの!
しっぽがどこかは、気にしてなかったの!
しっぽに神経通ってなかったの!
……。はい。YUQARIの言い訳でしたm(_ _)m




