澄真との距離
傷の確認をして、すっかり安心した澄真は、庭の池を見る。
「……やっぱり、あの池は素晴らしかったな」
「?」
澄真の言葉が、蒼人は理解できない。
「どういう意味でしょう? うちの池の話など、何も出なかったではないですか」
訝しむように、蒼人が唸る。
話に出てきたのは、本家の池であって、ここのではない。
形も全く違うこの池に、どう繋がっていたのか、見当もつかない。
そんな蒼人の様子が嬉しいようで、澄真は愉しげに笑う。
「ふふ。お前のお爺さまも不肖の孫を持ったと、草葉の陰で泣いているところだろうよ」
あまりの言い草に、蒼人はムッとなる。
「分かるように、説明をしてください!」
思わず声が荒くなる。
けれどそれを意に介することなく、澄真は池の方へ目を移した。
──ぱしゃん……!
池では緋色の鯉が、優雅に跳ねた。
澄真の伏せ気味の瞼が、少し憂いを秘めて震える。
「……。澄真さま?」
その様子に、蒼人は少し心配になる。
澄真は口を開く。
「お前の祖父は、見鬼の才に恵まれていたのだな……」
ポツリと呟いた。
見鬼の力を持った者に対しての哀れみを、澄真は、自分のことと重ねて想っていたのだろう。
少し悲しげなその声で、蒼人は全てを悟る。
「……」
確かに、蒼人の祖父は、その力に秀でていた。
けれど、その力が現れたのは大人になってからだ。何も分からない、子どもの頃に手に入れていたものではない。
上手い具合に立ち回っていた……と、蒼人は聞いている。
蒼人は、ゆっくり口を開く。
「……えぇ。もともとはそのような力は無かったのだと、以前父が話しておりました。急に目覚めたのだと……」
「……急に……目覚めた……?」
澄真は目を丸くする。
蒼人は頷いた。
「はい。澄真さまもご存知の通り、うちが本家と分かれ分家となったのは祖父の代からです。祖父はもともと鬼を視ることは出来なかったのですが、ある日突然見えるようになって……。そこからは代々鬼を視る者が現れています。……まぁ、代々と言いましても、まだ父と私の二代ですから、今後はどうなるかは分からないのですが……」
はにかむように、蒼人は答える。
力に目覚めたのは、祖父は大人になってから。
父親と蒼人は、生まれつきではあったが、力を持つ祖父に助けられ、澄真が思うような苦労は味わっていない。
それが少し、蒼人は申し訳なく思っていた。
「そうか。それは……ちょっと、意外だったな……」
澄真は呟き、薄く笑った。少し、ホッとしたような笑顔だった。
「そう……ですか? しかし、突然現れた才能でしたが、かなり力は強かったようです」
「……」
「陰陽師としての職にはついていませんでしたので、名が広まることはありませんでしたが、私的にそれらしい事は、していたようでした」
言いながら池の方を見る。
実際蒼人も、祖父の力を見たことがある。
祖父は正規の陰陽師ではなかったので、護符が使えなかった。けれど、護符がなくても式鬼神を使うことが出来たのだ。となると祖父は式鬼を従えていたことになる。
しかし、正規の陰陽師ではない祖父に、そのような事が出来るはずはないのである。
「……」
祖父のいない現在、真実を聞くことは出来ない。
式鬼神を出すような、大きなことには手を出さなかった祖父だったが、一度だけ蒼人は見たことがあった。
(あれは、いつだったか……)
いつの事だったか記憶は曖昧だが、透き通った美しい女神を蒼人は見た。
(そうだ……あの時も、どこからか落ちようとして……)
それがどこだったか思い出せないが、その式鬼神は落ちる蒼人を助けてくれた。
女神ではあったが、その手は大きくて、ひどく優しかったのを覚えている。けれどそれ以来、高いところが苦手だ。
蒼人自身は祖父と違い、生まれつき鬼を視ることが出来た。そのため、何かと不便を被った。
そんな折り、祖父が甲斐甲斐しく助けてくれたのだ。
父に至っても、それは例外ではない。
祖父の存在があったからこそ、蒼人も蒼人の父親も、人並外れた力を持ってはいたが、比較的一般的な生活を送ることが出来たのである。
けれど、……と、蒼人は思う。
普通の生活を送れたのは、運が良かったからとしか言えない。
祖父がいたから。祖父が……その式鬼神が護ってくれていたからこそである。
《鬼を視る者》など、たいてい何かしらの迫害を受けている。
特に力の強い澄真や、陰陽師頭の吉昌などは、いい例だ。
それは妖怪が……ではなく、人から受ける迫害だ。
相手が妖怪なら、手の打ちようもある。
しかし人となれば話は別で、静かに隠れ住むより他はなかった。現に澄真は長いこと屋敷に閉じ込められていた……。
「……」
そこを思うと、蒼人は胸が痛くなる。
澄真の近くには、助けてくれるものがいなかった。
相当苦労したはずだった。
けれどそれを口にした姿を、蒼人は見たことがない。
いつか堰を切ったように言うのではないか……。蒼人は毎回、身構える。
──お前は、恵まれている。私とは違うのだ。
……と。
そう、澄真に、言われたくなかった。
確かに恵まれていた。
蒼人には祖父や父、それに絢子がいた。
誰かが助けてくれたし、構ってくれた。
それは理解しているし、有難いとも思う。
けれど、それが澄真と自分の間の距離を大きくさせ、間を裂く原因になるのではないかと、ひどく心配になる。
「そうか……」
身構えた蒼人だったが、澄真は一言、そう言っただけだった。
「……ふっ、」
蒼人はホッと、安堵の溜め息をつく。
「ん? どうした?」
「いえ、なんでもありません。……で、何故そのような事をお聞きになるのですか?」
蒼人は目を細める。
自分と澄真の間を裂くものは、誰であっても許さない。
そこはどうあっても、曲げるわけにはいかない。
(例えそれが澄真さま、自身であったとしても……)
蒼人は思う。
過去の距離など、ねじ伏せてしまえばいいだけのこと──。
(これから距離を、縮めていけばいいのだから……)
毎回不安になり、毎回そうやって己を奮い立たたせている。
今までよりも、今日。今日よりも明日……。
(澄真さまの、近くへ……)
蒼人の決心は硬い。
そんな蒼人の決心に、全く気づかない澄真は、嬉しそうに顔をほころばせた。
よこしまな自分の心とは裏腹の、無邪気な優しい笑顔。
「!」
思わずドキッとする。
あやふやな昔の澄真との思い出よりも、おそらく今が一番蒼人にとって、幸せな刻なのに違いない。
最近澄真は、良く笑うようになった。
目が合って、自分だけに微笑んでくれたことなど、幼い頃は一度もなかった。
蒼人は、触れてしまいたくなるような、その笑顔をじっくり噛み締める。
(自分だけのものであれば、良かったのに……)
そんな想いで溢れ出す。
けれどまだ、諦めているわけではない。
(いつかきっと、この手の中に……)
そんなふうに思っている自分が、少し怖かった。




