神経の細い指揮官は、自信無さげに俯く。
トワイス国。大陸の北に位置する小国だ。三年前の勝者無き戦争では、他国に比べ少ない兵力ながら重要な役割を果たした。
幸いその戦争でトワイス軍は大きな損害を被らず、他国のように軍の再建に追われる事も無かった。
しかし、その小国にただならぬ事態が差し迫っていた。急速にその勢力を拡大した武装勢力の一つ。
その名もウラフ軍団がトワイス国の国境に迫ってきたのだ。ウラフ軍団は何も意図的にトワイス国を刺激するつもりは無かった。
ウラフ軍団は各地の武装勢力を駆逐して行く内に、トワイス国の北側に移動していた。そこに武器商人マクランから知らせが届いた。
それは、マクラン草原での会戦の知らせだった。マクランの早馬がウラフ軍団に到着した時、既に会戦は半月後に迫っていた。
ウラフ軍団の行動範囲が広大だった為に、マクランの知らせが遅れたのだった。会戦に勝利すればマクラン要塞が手に入る条件に、軍団の首領ウラフに否はなかった。
ウラフはこの年四十歳。褐色の肌に長い黒髭。恰幅の良い体型は人のいい商人を営んでいるように見えるが、いざ戦闘になると獰猛な猛将に豹変する。
ウラフ軍団は期日までにマクラン草原に向かう為に、最短で行軍出来る道を選んだ。それが、トワイス国の国境を越える道だった。
「自国の領土を、一寸でも侵す者を放置する訳にはいかない。異論がある者は?」
ある軍議室で、国防に関する重要な会議が開かれていた。それは、トワイス国王都の城の中にある一室だった。
軍議で第一声を発したのは、トワイス国宰相、アーメイだった。女でありながら三十九歳で一国の宰相を務めるアーメイは、鋭い視線を円卓の机に座る者達に向けた。
「あの。ウラフ軍団からこちらに報せがあったようです。それによると、ウラフ軍団に交戦の意図は無い。ただ行軍を急ぐ為に我が国の国境を通過すると」
アーメイの言葉を受けて発言したのは、四十歳前後に見える男だった。くせ毛のせいか後ろの黒髪が跳ねており、小柄な身体のその表情には、まるで自信が無さそうだった。
「フィンド少将!近道の為に我が国の領土を我が物顔で通過されるのを、黙って見過ごせと言うのか!?」
アーメイの鋭い声が軍議室に響いた。フィンドは額に汗を浮かべながら、背中を丸くする。
「い、いえ。ただ、ウラフ軍団の言葉が本当なら、無用な戦いは避けられるかと」
「自国の領土を守る戦いが無用と言うか!?フィンド少将!その言は捨て置けぬぞ!」
アーメイ宰相の叱責に、フィンドは更に背中を丸くした。
「まあまあ。アーメイ宰相。フィンド少将も悪気があっての事では無い。落ち着かれよ」
「そうさの。戦いになれば多くの血が流れる。戦など無いに越した事は無い」
列席していた老将達がフィンドを庇う。アーメイ宰相はその言葉に深いため息をついた。
トワイス軍の指揮者達は高齢化が進み、世代交代が上手くいっていなかった。老将達は既に牙が抜けている。
そうアーメイ宰相は落胆していた。小国故の人材不足は否めず、いざ実戦になるとアーメイの目の前で背中を丸めている男を、使わざるお得なかった。
「フィンド少将に命ずる。五千の騎兵を持って、ウラフ軍団を排除せよ」
「······りょ、了解致しました」
フィンドの自信の欠片も無い返答に、アーメイ宰相の落胆は寸分も回復されなかった。
軍議室を出たフィンドは、廊下で自分を待っていた二人の部下に黙って頷く。そして早歩きで自分の執務室に向かう。
「少将。出撃準備は三日後に完了する手はずです」
緑色の甲冑を着た長身の男が、フィンドより遥かに長い足を動かし上官の後ろから話しかけた。
「いつもながら手回しがいいなドネル。ルシンダ、ウラフ軍団の動きは?」
銀色の神官衣を纏った若い女が、長い黒髪を揺らしながら手元の資料に目を落とす。
「動きはかなり早いですね。この強行軍だと五日後、我が国の領土内に侵入して来ます」
二人の部下からの報告を受け、フィンドは暫く黙って歩いていた。その様子を見ながら、ドネルとルシンダはその時が来ると確信していた。
「うっ!?」
フィンドは突然うめき声を出し、腹部を抑えながら猛然と駆け出した。
「いつもの光景だな」
「もう見飽きたわ」
厠に駆け込むフィンドを見ながら、ドネルとルシンダは上官の帰りを待つためにその場に立ち尽くす。
神経の細いフィンドは、難事に遭遇するといつも腹を下す現象に見舞われた。
トワイス国少将フィンド。三年前の勝者無き戦争では、敵軍の中央を分断するという大功を立て、自軍を無事国に帰還させた。
その功績から昇進も噂話されたが、紆余曲折を経て、昇進どころか中将から少将に降格された。
しかも長年想いを寄せていた女性に求婚したが振られ、公私ともに散々な日々だった。
「命令違反をして降格で済んだんだ。少将は幸運だよ」
「振られた原因はあれね。求婚中、お腹を下して厠から出て来なかったからよ」
ドネルとルシンダが、上官の悲運の真相を語り合う。ドネルの両眼には、フィンドを気の毒に思う気遣いがあるが、ルシンダはあくまで素っ気なかった。
だがドネルとルシンダは同じ事を考えていた。このトワイス軍に置いて、フィンド以上の将才を持つ者はいないと。
それはアーメイ宰相も認める所であると。ドネルとルシンダはそう確信していた。トワイス軍は領土防衛の為に、五千の騎兵で王都から出立した。
「そうか。やはりトワイス軍は動いたか」
軍団の首領、ウラフは馬上で偵察隊からの報告を受けた。ウラフ軍団は既にトワイス国の領土内に侵入しており、ウラフは軍団に臨戦態勢を整えさせていた。
大きく厚い手を肉厚のある顎に添えて、ウラフは暫く考え込む。トワイス国は俊馬の産地で知られており、軍の編隊は殆ど騎兵で運用されている。
つまり、機動力が群を抜いているのだ。ウラフ軍団が今通過しているのは、街と街を結ぶ行路であり周辺は平坦な地形だった。
ここでトワイス軍の騎兵と戦うとなると、敵軍にその力を十二分に発揮させる事になる。
「敵に有利な地形で戦う事もあるまい。進路を少し変えるぞ」
ウラフは部下達に命令する。軍団は行路から外れた進路をとった。それは、小さい森が多く点在する地形だった。
「ウラフ親分!トワイス軍の騎兵が現れました!」
進路を変えたその矢先、ウラフはトワイス軍の襲来の報を受けた。
「流石に俊馬の国は動きが早いな。だが数か少ないのはどう言う事だ?」
視線の先に見える砂塵を見つめながら、ウラフは独語した。トワイス軍はせいぜい一千程に見えた。
対するウラフ軍団は一万三千。ウラフは数に任せて正面から迎え撃とうとした。だが、トワイス軍の騎兵は弓矢の射程距離に入る前に撤退していった。
「奴ら、戦う気が無いのか?」
ウラフが訝しく思うのも無理が無かった。トワイス軍はそれからも何度も近づいては撤退し、それを繰り返して行った。
ウラフ軍団は時間と共に、その集中力を削がれて行った。
「ウラフ軍団の隊列に乱れが生じました」
フィンド少将はウラフと同じく馬上で報告を受けた。フィンドは五千の騎兵を五つに分け、一千ずつ交代でウラフ軍団に近づいては離脱させた。
「ウラフ軍団の集中力も限界かな。我が軍が本気で攻める気が無いと判断した頃だろう」
フィンドの言葉はウラフの心理を正確に洞察していた。それまで一糸乱れぬ隊列に歪みが生じたのはその証左だった。
「我が軍はこれよりウラフ軍団を我が領土内から駆逐する。全軍、突撃せよ!!」
「はっ!!」
フィンドの号令にドネル、ルシンダが応え、五千の騎兵が一斉突撃する。トワイス軍は自分達が領土内から出て行くのを監視しているだけ。
そう判断していたウラフと軍団は、完全に不意を突かれた。五つに分かれた五千の騎兵はウラフ軍団の側面を突き、ウラフ軍団の陣形を寸断した。
混乱する自軍を必死に立て直そうとするウラフの前に、ニ騎の騎兵が突撃してきた。
「敵将覚悟!」
ルシンダが長槍を鋭くウラフに突き出した。ウラフは大きな身体を捻りそれを避ける。ルシンダが駆け去った後にドネルがウラフに迫り、ドネルの長剣が唸りを上げてウラフの頭上を襲った。
ウラフは太い槍でそれを受け流した。ルシンダとドネルは乱戦の中に消え、ウラフはこれ以上の交戦を断念した。
激しい戦闘の後、ウラフ軍団は二千の死者を残し戦場から撤退して行った。対するトワイス軍は百五十の死傷者に留まった。
「ウラフ軍団が我が領土内から出て行きました。追撃しますか?少将」
ウラフ軍団の幹部の一人を討ち取ったドネルが、上官に報告と命令を待つ。
「そうか。我々は義務を果たした。これ以上の深追いは何の益も無い。王都に帰ろう」
緊張感から解放されたのか、フィンドの顔を弛緩していた。
「少将。此度は勇猛なウラフ軍を駆逐する功績を上げました。今なら誰に求婚しても承諾して貰えますよ」
ルシンダはフィンドの失恋を労る気持ちでこの言葉をかけた。だが小国の少将は途端に腹を抱え、馬を降り草むらに駆けて行った。
「······求婚の失敗を思い出されたか。ルシンダ。今のは酷いぞ」
端正な顔をしかめながら、ドネルが呆れた表情で僚友を見る。
「私は励まそうとしただけよ」
ルシンダは形のいい唇を尖らせながら、僅かな罪悪感を感じていた。
自国の領土に侵入した敵を排除したトワイス軍は、指揮官の腹が落ち着くまで王都への凱旋を暫し待たされた。




