元魔王の少年は、命を賭して流血王に挑む。
戦火を逃れる街の住民達を護衛して、ウェンデルは隣街を目指していた。その間に魔物に三度、盗賊に一度、山に入ってからは山賊に二度襲われた。
ウェンデルはタクボの寄付金で雇われた冒険者と共に、魔物と賊に立ち向かった。いつも先陣を切るこの紅茶色の青年に、冒険者達は畏敬の念を抱き、いつの間にかウェンデルは護衛部隊の隊長となった。
何度も小さな街の方角を振り返るウェンデルに、冒険者達は街に戻るよう隊長に勧めた。ウェンデルは悩んだ。隣町まであと半日はかかる。ここで護衛役を放り投げてもいいのかと。
「ウェンデル隊長。俺達を信じてくれ。住民達は、必ず無傷で送り届ける」
冒険者達のこの一言で、ウェンデルは小さな街に戻る事を決意した。この後、護衛の冒険者達は一致団結し、住民達と共に無事に隣町にたどり着く事となる。
小さな街に舞い戻ったウェンデルは、北門の壁上にいた態度の大きい魔法使いに、手短に戦況を聞いた。
その若者が自分の活躍ぶりを話し始めたので、ウェンデルは丁重に無視し戦場に向かった。
白いローブを纏った者、魔物、魔族の兵達が入り乱れる戦場をウェンデルは馬で駆けていく。知己の者を探したが、誰にも出会えなかった。
ふとウェンデルの目の前に、隻腕の男の姿が見えた。その男は、白いローブの二人組に挟撃されようとしていた。
流れ矢にウェンデルの馬は射られ、馬は横転しそうになる。ウェンデルは馬から飛び降り、鮮やかに着地し走り出した。
「······お前は、ウェンデルか?何故俺を助けた?」
モグルフは息を切らし、髪にかかった粉雪を払う青年に話しかける。ウェンデルの足元には、後頭部を強打され昏倒しているデロンギがいた。
「モグルフ。君は正々堂々とした男だ。死なせなく無かった。それだけさ」
紅茶色の髪の青年は、爽やかな笑みをモグルフに向けた。だか、二人が友情を育む時間はこの戦場には無かった。
「この戦争を止める。私の目的はその一点だ。仲間のエルドが、バタフシャーン一族の指揮官を追っている筈だ。私は青と魔の賢人の指揮官を探す。モグルフ。組織の指揮官の所在が分かるか?
」
「······アルバと言う男だ。まだこの戦場では見かけていない。どこか別の場所に潜んでいるかもしれん」
ウェンデルとモグルフの前に、別の賢人二人が現れた。紅茶色の髪の青年と隻腕の男は、暗黙の了解の元、共闘を始めた。
流血王ゴドレアは、獲物を求めて戦場を徘徊していた。白いローブを纏った人間と魔族を一人ずつ倒し、賢人の剣と槍によって負った深手を治癒の呪文で回復させる。
だが、傷口は完全には治らなかった。ゴドレアは傷口を無造作に触った。
「······魔力が尽きたか」
ここからは致命傷一つで命を落とす事になる。流血王は禍々しい笑みを浮かべた。彼にとって自分の命ですら、戦場を愉しむ道具の一つでしか無かった。
「止まれ!そこの魔族の者!」
ゴドレアの前に、一人の長い帽子を被った少年が立っていた。この戦場で甲冑を身に着けず、平服の少年は鋭い眼光を流血王に向ける。
「小僧。道にでも迷ったか?早く親の所にでも帰るがいい」
「我が名はヒマルヤ!その目を覆う黒い布を身に着ける者よ!そなたはゴドレアであろう。サウザンドの仇、討たせてもらう!」
サウザンドとゴドレアの一騎打ちを見届けたネーグルに、ヒマルヤはゴドレアの外見を聞いていた。
ヒマルヤは宣戦を布告した後、漆黒の鞭をゴドレアに振るった。流血王は咄嗟に大剣でそれを防ぐ。
光の黒い鞭が大剣を砕いた。ゴドレアは折れた剣を投げ捨て、自らも魔法石の杖を握る。
「ほう。お前はサウザンドの身内か。だが、その武器を振るうのなら、相応の覚悟は出来ているのだろうな?」
「貴様を倒せるのなら、この命惜しくは無い!」
ヒマルヤは再び、光の鞭をゴドレアに叩きつける。ゴドレアも太く強力な鞭で応戦する。二体の龍が共食いをするかのように、互いの鞭が弾きあう。
両者の実力差はすぐに形となって表れた。ヒマルヤはゴドレアの重い一振りを受ける度に、右腕に痺れを覚えた。
その痺れは両足にも伝わってきた。ヒマルヤは距離を取り後退する。屈辱の余り顔は紅潮した。
「どうした小僧?サウザンドと言う男は、俺から一歩も退かず戦ったぞ」
思慮深さを求めるには、ヒマルヤは余りにも若く、幼かった。元魔王の少年は大声を上げ、風の刃の呪文を唱えた。
ゴドレアが漆黒の鞭でそれを防ぐと、再びヒマルヤは距離を詰めていく。それは、相打ち覚悟の無謀の突進に見えた。
ヒマルヤは渾身の一撃をゴドレアに放つ。流血王の眉間を狙った光の鞭は、ゴドレアが首を捻り空を切った。
「終わりだ小僧」
無防備になったヒマルヤに、ゴドレアが死の一振りを浴びせようとした。
「言った筈だ。貴様を倒せるのなら、命は惜しくないと!」
ヒマルヤの鞭の先端は、向きを後ろに変え、ゴドレアの後頭部を襲った。だが、ゴドレアは再び首を捻りそれを避ける。
「······馬鹿な!?」
ゴドレアは右足でヒマルヤを蹴り上げる。ヒマルヤの身体は雪上に転げ落ちた。
「小僧。これが経験値の差という物だ」
ゴドレアはゆっくりとヒマルヤに近づいて来る。うつ伏せになったヒマルヤは脇腹に鋭い痛みを感じた。今の打撃で肋骨を折ったらしい。
ヒマルヤは口から滲む血を手の甲で拭い、絶望感に襲われた。自分は最後まで無力なのかと。ヒマルヤの脳裏に、サウザンドの言葉が過った。
『我が君。戦いは冷酷です。気力や決意などで力の差が覆る事などあり得ません』
ヒマルヤは震える左手で粉雪を握りしめた。その左手が腰のベルト触れた。そのベルトには、サウザンドの杖が繋がれていた。
ヒマルヤは片膝を立て、立ち上がろうとする。そして、再びサウザンドの言葉を反芻する。
『ですが我が君。強い意思無くして、成し遂げられる事など何一つありません』
「私の戦いを見ていろ!サウザンド!」
ヒマルヤは叫びながら、右手で漆黒の鞭を振るう。ゴドレアの頭部を狙った鞭は、流血王に無言で弾き返された。だが、ゴドレアの左腕から鮮血が吹き出した。
「······何?」
ゴドレアの左腕を切り裂いたのは、有る筈の無い二本目の鞭だった。ゴドレアは目を見開きヒマルヤを凝視する。
ヒマルヤの左手には、もう一本の杖が握られていた。漆黒の鞭を二本同時に発動させるなど、ゴドレアは聞いた事が無かった。
勇者の光の剣、漆黒の鞭は、発動者の体力、気力、魔力を膨大に消費する。それを二つ同時に使用したらどうなるか。
「······小僧。その代償を覚悟の上か?」
ヒマルヤの全身は震え、鼻から血を流していた。だが元魔王の少年は、その震える足を前に踏み出す。
「······三度は言わぬぞ!私はお前を倒す!」
ヒマルヤは両手で、二本の漆黒の鞭を放った。二体の黒龍が胴体をくねらせ流血王に襲いかかる。ゴドレアは、自身の鞭でそれを防ぐ。
だが全ての攻撃を凌げず、ゴドレアの身体には無数の傷がつけられていく。ゴドレアは、全神経が研ぎ澄まされて行く事を感じていた。
この鞭の形をした死の鎌の雨に、その身を置く興奮は流血王を狂喜させた。
「小僧!もっとだ。もっと俺を愉しませてみろ!!」
ヒマルヤとゴドレアの嵐のような鞭の応酬に、粉雪は空まで舞い、ニ人の視界を遮る程だった。
両者の頭に粉雪が積もり始めた時、ゴドレアを切り刻んでいた鞭の雨は急に止んだ。ゴドレアは前方に展開していた鞭を下ろす
。目の前には、ヒマルヤが倒れていた。
「······力尽きおったか」
ゴドレアの歓喜の時は、突然終わりを迎えた。ゴドレアの全身はヒマルヤの二本の鞭によって傷だらけだった。
しかし、ゴドレアに致命傷を与える事は叶わなかった。流血王はヒマルヤの死に顔を見る為に歩き出す。それはゴドレアにとって、勝者の義務だった。
降雪に半身を埋めたヒマルヤは、左手に杖を握ったまま倒れている。ゴドレアはうつ伏せのヒマルヤの背中を掴み、起こそうとした。
その時、ゴドレアは脇腹に熱を感じた。その熱は瞬時に痛覚を呼び起こし、全身に伝わる。
ゴドレアの脇腹は、黒い光の鞭で貫かれていた。流血王はヒマルヤの左手に握られた杖を見る。
その杖は、漆黒の鞭を発動させていた。だが、黒い光はすぐに消えて無くなった。ヒマルヤは微動だにせず、意識を取り戻したようには見えなかった。
闘争心が起こした無意識の芸当か。それとも、ここに存在しない者の力を借りたのか。ゴドレアは片膝を落とし、口から血を流す。
魔力が尽きた筈のゴドレアの中に、僅かだが魔力が湧いてきた。以前から感じていた異質な魔力だ。
この魔力を使えば、まだ戦場で愉しむ事が可能だった。ゴドレアはこの時、異質な魔力の正体が分かった。否、本当はこの魔力を感じた時から流血王は気づいていた。
この魔力は、ネグリットの手掌眼が自分に与えた物だった。かつてゴドレアは、ネグリットに七度戦いを挑み、七度敗れた。そして、七度助命された。
生涯の宿敵と決めた男は、死しても尚、自分の命を助けようとするのか。ゴドレアは血に滲む口に笑みを浮かべた。
結局俺は、最後まで奴の手のひらの上か。ゴドレアは自分をそう皮肉った。だが、ネグリットの魔力を借りてまで生き長える事は、ゴドレアの矜持が許さなかった。
「小僧。面白い物を見せた褒美だ」
ゴドレアはヒマルヤの身体に手をかざし、僅かな魔力で治癒の呪文を唱えた。ヒマルヤの身体が白銀色に包まれる。
「助かるかどうかは、お前の運次第だ」
ゴドレアはそう言い残し、片足を引きずりながら歩き出す。
「······長くは持たんな」
脇腹から流れる血を手で押さえながら、ゴドレアは小さく呟く。ゴドレアにはまだ、借りを返さなくてはならない相手がいた。
「······アルバめ。奴はどこだ」
その時、北西の方角に一筋の雷が地上から空に上がっていく。それは二度、三度と続いた。その先には、この戦場を見下ろすように高台がこちらを向いている。
あの雷撃は天の知らせか。それともネグリットの虫の知らせか。ゴドレアは頭を振る。
「······天に意思など無い。まして、死んだお前にそんな力があるものか。あの高台には誰もおらん。それを今から証明してやる。」
流血王は北西の丘に向けて歩き始めた。三本の鞭で空に撒き散らされた粉雪は、いつのまにか止んでいた。
ボネットは馬を駆り戦場の中を進んでいた。途中、斬りかかってくる魔物や兵士を倒しながら、アルバを探していた。
ボネットの後ろに同乗するモンブラは、血生臭い戦場の光景に言葉を失っている。
「坊主。そう堅くなるな。人生は酒と女、あとは午睡があれば事足りるものだ」
突然のボネットの意味不明の言葉に、モンブラは返答に窮した。酒の味は分からないが、昼寝はモンブラも好きだった。
女と言われ、モンブラはチロルの事を思い出し頬が赤くなる。数百年に一度生まれるかどうかの勇者の金の卵。
チロルがそうだと知った時、モンブラは驚き、チロルを遠い存在に感じてしまった。モンブラは後ろを振り返り街の北門を見る。モンブラは心からチロルの無事を祈った。
「さて。戦場では、人一人探すのも難儀だな」
ボネットが周囲を面倒そうに見回す。
「ボネット様。アルバ賢人は組織の第二派閥の領袖でした。中央裁行部を全員暗殺したとしたら、現在彼は議長になっている可能性が高いです」
「組織の権力を握ったと言う事か。ならば、この戦争も高みの見物をしているかもしれんな」
ボネットが素早くこの戦場を見渡せるような高台を探す。それは北東、北西に一つずつあった。
「坊主はどっちだと思う?」
「北西の高台です」
「その理由は?」
「もしアルバ賢人が細菌をこの戦場に撒くとしたら。必ず風上に立ちます」
モンブラの断言に、ボネットは不敵に笑った。
「よし坊主。世界を救えるかどうか、お前の考えに乗るとしよう」
この時ゴドレアが目撃した空へ放たれた雷撃を、ボネットとモンブラも目にした。それが何を意味するのか。二人は無言のまま、馬を北西に走らせた。
バタフシャーン一族の頭目は、望遠鏡でゴドレアとヒマルヤの戦いを見ていた。そして驚愕した。旧友がヒマルヤと相討ちのように見えたからだ。
頭目はゴドレアに近づく為に双頭の大鷲の高度を下げた。それは、エルドの射程距離に入る事を意味していた。
一本なナイフが大鷲の眼球に刺さった。大鷲は突然の苦痛に驚きバランスを崩す。大鷲の背から落ちそうになった頭目は、必死に背中の毛を掴み、大鷲を大声で罵倒する。
頭目は何とか大鷲を地上に降ろした。代わりの大鷲を呼ぶために、角笛を口にする。その時、頭目は背中に痛みを覚えた。
エルドが背後から投じた三本のナイフは、全て頭目の背中に命中した。身につけた高価な装飾金属が音を鳴らし、頭目は倒れた
。
苦痛に耐え、頭目は顔を上げ自分を殺そうとした相手を見ようとする。その相手と交渉する為だ。どんな人間、魔族でも金を積まれれば仰ぐ旗をすぐに変え、主君や雇い主を裏切る。
頭目は金の底しれぬ魔力を理解し、信じていた。自分にとどめを刺そうと近づいてくる何者かにも、頭目は大金を提示するつもりだった。その者が見た事も無い大金を。
頭目がエルドにふり返った時、頭目の胸に二本のナイフが吸い込まれた。黄色い髪の若者は、自分に何が起こったのかすぐに理解出来なかった。
自分は今まで、全て交渉で修羅場を生き抜いてきた。首元に刃を当てられた時も、口先一つで相手を説き伏せた。
なぜ目の前の男は自分に交渉をさせないのか?一瞬止まった呼吸が再開した時、頭目は血を吐いた。
「悪いね。標的には口を開かせるな。前職の固い掟なんだ」
冷酷な目でエルドは暗殺対象者を見下ろす。頭目が角笛を口にした時、エルドはその角笛を蹴り上げた。
「······角笛?まさかこれで魔物を?」
頭目は血だらけの口を開け笑った。
「······くくく。もう遅い。全てが手遅れじゃ。角笛は既に吹かれた」
頭目はそう言い残し息絶えた。旧友ゴドレアに時間遡及治癒を施してもらい、若さと引き換えに寿命を縮めた。
その縮めた寿命を延ばす為に、一族の力を結集し秘薬を精製した。その秘薬の効果があったかどうか。頭目は自身の身体で確かめる機会を永遠に失った。
エルドの耳には笛の音など聞こえなかった。大きな地鳴りが聞こえて来たのは、しばらくしてからだった。
「······なんだ?この音は?」
バタフシャーン一族の指揮官にしては若すぎる男の死体を一瞥し、エルドは音のする方角を遠目を効かし見る。
それは、粉雪が埋め尽くす地中からゆっくりと這い出て来た。




