漆黒の夜空は、復讐者達を無言で見守る。
青と魔の賢人の城では、賢人達が休暇を楽しんでいた。心ゆくまで惰眠を貪る者、図書館で静かに読書を楽しむ者、酒量を気にせず酔いつぶれる者、我が子と同じ時間を過ごす者。
休暇初日の夕食を終え、賢人ローニルは他者に聞こえない小声で、何かをブツブツと呟きながら城中を歩いていた。
「おいローニル!食堂はまだ開いていたか?」
ローニルに話しかけてきた者がいた、夕方つい眠ってしまい、今しがた起きたタクボだった。
「······もう遅いよ······僕で最後」
「え?何だ?もう少し大きい声で喋ってくれ」
ローニルの消え入りそうな小声に、タクボは空腹も相まって苛立った。この細い身体をした茶色い髪の賢人は、いつも小声で何かを呟いている。
何を喋っているのかタクボに興味は無かったが、とにかく声が小さく、意思疎通に手間取った。
何度かのやり取りの末、食堂はもう終わったと分かり、タクボはうなだれてしまった。この上は、空きっ腹に酒を流し込み、酔って寝るしかない。
タクボはそう決め、高価な酒を誰かにたかろうと、城を徘徊し始めた。
······新月の夜も深まり、城は静寂の中に包まれていた。壁上では門番役を担う者達が、かがり火を灯し警備を行っていた。
その警備兵達が、突然苦しみ出し倒れた。兵達全員が倒れた為に、誰もその光景を上官に報告する事が出来なかった。
「ハッパス千騎長。門番が倒れるのを視認しました」
遠目が利く哨戒兵から、森に潜んでいたハッパスは報告を受けた。ハッパスは無言で頷き、決行の頃合いだと判断した。
青と魔の賢人の城は、湖水に浮かぶように建っていた。その城に行く為には、周囲の森から船を使用しなければならない。
ハッパスは以前から、この森に木材を運び隠していた。組み立て式の簡易船の木材だ。
兵士達は素早く船を組み立てて行き、湖水には百艘の船が浮かべられた。一艘の船に十人が乗り込み、小舟の群れは静かに城に向かって動き出した。
この城の周囲の森に、千人の復讐者達が集結していた。ハッパスが世界各国から集めた精鋭中の精鋭だ。
階級は一兵卒から少将迄、彼等は国家間の壁を超えて集結した
。それは、一夜限りの協力関係だった。
明日からはまた、お互いの祖国の利益の為に牽制しあい、時には争う関係に戻る。だがこの新月の夜だけは、千人の同志達は強固な結束を組んでいた。
あの三年前の戦争で散って行った、仲間や家族の為に。その魂の鎮魂の為に。千人の復讐者達に、命を惜しむ者は一人も居なかった。
百艘の小舟の集団の先頭に、この復讐者達をまとめ上げた異才の持ち主がいた。ハッパスは闇夜の先に見える城を凝視する。
警備兵達が倒れた為、誰に咎められる事無く千人の兵達は上陸を果たした。
新月の夜は、耳が痛くなる程静まり返って来た。ハッパスは右手を上げた。兵士達の最前列に、魔法衣を身に着けた者達が並んだ。
魔法使い達は、一斉に爆裂の呪文を唱えた。無数の光の玉が城門に到達した瞬間、森の静寂を破壊するかのような轟音が響き渡った。
城門を破壊した後、光の玉は無差別に城の壁を襲い、炸裂音と共に壁の形を変えて行った。
城がすべて瓦礫になる迄、続くかと思われたその攻撃は突然停止した。破壊された城門から人影が現れたからだ。
その者は魔法石の杖を手に持ち、ゆっくりと歩いて来た。尖った黒髪が、四方にピンと伸びている男の表情に、焦りや動揺の色は見えなかった。
「俺の名はジャロット。こんな夜更けにこの城に何の用だ?」
深夜の襲撃者達の返答は、無言の矢の雨だった。ジャロットは物理障壁を張り、弓矢を防いだ。しかし、障壁は歪みすぐに消えてしまった。
「名も名乗らんとは礼儀を知らん奴らだな」
三十歳の魔族の男は、たった一人で千人の兵達を睨みつけた。そのジャロットの前に、ハッパスが近づく。
「今夜、これから貴様達は全員死ぬ。死ぬ連中に名を名乗っても仕方あるまい?」
ハッパスはジャロットに劣らぬ眼光で睨み返す。ジャロットは表情を変えなかったが、自分の身体に異変を感じていた。
数時間前から、身体が少しずつ痺れてくるような感覚。そして
、その影響で魔力が練る事が出来なくなって来た。
ジャロットに四人の兵士達が斬りかかってきた。ジャロットは漆黒の鞭を発動しようとしたが、魔力が操れず鞭を出す事が出来なかった。
「賢人を舐めるなよ」
鞭の発動を断念したジャロットは、左手に握った魔法石の杖で一人の兵士の剣を受け流し、右手の手刀を兵士の首に叩き込む。
三人の兵士の攻撃を、身軽に後方に飛び回避し、火炎の呪文を唱えた。しかし、大人の拳程度の火球しか出せず、それを顔に受けた兵士を一人倒すに留まった。
「チッ。やはり身体が痺れて魔力が使えんな。何かの病にでもかかったか?」
残る二人の兵士も、魔法石の杖で殴り倒し、ジャロットは両足にも震えを感じていた。
「それは病では無い。貴様等がこれまで重ね続けた罪への報いだ
」
ハッパスは重苦しい声でジャロットへ宣告した。だが断罪された罪人は、悔い改めるような性格の持ち主では無かった。
「生憎俺は神とかの類は信じない主義でな。報いか。どんな報いを俺に見せてくれるんだ?」
「これから存分に見せてやる。貴様等が拒否してもな」
ハッパスが右手を振り、ジャロットの周囲に、数十人の兵士達が突撃して行った。そして、城への攻撃は再開された。
深夜の中、突然の破壊音の発生に、城中では大混乱になっていた。この城には、賢人以外に数百人の働き人達がいた。
彼等は皆、組織の思想に賛同し、自ら進んで組織の為に働いている者達だ。この城が誰かに攻撃されるなど、組織の歴史の中でも初めての事だった。
城の至る所では、悲鳴や恐怖に慄く声が響いていた。その混乱の中、議長代理のトロッコが駆けながら指示を出す。
「うろたえるな!!非戦闘民は、地下道の脱出口に集まれ!賢人達は城外の襲撃者を迎え撃て!」
トロッコの大声に、働き人達はなんとか冷静さを取り戻した。そうだ。この城には、月に一度の定例報告で賢人達が集結している。
賢人達が、謎の襲撃者達を撃退してくれるだろう。だが、働き人達は身体の痺れを訴え、迅速に行動出来なかった。
「トロッコ!」
「おうメーシャ!」
夜半に叩き起こされたメーシャは、小さい瞳を眠そうに開きながらトロッコと合流した。そして、お互いに身体の異変を確認中し合う。
「······こいつは食事に毒か何かを盛られたな。働き人達にも、俺達と動揺の症状が見られる」
トロッコは断定した。それ以外、城中の者達全員が同じ症状になるなど説明出来なかった。
「······一体誰がそんな真似をしたの?」
いつもの傲岸不遜な表情が消え、メーシャの声色は微かに震えていた。
「そんな詮索は後だ。メーシャ。お前は働き人達を脱出口まで先導してくれ」
トロッコはそう言い残すと、再び城中を走りながら指示を出して行った。この城には、非常時の為に地下道があった。
それはこの城の地下を通り、周囲の森に通じていた。メーシャは痺れる身体を無理やり動かし、働き人達を集めるべく大声を上げる。
身体が自由に動かない以上、働き人達の避難は困難を極める。トロッコもメーシャも、同じ事を考えていた。
ハッパス達の襲撃からかなり時間が経過してから、タクボはようやく目を覚ました。半ば酔った頭を重たそうに動かし、城内の異変に気づく。
念の為に革の鎧を身に着け、廊下を走る者達に事情を聞くと、何者かがこの城を襲って来たらしい。
そんな連中は賢人達が排除してくれる筈だと、タクボは深刻に考えなかった。
一応外を確認する為に、タクボは城壁に上がった。壁上には警備兵達が倒れていた。だが、一人だけ壁上に立つ者がいた。
かがり火がその者を照らす。それは、タクボが知っている顔だった。
「······マイルか?そこで何をしている?」
「······タクボさん」
マイルは涙を流していた。そして、壁の上に登り立ち外を見下ろしていた。
「マイル。そんな所にいたら下に落ちてしまうぞ。降りるんだ」
「······タクボさん。今夜、賢人さん達は皆ここで死に絶えます」
タクボはマイルの言っている事が理解出来なかった。だが、あの明るいマイルが涙を出し、悲痛な表情をしている事実は、ただならぬ雰囲気をタクボに感じさせた。
「······タクボさん。僕の名はマイルではありません。本当の名は、アーラスと言います。サラント国千騎長、ロザンの息子です
」
「······何?何と言ったマイル?」
マイルはタクボに語りだした。亡き父の仇の為に、この城に潜入した事を。そして、今夜の食事の中に毒を混入させた事を。
「······マイル。その話は本当なのか?」
「······タクボさん。僕はこの城での二年間、数えきれない程話す機会がありました。復讐する相手とです」
この城に潜入した当初、マイルにとってこの城にいる連中は全て報復対象者だった。だが、この城の働き人達は瀕死のマイルに良くしてくれた。
そして、賢人達は自分達の罪深さを自覚し、それでも人々の平和の為に行動している事を知った。
マイルの覚悟は揺らぎ始めた。だが、亡き父の無念を晴らす以外、マイルに選択肢は存在しなかった。
そして決行日の新月の今夜、厨房で働くマイルは、食事の中に毒を含ませた。周囲から信用を得ていたマイルに、それは難しい事では無かった。
「······タクボさん。僕はいつの間にか好きになってしまったんです。復讐するべき人達を」
マイルはタクボに背を向け、右足を一歩前に進めた。
「マイル!早まるな!お前の話が事実だとしても、お前が死ぬ理由にはならない!」
「······タクボさん。僕にはこれしか無いんです。父の敵を討ち、僕を信用してくれた人達に詫びるには······これしか」
それは、タクボが耳にしたマイルの最期の言葉だった。
「待て!マイル!!」
マイルはタクボの前から姿を消した。爆音が轟き、戦場となった地上にマイルはその身を投げ出した。
タクボが駆け寄り地上を見下ろすと、地面に叩きつけられ、動かないマイルの姿があった。
「······一体、何が起こったと言うのだ?」
マイルの壮絶な最期に、タクボの酔いは吹き飛んだ。城外は兵士達に包囲されていた。城門に駆けつけた賢人達が、兵士達と交戦している姿が見えた。
タクボは無意識に駆け出していた。その足は自然とルトガルの部屋に向かっていた。この出来事は、組織が長年続けた悪行の報いなのか?
その答えを聞く為に、タクボは世界一の魔法使いの元へ向かった。
ルトガルは自室で青い魔法衣に着替えていた。先程から痺れる身体に解毒の魔法をかけているが、一行に魔力が練れず毒が消えなかった。
「······これは。食堂の料理に毒を入れられたか?」
身体の痺れで魔法が長続きしなかった。毒を入れた犯人は、外の襲撃者達と綿密な計画と共に行った犯行に間違いなかった。
「ルトガル!逃げる準備をしろ!」
騒々しくドアを開け放ったタクボが、ルトガルに叫んだ。タクボは自分の言動に戸惑っていた。
この組織の行く末など、自分にとってはどうでもいい筈だった
。だがマイル同様に、この組織の者達と関わり過ぎたのかもしれなかった。
「······タクボか。我々は逃げんよ」
「そんな身体で何が出来る!私は夕食を食べなかったから自由が利く。風の呪文で君達を運ぶから準備しろ!」
タクボの言葉にルトガルは口元の髭を歪ませた。それは、タクボが見た事の無いルトガルの表情だった。
「······タクボ。我々は人に言えないような後ろ暗い事を積み重ねてきた。私達がいつ何処で殺されようと、それは自業自得だ」
タクボは信じられない光景を目にしていた。如何なる時も冷静さを保っていたルトガルが、興奮しているように見えた。
「······だが!この城の働き人達は違う!彼等は私達の理想の為に、薄給で身を粉にして働いてきてくれた。彼等を全員避難させる迄、我々は一歩もこの城を動かない!!」
身体の痺れのせいか、大声を出したルトガルが目眩に襲われた
。そして震える足を動かし、部屋を出ようとした。
「······戦うつもりかルトガル?その身体で」
「無論だ。一度だけでいい。一度だけ呪文を使えれば、奴らを全滅させて見せる」
ルトガルは凄絶な表情で呟いた。それは、彼の矜持が言わせたのか。仲間を思う気持ちが言わせたのか。タクボには判別出来なかった。
城門には続々と賢人達が参戦しつつあった。ハッパスは敢えて城内に突入しなかった。賢人達を炙り出す為だ。
賢人達は非戦闘民を逃す為に、自分達と戦い時間を稼ぐ必要があったからだ。ここで待っていれば、賢人達は自ら死地に飛び込んで来る。
「······集まって来るがいい。灯りに群がってくる蛾のように」
ハッパスは賢人達の死に場所となる城門に、人の温もりが消え失せた目を向けていた。




