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62 二十年前②

 風変わりな貴族の兄妹様はあの日以来、たびたび屋敷を訪れてくれるようになっていた。

 二人で来ることもあれば妹様だけでいらっしゃることもある。

 今日は久しぶりに兄妹様揃ってお越しになると事前に知らせを受けて、すっかり慣れきった屋敷の使用人達がせっせとお出迎えの準備を進めていた。


 もちろんそれは屋敷の一人娘、メイベルも同じことだ。


「……お嬢様。いつまで鏡をご覧になっているんです? それくらいになさってくださいな。もういつお越しになってもおかしくありませんよ」


「わ、分かってるわよ……」


 そうは言ってもどうにも前髪が気に入らないメイベルはまだ指先で前髪の毛束を摘んであれこれと弄っている。


 前髪ひとつが気に入らなければ後ろ髪の毛先も気になるし、肌も少し乾燥している気がして保湿が足りなかったかなと今更ながらに後悔している。


 呆れた小間使いのアンの視線を無視して鏡に向かい続けていると、扉が叩かれた。


「お嬢様、イザベラ様がお越しになりました」


「……なんですって?」


 予定外の客の名前に思わず聞き返す。


 慌てて立ち上がり、廊下を小走りに駆け抜けた。


 玄関には美しい女性が一人立っていた。仕立ての良い外出着に小さな帽子を品よく乗せている。いくらか年が上の女性に向かって、メイベルは走る勢いのまま笑顔で声をかけた。


「お姉様! 来てくださるなんて嬉しい! お元気でいらっしゃいました?」


「お久しぶりね、メイベル。相変わらず元気の良いこと。……わたくし以外に人がいたらなんとします。いくら自宅とはいえ、走るのはおやめなさい」


 お小言を言いつつも優しくメイベルを迎えてくれたのは、この地を治めるフォード伯嫡男の妻、イザベル・フォード夫人だ。


 歳の近いメイベルを可愛がってくれて、実の姉ではないがお姉様と呼ばせてもらっている。以前はよく遊びに来てくれていた人だが、妊娠してからは屋敷に篭りきりになってしまい、来てくださったのは半年ぶりだ。


 今ではお腹はすっかり大きくなっている。大急ぎで客間へと通して、二人揃って腰を下ろした。


「お姉様もお腹のお子様もお元気そうで何よりです。予定日は確かふた月後でしたか?」


「ええ。最近では食欲もすっかり戻って人の倍も食べてしまいますからお義父様がきっとまた男児に違いないと大喜びなさっているわ。……でも旦那様は次は娘が欲しいと仰るの。名前も決めてあるのですって。旦那様は娘ならシャーロット。お義父様は男の子ならゴードンと名付けると張り切っていらっしゃるわ」


「女の子なら可愛らしいし、男の子なら勇ましくていいじゃありませんか。生まれたらきっと、抱かせてくださいね」


「もちろん。メイベルお姉様にも可愛がってもらわなくてはね」


 愛おしそうにお腹を撫でるお姉様は幸せに微笑んでいる。お姉様とフォード家の若様の婚姻は当然の如く政略結婚だが、メイベルは二人ほど幸せそうな夫婦を見たことがない。


 ──わたしも、お姉様みたいに素敵な殿方と結婚できたら……。


 ポンと頭に浮かんだ、焦げ茶の髪と穏やかな金の瞳が優しげにこちらへと微笑んでくるのをメイベルは大慌てで手で払った。






 久しぶりの再会に止まらないお喋りを楽しんでいると扉が叩かれ、いつもとは違うよそ行きの顔をしたアンが部屋へと入って来た。


「お嬢様、お客様方がお見えでございます」


「……たいへん! 忘れていたわ!」


 大慌てで立ち上がるとイザベラが首を傾けた。


「お客様? どなたかしら。わたくしの知っている方?」


「お姉様もお知り合いなのではないかしら。エドワーズ公爵家のデビット様とイレーナ様です。少し前の大雨の日に屋敷にお泊まりになったご縁で知り合ったんです」


 お姉様は大きな目を更に大きく見開いて、これ以上ないほど意外そうな声で「なんですって?」と聞き返して来た。


「あのエドワーズさまが、このような田舎に?」


「……このような田舎を統治されているのはお姉様の義父さまと旦那さまですけど……?」


 思わず言い返すもイザベラは慌てて立ち上がった。壁に備え付けられた鏡を覗き込み、ドレスや髪、お化粧を丹念に見直している。


「お二人がいらしたのならわたくしもご挨拶しなくては。ご一緒します」


 やっぱり、と。居住まいを正す姉の姿を見てメイベルは思った。


 ──あのお二方とわたしでは、住む世界が違いすぎるのよ。


 先程のくつろいだ空気を一変させて瞬時に次期伯爵夫人となったイザベラと共に、メイベルも念入りに鏡を覗き込んでから、お二人をお通ししたという応接室へと向かった。





 決して広くはないリンドール家の屋敷でも応接室はいくつもある。


 先ほどイザベラをもてなしていたのはメイベルが友人とお茶を楽しむときに使っている、家庭的で温かみのある内装の居間だ。対して今二人が向かっているのは正式なお客様をおもてなしするために作られた、屋敷でも最も豪華な応接室である。


 中にいるお客様はすっかり慣れ親しんだ方々ではあるが、重厚な扉を開いてメイベルは丁寧に一礼した。お姉様が見ている前で大声を張り上げて挨拶をしては後が怖い。


「遠いところをようこそお越しくださいました。お二方にお会いできて、これほど嬉しいことはありません」


 いつもならイレーナお嬢様が「そんなにかしこまらないで」とすぐに駆け寄って来てくださるから、メイベルは頭を下げたまま、その言葉を待っていた。──しかしそれは一向に来ない。

 不思議に思ってこっそり顔を上げるも、頭の中の疑問符は更に増える結果になった。


 室内にいる見知った貴族のお二人は、同じ表情で口元を引き攣らせていたのだ。


 目線を、メイベルの後ろへと向けて。


「どうか──」


「こっ、ここ、こっ」


 どうかなさいましたか、と問いかけるメイベルの声は、背後からの鶏のような素っ頓狂な声に掻き消され──そして。


「国王陛下! 妃殿下も! こんなところで何をなさっておられるのですか!?」


 こっ。


 思わず背後を振り返り、目の前の風景が信じられないとばかりに目を溢れそうなほど見開いた姉の姿を見て、また前方へと顔を戻す。


 すっかり仲良くなった御兄妹は似た動作で額に手のひらを添え、首を横に振っていた。


 またしても、顔を背後の姉へと移動させる。


 メイベルを可愛がってくれている若きフォード夫人は綺麗で賢く優しい人だが、同時に礼儀に厳しく、幼い貴族の少女達の家庭教師を務めていたこともある。


 つまり、決してこんなにも心臓に悪い冗談を言う人ではない。決してだ。


 つまり。


 メイベルは恐ろしくゆっくりと、目を室内にいる背の高い一人へと向けた。


 決まり悪そうに目を泳がせている人を視界に入れて、メイベルの頭の中を占めたのは──温かく、湯気が立ち、胡椒のスパイシーな香りが食欲を唆る──。


「…………お野菜の……端切れスープ…………」


 視界が暗くなっていく中呟いたのは、無意識だった。


 そしてメイベルは意識を手放した。

ありがとうございました。

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