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月の手毬 (月星雪✻②✻) 中巻  作者: YUQARI
第六章 策略
26/40

雨とミサキ

 シトシトと雨が降る。


 雨は基本、妖怪の匂いも綺麗に洗い流して、爽やかな風を送り込む。

 だからミサキは、雨が嫌いだ。


『……』

 憎々しげに、空を睨む。


 既に夜の(とばり)は下りている。

 だから真っ暗な空をいくら睨んだとて、重く垂れ込んでいるハズの雨雲も、今は見ることが出来ない。


『……。ミサキと一緒……』

 ミサキは、ポツリと呟いた。



 ミサキは本来、()()()()()()である。

 よほど力が強いか、視力が良くなければ、到底視ることは叶わない。


 それはミサキが、強い妖怪だからではない。


 ミサキの持つ()が、《視えないと好都合》だからである。

 その力を()()()()()、視えなくなっている……と言った方がいいだろう。


 けれどミサキは、()()()()自分が悲しくて、寂しかった。



 視えないから、誰もミサキに触れられない。

 視えないから、誰もミサキと話せない。

 視えないから、誰もミサキを殺せない。

 殺してもらえないから、死ぬ事が出来ない。


 だから、消えることも叶わない……。



 《視えないのなら、いないのと同じ……》

 口癖のようになったその言葉を、今日も頭の中で反芻する。



 そんなミサキが生きて存在している価値が、どこにあると言うのだろう?


 そう思いながら、永く寂しい時間(とき)を、ミサキはいつもたった一人で耐えてきた。



 《けれど……ごく稀に、気づく者が、……いる……?》


 屋敷の塀の上から、ミサキは通りを見下ろした。


 屋敷の向かいにあたる塀の軒下に、小さなネズミが数匹、先程からチョロチョロ騒がしい。

 急に降り出してきた雨に驚いたようで、慌てて身を隠す。



 軒下……と言っても塀の軒下。

 雨をよけられるわけもなく、ネズミたちはすぐさま、ずぶ濡れになった。


『……』

 ミサキの見立てでは、アレは妖怪である。


 姿は違うが、以前洞窟内の祠で見た、()()ネズミではないだろうか?


 おそらく、変化(へんげ)しているのに違いない。

 あの時、祠には人がいなかった。いや、入ることすら叶わない、辺鄙(へんぴ)な場所だったからこそ、ありのままの……妖怪の姿をしていたのだろう。


 《あのネズミは、ミサキに……気づいていた、はず……》

 ミサキは、洞窟での事を思い出す。


 目が合うわけではなかったから、《視えた》わけではないだろう。が、かなり嗅覚は鋭いようだった。


 《ミサキの匂いだけで、存在を嗅ぎとった……》


 あの時のネズミならば、油断は出来ない。

 けれど今は、雨が降っている。匂いもずいぶん消されているはずだった。


 洞窟にいたネズミ……。

 それが正しければ、本来の姿は、牛ほどもある大きなネズミであったはずだ。



 けれど今は、人の住む京の都へ下りてきている。

 普通のネズミの姿に身を変え、人の目を誤魔化しているのだろう。


 目の前のネズミは、あの時の牛ネズミとは思えないほど小さく、可愛らしい姿をしていた。


 それを見て、目を細める。

 《このミサキの目を、(あざむ)けるものか》

 ミサキはネズミを静かに、()めつける。



 これでもミサキは古参の妖怪。


 知識だけは、豊富である。変化(へんげ)した妖怪(もの)の気配など、簡単に見分けることが出来た。


 しかしネズミは、なかなかどうして変化(へんげ)が上手い。


 いや、おそらくは苦手なのだろう。

 だが、苦手なりに無理をしない程度に、変化しているところが抜かりない。


 無理をすればそれだけ、ボロが出る。

 新参者の妖怪が、よくするミスだ。


 けれどそのボロが、全く見当たらない。

 素晴らしいとしか、言いようがなかった。



 ──けれど頭は良くない。



『……』

 ミサキは眉をしかめ、灰色ネズミを見る。


 そもそも何故、雨宿りするのに塀の軒下を選ぶ?

 ミサキには、理解できない。


 選択ミスにもほどがある。

 もう既に、ずぶ濡れではないか。


 しかも自分だけでなく、配下の者まで巻き込んでいる。

 ミサキは静かに、ネズミたちを見る。


 けれど、配下の者も突っ込まないところを見ると、同じ思考回路なのかも知れなかった。


『……』

 ミサキは呆れて、黙り込んだ。

 塀の軒下ではなく、その横の紫陽花の花の下にでも逃げ込めば良かったものを……。



 《……! まさか、油断させるつもりでは……?》


 ミサキはハッとする。

 ネズミは、匂いでミサキの存在を嗅ぎ取り、わざとマヌケな振りをして、油断させているのかもしれない! そう判断する。


 《灰色ネズミ……。油断なりませぬ》

 袖で口許を隠し、ミサキは灰色ネズミを睨みつけた。





 ……しかしそんなこと、あるハズはない。


 鉄鼠(てっそ)は、ただ近くにあった塀の軒下を選んだだけだ。

 なんの策略もない。


 だから今、自分が雨に濡れるのも、雨の勢いが激しいからだと、信じて疑わない。

 なんの疑問も持たずに、手で一生懸命、濡れた顔を(ぬぐ)いながら、吉昌(よしまさ)の屋敷を窺っていたのだ。




『……』


 ミサキは静かにネズミたちを見下ろす。

 主の屋敷を覗かれて、いい気持ちはしない。ムッと眉を寄せた。


 ミサキはふわり……と、音もなく塀の上に座る。


 まるで重さを感じさせない。着ている(ころも)が、風もないのにフワリと揺れた。

 風を小さく(まと)い、雨から自分の身を護っているからだ。


 姿など隠す必要はない。

 ネズミたちに、ミサキの姿は視えていない。分かるのは匂いだけ。

 その証拠に、目が合わない。いつもの事だ。


 しかし灰色ネズミだけは違う。

 視えはしないのだろうが、《匂い》は分かるようだ。

 しきりと鼻をヒクつかせ、辺りを警戒している。


 《匂いが分かる……? この雨で? ……それとも、屋敷に残るミサキの残り香……?》

 ミサキは、身をこわばらせる。


 ミサキにとって、存在を認識する妖怪は警戒すべき存在だ。


 匂いで分かるなら、視えなくとも、攻撃くらい出来るかも知れない。

 姿が視えないだけで、力が強いわけではないミサキは、息を呑む。


 《落ち着け……》

 ミサキは、自分に言い聞かせる。


 この雨だ。

 そもそもミサキの匂いなど、姿と同じで、ほとんどしない。

 屋敷に残り香があったとしても、近づいてバレるようなことはないだろう。

 今の状況では、風の護りと激しく降る雨で、感知できるほどの匂いが、するわけがなかった。


 案の定灰色ネズミは、少し鼻をヒクつかせただけで、攻撃しようとはしなかった。


 《嫌いな雨に救われるとは……》

 ミサキは複雑な気持ちだ。




 実際雨は、ミサキの匂いを消し去っていて、()()()目の前にいるなどとは、鉄鼠(てっそ)は思ってもいなかった。


 ただ、屋敷内に残るミサキの残り香に、用心していただけである。



 ネズミたちは騒ぐ。


『て、鉄鼠(てっそ)さま……! もう、帰りましょう! どの道今日は無理です。この結界では、それなりの準備をしなければ忍び込むことなど、自殺行為です』

 梅丸が、鉄鼠(てっそ)を説き伏せている。


 けれど鉄鼠(てっそ)は、首を縦に振らない。

 ムッとして、梅丸を見た。


『そんな事だから、我らは未だ人間に頭が上がらんのだ! 陰陽師と言えども、所詮は人間。力無き者なのだと知れ!』

『いやいやいや、人間は力無き者かもしれませんが、《雨》は違います! 濡れれば病を運びまする。鉄鼠(てっそ)さまが倒れれば、我々はどうすればいいのですか……!』


 バチャバチャとかかる雨粒を、ぶるぶると体を震わせ払い除けながら、梅丸はボヤく。

 面倒臭そうに言う梅丸のその言葉に、鉄鼠(てっそ)が言葉を呑む。


 言っていることは、最もだ。

 しかし鉄鼠(てっそ)は、棟梁なのである。配下の者に従ったとなると、決まりが悪い。


『わ、(わし)はそのように、病弱ではない……。雨に濡れたからとて、すぐに熱など出すものか!』

 などと言って、誤魔化した。




 ネズミたちの話を聞いて、ミサキはふふふと笑う。


 《ミサキが、あの者に触れたら、あの者はどう思うでしょう……》


 ミサキは病を運ぶ。


 こっそり目標のものに近づいて、そっと触れるだけだ。

 まるで童たちがする、鬼ごっこのようではないか……。そんな風に思ったこともある。


 思ったことはあるが、一方通行だ。


 ミサキが失敗する事はない。そもそも誰の目にも視えはしない。鬼役が代わることもない。


 触れればどんな鬼でも悪霊でも、原因不明の病に侵され死んでゆく。

 そしてミサキは、死にゆくその者たちを羨んで生きて行くのだ。


『……』

 ミサキは静かに灰色ネズミを見下ろした。


 《あのネズミは、古参の妖怪……》


 長い年月を生きてきたのだろう。妖力がそれほど強いようには見えないが、よく()()()いる。


 《頭は悪そうだが、多少のことでは倒れまい……》

 そんな事を思いながら、見下ろした。


 しかし触れるのは簡単だ。


 姿を視れるわけではないようだし、この雨で、匂いも誤魔化してくれているようだ。

 近づくのは容易である。


 《ここから飛び降りて、触れるだけ》


 ネズミはすばしっこいが、風の化身であるミサキはもっと速い。オマケにミサキが視えないのであれば、話にはならない。


 それに、灰色ネズミは屋敷の人間をバカにした──。


 《吉昌(よしまさ)さまを、愚弄した……》

 ミサキは鼻にしわを寄せ、灰色ネズミを睨む。



 吉昌(よしまさ)は、ミサキを《視る者》だ。

 暗く寂しい永い年月の中で、唯一ミサキを目視できた一人である。


 ミサキにとって、何よりも大切な主人でもあった。


 《その吉昌(よしまさ)さまを、愚弄した……!》

 それだけは、けして許すことは出来ない。


 吉昌(よしまさ)からは、無駄な殺生はするなとキツく言われている。

 言われているが、主である吉昌(よしまさ)がバカにされたのだ、()()()殺生ではない。と、ミサキは考える。



 ミサキは、薄く笑う。


 吉昌(よしまさ)式鬼(しき)になってからは、何かに危害を加えたことなど一度もなかった。

 忠実に、吉昌(よしまさ)の言葉を守っている。


 しかし、正直つまらなかった。


 以前は退屈すると、よく流行病をばら蒔いた。


 多くの者がバタバタと、面白いほどに倒れ、死んでゆく。自分が得ることの出来ない《死》!

 なんて美しく、甘美な事だろう!!


 手の届かないその願いを、せめて見ることで、自分を慰めた。



 けれどそれも今は昔の事。


 たまには何かに、手を掛けてもいいではないか……そう思っていた矢先のことである。我慢など出来るはずもなかった。



『ふふふふふ……』


 ミサキは薄く笑い、上機嫌で塀を飛び降りる。


 目指す目標は、やはり気づきもしない。

 隠れることもせず、呑気に雨がやまないかと、手を掲げている。

 ミサキはゆっくりと、そんなネズミたちに歩み寄る。




 ザ────……。




 雨音が響く。


 雨は思いのほか激しかった。

 ミサキの匂いなど、吹き飛んでいるはずだ。


 ミサキの薄い唇の端が、妖しく美しく持ち上がる。



 白く細い指先が、ゆっくりネズミたちを襲う──!




『!』


 不意に鉄鼠(てっそ)が顔を上げた。

 上げるなり叫ぶ!


『梅丸! 逃げよ!!』

『……! はっ!』


 ミサキの指先が、ネズミたちに到達するかしないかの、その刹那──!

 ネズミたちは、パッと四散した。



『……え?』




 ミサキは目を見張る。


 動きが速い!


 逃げられたことに気づいて、追いかけようと顔を上げた時には、もう既に姿はどこにもなかった。


『ちっ……』

 ミサキは舌打ちする。



 あと、少しだった。

 あと少し。

 あとほんの少しだけ、手を伸ばしさえすれば届く場所。


 けれどネズミは逃げた。


 視えるはずもないのに、ネズミは逃げた。


『……っ』


 よほど鼻が良いのだろう。

 匂いを消すはずの雨でも、近づければ勘づかれる。


 《ゆっくりではなく、飛んで襲えばよかった……》

 ミサキは自分の指を噛む。



 ──ガ……ッ。



 鈍い音とともに白く細い指から、鮮血が溢れた。

『悔しい……』


 痛みすら感じないほどミサキの心は、怒りと後悔で溢れかえっていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 死ねない不幸というのは、いいですね。好きです。 [気になる点] ミサキは、御先でしょうか? [一言] おお、ネズミさん、やられるかと思いましたよ。
[良い点] 26/26 ・まじですか。前半と後半の落差ですよ。 [気になる点] 生存本能とは、素晴らしいものです [一言] 爪ガジガジのイメージ
2021/06/10 07:12 退会済み
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