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月の手毬 (月星雪✻②✻) 中巻  作者: YUQARI
第五章 企て
23/40

烏帽子



 ──ピチャ……。



 木の葉についた雨粒が、ポタリと池に落ちた。


 昨日の夜から降り始めた雨は、明け方には小降りになり、今はもう晴れ間さえ見えている。


 雨で洗われ、清々しくそよぐ空気に、狐丸はウズウズとしっぽを揺らした。


 そもそも、生まれてこのかた、ほとんど森の中ですごしている狐丸である。

 ずっと屋敷に籠りっぱなしのこの生活に、飽きないわけがない。


 退屈だと言わんばかりに、ゴロゴロと(えん)を転げ回った。


 昨日までは澄真(すみざね)の屋敷。今日は蒼人(あおと)の屋敷……と、場所は変わってはいるものの、面白いものは何一つとしてない。

 整えられた庭園と、池を見て、何が面白いんだ! と頬を膨らませた。


 結局なところ、ひどい雨に見舞われて、蒼人(あおと)の屋敷に泊まることになった。


 ひどかった怪我は、一晩かけて舐め回すと、すっかり良くなったのだが、さすがに怪我をした後に水浴びはするな! と固く言われ、狐丸は泣く泣く諦めた。


 お陰で、イライラは募るばかりだ。



 ──お前の治癒能力……ホントだったのか……。



 蒼人(あおと)が呆れた声をあげたので、狐丸は笑った。

 妖怪だから普通だよ……、と言ったが、二人は首を振った。《治癒能力》は特別なのだと言う。


 昔、蒼人(あおと)の怪我を、澄真(すみざね)が治したこともあったが、それも奇跡に近いのだと、教えてくれた。


(怪我を治す力は、初めから持っていたから、みんな持ってるんだと思ってた……)

 狐丸は縁を転がりながら、そんなことを思う。


 以前澄真(すみざね)から投げつけられた捕縛紐の時は、呪符のお陰で弾かれ、舐めることは出来なかったが、舐められるのならこっちのものだ。


 舐める気力さえあれば、どんな傷も治せる自信が、狐丸にはある。


(もう傷も治ったし、いい加減、遊びに行きたいなぁ……)

 狐丸はそんな事を思いながら、空をぼんやりと眺めて、小さく溜め息をついた。


 正直、玉兎(ぎょくと)の事が心配だった。

(澄真(すみざね)の行動には、ムッとしたけど、思えば玉兎(ぎょくと)は関係なかったんだし……)

 狐丸は反省している。


(きっと僕、すごい剣幕で追いかけていたと思うし……)

 おそらく、それで澄真(すみざね)も逃げ出したに違いない。

(僕……あの時は、どうかしてたんだ……)


 ゆっくり目を閉じて、昨日のことを思い出す。


 ひどく腹が立って仕方がなかった。

 妖怪を退治するという陰陽師のはずなのに、澄真(すみざね)玉兎(きょくと)を守った。


「……僕のことは、攻撃した癖に……」

 狐丸は自分の左腕を見る。


「……」

 未だに巻きついている、捕縛紐が憎らしかった。

 目がうるみ始め、視界がブレる。


(……僕に、背を向けて……逃げた……)


 そう思うと、胸がギュッと締めつけられる感じがして、ひどく悲しかった。

「……」

 両腕で、顔を隠す。

(もう、いいんだ……)


「もう、いいんだ」

 心の中で呟くだけでは飽き足らず、口に出してみる。


 口に出すと、少し気が晴れた。ごろっとうつ伏せになる。

 それでも、真っ白なフワフワの耳は、力なく垂れた。

「……別に、いいんだ……!」

 もう一度、呟く。


 振り切るように、ガバッと顔を上げ、気持ちを切り替えた。

(落ち込んでてもしょうがない!)


 そう思い直すと、パタパタとしっぽを振りながら、近くにいるはずの澄真(すみざね)に、声をかけた。


「ねぇ……、澄真(すみざね)。僕、出掛けてもいいかな?」

(ここにいても、悲しくなるだけだ)

 ちょっと甘えた声を出して、媚びをうってみる。


 澄真(すみざね)は、意外に甘いところがある。

 上目遣いでものを頼むと、大抵の事は聞き入れてくれることに、狐丸は最近気づいた。


(出掛けるくらいは、許してくれるかも。気晴らしに出かけよう。……ついでに玉兎(ぎょくと)を探して……)

 そう思って振り向く。


 しかし……。


「……お前。大怪我した自覚が、一切ないだろ……」

 呆れた声がすぐに帰ってきた。


 答えたのは、澄真(すみざね)ではない。

 蒼人(あおと)だ。


 狐丸はムッとする。

「お前には聞いていない! 僕は澄真(すみざね)に聞いてるんだ! ねぇ、いいだろ? 怪我も治したし、雨も上がったからさっ」


 振り向いて、澄真(すみざね)を見る。

 澄真(すみざね)は、笑って答える。

「そうだな。……私も、今日は用事があるし……」


 澄真(すみざね)は、普段着の水干(すいかん)ではなく、狩衣(かりぎぬ)を着込み、何やら身支度をしていた。


 本来なら侍女が手伝う支度なのだが、澄真(すみざね)が断ったのだろう。

 蒼人(あおと)が手伝っている。


「……え? 澄真(すみざね)? どこかに行くの……?」

 狐丸は驚いて、目を丸くする。


 敦康(あつやす)の藤の宴までは、出仕はなかったはずだ。

 あからさまに眉を寄せる狐丸を見て、澄真(すみざね)が笑った。


「仕方ないんだよ。……お前たちが暴れてくれたお陰で、私の仕事が増えた。少し、仕事をして来る」

 言って、目を細めた。

 蒼人(あおと)から帯を受け取り、器用に結ぶ。


 口調は困った様子だが、顔は怒っていない。

 むしろ、嬉しそうだ。


「も、申し訳ありません……」

 真っ赤になりながら、蒼人(あおと)が謝罪する。


 その言葉に、灰青の瞳が驚いたように見開かれる。

「何を言うんだ! お前がいてくれて、助かったと言うのに……」

 澄真(すみざね)は、優しく微笑んだ。

「……っ」


 実際あの時、蒼人(あおと)がいなかったなら、澄真(すみざね)は怒り狂った狐丸と、そのまま対峙しなくてはならなかったに違いない。


 蒼人(あおと)の屋敷に匿ってもらい、結界で狐丸の力を削ぐことが出来たからこそ、狐丸を捕獲できたのだ。

 あのまま力を削がずに対峙していれば、澄真(すみざね)ですら、無事でいられたかは分からない。


(いや、無事どころではない……都を巻き込んだ、争いになったかもしれない……)

 澄真(すみざね)はそう思う。

 そう思うと、肝が冷えた。


(そうなれば、もう狐丸は庇えない……)

 心なし青くなり、首を振る。


(しかし、そうはならなかった。最小限の被害ですんだ)

 狐丸が大怪我をした事は、悔やみきれないが、どうにか事は穏便に進んだのである。後の後始末で仕事をするなど、易いものだ。


 澄真(すみざね)は小さく溜め息を吐く。


(蒼人(あおと)には迷惑をかけてしまった)

 けれど、屋敷にいてくれて助かった。

 感謝しても、しきれない。


「こちらこそ、礼を言わねばならない。ありがとう。とても助かったよ、蒼人(あおと)……」

 にこり……と笑いかけられて、蒼人(あおと)の心臓は、張り裂けそうだ。


「い、いいえ……」

 蒼人(あおと)は必死になって、言葉を返す。


 照れ隠しに、近くに置いてあった高烏帽子(たかえぼし)を手に取り、澄真(すみざね)の頭に乗せた。


「す、澄真(すみざね)さま。もう少し……こちらに頭をお寄せください。結びつけますので……」

「ん。こうか……?」


 こてっと頭を蒼人(あおと)に寄せる。

「……っ、」

 腕の中にすっぽりと収まった澄真(すみざね)の頭を見て、軽く動揺する。


 そんな蒼人(あおと)の動揺には気づかずに、澄真(すみざね)は、うーんと唸る。

「そうだなぁ。お前に何か、お礼をしないと……」


「え!? お礼? お礼をされる事などなにも……っ!」

 慌てて烏帽子を澄真(すみざね)の髪に結びつけると、体を引いた。


(このまま傍にいると、離れがたくなる……っ)

 少し青ざめて、蒼人(あおと)は距離を取った。


「……なにも、そんなに嫌がらなくてもいいだろ……?」

 澄真(すみざね)はムッとするが、そんなわけにはいかない。

「いえ、嫌がっているわけでは……」

 必死に言い訳をする。


「あ、そうだ。この前、大国からの使者が来ていてな、緑檀(りょくだん)の木をもらったのだ。それで、数珠を作ってやろう」


「いいえ、そんな……っ」

 ぶるぶると頭を振った。


 緑檀とは別名《生命の木》と言われる。

 その樹脂を薬にすると万病に効くらしい。なかなか手に入るものではない。


 貴重な木で数珠など(もっ)てのほか……とばかりに蒼人(あおと)は辞退したのだが、澄真(すみざね)はそれが気に入らない。

 再びムッとして口を開いた。


「お前は私を避けたり、やると言うものをいらないといったり……。そんなに私が嫌なのか……?」

 悲しげに顔を歪める。


「え? いえ、そんな……っ」

 慌てて否定するが、澄真(すみざね)の表情は暗い。

 すると横から狐丸が、ニヤリと顔を出す。


「ふふ。澄真(すみざね)はダメだなぁ。むしろ、その反対だよ! ねぇ? 蒼人(あおと)?」

 ニコニコと笑いかける。

 その笑顔が、蒼人(あおと)には鬼の微笑みに見えた。


「えー……、いや、その……」

「好きだと、素直になれないものなんだよ? 澄真(すみざね)もそうだろ?」

 不意に狐丸が話に加わった。


「……私がいつ、素直じゃなかったんだ?」

 ギロッと狐丸を睨む。


「例えば、……あ、ほら! 澄真は湯浴みが好きだろ? だけど、僕が川で水浴びに誘ったら、断ったじゃないか!」

 パタパタと耳をはためかせ、嬉しそうに答えた。

 澄真(すみざね)は、はぁ……と溜め息をつく。


「お前……、あれは春先の事だったろ? 私を殺す気か……?」

「え? じゃあ、今なら一緒に入る?」

 可愛らしく首を傾げる。


「いけません……!」

 澄真(すみざね)が答える前に、蒼人(あおと)が口を挟む。

澄真(すみざね)さまは、体が弱いのです。夏場であっても、川に入ることは、断じて出来ません!」

 キッパリと言う蒼人(あおと)に、二人は目を丸くする。


「ちぇっ! 気持ちいいのに……」

 膨れる狐丸を見て、笑いを堪える澄真(すみざね)

「ふふ。まぁ、蒼人(あおと)には数珠を送るから、ちゃんともらってくれよ? あぁ、それと狐丸……」

 蒼人(あおと)が断りの言葉を口にするより早く、澄真(すみざね)は狐丸を見る。


「ん?」

「出かけてもいいが、暗くなる前には屋敷に戻るように」

 言われて狐丸は嬉しそうに、しっぽを振った。

「うん!」

「それから、今日は自宅へ戻るから、ここではなく向こうの屋敷の方へ戻るんだぞ!」

「!」

 蒼人(あおと)の顔が曇る。

「分かった!」




 ──ポン……!




 言うが否や、ぴょんっと外へ飛び出すと、そのまま白狐になって駆けて行ってしまった。

 余程、退屈していたのだろう。澄真(すみざね)は、くすりと笑う。


「良かった。元気になって……」

 澄真(すみざね)は呟く。

「……」


 顔をしかめる蒼人(あおと)に気がついて、澄真(すみざね)は困った顔で笑った。

「嫌かもしれないが、たまには、お礼のひとつでもさせろよ……」

 ポンポンと肩を叩いた。


「じゃ、先に出るからな」

 そう言って澄真(すみざね)は出ていってしまった。


 誰もいなくなった蒼人(あおと)は、顔を曇らせる。

(……そうじゃない)

 そうじゃないんだ……と小さく呟いて、蒼人(あおと)は大きく溜め息をついた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] そうか。今更ながらですが、狐丸は狐形態で話している? 今、NHKでやっている「不滅のあなたへ」のフシ思い出しました。 [気になる点] 緑檀。創作かと思ったら、本当にあった!
[良い点] 23/23 ・すげえ。狐丸が入っただけでスムーズになる。 [気になる点] ニヤニヤしてきた [一言] ペロペロかあ。ペロペロ。うむ私もやってみましょう
2021/06/01 08:32 退会済み
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