鉄鼠
《ん……? あれは……》
狐丸は蒼人の屋敷を出てすぐに、妖怪の気配を察知し、近くの木に身を隠した。
気配がしないように、そろりそろりと覗く。
《あれは……ネズミ?》
相手はネズミのようだ。
結構、禍々しい気配をまとわりつかせているが、見た目は小さい。
普通のネズミより、少し小さいのではないだろうか?
上手い具合に周りに溶け込み、気をつけていなければ、見逃すところだった。
しかし気配が特殊なので、妖怪が変化しているのは、ひと目見て分かった。
《屋敷の様子を窺ってる……?》
どうやらネズミは、蒼人の屋敷を探っているようだった。
チョロチョロと行ったり来たりしつつ、中を見ようと必死になっている。
『ふふ……』
狐丸は思わず笑う。
《あんな事をしても、見れるわけないのに》
可笑しくて、目を細めた。
蒼人は陰陽師の家系だ。
澄真の家と違って、屋敷の周りは常に結界で覆われている。
たとえ、飛び上がって塀の上に登れたとしても、中は見えない。
そういう仕組みになっている。
《小物の妖怪なら入れるだろうけど、あれでは無理だ》
両腕に頭をちょこんと乗せて、狐丸はネズミ……変化した鉄鼠を見た。
《結構、古参の妖怪みたいだ。……そのうえ……》
ほんのり玉兎の匂いがした。
狐丸は、眉をしかめる。
《玉兎の知り合い……? それとも……》
睨めつけるように、そのネズミを見下ろす。
玉兎は、古参の妖怪ではあるが、力は弱かった。
新参者の狐丸ですら、見ただけで分かる。
今まで何事もなく生きてこられたのが不思議なくらい、儚げで消えてしまいそうな存在だ。
とにかく他の妖怪から逃げて、逃げて、生き延びてきたのに違いない。
足の速さだけ見れば、驚くほど速かった。
『……』
もしかしたら、知り合いかも知れない……と狐丸は思い、しばらくの間ネズミの様子を窺うことにした。
ネズミはしきりに、塀の向こうを見ようと頑張っていた。が、どんなに頑張っても覗くことは無理だと気がついたのだろう。
ネズミは半ば諦め、頭を項垂れながらチョロチョロ、チョロチョロと動き回り、今度は塀の隙間を探し始める。
チョロチョロ……チョロチョロ……。
探すが、隙間は見つからない。
それもそのはず、蒼人はマメな性格だ。
時折屋敷を巡っては、点検をしているのである。
そこのところは、抜かりはない。
そうこうしているうちに、ネズミはフラフラ~と、門にたどり着く。
特殊な気配のために、門番は気づかない。
それをいい事に、ネズミは門番の足元をウロチョロしている。
いったい、何がしたいのか……。
すると、突然!
不意に動いた門番に踏まれそうになる!
『!?』
《うわ……! 踏まれる!?》
覗き見ながら、狐丸はドキッとする。
『ひっ……!』
思わず小さく悲鳴をあげ、毛並みを逆立たせた。
幸いにも、踏まれたのはしっぽだった。
長く伸ばしていたしっぽを、根元からガッツリ踏まれた。
『……っ!』
狐丸はビクッと身震いすると、自分のしっぽを丸めた。
ギュッと二本のしっぽを抱きしめる。
《……あれは、絶対……痛い……っ》
あれだけ見事に踏まれれば、飛び上がって痛がるに違いない。
顔をしかめて、恐る恐るネズミを見た。
けれど、予想に反して、ネズミは痛がらない。
どうやら、踏まれたことに気づいていないようだ……。
《……な、……鈍感なの……?》
狐丸は目を細める。
踏まれた本人より、見てる自分が痛がるとかって、どうなんだ……。と、狐丸は唸った。
見ている狐丸の方が、ビクビクとしているのに、当のネズミはいたって平気そうである。相変わらず隙間はないか……とキョロキョロしている。
場所を移動しよう……! とでも思ったのだろう。ネズミは不意に腰をあげた。
けれど前には進まない。
しっぽを踏まれているから、当然である。
いくら頑張っても前に進むことが出来ず、キョトンとしている。
必死に進もう、とするのだが、何かに引っかかっているようだ。
なんだよ……と言う表情で、自分のそのしっぽを見た。
次の瞬間──!
『……? !? ウヂュー!!』
自分のしっぽが踏まれている事に、ネズミはやっと気づいて、変な悲鳴をあげた。
《は、反応……にぶ……っ》
あまりの鈍感さに、狐丸は唸る。
しかし悲鳴はかなり大きく、門番二人がビクッと肩を揺らした。
『……あ。これは、見つかるな』
狐丸はもはや、呆れ返るしかない。
眉をしかめ、黙ってネズミの様子を見た。
悲鳴に気づいて、門番は驚いて飛び跳ねる。
「な、なんだ!? 今の音はっ!?」
「近かったぞ!? 地中に妖怪でも、いるのではないか!?」
二人は一生懸命、地面を見渡し警戒した。
しかし、見つけることが出来ない。
《! へぇ……》
狐丸は感心する。
ネズミは特殊なその気配のおかげで、いつの間にか難を逃れ、近くの草陰に隠れようと、ワタワタと走っていたのである。
……足は、速くはない。むしろ、遅い。
《……運がいいとしか、思えない》
狐丸は頭を抱えたが、興味も湧いてきた。
門番二人は、しきりと足元を探しはするものの、結局何も見つからなかった。
「……と、とにかく今日は気合いを入れて、門をお衛りするぞ……!」
「お、……おう!」
ギラリと周りを睨みつけ、門を固めた。
これでいよいよ、屋敷の中を見るのは難しくなる。
しかし無事逃げおおせることが出来て、呆れ返りもしたが、内心狐丸はホッと胸を撫で下ろしていた。
冷静を装ってはいるものの、心臓がバクバクと音を立てている。
他人事なのに、見ていてハラハラした……。
はぁ……と大きく息をつき、見つからなかった事にホッとした。
どっと疲れが襲ってくる。
『……』
ホッとしている自分に気づいて、狐丸は頭を振った。
《いやいや、……なんで僕が、ホッとするの……》
苦笑いしながら、再びネズミを覗き見た。
当のネズミは叢に頭を突っ込んで、ぶるぶると震えている。
《……ぶっ。いやいやいや……》
狐丸は再び頭を抱える。
隠れるのはいいのだが、それは頭だけ……。
肝心の首から下は見事に丸見えで、クルリと丸めた長いしっぽが可愛かった。
『ぐふっ……。何してるの? アレ……』
狐丸は顔を伏せ、思わず吹き出してしまう。
玉兎の匂いをさせるくらいだ。
おそらく玉兎と、何らかの関わりがあるのだろうとは思われる。
だがあの様子では、玉兎に危害を加えるのは無理だ。
もしかしたら逆に、尻に敷かれているかも知れない。
ネズミはかなり……おマヌケだった。
そう思うと可笑しくなって、狐丸は笑いを堪えるのに必死になった。
《ダメダメ……笑ったりしたら、見つかってしまう……》
ぷぷぷ……と、前足で鼻を押さえながら、必死に笑いを堪え、狐丸は肩を震わせる。
──ギギギギギ……。
『!』
不意に、門の扉が開いた。
狐丸はピクっと身を震わせ、体をあげる。
誰かが屋敷から出てくる!
門が開けば、そこの結界は一時的に弱くなるのは常識だ。
弱くなれば、ネズミの妖怪もすり抜けられるだろう。
屋敷に忍び込む、絶好の機会である。
眉をひそめ、狐丸は唸った。
《あいつ……忍び込む気じゃ……》
どうやらネズミも同じことを思ったようだ、チョロチョロと叢から這い出して来て、屋敷の中に入ろうとした!
《! あいつ……!》
狐丸はグルル……と鼻にシワを寄せる。
カッとなって立ち上がったが、門から出てきた人影を見て、気が変わる。
出てきたのは、澄真だった。
ハッとして、狐丸は再び木の影に身を伏せた。
澄真は、陰陽師として力があると黒狐寺のみんながそう言っていた。
《本当にそうか、試してやる……!》
ニヤリと笑って、狐丸はしっぽをフリフリ、高みの見物ときめこんだ。




