女神の剣は、奇跡と共に別れを運ぶ。
巨大な楕円形に変化した身体の中央に、バームラスの老いた顔が埋まっている。その左右には二本の長い首が伸びている。
一本は若い男の顔だった。両目を閉じ、その顔色は死人の色だった。もう一本は女の顔だ。男と同様に目を閉じ生者の顔色をしていない。
楕円形の身体は太い四本の足で支えられていた。腕は無く、体毛の代わりに数え切れない蛇が生えており、その身体をくねらせる。
「······あの男と女の顔は?」
ハリアスはバームラスの異形な姿に驚愕したが、人間の顔と思われる二つの顔はその中でも異彩を放っていた。
「······この男女の顔はかつて私に挑んで来た勇者達だ。私に敗れ死に絶えた」
バームラスの説明に、ハリアスは嫌な予感しかしなかった。
「恋仲だったのを不憫に思ってな。その力を称え、私の身体の一部に取り込んだ」
ハリアスは唾を吐きたくなる衝動に駆られた。この場にソレットが居なかったのは幸運だった。
もしソレットがこの話を聞けば、とても冷静では居られない筈だった。
「外道が。もう一度冥府に送り返してやる」
ゴントが怒りを露わにし、手にした長剣で猛然と斬りかかる。男の首が伸び、見えない壁がゴントの剣を弾いた。
「······物理障壁か!?」
ゴントが剣を構え直した瞬間、ハリアスが爆裂の呪文を唱えた。轟音がとどろき爆風がバームラスを包んだが、女の顔が魔法障壁を張り魔人は無傷だった。
「くそっ!化物が!」
ハリアスが叫んだ瞬間、バームラスの身体に無数に生えた蛇が一斉に伸びた。数千の細い蛇は、三割の数がゴントの凄まじい剣技によって胴体を斬られた。
だが、七割の生き残りがゴントの両足に絡みつき、ゴントの身体を引きずり込む。ゴントの視界の先に、男と女が顎が外れる程の大口を開いているのが見えた。
「ゴント!!」
ハリアスは思考が真っ白になりかけた。仲間を二度と死なせないと誓った自分が、今まさにその誓いを違えようとしている。
絶望感がハリアスを支配しようとした瞬間、ゴントが一瞬だけハリアスを見た。そのゴントの表情を見た瞬間、ハリアスは駆け出していた。
「······ゴントの奴!笑っていやがった!」
魔法使いは後方に静かに佇み、戦場を支配する。まして汗を流すなど一流の魔法使いに置いて恥ずべき姿だ。
ハリアスは魔法使いの理想像をそう考えていた。だが、仲間の命が掛かっているこの時ばかりは、その理想像をどぶ川に捨てた。
息を切らせ、大汗を流しながらハリアスは駆けた。全ては仲間の力を信じて。そして、自分が成すべき行動の為に。
「ゼロ距離では障壁は張れないな」
引き込まれたゴントは、大口を開ける男女の顔に呟いた。ゴントは下から剣を振り上げ、女の首を切断した。
だが、男がゴントの足に噛み付いく。鋭い牙はゴント足に深く刺さった。
「もう直ぐ元いた場所に送ってやる。次に生まれる時は、また恋人同士になれるといいな」
ゴントが穏やかな表情で男に話しかけた。そして両手で剣の柄を逆さに握る。ゴントは自分の足に噛み付いた男の頭に長剣を突き刺した。
バームラスの眼前に血飛沫が飛び、視界を遮った。気付くと、眼下には黒い魔法衣を纏った男が立っていた。
「ゼロ距離では魔法障壁は張れんだろう?」
魔人を見上げた魔法使いは、流れる汗を飛ばし叫んだ。
「この俺がいる限り、仲間は誰一人死なせん!!」
ゴントが全方位から重力がかかる呪文を唱えた。その圧をバームラスの顔一点に集中させる。
巨大な圧力がバームラスの顔を歪める。その時、バームラスの腹部が裂けた。それは、魔人最後の地獄の扉だった。
裂けた腹の穴から、新たな死霊の腕が見えた。
「させるかあっ!!」
ハリアスは更に魔力を込める。バームラスの顔が縮み始める。死霊がその姿を半ば見せた時、魔人の声をゴントは耳にした。
「我が夢はまた成らないか」
それが、魔人バームラスの最期の声だった。バームラスの顔は圧力に屈し潰れた。裂けた腹も元に戻り、その際死霊は身体を扉に切断され息絶えた。
ゴントは床に落下し、ハリアスが駆け寄る。足に重症を負ったゴントは、女神の剣をハリアスに渡す。
「この剣を持って行け。必要ならソレットに渡すんだ」
ゴントに返答する時間も惜しむように、ハリアスは再び走り出した。
狂気王ハーガットの影の刃は、ソレットを確実に消耗させていた。少しずつ命を削る事を楽しむかのように、ハーガットはベンチから歪んだ笑みを勇者に向けていた。
「教えてくれ勇者よ。そなたをそこ迄焦がれさせる女剣士は、如何様な人物だったのだ?」
ハーガットの問いに、口から血を流したソレットは澄んだ瞳を狂気王に向ける。
「話した所でお前には永遠に理解できん」
ソレットのつれない返答に、ハーガットは消沈するようにため息をついた。
「ならば勇者よ。せめてもの手向けだ。その女剣士の元へ余が送ってやろう」
ソレットを襲っていた影の刃が、その数を倍増させた。ソレットは光の剣に更に力を込めた。
退路は無かった。僅かな勝機に全てを賭け、ソレットは狂気王の元へ疾走した。その時、ソレットの剣に異変が起きた。
「······剣が溶ける!?」
ソレットの剣は刀身の先から溶け出した。ハーガットは白い歯を見せ笑った。
「影の刃に気を取られている間に剣に呪いをかけた。元より呪われている身のそなたに、効くかどうかは判別しなかったがな」
影の刃は武器を失ったソレットにその刃を向ける。ハーガットが人差し指を下ろし、影の刃はソレット目掛けて落下してきた。
「ソレット!これを使え!!」
ハリアスが女神の剣を投じた。放物線を描いて向かって来る剣を、ソレットはその手に掴んだ。
それは、亡き恋人ジャスミンが愛用していた剣だった。ソレットは不思議と心が落ち着く事を感じていた。
勇者は両目を閉じ、女神の剣をかざした。その瞬間、女神の剣が蒼い光に包まれる。その光は、ソレットの身体も覆って行った。
「······あの蒼い光は何だ?」
ハーガットが両目を見開いた。蒼い光に触れた影の刃は、次々と消失していった。
「その剣は何だ?何故そんな芸当が可能なのだ?余に教えてくれ。いや、教えるんだ勇者」
女神の剣。崇高な人格者がその手にする時、数々の奇跡を起こすと言われている伝説の武器だった。
ジャスミンは自分の死に際に、この剣をソレットでは無くゴントに託した。それは、ソレットが自分を引きずらない為の行為だった。
「教えろ勇者。余にその剣の秘密を!」
ハーガットがベンチから立ち上がりそうな勢いで叫んだ。ソレットの両目は閉じられたままだった。
「狂気王よ。お前には千の言葉を重ねても無益だ。この剣は、人の心を持った者にしか扱えない」
ソレットは心の中で静かにジャスミンに語りかける。
『ジャスミン。俺はもう君を振り返らない。この命がある限り、俺は前に進んで行くよ』
返答は無かった。だが、心の中を覗けば、ソレットの中にはいつもジャスミンの笑顔があった。
『いつか君に再開するその時まで、俺は自分の心に恥じないように生きる』
ソレットは両目をゆっくりと開いた。女神の剣を両手に握り、ハーガットの胸目掛けて剣を向ける。
ハーガットはニ重の障壁でそれを阻もうとする。だが硝子が割れる様な音が響き、女神の剣は障壁を貫いた。
ハーガットは目を見開いたまま動きが止まった。蒼い光に包まれた女神の剣は、ハーガットの胸に深く突き刺さった。
『さようなら。そしてありがとう』
ソレットは心の中でかつての恋人に別れを告げた。ベンチに背を預け沈黙した狂気王は、口を開けたまま絶命していた。




