人生は、口先三寸で凌ぐ時がある。
タクボは魔法障壁を張り、ルトガルが放った火球を四散させた。タクボは目の前の青い魔法衣を着た男を睨みながら、頭の中ではどう逃げるかだけを考えていた。
「······君は何者だ?連合軍の冒険者か?それともその娘の仲間かな」
ルトガルは、くたびれた革の鎧を装備している三十代半ばと思われる男を見る。身体は屈強には程遠い。手にしている杖も高価そうに思えない。
だが、自分の火炎の呪文を障壁で防がれた。この革の鎧の男は、間違いなく練達の頂きに到達している。ルトガルはそう断定した。
「私はそこの街の住人だ。街を代表して言わしてもらうが、君達の抗争に大変迷惑を被っている!」
タクボは、呆然としているターラに口を動かし伝える。ターラはタクボの唇の動きを読んだ。
「逃げるぞ」タクボは確かにそう言った。
「······では私も組織を代表して謝罪させてもらおう。迷惑をかけて申し訳ない」
ルトガルがタクボに頭を下げた。突然の謝罪にタクボは戸惑ったが、相手が下手に出た時、居丈高になるのは得意だった。
「街の施設修理費。人的損害賠償は後でまとめて請求させてもらおう。後、この娘は知り合いだ。人道的観念からも連れ帰らせてもらう」
ルトガルの青い瞳が静かな色から微妙に変化した。口元の髭を指先で触りながら、革の鎧の男に口を開く。
「その娘は見逃せんな。君が邪魔立てするのなら、君も排除する迄だ」
紳士的な交渉は、突然の最後通告で打ち切られた。だがタクボは言葉を発し続ける。
「この娘、四兄弟達は両親の仇を討つ為に戦っている。何故だ?君達組織が非情にも咎無き四兄弟の親を殺害したからだろう!」
「咎ならある」
「どのような罪だ!?」
「巨大な力を持っていたからだ。それが罪だ」
ルトガルは静かな口調で言い切った。その唇の動きを読んでいたターラは、言葉にならないうめき声を発し、ルトガルに斬りかかろうとする。
タクボがふらつくターラの身体を抑える。ターラは激昂し、獣のような声で何度も叫んだ。
「······この娘は君達に声帯を潰され、話す事も出来ん。この娘の怒りが聴こえるか?魂の叫び声を君は感じるか!?」
「······四兄弟の境遇に弁明はしない。しても許される事ではないからな。だが、我が組織も死傷者が出ている。我らと四兄弟は、もう殺し合うしか道は残されていない」
ルトガルが話は終わりだと言うように一歩前に進み出た。タクボは最後の足掻きを言葉に変えて吐き出す。
「君達が参戦してから、随分と時間が経過した。既に戦う力は残っていないのでは無いか!?」
「確かに君の言う通りだ。仲間内で余力を残している者は皆無だろう。それでも敗北は許されない。それが我々の組織だ」
「では君達の議長が細菌を持って、世界を滅ぼそうとしている事については周知の事か!?」
「······何?」
タクボは、モンブラが苦難の末に届けた真実をルトガルに語った。アルバは細菌兵器に関して組織にも秘密裏に事を運んでいる。アルバの性格を分析し、タクボはそう確信していた。
ルトガルは衝撃的な告発内容に、表面上は冷静さを保っていた。しかし、タクボの口からモンブラの名が語られたのが大きかった。
ネグリットの秘書の一人が行方不明だったのは、ルトガルの耳にも入っていた。前中央裁行部全員の謎の暗殺。もしアルバがそれに細菌を使用したとしたら、暗殺は可能と思われた。
「······娘よ。一応聞いておく。我が組織の城に潜入し、議長達を暗殺したのは君達四兄弟か?」
ルトガルは、ターラの言葉にならない叫び声を目を細めて聞いた。読心術の覚えの無いルトガルにも理解出来た。ターラの唇は「違う」と確かに言った。
「分かっただろう!私達はここで争っている場合じゃない。アルバを拘束しないと、いつ細菌がばら撒かれるか知れないぞ」
タクボの説得を遮るように、ルトガルは再び一歩前に出る。
「······それとこれとは話が別だ。細菌の件については後で考えるが、君達をここで見逃す理由には無らない」
タクボは交渉を断念せざるを得なかった。安価な杖をかざし、爆裂の呪文を唱えた。ルトガルが爆炎に包まれる。
だが、炎の中からルトガルが無傷で姿を見せた。右手には、魔法石が装飾された杖が握られている。
「この杖は振りかざすと、魔法障壁と同じ効果が得られる。魔力が尽きた時便利でね。君の杖はどんな効力を秘めているのかな?」
戦災孤児施設を出た時に貰った安価な杖に、そんな能力は備わっていなかった。タクボは考えた。
この青い魔法衣の男は、何故自分の魔力が尽きているかのように話すのか。罠か?その言葉が脳裏に浮かんだ時に、場違いな可笑しさが込み上げてきた。
天下の青と魔の賢人が、通りすがりの冒険者を騙す必然性が無かった。つまり、この賢人は本当に魔力が尽きている可能性が高い。
タクボはそう断定し、風の呪文を唱え始めた。その時、タクボは見えない壁に弾かれるように吹き飛ばされた。
それは衝撃波の呪文だった。地面に転がり、したたかに身体を打ち付けたタクボは、青い魔法衣の男を見る。
「ああ。言い忘れたがこの杖は逆さにして振りかざすと衝撃波と同じ効果がある」
ルトガルは澄ました顔で言い捨てた。タクボは切れた唇の端から滲む血を舐めながら、この男は魔力が既に尽きていると確信した。
その時、タクボの耳に獣の咆哮が聞こえた。三つ頭の獣が猛然とこちらに近づいてくる。三つ頭の内、二つの口から吹雪と雷撃が、ルトガルめがけて放たれた。
ルトガルはそれを杖で防ぐ。三つ頭はタクボの前に座り込み、口にくわえた手拭いを差し出す。それは、タクボが洗濯をせず部屋に放置していた手拭いだった。
タクボは怪訝な表情で三つ頭を眺める。何故この獣が部屋にあった手拭いを持っているのか?タクボの頭に、チロルの顔が浮かんだ。
「······お前は、チロルの使いでここに来たのか?」
チロルの名を聞いて、三つ頭は大口を開き、舌を出したまま忙しなく息を吐く。タクボはこの事態を深く考えなかった。重要なのは、この獣が味方かどうかだった。
「······この娘を安全な所に運んで欲しい。頼めるか?」
弱々しく抵抗するターラを抱え、タクボは三つ頭の獣の六つの目を見る。獣は自分の背に載せろと言わんばかりに背中をこちらに向けた。
三つ頭の獣はターラを背に載せ、走り出す。ターラは何かを叫んでいたが、タクボはそれを見届けず、瞬時に魔法障壁を張る。
三つ頭が去った方角に衝撃波が来た。タクボは魔法障壁でそれを防ぎながら、ルトガルに近づく。
タクボがルトガルに手が届く距離に詰めた時、タクボは安物の杖でルトガルの右手を殴打する。
ルトガルは苦痛に顔をしかめ、右手に持った杖を離してしまった。しかし、同時にルトガルは呪文を唱えていた。それは、タクボの障壁が途切れた一瞬の間隙だった。
タクボは魔力が湧いてこない事に気づく。ルトガルに魔法封じの呪文をかけられた事は疑いようが無かった。
「······まだ魔力が残っていたのか。驚いたな」
「今の魔法封じで、正真正銘尽きたよ」
タクボは安価な杖を投げ捨てルトガルと睨みあう。
「魔法使いは常に冷静で、どんな局面でも正しい判断で仲間を救う。世間での一般的な魔法使いの理想像だ」
突然のタクボの理想論に、ルトガルは何の意図があるのか理解出来なかった。
「······その通り。我が組織でもそう思われているよ」
「だが現実はどうだ?こっちの都合も考えず、好き放題に事態を広げ、散らかし、複雑にされ、最後にその後始末を押し付けられるばかりだ!そう思わないか?」
ルトガルは用心する。この局面で只の愚痴を言う筈がない。しかも戦っている相手に。ルトガルはタクボを注意深く観察する。
「その点については同感だな。仲間の勝手な行動に、我々魔法使いは何かと負担を強いられる」
「そこでだ」
「?」
タクボが拳を振り上げ、ルトガルを殴った。体重も乗せていない軽い殴打だったが、ルトガルの膝は折れ、雪の上に手を着いてしまった。
「日頃の鬱憤を君で解消させてもらおう。魔力が尽き、非力そうな君にならそれが出来そうだ」
ルトガルの返答は蹴りだった。これも大して威力の無い打撃だったが、タクボはそれを腹部に受け悶絶する。
「不満のはけ口にされるのは心外だな。私も人間だ。不満や不平は山程抱え込んでいる。だがそれを······」
言い終える前に、ルトガルは顔面にタクボの右拳を受けた。鼻から出血し、顔を歪める。
この男に深淵な意図や思惑は無い。ただの酔っ払いが暴れているのと同列だ。ルトガルはそう確信した。
練達の頂きに到達した男と、仲間から世界一の魔法使いと讃えられる男は、互いに非力な身体能力を駆使し、殴り合いを続けた。
タクボを探し、チロルは戦場を走っていた。横たわるロシアドに、後で必ず来ると一言だけ言い残し、その小さい身体を動かす。
息切れする呼吸を乱しながら、今はとにかく身体を動かしていたかった。魔物の群れを二度突破した時、チロルの頭上で双頭の大鷲の鳴き声が聞こえた。
チロルが上を見上げると、白いローブが真っ直ぐこちらに落下して来る。その白いローブを纏った者に、大鷲が複数まとわり付き攻撃している。
白いローブの者は、落下しながら大鷲を風の刃の呪文で切り裂いて行く。白いローブに取り付いてい大鷲は全滅したが、呪文の詠唱者は地面に叩き付けられると思われた。
チロルは咄嗟に落下する者の真下に滑り込み、衝撃波の呪文を唱える。落下速度が衝撃波で相殺され、白いローブを纏った者は体勢を持ち直し、粉雪の上に着地した。
「ああもう最低!大鷲如きに落とされるなんて」
そばかすの少女は、衣服の埃をはたきながら強い口調で空を見上げる。そしてチロルを見ると、小さい瞳を細めた。
「ちょっとあんた。助けたなんて思わないでよね。私はちゃんと風の呪文で着地出来たんだから」
そばかすの少女は、肩にかかったおさげを手で払いながら再び強い語気で言い切った。
「······賢人は嫌いです」
チロルは小さく呟き、そばかすの少女を置き去りにして駆け出す。そのチロルの背後から、そばかすの少女が猛然と迫って来た。
「ちょっとあんた!誰を無視したと思っているの!?青と魔の賢人に史上最年少で入る事を許された、天才少女メーシャ様とは私の事よ!」
「······何か用ですか?」
「はああぁ!?あんた人の話聞いてんの?ちょっと瞳が大きいからって調子に乗るんじゃないわよ!三年後辺りには絶対私の方が可愛くなってるんだから!」
メーシャはチロルに並走しながら、容姿に関する現時点での敗北を、自ら宣言してしまった。
「大器朝成とは、私の事を言うんだからね。あんた、将来歴史に名を残す大物と今話しているのよ!」
「······それを言うなら大器晩成です」
「んな事は分かってるわよ!造語よ、造語!早くして、その大器を完成させてしまった私の為の造語!」
「······今完成なら、これから衰える一方ですか?」
「はああぁ!?んな分ないでしょ失礼ね!これから、まだまだ成長するっつーの!!」
「······はあ。頑張って下さい」
「なんで上から目線なのよ!ちょっとアンタ!」
メーシャがチロルの肩を掴み、足を止めさせた。
「私の事を助けたと思われたままじゃ癪だから、教えといてあげる。今すぐこの戦場から逃げなさい」
メーシャはべロットが語った巨大な岩石について簡潔にチロルに説明した。
「······被害は、あの街にも及びますか?」
「間違いなく消し飛ぶわ。急ぎなさい」
チロルは街の方角を一度振り返り、再び走り出した。
「ちょっとアンタ!名前はなんて言うの?」
「チロルです」
「······チロル。さっきは助かったわ。ありがとう」
メーシャはそう言い残し、空に群がる双頭の大鷲に向かって飛び去って行った。
ウェンデルとモグルフは、七人の賢人達に追い詰められていた。巧妙に黒の巨体と魔物達を盾にしていたが、全て賢人達に倒された。
ウェンデルの中のオルギスは戦況を楽しむ一方、ある決断をしていた。その決断を実行する為には、ウェンデルに限界まで消耗してもらう必要があった。
オルギスはその時を待った。黄金の剣が復活するまで千年の時が必要だった。その長さに比べれば、この戦いの推移を黙って見守る事など、オルギスにとって造作も無い事だった。
『ウェンデルよ。お主の清新、快活な心は度が過ぎた』
オルギスは重苦しく呟いた。これ以上ウェンデルの中に居て彼の影響を受ける事は、オルギスにとって余りにも危険な行為だった。
『余が余である内に行動させてもらう』
千年前の皇帝は、薄暗い精神の霧の中から、鋭い眼光を外に向ける。その両目は、無慈悲な程冷たかった。




