傷つき果てた戦場は、残された者を置き去りにする。
暗闇の意識の中から、誰かの声が微かに聞こえて来た。それは数瞬ごとに大きくなり、闇に閉ざされた意識を現実に引き戻す。
「······ロシアド!しっかり致せ!!」
目の前に、見知った顔が自分を心配そうに覗き込んでいた。ヒマルヤが横たわるロシアドに声をかけ続けていた。
「······ヒマルヤ?君が何故ここに?」
「気がついたかロシアド!良かった」
いつもチロルを挟んで仏頂面しか見せた事が無いヒマルヤが、安堵した笑顔をロシアドに向けた。
それを見たロシアドは、自分がまだ生きている事を実感した。チロルが無理やり飲ませた薬水の効果か、神の気まぐれか。
いずれにしても、ロシアドは分かっていた。これは、死の瞬間が僅かだけ延びただけだと。
「······あれは何だ?」
浮遊した巨大な岩石が、ロシアドの視界に入った。その岩石は無数の触手を伸ばし、自分の岩石の一部を周囲に撒き散らしていた。
その一部が積雪の上に落ちる度、大きな爆発が起きた。賢人も、魔物も、魔族の兵士達も、嵐のように起こり続ける爆炎と爆風に、戦闘を継続するのが困難になってきた。
五つの目を持つ岩石は、四つ目の眼が開いた。最後に残された半分閉じた眼が、ゆっくりと開き始めた。
それと同時に、岩石の至る所から亀裂が生じ、光が漏れ始める
。ロシアドは横たわったままそれを凝視し、ある事を悟った。
なんの為に、自分が僅かでも生き長らえたのか。その意味を、ロシアドは理解した。
巨大な岩石が起こす破壊の連鎖の中、尚も戦いを続ける少数の者達がいた。十英雄を従えるウェンデルは、ベロン率いる賢人達の包囲を中央突破しようと突入していた。
「奇怪な術を使う騎士よ!ここは通さん!」
ベロンは光の剣を発動し、ウェンデルに斬りかかる。ウェンデルの左右に控えていた二体の騎士が動く。
魔法将と異名を持つアルドレインは、長い銀の杖を振りかざした。するとベロンの足元から木の根が飛び出し、ベロンの身体に巻き付く。
「何だこれは!?」
古代呪文、樹木の縄。地中の木の根を伸ばし引き寄せ、敵を捕縛する呪文だった。ベロンは身体を拘束された。
そこに炎将と称えられたフレッドが迫る。フレッドの手にした剣は、巨大な炎を纏っていた。それは、持ち手の魔力に反応して発火する業火の剣と呼ばれる武器だった。
「小細工を!」
ベロンは風の刃の呪文を唱え、自由を奪っていた木の根を細断した。凄まじい迅速な反応で、フレッドの業火の剣を光の剣で迎撃する。
「······何!?」
ベロンの背中に、鋭い痛みが走った。かつて豹将と敵軍から恐れられたギャロットは、常人離れした快足でベロンの背後に回り込み、背中に必殺の一撃を与えた。
「善戦したな。賢人とやら」
体制を崩したベロンの眼前で、ウェンデルが黄金の剣を振り下ろす。ベロンは眉間を切断され、無言で頭から地面に倒れた。
ベロンの敗北に、他の賢人達が動揺する。そこに波打つ髪を乱しながら、トロッコが怒声を上げる。
「いい加減にしろお前ら!!これが最後の忠告だ。死にたくなければ避難しろ!!」
トロッコの言葉に呼応するかのように、巨大な岩石は自己の一部を無差別に周囲に放り投げる。
連鎖する大爆発は、ウェンデル達の戦場にも爆風を巻き起こす
。最早戦争どころではない事は、誰も目にも明らかだった。
この戦場に集ったあらゆる者達が、浮遊する五つ眼の岩石から逃げ始めた。だが、それをあざ笑うかのように、岩石は更に炸裂の暴風を生産し続ける。
「······自爆する気か?」
ウェンデル達と共に駆けるエルドは、遠目を効かし岩石の異変を察知していた。四つの眼は大きく見開き、忙しく眼球を動かしている。
そして残った最後の眼も徐々に開いていく。巨大な岩石の亀裂は顕著になり、このまま割れるのではないかと思われた。
その無数の亀裂から眩しい光が漏れていく。あの最後の眼が開いた時、あの岩石は自爆するのではないか?
この戦場に立つ者達の中で、唯一エルドだけが真実に辿り着いていた。仮にそうだとしたら、避難など間に合うはずなど無かった。
丘の断崖で、一人の人間と一人の魔族が業火の中にいた。ゴドレアは不敵な笑みを浮かべ、視界に映る紅蓮の炎を眺めていた。
死後の世界があるのなら、ゴドレアは再びネグリットに挑戦するつもりだった。
暴れるだけ暴れた。悪くない一生だった。ゴドレアはそう満足し、燃え尽きていった。
アルバも同様に、目の前の紅い炎を見ていた。父譲りのこの紅い髪と、どちらが鮮やかだろうか。
真紅の髪の男は、消えゆく自分の命を感じながら、そんな事を考えていた。後悔や無念さは余り無かった。
事を仕損じた。ただそれだけだった。燃えさかる炎の波で視界が揺れる。その揺れる先で、タクボが自分を見ている事にアルバは気づいた。
戦災孤児施設でタクボと出会った。もしあの時、タクボと同じ様な生き方を選んでいたら、どんな未来があっただろうか。
野良仕事を終え、沈む夕陽を眺めながら、穏やか一日に感謝でもしていただろうか。アルバが想像する景色の中に、幼き日の両親が立っていた。
アルバは鍬を置き、首に巻いた手ぬぐいを放り投げ、両親に向かって駆け出した。父と母は優しく息子に微笑み、両手を広げる
。
両親に一歩近づく度に、アルバの視線は低くなって行った。父の胸の中に飛び込んだ時、父はアルバを軽々と抱き上げた。
アルバは、幼き日の少年の姿になっていた。
「······終わったな」
胸の傷を手で抑えながら、ソレットは完全に燃え尽きたアルバとゴドレアを見届けた。
「······アルバは、彼は何を望んでいたのだろうか······」
誰に問いかけるでも無く、タクボは小さく呟いた。幼き日、自分を施設の洗脳から救っってくれた紅い髪の少年。
結局最後の一瞬まで、自分はアルバを理解する事は出来なかった。タクボは重い靄のような塊が、胸の中にいつまでも残り続けた。
「······師匠。戦場の様子が変です」
チロルの言葉に、タクボは振り向き戦場を見た。魔物も兵士達も何かから逃げているように見えた。
その中心に、崩壊寸前の岩石が浮遊していた。
「ロシアド!ここは危険だ。私に掴まれ!」
ヒマルヤがロシアドの肩を担ごうとする。ロシアドは岩石を見据えたまま、小声で返答する。
「······戦は出来ぬ、だ」
「何だ?何と言った?」
「······今朝の宿題の答えだ。腹が減っては戦は出来ぬ。チロルに伝えてくれ」
言い終えると、ロシアドは風の呪文で飛び去った。ヒマルヤは手を伸ばし絶叫する。
爆風の嵐を潜り抜け、ロシアドは岩石の前に降り立った。不逞な侵入者に、岩石はすぐ様触手を這わせ、ロシアドの身体を拘束する。
それは岩石の最後の眼が、正に見開く瞬間だった。
「······戦は出来ぬか······全く、人間と言うものは、空腹の時にすら戦争の事を考えているのか。救われないな」
目を閉じ、ロシアドは苦笑した。脳裏に浮かぶのは、牛肉のパイ包を幸せそうに頬ばるチロルの顔だった。
「眼を五つも持ち合わせたのは余計だったな」
ロシアドは目を見開き、石化の呪文を唱えた。その目に射抜かれた岩石は、一瞬痙攣し動きが停止した。その巨体から伸びた触手が石化していく。
五つある眼も石と化し、岩石の亀裂から漏れていた光は消えて無くなる。完全に動きが停止した岩石は地面に落下した。
石化した触手に拘束されたロシアドに、ヒマルヤが駆け寄る。大声で呼びかけるが、ロシアドからの返答は無かった。
勝者無き戦争。後に生き残った者達が、口々にそう言った。
魔者達は離散して行き、主君を失ったゴドレアの兵士達も撤退して行く。それを見届けてから、青と魔の賢人達も去って行った
。
街の壁上に戻ったエルドが見たものは、横たわるシリスと、その傍で泣き崩れるコリトの姿だった。
「······エルド······シリスが俺を庇って」
涙で擦れる声を絞り出し、コリトは黒衣の少年を見上げる。エルドは蒼白な表情でシリスに駆け寄る。
「······エルド。無事で良かった······」
シリスが顔を傾け、エルドを見る。シリスの右腕は肘から無く、顔も右半分が潰れていた。
「······頑張ったねシリス。今助けを呼ぶから頑張って」
エルドは優しくシリスに微笑む。自分が今どんな表情をしているか、エルドは分からなかった。
「······いいの。もう手遅れよ。ねえエルド······私ね。皆がオルギス教を信じれば、世界が平和になると思ったの」
「······うん」
「そうなれば、私みたいな戦災孤児が居なくなると信じていたの······ウェンデル様が現れて、それが叶うと思ったわ」
エルドは平静を保つ事が困難になり、肩が震え始めた。両目には悲痛な色が浮かんでいる。
「······カリフェースに戻って、それを見届けたかった······それだけが心残りなの」
「······僕が見届けるよ」
「······え?」
「僕がカリフェースに行き、教団の行く末を見届ける。約束するよ。シリス」
「······ありがとうエルド」
弱々しくシリスが微笑んだ。それを見たエルドは、両目から涙が溢れてきた。
「······ねえエルド。何で世界から戦争が無くならないのかな。人間も、魔族も······」
シリスの左目は、決して叶う事の無い遠い望みを眺めている様だった。
「······そうだね。人間も魔族も、まだその方法を考えつかないからだろうね」
「······そっか······難しいね」
エルドとシリスの様子を見ていたコリトが、嗚咽を漏らす。
「······シリス!何で俺なんか庇ったんだよ!」
「······コリト、あんた次の春に結婚するんでしょ?奥さんを幸せにするのよ」
「······俺、子供が生まれたら、シリスって名前をつけるよ。約束するよ!」
「······私みたいな暗い子に育てないでよ······明るいあんたが親なら大丈夫か······」
シリスの声は、そこで途切れた。未曾有の危機から街を守り抜いた警備隊員達は、勝利の歓声を上げる事は無かった。
チロルは丘の上に立ち、岩石が落下した場所を見つめていた。何故岩石の活動が停止したのか、少女には分からなかったが、チロルは何故か、その場所から目を離せなかった。
「······チロル。街に戻ろう」
余りにも多くの事が起こり過ぎた師弟には、心を落ち着ける拠り所が必要だった。その場所へ帰る。タクボの提案に、チロルは素直に頷いた。
タクボが風の呪文を唱え始めた時、それは起こった。タクボの襟から鳥の黒羽が浮かび、風を巻き起こす。
「······何だこれは!?」
タクボの身体が浮き上がる。チロルは師の手を掴む為に手を必死に伸ばす。
「師匠!!」
少女の手があと少しで師に届く時、タクボは巻き起こった風と共に空に消えた。少女は呆然として空を見上げ続けたが、タクボが戻る事は無かった。
······この戦場で、連合国軍で唯一最後まで戦いを見届けた者がいた。サラント国千騎長ハッパスは、生気の無い両目で荒れ果てた戦場を見つめていた。
この戦いで彼は、部下、そして同じ千騎長の僚友を多く失った
。そして何より、十七歳の息子が初陣でその命を落とした。
息子と仲間達は、なんの為に命を失ったのか。この戦争に何の意義があったのか。この戦争は誰が始めたのか。
「······このままでは済まさんぞ」
ハッパスの騎乗する馬に、気を失った一人の男が乗せられていた。その男は、クリスに敗れた賢人クロマイスだった。
······戦争から二週間が経過し、小さな街にはいつもの日常が戻っていた。大荷物を抱えて避難を急いていた事が嘘のように、住民達は日々の雑事に追われていた。
安宿の一室で、旅支度を整える者がいた。用意を終えた銀髪の少女は、椅子の上に立つ一匹の白猫に声をかける
「ラフト、行きますよ」
白猫は返事を返すように短く鳴き、少女の足もとに頭をすり寄せる。扉を開けると、廊下に二人の少年が立っていた。
「準備は整ったか?チロル」
平服に長い帽子を被った少年が、銀髪の少女に声をかける。
「はい。行きましょう、ヒマルヤさん。ラストルさん」
三人は宿屋を出て、朝から営業している茶店「朝焼けの雫」に向かった。
茶店に入ると、店にはエルド、マルタナ、モンブラがチロル達を出迎えた。
「旅の準備は出来たかい?チロル」
エルドは優しく微笑み、妹分の頭を撫でる。
「はい、エルド兄さん」
マルタナが目を潤ませ、チロルを抱きしめる。
「無理をしないでねチロル。疲れたらいつでも帰ってくるのよ」
「はい。マルタナ姉さんも元気でいて下さい」
チロルも細い腕でマルタナを抱きしめた。モンブラが半分泣きそうな表情で、チロルの前に立つ。
「······チロル!その······僕は君の事が······」
俯いた少年は、涙を堪え「元気で」と言うのがやっとだった。
「はい。モンブラさんも元気で」
三人に挨拶を済ませたチロルは、店のカウンターに向かい、茶店の主人に頭を下げる。
「おじさん。質素、平穏、安寧の世話をよろしくお願いします」
チロルは三匹の野良猫達の世話を、茶店の主人にお願いしていた。いつどうやって主人に了承させたのか、エルド達には謎だった。
茶店の主人は、無言で大きな麻袋をチロルに差し出した。袋の中からは、食欲を刺激するいい匂いがした。
チロルは笑顔で主人に礼を述べる。ラストルの隣で、ヒマルヤが小声で話しかけてきた。
「いいかラストル。そなたとは同い年だが、先にチロルと面識があるのは私だ。これから旅を共にするに当たって、チロルに対して失礼は許さんぞ」
「うん。分かったよヒマルヤ」
ラストルは笑顔で答えたが、ヒマルヤの真意は理解していなかった。あの戦争の後、ラストルは勇者ソレットに同行を誘われた
。
自分の願っていた夢が、現実となる事に歓喜したが、ラストルはその誘いを謝絶した。自分でもその理由は明確にあった訳では無かった。
敢えて言うのならば、自分の最終目標に近道をしすぎている。鍛錬の道に近道は無い。剣の師である祖父に、強く戒められていたのが大きかったのかもしれない。
そして何より、あの戦場で目を奪われたこの少女に同行する事が、今の自分に必要な事だとラストルは感じていた。
「行ってきます。エルド兄さん、マルタナ姉さん」
チロルはヒマルヤ、ラストルと共に笑顔で去って行った。突然姿を消した師を探す為に。それは、なんのあても無く、雲を掴むような話だった。
それでも少女に迷いは無かった。何年かかろうとも、自分の師を探し出す。何故なら、そこが自分の居場所だからだ。
チロルが背負う荷袋の中から、安価な魔法の杖がその杖先を覗かせていた。
······アルバとコドレアが焼失した丘の上に、二つの人影があった。一人は短髪の男、もう一人は腰まで届く長い髪の女だった
。
二人の男女は整った美しい顔をしていた。そしてその顔の造りは、瓜二つだった。何かの骨に糸を通した首飾りを下げ、獣の革で作られた茶色のマントを身に着けていた。
「······皇帝の剣を持つ者は、既に去ったようね」
黒髪の女が静かに呟く。丘の上から見下ろす大地の至る所に、戦火の爪痕が残っていた。
「結果的には、良かったのかもしれないな。俺達も仲間を集めるのに時間がかかる」
短髪の男は、小さな街の方角を見た。行路には、三つの人影があった。
「······そうね。準備を万端にして動きましょう。千年前の報復の為に」
「ああ。全ては······」
「精霊の神、ラバートラの復活の為に」
二人の男女は異口同音に呟いた。その口にした神の名は、歴史の書にも残らない遥か昔の神の名だった。




