雷神
時は少し遡る。
蒼人の屋敷の前で、白狐が未だ頑張っていた。
そんな白狐を見上げながら、澄真の心は痛む。
(何故、こんな事になってしまったのか……)
小さく溜め息をつく。
そもそも前の日に、慣れない酒など飲んだのが間違えだった。
もう二度と飲むものか! と澄真は決心しながら、屋敷の門を開けた。
──ピシッ……。ガラ、ガラガラガラ……。
(……崩れたか)
澄真は、軽く息を吐く。
本来なら、門を開けただけで崩れるはずがない。
こんなにも簡単に崩れたのは、ひとえに狐丸が体当たりしていたからだ。
(狐丸……)
澄真は、白狐を見上げた。
「……っ」
狐丸の痛々しい姿を見て、澄真は息を飲む。
血だらけの狐丸の金色の目は、もう、何も映していない。
虚ろな瞳を澄真に向けながら、機械的に唸り声を上げているに過ぎなかった。
(……)
澄真は、思わず苦痛に顔を歪める。
無理に結界へ突っ込んだ見返りに、体を切り刻まれ、皮膚という皮膚に無数の裂傷痕があった。
塞がれた傷口もあったが、ボタボタと赤黒い血液が溢れている箇所もまだまだ多い。
真っ白な新雪のようだった毛並みは、赤黒い血液に染まり、もうその面影はない。
澄真は唇を噛む。
早く手当しなければ、いくら妖怪と言えども、出血多量でいつ倒れてもおかしくない。
「……」
澄真は、狐丸から目線を離さないように気をつけながら、門を閉めた。
──パタン。
軽い音が響く。
「……」
そのまま位置をずらし、通りを背に澄真は立った。
万が一、狐丸の攻撃が外れても、被害を最小限に抑えるためだ。
「狐丸……」
澄真は狐丸に呼びかける。
小さく耳がヒクついただけで、唸るのを止めない。
(これは困った……)
大きく息を吐くと、狐丸に改めて向き直る。
性根を据えて掛からないと、こっちが殺られる。
澄真は気合いを入れ直す。
──グルルルルル……。
低く唸りながら、木の上に伏せていた狐丸が、立ち上がる。
「!」
立ち上がると共に、傷口から血液がほとばしる。
──ボタボタボタボタ……。
「狐丸……っ!」
澄真の顔が歪む。
思わず手を伸ばす。
けれど相手は木の上。届くわけがない。
「……っ」
名を呼んだ時、再び屋敷の門が開いた。
蒼人である。
思わず、澄真の目線がそちらへ動く。
途端──!
──ぐがあぁぁあぁぁ!!
「!」
物凄い唸り声を上げて、狐丸が澄真に襲いかかった……!
ハッとして、澄真は蒼人を見る。
蒼人は明らかに、攻撃の準備をしている。
鋭い視線を白狐に向け、右手は懐に差し込んでいる。護符を出す気だ!
「やめろ! 蒼人っ」
叫ぶが間に合わない。
蒼人は懐から護符を出す。
──バッ!
一振りすると、護符が弓に転じる。
「!」
(弓鬼!?)
澄真は目を見張る!
(まずい……っ)
澄真は狐丸に向き直ると、咄嗟に叫んだ。
「《捕縛符》!!」
──ビュオッ!
風が吹き、狐丸の腕に巻きついていた捕縛紐が、澄真に向かって飛んでくる。
──パシッ。
紐を掴むと澄真は、ありったけの力で、狐丸を引っ張った!
襲いかかる勢いに加え、捕縛符が縮む力が加わり、狐丸の速さが加速する。
けれど、蒼人も負けていない。
ギリッと弓を引き絞り、低く唸る。
「急急如律令……!」
──ギリギリギリ……ッ!
蒼人が、弓弦を引き絞る!
風が弓に集まり、矢となった。
「雷……神……っ!」
言うが、手を離す……!
──キン……ッ!
弓弦が高く鳴る。
──シュンッ……!
矢となった雷神が、狐丸に襲いかかる!
「……なっ」
澄真が、悲鳴を上げる。
(《雷神》だと……っ!?)
引き寄せる捕縛符に意識を集中させながら、狐丸に願う。
(狐丸……! 人形を、取れ……っ)
声に出せば、確実に届くかも知れない。
しかしそれでは雷神の速さに、間に合わない!
式鬼の契約をしていれば、届く事もある。
けれど、澄真は狐丸と最後まで契約を結んでいない!
(お願いだ……!)
切実に願う。
──バリバリバリッ!
火花を散らし、雷神が迫る!
澄真は唇を噛む。切れて血が滲む。
(くそ……っ! 無理か……)
「……っ」
狐丸は相変わらず、大きな体をしならせ、澄真に向かっていった。