始まりの日
――――それが九年前の話だ。
その後、俺は村を襲撃した奴らに引き取られた。
どうやら俺の体にはなにか奴らにとって特別なものが埋まっていて、それを埋め込んだのが村のみんならしい。
その特別なものはもともとは奴らのもので、村のみんなに奪われたものを奴らは必死に探して探してこの村を突き止めたという。
――――ひどい話だ。
当時、俺は奴らを恨んで、それ以上にみんなが殺された恐怖にひどく怯えていた。
奴らは何やらまだ小さかった俺に俺にわけのわからないいろいろな実験をして、最終的に俺の中のものを取り出すことは無理だ! …っと匙を投げた。
奴らは俺の処分をどうするか悩んだ。
俺を殺したら体の中にあるそいつはなくなってしまう可能性もあったし、 そいつは奴らにとって大事なものだったそうだ。
だが、それを体に埋め込まれた俺にはある力が宿っていた。
人間とそれ以外の人間によく似たやつら。いわゆる魔法使いと呼んでいる奴らだ。
魔法使いは人とは違う。 …いや本来は人が彼らに似せて作られたというべきなのだが。
だから彼らは人には出せないオーラが後ろに出ている。
――――濃い濃いあの水たまりのような赤色。
俺にはそれが見えた。
だからか。
結果として戸籍と爵位ある貴族の家に養子として預けられることになった。
異論はなかった。みんなを殺した奴らが憎かった気持ちはあった。けど、もともと俺の中に埋められたものは奴らのものであり、大義も正当性もあったのだろう。
俺が預けられたのはクラウゼという子爵の屋敷だった。
クラウゼ家はよくしてくれた。故郷をすべて失って預けられた当時の8歳だった俺は、部屋の外は危険がいっぱいだと思っていて閉じこもって外にあまり出たがらない奴だった。
そんな俺に彼らは失った心以上の愛情をくれた。血の繋がりなどなくても人の愛情とはこうも心にしみるのかとそう思った。
クラウゼ家には義兄が一人と義妹が一人いる。
俺が……明るい? 性格になったのは兄のおかげだろう。義兄はとても活発な人で、よくふさぎ込んでいた俺を庭先や少し遠出して下町にも連れて行ってくれた。
義妹は逆で、義兄が手を引っ張ってくれる俺の後にトテトテとついてくる子だった。
三人で屋敷のあちこちを「探検だー!」といってはしゃぎまわった。そうすると子供だった自分は単純なもので、すぐにクラウゼ家になじんでいった。
義父は厳格な人で、よく義兄と一緒に習い事を抜け出しては後でこっぴどく叱られた。けど、俺の仕事は別にして、やりたいことなどがあったら、口に出していないのにいろいろ用意してくれる気前のいい仕事ができそうな人だった。
義母は血の繋がり関係なくみんなを愛してくれた。俺はよく義妹と一緒に本を読み聞かせてもらっていた。読み聞かせるときの話し方が穏やかで、とても心地よくなる声だった。
この屋敷での生活が好きだった。
屋敷中のみんなにお世話になったから一人前になって恩を返したかった。
………まぁついでに言うと、彼らにこんなに自分はできる男になったのだと早く見せつけたい気持ちもあったのだが…
「いってきます、義母さん。」
「あまり無理をしないでケガに気を付けて励むのですよ。」
そう挨拶を交わして家を出る。
……毎回のことだが義母は玄関まで必ず見送りに来てくれて俺にけがをしないでと心配をしてくれる。ありがたいことなのだが俺はまだ義母さんの前では他人行儀な挨拶しかできない。
義父や兄妹たちの前ではそんなこともないのだが…、やっぱり血がつながってないのに育ててもらっている。そんな負い目でいまいち踏み込めないのだろう。
「段々と朝も寒くなってきたな…。」
季節も秋から冬の移り目で朝は寒いと思うことが増えた。でも厚着しても昼頃にはあったかくなるので特にはしない。……でも、手足がかじかんできた。やはり寒い。
「……よし、走ろう。」
こんな時は軽くジョギングするに限る。早い話体を動かして温めればいいのだ。それと一緒に義母さんに対するもやもやも振り払ってしまおう。
――――走る。 俺は現在、奇跡士官候補生としてこの国の奇跡養成士官学校に通っている。
俺の預けられた貴族はいわゆる軍人貴族で、その家のものである俺や義兄には奇跡士官として軍属が強いられる。
しかも俺には奴らを見分けれる力がある。対魔法使いを想定して軍には過去にも何度か貢献している。士官候補生になるのは順当のことだった。
士官候補生としての俺の評価は座学は可、運動能力は良、といったところだ。
そして今日は午前から座学の時間であり、頭を動かすのが苦手な俺にとっては少しでも完璧な臨戦態勢をとっておきたい。
「調子に乗ってペースを上げすぎたな…」
正門に着いた。
結局、興が乗ってなかなかの速度で走ってしまったのでまだ歩いている人影がちらほらとしかいない。
「さて、そのまままっすぐに教室へ向かうべきか…。」
これは早く着いたものだけが考えれる特権だろう。とは言ってもそこまで時間があるわけでもない。
「やはりここは予定通り教室で戦闘前準備をするべきか…。」
戦は始まる前から決まっているともいう。……事前の準備が勝敗を分けるのだ!
ふと、裏手の花壇の方で見知った人影を見た。世話になっている人だ。ここは予定を変更して挨拶だけでもしておくのが筋だろう。
「こんなに朝早くにきて花を眺めるとは、花好きでしでいらしたんですか?ニコル1号生殿。」
彼は俺たちより先に教習課程を始めている先達で、奇跡の使い方から靴の磨き方までアドバイスしてくださった方だ。
「君は…、フィン2号生か。僕は後3週間で全課程を終えて卒業だからね。今日の奇跡の訓練を無事に終えることができるように、花にでも祈りたくなったのだよ。君こそ、午前の座学にしては、少し早すぎる到着ではないか。どうしたんだい。」
「俺の方は今朝が冷えたので、ちょっくら走って体を温めようと走ってきたら早く着きすぎちゃいまして……。」
「君は相変わらず元気が有り余ったやつだな。そんな調子だったら僕が卒業した後も問題はなさそうだな。」
「はい、1号生殿の教えのおかげで席次も見えるほどであります!」
「僕がいてなくても君なら狙えてたさ。君は他の人と目が違うからね…。僕の父やそのお友達たちと同じ目だ。この平時にはあまり見ない、人の死を知ってる目だ。そんな士官候補生がいたら懇意にしておくのも無理もないと思うんだがね。実際、教官からの君の評価も高いとうわさで聞いているよ!」
そう言って彼はウインクした。 ………まったく、こうもきれいにウインクができる男はそうそういないだろう。俺は多分ウインクができない表情筋なので、素直にうらやましい。
「過分な評価を頂いております!」
「さて、そろそろ訓練の準備に取り掛からなくてはならない。お先に失礼する。」
そう言って彼は去っていった。ニコル1号生。ウインクが似合うハンサムな顔立ちながら非常に情報通であり、士官学校ではよく彼の情報に助けられてきた。
「将来は情報部とかでバリバリやってそうだな……。」
こちらもそろそろいい頃合いだろう。そういって教室へ向かって歩き出した。
午前の座学が終わった。
相変わらずの難しい内容にまるで冬の寒空のように背筋が冷えてくる授業を終えた。
「ふぅ。―――」
ようやく一息がついた。
さて、今から昼飯の時間がやってきたが、この時間の食堂は混む。まあこの施設に食堂は一つしかないのだから当たり前なのだが。
「おい、早いとこ食堂行って場所取ろうぜ!座るとこなくなっちまうよ。」
そんなバカでかい陽気な声が聞こえてきた。いつも昼時になるとこいつはその腹の減り具合に反比例するように元気になる。
「声量が大きいぞオットー。ちょっとくらい遅れて行っても座るとこがないなんてそうそうないことだろう!」
そう、ここの食堂はなかなかに敷地面積が大きくとられており、結構な人数が収容可能な施設となっている。
しかし、その大きさと同じくらい提供される食事も大味になってしまっている。改善してほしいと学校関係者から何度も要求されているが食堂の料理人は開き直っている節がある。
「もう座学で頭いっぱい使って腹減りすぎちまってんのよ。はやくかっこまねぇーと午後の訓練で死んじまう。」
そう彼、オットー・マイヤーは俺と同じ、いやそれ以上に頭脳を使わず体を動かして何とかしようとする典型的な脳筋だ。
「お前が死んでくれたら俺がフィールドアスレチックの訓練で一位になる。いい結果じゃないか!よし、あと二十分くらいここにいるか!」
「マジでシャレにならんからやめろそれ…。いいから早くいくぞ。本気で腹減ってんだホンキで。」
まあ、俺も腹は減っている。からかうのは切り上げておとなしく食堂へ行こう。
昼飯は済んだ。俺もやつも同じチキンライスだった。一緒のメニューは嫌だったのだが、俺もやつもチキンライスが食べたかったのだ。
普段ならこの後たわいもない会話をしてのちの訓練の準備をしに行くのだが、この日の奴の会話の内容は変に危険な内容だった。
「なあフィンよぉう知ってるか。最近流行ってるここら周辺の物騒な事件。」
「あぁちょろっと風のうわさで聞いたことがあるぞ。なんでも変な殺人事件が続いてるって。」
「それだけじゃないぞ。じつは殺人事件よりも失踪事件の方が後を絶たないんだ。
ほら、俺のおやじ警備隊の体調をしてるってこの前言ったろう。だからそういう情報が俺にも流れてくるんだ。」
「ふぅん。で、どう思ってるんだ。」
「何が。」
「何がってお前、これが魔法使いの仕業じゃないのかって言いたかったんじゃないのか。」
まあ魔法使いの仕業だった場合、俺の目の出番になる。そうしたら訓練そっちのけで俺は軍に招集されることになる。そんな面倒は勘弁したいのだが。
「でもここ数十年、この国で魔法使いにによる被害なんてなかったんだぞ。それがいきなりこの町でなんてことがあるのか?しかもなんで殺人事件なんてするんだ?」
「さぁな、別に意味なんてないとかもあるかもしれんぞ。まあ奇跡を使える士官候補生の俺たちなら名も知らぬ殺人鬼はこわ~い魔法使い様より俺らでも対処できる人間様の方がありがたいがね。」
ライオンと猫ぐらいの差はあるだろう。
「違ぇねぇやそれは。」
そろそろ午後の訓練の支度をした方がいい時間になってきた。
訓練教官は時間に余裕をもって服装をきちんと正している状態で集合してないと何かと文句をつけて腕立て伏せをさせようとしてくるやつだ。
「もうそろそろ行くぞ。あのオニにどやされたくないからな。」
足早に着替えに行くとしよう。
訓練が終わった。
今日はいつにもまして機嫌が悪かった教官によって増えてしまった筋トレによって太ももがパンパンだ。家に帰る足が物理的に重い。
寄り道をする元気がないので足早に家に帰る。
俺の住んでいる家はこの町のなかでも郊外のなだらかな丘の上にぽつんと立っている屋敷でここ、士官学校からは歩きで30分以上かかる。
「寒ぅ!」
大通りにでる。遮る建物がなく途端に強い風を食らってしまう。
この冬空の風は途端に体力を奪っていく。日も傾きつつあるこの時間では陽による温かみもないのだ。
「…寒いのは苦手なんだ。」
誰に聞かれることのない独り言が出てしまう。……さむいとあのときを思い出してしまう。あの村で培ってきた思い出のことを。
いいにおいがする。
見れば店の中でプレッツェルが売っていた。前言撤回だ。家に帰れば夕食はあるがちょっと小腹を満たすくらいで食べられなくなるくらいの胃の容量はしていない。
店の中に入ると何人か客がまばらにいて会計に並んでいた。
俺は並べてあるプレッツェルの一つをぱっと手に取って会計に並びに行く。
ふと今まさに会計を済まそうとしている女に目がいった。
とたん、首筋に電流が走る。
――――濃い、けど透き通るようなルビーの様な赤。
あれはなんだ。魔法使いなのか。こんな町の中心までどうやって……。
頭は回る。すぐに軍部まで行ってこれを伝えるべきだ。そうできることが今は一番重要なことであり俺の価値であるといってもいい。そうだ。突然の事態に冷静に対応できている。
「あぁ…、ぅう…。」
この頼りないうめき声が口からこぼれる。
頭は回るのに体がその女がここにいることを許してくれない。
――――ころせ。ほろぼせ。いきをとめろ。
前頭葉が心に塗りつぶされていく。体の命令系統が一つに統制されていない感覚。この17年生きてきて初めて自分の正気を疑った。
女が店を出る。見失わないように追いかけなければならない。持っていたプレッツェルを放り投げる。慌てて後を追うように俺も店を出た。
近すぎず遠すぎず中間の距離をとって後をつける。
こんなことをしている場合ではない。何十年間も街に関わってこなかった魔法使いが目の前にいるのだ。上に報告するのが最優先である。加えて追いかける理由がないのだ。
後をつけて何になる。俺一人で魔法使いをどうにかできるとは思わない。
俺は見習いだ…。奇跡使いとしての履修課程はまだ終えておらず、ろくに戦闘もしたことがないひよっこ同然、返り討ちにあうだけだ。ならなぜ着いていくのか。
――――ころせ。ほろぼせ。ゆるすな。
許すな?何を許せないんだ?
それはあの女だろう。あいつが街にいることが許せないんだ。
何かわからない使命感が心に帯びる。理性を殺意が塗りつぶしていく。冬なのに焦りで手が汗でべとべとになる。息ができない。
残った理性で考える。大通りはマズイ。殺人事件のうわさがあってもこういう場所は人が歩いてるもんだ。
女が小道にそれた。スゴク、幸運なことだとオモッタ。
からだがずっと警鐘を鳴らしている。奴はキケンなんだ。キケンならば、ころさなければ…。
周囲に人はいない。襲うなら今が絶好のチャンスだろう。
でもどうやって倒す。武器はどうする。
見れば右手が釘に代わっていた。この釘でどうすればいいのか。
――――カンタンだ。これを奴の心臓に突き立てろ。
そうだ。いくら奴が化け物だろうとこれを突き立てれば死ぬはずだ。本能が告げている。
奴に向かって一直線に走る。もう止まることを考えない。
「あんたが今さっきから尾けていたやつね!」
ばれていた。だがもう関係ない。
距離にして4メートル。ここまで接近したらあとは一瞬で決める。
「set――。」
単詠唱。魔法使いによる事象への介入。たったひとつの単語で目の前の空間がゆがむ。
ひかりの壁。俺と魔法使いの間に突如として現れたモノ。
だがそんな単詠唱でできた壁に止められないという確信があった。
右手を前に押し出す。
釘を壁に垂直に突き立て、渾身の力を込める。
「おぁぁああぁぁぁ―――!」
気が付けば叫んでいた。相手の命を刈り取る気迫の一撃。
女との間を阻んでいた壁が壊れる。その勢いのまま右手をさらに押し出して突っ込んだ。
「ちぃぃぃっ!」
女が左手で迎撃する。関係ない。
狙いは心臓。この右手の釘で心臓に刺せば終わる。それ以外の場所に関心などできる余裕はない。
もう手が届きそうなほどの距離まで接近できた。女は左手で心臓をかばっている。
いける。イケる。このまま刺せば……。
女の左手ごと突き刺す。とたん、俺の右手がウゴかない。
見れば女の左手は破裂していた。だが俺の右手をつかんでいる。
――――なぜ?
あれほどの速度、あれほどの威力の攻撃を止められる道理がワカラナイ。
返しの攻撃が来る。右手は固定されていて動かない。そもそも一撃で決めるつもりでいた。攻撃が返ってくることを想定していない。
左肩から袈裟懸けに切られた。見るからに致命傷。
これも魔法なのか。相手は手刀で俺の体を両断していた。
血が零れ落ちる。耳鳴りがヒドい。体がどんどんと冷えていく。意識が遠のいていく感覚。
あの時の夜にひどく感じた 死
その中で俺はなぜ、あの時引き返さなかったのかと、ひどく後悔した。