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どうやら力強く水を蹴り過ぎてしまったらしい。勢いがつきすぎて尾びれの先までが池の淵に上がり、陽光を反射して眩しい程に輝いている。
いつもは肩の辺りまでを水面から出してお喋りを楽しんでいたから、タイシに尾びれを見せたのはこれが初めてだった。
だからだろうか。タイシは身動ぎもせずその瞳をまっすぐに尾びれへと向けていた。
「タイシ……?」
声をかけても反応がない。友達を仰ぎ見ても、彼らも同じだった。おそらくはタイシの視線の先を辿ったのだろう彼らも尾びれに目を向けて、動きを止めていたのだ。
三人もの人間の視線を受け止めて、おまけにそれが男性の視線でもあってフェリシアは些か居心地の悪さを感じていた。
フェリシアは自分の尾びれがあまり好きではなかった。友達はみんな海のように清廉な青や緑、銀の尾びれを持っているというのに、フェリシアの赤はとにかく海では目立つ。
意地悪なサメに追いかけられることもしばしばで、うんざりするくらいだった。
派手派手しさに嫌気が差しているくらいの尾びれを、よりにもよってタイシとその友達に見られるのはなんだか……あまり嬉しくはないし、気恥ずかしい。
無言で尾びれを自らの背中に隠し、タイシを照れまじりに睨む。水の中に逃げかえりたかったが、残念なことに左手が捕らえられたままだ。この睨み付ける攻撃が、フェリシア最大級の抵抗だが、その効果は覿面だった。
三人分の瞳は尾びれが背中に隠されるまで張り付いてきたが、全て隠れてしまった瞬間、はたとその六つの瞳はフェリシアの鋭くなった視線を映し、三者三様の反応を返してきた。
怖い顔の人は首が折れるのではと心配になるほど思い切り顔を逸らし、優しそうな人は照れ隠しのように口元に手を当てて目を逸らした。
タイシはと言えば、顔をフェリシアの尾びれに負けないほど真っ赤に染め上げて、大慌てで大声を張り上げたのだ。
きっとこれは言い訳だなとフェリシアは賢く悟った。
人間の言葉で必死に言い訳を繰り返すタイシが何を言っているのかは当然分からない。
フェリシアが頰を膨らませつつ無言を返すとタイシは困ったように言葉を詰まらせて、背後の二人へと顔を向け何かを話している。
きっと援護を求めたのだ。しかし断られているらしい。
言葉がわからなくともフェリシアには、そんな三人のやりとりがなんとなくわかってしまった。
「ふふっ」
もうダメだった。
いつも優しく笑うばかりのタイシの慌てた表情が可笑しくて途中からは怒ったフリをしていたが、限界だ。
クスクスと笑い続けてるフェリシアにタイシも一瞬動きを止めて、吹き出した。
笑みを保ったまま、タイシが言葉を紡ぐ。フェリシアにも分かるよう、魔族の言葉で。
「『また明日も、君と話がしたい』」
フェリシアも微笑んで頷き、言葉を返す。
「わたしも、あなたと話がしたいわ。もっと、たくさん」
これまではお互いの話す言葉がわからずに、会話を楽しんでいるというよりも話している様子を眺めて楽しんでいると言った方が正しいような交流しかできなかった二人が、初めて一緒に笑った。
この日以降、ほんの少しだがタイシが言葉を覚えてくれて、会話することがこれまで以上に楽しくなっていったのだが、ひとつだけ問題が残っていた。
「タイシ……あの人、まだ怒ってる……?」
池の淵に腰を下ろしたタイシの影に隠れつつ、そのタイシの真横で立ったままこちらを見下ろす男性にちらりと目を向ける。
途端、ギロリと睨みつけられて身を縮こませた。
見かねたタイシが男性に何やら抗議してくれるが、男性は決して首を縦に振らない。
「『ごめんね。この男の顔が怖い、生まれた時からだから』」
「────」
タイシが魔族の言葉で話してくれても、怖い顔の男性が何かを言えば、タイシもまた肩を竦めた。優しい顔の男性は後ろでやれやれと首を振っている。
怖い男性の睨む目はタイシからフェリシアへと移り、何かを言われる。怒鳴り声ではないが、怒っていることは声音だけでもよくわかった。
この人が怖い顔なのはタイシと話をするようになってからいつものことだが、それでもここまであからさまに怒りを向けられるのは当然、タイシを危険な目に合わせたあの日からだ。
フェリシアにもこの男性の怒りの理由はよく分かっている。
──大事な友達を危ない目に合わせたわたしが、許せないからだ。
おずおずとタイシの影から出て、怒る男性の前へと移動して、頭を下げた。
「あの……あなたはタイシが大好きなのね。よく分かるわ。タイシはとっても優しいし、いい人間で、わたしもタイシが大好きだもの。だから、あなたが怒るのも、分かるの。わたしだって友達を酷い目に合わせた人は絶対に許さないから。だから、その……」
言ってる間にも男性の鋭い眼光はフェリシアに突き刺さり、耐えきれずにじわじわと頼れる背中へと逃げ戻る。最後の「ごめんなさい……」を伝えた頃には完全にタイシの影に体をすっぽり隠していた。
呆れた二つの声と焦ったような声を背中越しに聞いて、怖い顔の男性は何かを言って池から数歩離れたところまで下がっていってしまった。
どうやらお許しは貰えなかったらしい。
しょんぼり落ち込んで、タイシの背中から出てきて見上げたら──タイシと優しい顔の男性が揃って肩を震わせていた。
「────」
笑い混じりに何かを言われるが、残念なことに魔族語ではないから分からない。
それでもタイシは心底可笑しいとばかりに体を揺らしていて、少しホッとした。
そんなフェリシアにタイシはまた笑顔で話しかける。そうすれば落ち込む気持ちも吹き飛んで、フェリシアは今日もいつものお喋りを楽しんだのだった。
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