式鬼神
「あの池は、湧き水を利用しているのだろう?」
不意に澄真が呟いた。
「……! え、えぇ……」
微笑む澄真に見とれていた蒼人は、慌てて池に目をやる。
「祖父が自慢していました。湧き水を汲み上げ、あの岩から滝のように出しているのだと……」
そこまで言うと、澄真は声をあげて、笑い始める。
「あはは……! だから、それはおかしいだろ……?」
目の端に涙が浮かんでいる。
蒼人は目を細めた。
笑われているのに、少しも嫌な感じがしない。
むしろ抱きしめたいほどに、愛おしく思っている自分に、嫌気がさしてくる。
(……今触れたら、この人は……どう思うのだろう……?)
もちろんそんな事は、できもしないのだが、澄真の気持ちが知りたくてどうしようもない時がある。
(こんなにも近いのに、触ることすら叶わない……)
目を伏せ、ぎゅっと拳を握った。
「お……おかしい、ですか……?」
必死に自分を抑える。
「ふふ。そりゃな。おかしいさ」
言って、蒼人の袖を小さく掴んだ。
(ひ……っ)
掴むその姿が、あまりにも可愛くて、蒼人は心の中で悲鳴をあげる。理性が飛びそうだった。
蒼人も澄真も、もう子どもではない。
女性に間違えることなど、ありえないのだが、蒼人の中の澄真は、あの時から少しも変わらず、可愛らしい小狐のままだ。
(なんで男なんだ……)
今までにも、何度そう思ったことだろう。
(女性なら、何も悩まずに抱きしめる事が出来るのに……。言葉を尽くして、必ず手に入れるのに……!)
掴まれた袖を見た。
体の大きな蒼人には考えられないほど、白くなめらかな指をしている。
「こっち……」
言って澄真は蒼人に微笑みかけ、ちょんと袖を引く。
その繊細な動きは、どう考えてみても、女性のそれである。
蒼人の思考が一瞬、停止する。
(可愛いぃ……!)
自分を必死になって抑え、我慢しようとすればするほど、澄真への想いは募った。
蒼人は澄真に引かれるまま、フラフラとついて行く。
ほとんど周りは、見えていない。
(この勢いで、『死ね』と言われたら、本当に死ねるかも知れない……)
などと危ないことを考えながら、蒼人はついて行く。
こちらを向いていないことをいい事に、ここぞとばかり澄真を眺め回した。
澄真は階を降り、裸足で庭へと出る。
袴の裾から、チラリと見えた脚が驚くほど白い。
ゴクリと唾を飲み込み、蒼人は見入る。
澄真は生まれつき色素が薄い。
それは髪や目だけではない。その肌も透けるように白い。
外を駆け回る仕事であるにもかかわらず、澄真は下手な女性よりも色白であった。
(……やはり、誰にも渡したくない……!)
どうにか、手に入れる方法を見つけよう……。蒼人は人知れず決心をする。
「湧き水は、湧き水だ。池の底から湧くものだ。……ほら、あそこ」
言って澄真は、指をさす。
「!」
顔を覗かれ、蒼人は焦り、目を逸らした。
この想いはひとまず、悟られたくない。
悟られれば、警戒されるに違いない。
警戒されたら終わりだ。まず、近づけなくなるだろう。
それを考えると、血の気が引く思いがする。
それだけは、何としても避けたかった。
「……あの、砂がポコポコしている所ですよね?」
心を落ち着かせ、言葉を紡ぐ。
(話に、集中しなくては……)
澄真と会話することは、あまりない。それは、上司部下の間柄になった今でも、変わらない。
それゆえ、こうして会話出来る機会も、貴重なのである。
「そうだ。あそこから水が湧いている」
澄真は、満足気に頷く。
「だけど、それだけだ。あれが岩を通って、滝のように溢れるわけがないだろう……?」
「……あ」
言われて蒼人は、ハッとする。
(そう言われてみれば、そうだ……)
湧き出す水に、それ程の勢いはない。
大雨で水が溢れたのならいざ知らず、これはただの湧き水だ。
屋敷ほどに大きい岩山を登り、滝のように溢れるなど、本来はありえない。
「え……? え!? それなら何故、滝になっているのですか……!?」
「ぶっ、ぶふふふふふ……」
澄真は、笑い転げる。
そもそも蒼人は、生まれた時から、この滝の存在を見てきた。
祖父からも、《湧き水を利用している》と言われて、へぇーそうなのか……くらいにしか、考えていなかった。
湧き水が、岩を登って滝のように溢れる……それは当たり前の事で、疑問に思うところではなかった。
不自然だ……とは、一度も思わなかったのである。
けれど、いったん不自然なところにが気がつくと、不思議と気になった。
(どうして滝になっている……!?)
目を見張り、まじまじと池を見た。
「ふふ……。不思議だろ? この池の素晴らしさが、やっと分かったか……?」
言いながら蒼人の右手を掴む。
「!」
掴むと、衣についている、袖を括る紐を引き絞った。
「あの、澄真さま……?」
焦ったように、蒼人が呟く。
澄真はそれには答えず、クルクルと紐を蒼人の腕に巻き付け結ぶ。そして自分は袖をたくしあげ、準備をすると、蒼人の腕を取った。
「す、澄真さま……っ!?」
触れられ焦る。
澄真の手は相変わらず、氷のように冷たかった。
「ほら、少ししゃがめ。仕組みを教えてやるから」
「え……? えぇ……」
言われた通りに、池の縁に膝をつく。
蒼人の心臓が、口から飛び出しそうなほどに跳ね上がった。
そんな事とは露とも思わない澄真は、蒼人が座ったのを見てとると、ゆっくり手を池につける。
ヒヤリとした水の感覚が、指先に触れる。
「!」
澄真の手と同じぐらい、冷たい池の水を感じ、蒼人は身を強ばらせた。
──コポコポコポコポ……。
「!?」
突如、池の水面が泡立った。
蒼人は目を見張る。
──ゴゴゴゴゴゴ……!
軽い地響きを立てながら、水面が盛り上がる!
澄真を守るために、慌てて自分の傍へと引き寄せた。
──ドゴオォォオォォ……!!
「!?」
池は物凄い水柱をあげて、湧き上がった!
「な!?」
蒼人は驚いて、咄嗟に澄真を胸の中に庇った。澄真に水が掛からないように、袖で覆う。
「あ、蒼人!! く、苦しい……っ!」
「あ。……」
無意識に抱いてしまった事に気づき、一瞬慌てて離そうとしたが、考えを変える。
(……も、もう少しだけ)
思いながら、ぎゅっと胸に掻き抱く。
こんなチャンスは、もう二度とないに違いない。
そっとその髪に、顔をうずめてみる。
(澄真さま……っ)
澄真は、思っていた以上に線が細かった。
これでも武芸の家元である。
鍛えているはずなのではあるが、あまりの細さに蒼人の保護欲が掻き立てられた。
どのような香を使っているのか、甘くスッキリとした香りが蒼人の鼻腔をくすぐる。
(小狐……小狐……!)
どうにも離れ難くなって、再びきつく抱きしめようとしたところで、澄真の拳が腹に飛んできた!
──どが……っ!
「ごふ……っ」
見事にみぞおちに入り蒼人は、つんのめる。
「かは……っ!」
(……手加減、なし……とか……っ)
目の端に涙をため、澄真を睨んだ。
やっぱり女じゃない。
そんな蒼人を横目で一瞥し、澄真は口を開く。
「苦しいと、言ってるだろ……。あれは悪いモノではない。この家を護るモノだ!」
(護る……モノ……?)
水柱を見上げる。
「あ……」
水柱は徐々にその形を変え、人形を取った。
以前蒼人が見た、あの女神だった。
祖父が使役していた式鬼神……。
蒼人は殴られた腹をさすりながら、その女神に見入った。
「この屋敷もお前も、あの式鬼神に護られている。……気づいたのは、私がここへ来た時だったがな」
「……」
あの袴着の時、水柱をあげてみんなに知らせてくれたのは、この水の式鬼神だった。
千鬼が流した血液……体液を止めようと、水の精霊を呼んだのが、それが幸を奏した。
(この屋敷から、慌てて助けに来てくれたに違いない……)
澄真は、そう思っている。
どういう経緯かは分からないが、式鬼神は祖父だけでなく、その孫である蒼人まで護っているようだ。
かなり情が深いように思えた。
『……』
水の式鬼神は、ゆっくり二人を見下ろす。
『!』
不意に蒼人に気づいたようだ。
パッと華が咲き誇るように笑い、両手を広げた。
──千鬼、さま……!
ざぶーん……。
式鬼神は一声、蒼人の幼名である《千鬼》を口にし、飛びかかってくる。
「……! なっ……」
逃げる間もなく、蒼人は抱きしめられる。
「う……あっ、」
ゴポゴポ……と水の音が聞こえた。
水式神の中……水中に、閉じ込められる。
(!? 水の……中……!?)
慌てて息を止めた。
(……殺されるっ!?)
そう身構えた瞬間、水式神は消えた。
消える瞬間、蒼人の頬を優しく、その手で包み込んだ。
幼い頃に助けてくれた、あの大きな手だった。
(あ……)
蒼人は目を開ける。
「……」
もう、水式神はいない。
……抱きしめた途端、消えてしまった。
(やはり、あの時の……?)
呆然と、辺りを見回した。
不意に寒さが体を襲い、ゾクッとする。
「うわ……っ、」
自分の姿を見て、蒼人は唸る。
驚くほど、ずぶ濡れであった。
髪の毛から、ポタポタと雫が垂れた。
着物も、ずっしりと重い。
(最悪だ……)
澄真は……!? と焦って探す。
一緒に濡れてしまえば、体の弱い澄真は、熱を出し出しまうに違いなかった。
けれど、……澄真は、見事に逃げおおせていた。
「……」
いつの間にか縁まで逃げた澄真は、笑いを堪えながら、蒼人を見ている。
「……っ、澄真さま……!」
蒼人は濡れた髪を掻きあげながら、悲痛な声をあげはしたが、澄真が濡れなかったことに、内心ホッとしたのだった。




