殺気
澄真は芦毛色の馬に乗って、ゆっくりと出てくる。
門番が、いってらっしゃいませ……と頭を下げた。
澄真は、それに軽く応え、能面のような微笑みを返す。
相変わらず、人が苦手のようだ。
「!!」
しかし微笑んだその瞬間、澄真の顔色がサッと変わる。
ビクッと身を強ばらせ、何かに驚いたように馬の手綱を強く引いた!
──ヒヒーン……ッ!!
千景がそれに素早く反応する!
鋭く嘶き、前足を振り上げた。
一気に場が殺気立つ──!
「!?」
何事かと門番たちが目を見張り、持っていた槍を構える。
──ザッ!
しかし構えはしたものの、門番たちは目指す敵がなんなのか分からない。
目標を定められず、オロオロと戸惑った。
「……」
そんな中澄真は確実に、例のネズミをその目で捉える。
素早く護符を取り出し、構えた。
ネズミを冷たく睨めつけると、低い声で呪文を唱え始める。
灰青の瞳が、鈍く光る。
「急急……」
『!』
まさか見つかると思っていなかった鉄鼠は、悲鳴すらあげられず、その場に凍りついた。
相手はあの澄真なのである。
見つからないはずは、なかったのだ。
『あ、バカ……!』
狐丸は唸る。
昨日の今日だ。
澄真は、妖怪を不用意には祓わない……と、狐丸は勝手に思い込んでいた。
思っていたからこそ、傍観を決め込んだのだ。
けれど、今の澄真の目は、ひどく冷たい。
──ぞく……っ。
『……っ!』
狐丸の背中に、冷たいものが走り抜けた。
《……怖い》
ふと、初めて会った時のことを思い出し、背筋が凍る。
放っておけば、あのネズミは確実に消されるだろう。
小さく悲鳴をあげて、狐丸は木から飛び降りる。
考えるよりも、先に体が動いた。
──ザザ……っ!
木の影から飛び出ると、狐丸は迷わず澄真の前に飛び出した。
『……っ、』
飛び出して、直ぐに後悔する。
《一緒にに祓われたら、どうしよう……》
ギュッと目をつぶった。
澄真の殺気は、尋常ではなかった。
今、狐丸は妖怪の姿だ。
《僕だって気づかずに、祓われるかも……!》
怖くなって耳を伏せ、澄真を見上げた。
「な! 狐丸!?」
けれど狐丸の心配をよそに、澄真は直ぐに狐丸を見つける。
驚いて、澄真は手網を操った。
ブルルルと千景が鼻を鳴らし、向きを変える。
「……っ!」
それと同時に、澄真は慌てて発動中の護符を解いた。
──カッカッ、カッ……!
足踏みをする千景の蹄の音が響く。
「どうどう……!」
なだめるように、澄真が千景の首筋を叩いた。
狐丸はホッとする。
『ごめん! 澄真!! コレもらうから……!』
狐丸はそう言って、素早くネズミを口に咥えると、思いっきり地を蹴った!
「あ、こら! 狐丸っ!?」
背後で澄真の声が響く。
──ヒュン……ッ!
耳の傍で風が鳴った。
一気に上空まで駆け昇る!
──びゅわ……っ!
強い衝撃が、辺りを襲う──!
「う……! 狐丸っ、」
狐丸が駆け昇る余波に耐えながら、澄真が唸る。
逆巻く風の軌道に抗いながら、澄真は狐丸を仰ぎみる。
「き……狐丸……! あいつ、なにやって……っ、くっ!」
再び吹き荒れた余波を防ぐため、澄真は袖で顔を庇った。
バタバタと大きく音を立て、純白の衣がなびいた。
『ふぅ……』
ため息をつく。
《澄真……怖かった……》
振り返ると、澄真はもう遥か彼方。
今はもう、豆粒ほどに小さくなっている。
《あんな、怖い澄真は久しぶりに見た……》
長いこと、澄真と親しくしていて、狐丸はすっかり忘れていた。
澄真は陰陽師である。
陰陽師は、妖怪を祓う者だ。
本来なら、狐丸にとって澄真は、敵対すべき人物なのである。
気を許してはいけない……。
けれど今の狐丸には、澄真が妖怪を祓う者には見えない。
《……少なくとも、僕にはそうだ》
ぼんやりとそう思う。
自分を祓おうとする澄真は、想像がつかなかった。
豆粒から更に小さくなってしまった澄真を、狐丸はそっと見下ろす。
《……ふふ》
見えるはずはないのだが、狐丸には澄真の呆けた表情が見えるようだった。
さきほどの殺気は、完全に消えている……。
その姿が可笑しくて、狐丸はホッと目を細める。
澄真はちゃんと、自分のことを見ていてくれた……。
初めて対峙した時は、ひどい殺気を惜しげもなく自分に浴びせてくれた。
捕縛紐で絡め取られ、危うく死にかけた。
昨日などは、自分を見捨て、他の妖怪と共に走り去った。挙句の果てに結界を張り巡らせ、自分を傷つけた。
『……』
だから、本当は……。
《本当は、一緒に祓われるんじゃないかと思った……》
狐丸は少し目を伏せる。
ネズミが祓われそうになったとき、咄嗟に庇った狐丸ではあったが、本当はひどく怖かったのだ。
獲物を狩る肉食獣のような、目をしていた者の前に飛び出すなど、無謀にもほどがある。
一緒に狩られても、文句は言えなかっただろう。
『……』
けれど違った。
殺気をはらんだ……いや、殺気そのものであったあの目で、それでも狐丸を見極めた。
《僕だと気づいて、慌ててた……》
自分を見た時のあの、困ったような、驚いたような、複雑な澄真の顔を思い出し、狐丸は一人くすくすと笑った。
モヤモヤしていた心が少し、晴れたような気がした。
ご機嫌になって、口に咥えたネズミをポーンと、空中に放り投げる。
ぢゅ────っ!
と、ネズミは変な悲鳴をあげた。
狐丸は、そのネズミを背中で受け止めると、うふふふふ……と笑う。
『ねぇ、君はなんて名前なの? 玉兎とは、どんな関係……?』
しっぽを振りながら、宙を駆る。
何だかひどく、気分がいい!
ふんふん、と鼻歌でも歌いたい気分だった。
『!』
玉兎の名前が出てきて、ネズミは驚く。
目を丸くして、口を開いた。
『わ……儂は鉄鼠と言う……。玉兎……玉兎は儂の友だ。お前は、……お前が狐丸か……?』
おずおずとネズミは尋ねる。
狐丸は空中に立ち止まる。
『ん? 僕のこと……知ってるの……?』
その言葉に、鉄鼠は目を見開きポロポロと泣き始めた。
『え……?』
狐丸は自分の背に、鉄鼠の溢れる涙を感じ、目を見張る。
『あ……。生きてた……生きてた……! 玉兎、生きてたぞ……!!』
狐丸の首筋に、スリスリとその顔を擦り付けた。
『え? な、なに? なんなの……!?』
戸惑う狐丸を置き去りにして、鉄鼠は泣けるだけ、泣きまくったのだった。




