皇帝は、千年前の因縁を語る。
遥か千年前、オルギスは人間と魔族の国々を歴史上初めて統一した。それは、決して平坦な道程では無かった。
血と謀略と裏切りの泥濘に塗れながら、オルギスは覇道を突き進んだ。世界地図の六割を自軍の旗幟で埋め尽くした頃、オルギスには最後の強敵が残っていた。
魔族の国々を一つにまとめ上げた王者、オスマント。魔族でも珍しい、四手一族の男だった。
オスマントは戦場で四本の手に、四本の大剣を握り振るった。その姿を見ただけで、敵兵は恐怖の余り四散した。
世界の覇権を賭けて、両雄の決戦は近付いていた。オルギスは配下の十英雄達と共に、全知全能を注ぎ戦いに向けて準備をした
。
諜報戦、戦場の設定、敵将への離間工作。矛を交える前から、両陣営の戦いは熾烈を極めた。
天下分け目の決戦が間近に迫った時、オルギスの元に面会を求める者が現れた。男は獣のマントを身に着け、何かの骨の首飾りをつけていた。
男はオルギスに黄金の剣を差し出した。それは不思議な剣だった。オルギスはその刀身を見るだけで、何か惹きつけられる物を感じた。
少しでも気を抜けば、魂が剣に吸い込まれると錯覚する程に。オルギスは男に、剣の対価は何がいいかと訪ねた。
「ガジスト島を征伐して頂きたい。望みはそれだけです」
ガジスト島。その島には、精霊の神ラバートラに仕えるガジスト一族がいた。その一族の正統後継者を巡り、争いが生じた。
男はその争いに敗れた後継者候補だった。男は一族の宝物である黄金の剣を持ち出し、オルギスに貢いだ。
その対価として、オルギスにガジスト島を攻めてもらい、自分を追放した一族に恨みを晴らす。男は深い復讐心の塊だった。
オルギスにとって、小さい島の討伐など、黄金の剣の対価としては安い物だった。オルギスは了承し、その剣を持って決戦に挑んだ。
三日三晩続いた大会戦は、オルギス陣営の勝利に終わった。オスマントはオルギスに三本の腕を斬られ、残った一本の腕で自決した。
かくしてオルギスは世界を統一した。オルギスはガジスト島に使者を出した。自分に朝貢を求めたが、ガジスト一族は頑なに拒否した。
島を攻める口実を得たオルギスは、一人ほくそ笑んだ。人口数千人の島に、五万の大軍が送られた。
その最中、オルギスは皇帝の座に即位した。それは正に、オルギスの人生にとって絶頂の極みだった。そんな即位式の日に、帝都に凶報がもたらされた。
遠征軍はガジスト一族に敗北した。しかも、遠征軍を指揮した十英雄の一人が戦死するという最悪の結果に終わった。
オルギスは王冠を床に叩きつけ、今度は自らが八万の大軍で親征した。だが、二度目の遠征軍もガジスト島を落とせなかった。
ガジスト島の兵士達は、魔法とは異なる奇怪な力を操った。火と光。風と水を操り、遠征軍を苦しめた。
島に近づく大船団に強風を叩きつけ操舵を奪い、雷を発生させ
、槍の形をした火で大炎上させた。
遠征軍の兵士達は小舟に分乗し、火の槍と雷の嵐を潜り抜け島に上陸した。そこでも、ガジスト島の兵士達の奇怪な力に苦しめられる。
オルギスは圧倒的な兵力差で押し切ろうとしたが、ガジスト島民の抵抗も凄まじかった。
この戦いで十英雄の内、二人が戦死した。その報せを受け、オルギスは交戦を断念し、撤退した。
ガジスト島民達も無傷では無かった。島内の多くの集落が破壊され、多くの兵士を失った。
特に島民達が信仰する精霊の神、ラバートラの霊を祭る神殿が破壊され、島民達のオルギスへの怒りは頂点に達した。
こうして復讐心に燃える両者は、三度激突した。数に劣るガジスト島民達は、戦線が崩壊し窮地に立たされた。
そこでガジスト島の正統後継者が、奇跡を起こした。精霊の神ラバートラを、自分の身体に降臨させたのだ。
だが、それは余りにも性急な行為だった。その儀式に必要な物が、致命的に不足していた。
それでも正統継承者は、ラバートラの力の一部を操り、海水を水の刃に変え、遠征軍を殺戮していった。
ガジスト島は両軍の屍で埋め尽くされた。自らも負傷したオルギスは、船の上から島を殺意に満ちた両眼で睨み続け、撤退した
。
彼は三度目の遠征で、十英雄を更に二人失っていた。帝都に戻る途中、オルギスに異変が起きた。
オルギスの精神が、黄金の剣の中に取り込まれたのだ。オルギスが必死にそれから抗っている時、目の前に一人の男が笑みを浮かべていた。
「皇帝陛下。それは精霊の神、ラバートラの呪いです。その剣は、元々ラバートラの剣ですから」
オルギスは、自分に黄金の剣を差し出した男を睨みながら、男に謀られた事に気づいた。
オルギスの精神は剣に封印され、肉体は空の器に成り果てた。こうしてオルギスは、帝都に帰還する事なく、歴史上では病死とされた。
男はガジスト島に戻った。破壊され尽くした島内は、無残な光景だった。島の正統継承者も、ラバートラの力を身体に宿した代償として死亡していた。
男は島の正統継承者の座を掴んだ。一旦は追放された身だったが、疲弊仕切った島民は、男に頼る他なかった。
自分を追放した島民達が無残な姿になり、男の復讐心は満たされた。そしてこれから、自分が島を支配する事で、その野望を果たしていくつもりだった。
男はオルギスの元にあった黄金の剣は、そのまま放置して来た
。あんな呪われた剣は、男には必要なかった。
男に必要なのは、島を支配する権力だけだった。こうして世界統一を果たしたオルギス皇帝の治世は、僅か一年で終わる事となる。
「······これが、余が黄金の剣に封じられた顛末だ。不愉快な事実だがな」
ウェンデルの姿をしたオルギスは、椅子に腰掛けながら忌々しげに説明を終えた。チロル、ヒマルヤ、ラストル、そしてエルドは、千年前の歴史の真実を当事者本人から知る事となった。
「オルギス。じゃあチロルが美術館でリックと名乗る者から聞いた話は······」
オルギスの背後に立つエルドは、言いしれぬ胸騒ぎを感じていた。千年前、オルギスと争ったガジスト一族の名を、妹分のチロルが耳にした事に。
「テデスとクダラなる者達は、精霊の神ラバートラを復活させる為に、奔走しておるのだろう」
オルギスは面白くもなさそうに言い捨てた。
「その精霊の神が復活したら、どうなるんですか?リックさんは精霊と共に生きる世界になると言っていました」
チロルは大きな瞳をオルギスに向ける。その世界は、今よりも救われる世界なのか。
「耳に心地良い言葉で取り繕った詭弁だな。精霊の力を使えぬ者達は、使える連中に駆逐、若しくは支配される世界になるだろう」
オルギスの言葉に、チロルは小さくため息をついた。リック達のしている事は、どうやら今の生きる人達にとって、迷惑な事らしい。
「その精霊の神が復活するのに、必要な物は何なのだ?」
ヒマルヤがオルギスに質問する。チロルが関わった以上、身を守る為にも情報は必要不可欠だった。
「ラバートラを降臨させる生身の器。黄金の甲冑。黄金の剣。そして膨大な魔力だ」
それは、オルギスがガジスト島を攻め立てた時に得た情報だった。
「······生身の器。千年前、ラバートラを降臨させた一族の後継者は死んだんですよね?そんな危険な役目を、一体誰が?」
ラストルは違和感を感じながら呟いた。千年前から現在に続く永い因縁話に、現実感が今ひとつ伴わなかった。
「リックなる者が口にしたテデスとクダラ。一族の正統継承者のいずれかが犠牲になるのだろう。殊勝な事だ」
オルギスが冷たく言い捨てた。千年前は復活の条件が整わないまま、ラバートラを降臨させ失敗に終わった。
だが不完全な力に、オルギス軍は甚大な被害を受けた。完全に復活させれば、どんな災厄を世界に及ぼすか想像もつかなかった
。
「······オルギス。千年振りに君が世に出た時期を同じくして、ガジスト一族の暗躍。これは偶然かい?」
エルドは鋭い質問をオルギスに投げかける。オルギスはエルドの洞察力に、内心苦笑した。
「偶然では無いな。ラバートラの復活に、この黄金の剣は必須だ。どうやらガジスト一族は千年間、この剣と黄金の甲冑を探していたと見える」
ご苦労な事だとオルギスは短く笑った。そして、何気ない口調で恐ろしい事を口にする。
「······この黄金の剣には、死者を呼び寄せる力がある。無論、持ち手の精神力に作用されるがな。余が臣下だった十英雄を呼べるのもこの剣の力だ」
もしラバートラが復活し、黄金の剣を使い死者を呼び寄せたとしたら。
「単眼一族の悪魔、ジャミライス。五十万人を虐殺したと言われる狂気王ハーガット。世界を混沌の底に陥れかけた魔神バームラス。小奴らがこの世に再び現れるやもしれぬな」
オルギスの執務室は、沈黙に包まれた。オルギスが口にした固有名詞は、遥か昔の伝説の名だった。
現在では、辛うじて伝承として言い伝えられる程度であり、チロル達にとっては、実在した存在と知るだけで驚くに十分だった
。
「オルギスさん。質問があります。貴方はガジスト一族に対してどう対処するつもりですか?そして、ウェンデル兄さんの身体を使って何をするつもりですか?」
チロルはオルギスの冷たい目を真っ直ぐに見つめる。肉体はヴェンデルでも、その温かみが消え失せた目は、チロルにとって他人の目だった。
「私は再び、世界を統一をする気はない。ガジスト島を攻める気もな。だが、奴ら一族が私に刃を向けるなら処断するまでだ」
チロルはオルギスの言葉に頷き、席を立った。
「リックさんの言っていた泉に行きます。ガジスト一族に、ラバートラの復活を諦めて貰います」
両腕を組みながら、オルギスは銀髪の少女を見上げる。
「チロルよ。それは、余を守ると言う事か?」
「オルギスさん。貴方ではありません。私は、ウェンデル兄さんの身体を守りたいだけです」
精霊の神ラバートラの復活には、黄金の剣が必ず必要になる。ならば、オルギスは必ずガジスト一族に狙われる。
扉に歩き出したチロルに、慌ててヒマルヤとラストルが続く。
「チロル。同じ事だ。そなたは、私の為に働くという事には変わりない」
オルギスの言葉に、チロルは一瞬だけ歩む足を止めた。
「······オルギスさん。ウェンデル兄さんは、必ず貴方から身体を取り戻します」
チロルはそう言い残して、部屋を出た。エルドと同様の事を述べたチロルに、オルギスは短く笑った。
······ウェンデルよ。そなたは仲間達に信頼されておるな。だが、残念ながら私が身体を明け渡す事はない。
オルギスは心の中で独語した。深く、そして濃い闇の精神の中からの返答は無かった。




