悲しい事は 何故か突然前触れもなく
そんな私は、少ない給料をやりくりしながら、自分の欲しかった物を、少しずつ揃えていた。座りやすいパソコン用の椅子、欲しい本、背もたれ用クッションなど。もちろん外で遊ぶ時のお金もやりくりしている。
必要最低限のお金しか持ち歩かず、目に留まった商品でも、本当にそれが必要なのか一旦立ち止まったり。ネットで様々な節約術を検索して、頭に埋め込んでいる。元々私は化粧や洋服にはあまり興味がなかったから、その点のお金もかなり節約できた。
それはそれで女性としては問題かもしれないけど、私にとっては簡単に越した事はない。安物の服でもお洒落な物はいくらでもあるし、バーゲンセールだって馬鹿にできない。ネットを使う事で、私の生活は色々と潤っていたから、節約自体が辛いわけではない。
でも時々街中を歩いていると、高そうな服やアクセサリーを身につけている人を見ると、若干羨ましい気持ちになる時もある。そして商品が高いお店の前を通るだけでも、ちょっと暗い感情になってしまう。
でもそれは、誰にでもある経験だと思う。学校で新しい服やゲームを買った事を自慢している友人や、自分よりも給料が高い職場に就職した友人の話を聞いた時など。
もちろん「そんな感情は一度も持った事がない!」と主張しても構わないけど、私自身でも、自分が知らない間に他者へ嫉妬する事はよくあったと、今になって思う時がある。
でも、そんな感情を持つ事で、人は仕事や勉強を頑張れるんだと思う。私だって、今頃自分をいじめていた人が悠々自適に生きていると思うと、無性に自分も頑張りたくなってしまう。
それは復讐心なのか、それとも自分が負けず嫌いなだけなのか、よく分からない。でも、その暗い感情自体を完全否定するわけではない。よく歌や詩に、「後悔をどう未来に生かすか」というフレーズがあるけど、それと意味はほぼ同じだと思う。
でも、頑張り過ぎれば体や精神が悲鳴を上げてしまう。だからそのストレスと抑え、減らす為にも、一時的に『欲』を欲する。1年程前に購入した、「アザラシのぬいぐるみ」も、私が前々から欲しかった物だった。
私はそのぬいぐるみを買う為にお金を貯め続けて、自分の体と同じくらい大きなぬいぐるみを手に入れた。その子を「ゴマアザラシ」に因んで、「セサミ君」と名付ける。
しばらくはセサミ君の使い道を模索したけど、最終的にベッドで眠る私の足乗せとして使う事に。そうやって使い続けて数ヶ月後には、セサミ君の体はぺったんこになってしまった。
でも、私はセサミ君を手放す気なんて微塵も無い。ずっと頑張って貯めたお金でようやく買えた物だから、その努力の証であるセサミ君を、私はいつも活用していた。
そんなある日の事だった、その日もいつものように施設に行く準備をしていると、突然私の母が部屋に入って来た。
母は私とは違い、貯金をせずにどんな物でも買ってしまうような人。母の収入は私の倍以上もある、だから母はよく自分が着る洋服やバッグ、本などを宅配を使って頼んでいた。
私はそんな母の事が嫌いというわけではなかったけど、毎日家に届く母宛の品に、若干の苛立ちを感じている。母は、お金に対してのありがたみや、仕事の大切さがよく分かっていない様に見えた。
母がちゃんとした学校を卒業して、良い場所に就職している事は重々承知ではある。これも一種の『嫉妬』なのかとも思ったけど、母は後先考えずに商品を購入したり、自分以外の事柄に関してはかなりケチになったり・・・・・。
母には、勉学以外の何かが欠けていると思ったのは、今までに何度もあった。でもその度に、私は必死になって憤りを押し込んでいた。そして母はお金の件も合わせて、口だけは達者だった。
だから母自身が相手を傷つけるような事を言っても、本人には悪気なんて一切ない事が殆ど。私はそんな両親の背中を見ていたから、「私はあんな大人になりたくない!」と思い、しっかり者になれたんだと思う。
でもその日に限って、母は機嫌が悪かったのか、私が大切にしているセサミ君を見て、こう言った。そしてその言葉を聞いた瞬間、私の精神は音を立てて崩れる。
「もう捨ててもいいよね」
そう言い捨てて、その場から去る母。私は、腹の底からこみ上げる憤りを必死になって抑えた。堪えた憤りは私の目を伝って、涙にして少しずつ体の外に出していた。でも、だいぶ長い時間涙を流しても私の憤りは治らないまま。
母の部屋には、これまで自分が買っていた服やバッグなどが押し込まれて、このままだと家の二階が陥没するんじゃないかと思えるくらいの量。母は自分で買った物を決して手放そうとはしないのに、自分以外の家族が持っている物に関しては邪魔扱いしていた。
今回の言葉だって、今までに何度も言われていた記憶がある。でもその度に、私は憤りを必死になって抑えたり、捨てたり、売り払っていた。おかげで私の部屋はとても綺麗になったとも考えられるけど、その代わり月日を重ねる毎に母の所有物は増えていく一方。
その所有物と同じ様に、私が持つ母に対する日常的な不満も増える一方だった。多分、もうその堪忍袋が限界だったんだと思う。だからいくら涙を流しても、気は一向に晴れない。
結局施設に行く時には、どうにか涙は治った。でも、私の泣き顔を見た祖母は、とても悲しそうな顔をしていた。よく私は祖母に自分の胸の内を打ち明けていたから、私の心の痛みをすぐに理解してくれた。