少女は下僕を得て、灰色の髪の女は最強剣士と対峙する。
賢人ブラームズは、目の前の少女の姿に驚愕した。なぜこんな少女が、戦場にうろついているのか。
「······君はあの時の?なぜ僕を助ける」
ラフトは銀髪の少女を見上げた。チロルはブラームズに身体を向けたまま口を開く。
「さっき北門を救ってもらったお礼です。貸しは利子が増える前に返せ。師匠の教えです」
「何を生意気な事を······」
ブラームズがチロルにゆっくりと近づく。
「少女よ。ここは戦場だ。早く立ち去りなさい」
言いながらもブラームズは、異様な違和感を感じていた。この少女から感じる殺気はどう説明をするのか。
少女の瞳が発するこの侵しがたい強い意思は何なのか。
「······これは、戦士の目だ!」
ブラームズは本能的に悟った。この少女は危険な存在だと。
「賢人達は嫌いです」
チロルは勇魔の剣に光を発動させ、ブラームズに斬りかかった。こんな少女が光の剣を!ブラームズは内心叫びながら漆黒の鞭でそれを防ぐ。
白と黒の火花が散った。チロルは剣を地面に刺し、剣の柄を蹴り上げブラームズの上に飛んだ。
自ら武器を手離したその行為より、次の光景にブラームズは目を奪われた。少女の右腕は、光を纏っていた。
少女の背格好と生身の身体に光を発動させる行動に、ブラームズは一瞬反応が遅れた。チロルの右腕は、ブラームズの胸を切り裂いた。
深手を負い、ブラームズは倒れる。その時、三つ頭の魔物と距離を取っていたメイトスの鞭がチロルの背後を襲った。
チロルの背中を貫く筈の鞭は、飛び出したラフトの腹部に突き刺さった。チロルはすぐさま剣を抜き取り、メイトスに駆け出す。
チロルと三つ頭に挟まれたメイトスは、左手で衝撃波の呪文を三つ頭に放ち、右手の漆黒の鞭でチロルを迎撃する。
透明な壁に弾かれたように三つ頭が後方に飛ばされ、チロルは鞭を防ぐ為に足を止められた。
前後の敵を素早く視認するメイトスは、腹部の鈍い痛みに気付いた。メイトスは視線を下にやると、自分の腹に小さいナイフが刺さっている事に気付く。
鈍い痛みから、四肢が痺れていくのは一瞬だった。
「······毒か!」
メイトスは腹部からナイフを抜き取る。
「解毒の呪文は間に合いませんよ。そう造ってありますから」
ラフトのひびが入った眼鏡の中の両目は、冷徹な色をしていた。
メイトスは口から吐血し、傷口を両手で抑えながら倒れた。ラフトも汗を流しながら腹部の傷に手を当てる。それは、どう見ても致命傷だった。
突然ラフトの身体が浮き上がった。チロルがラフトを背負い、歩き始めた。
「······お嬢ちゃん。何のつもりだい?」
小さすぎる背中に背負われたラフトは、薄れ始めた意識の中で妙な気分だった。
「あなたを助けます。眼鏡のお兄さん。師匠が言っていました。あなた達四兄弟は、大切な両親の仇を討つ為に戦っていると」
ラフトは考えていた。この少女のような真っ直ぐな心を持ち合わせていたら、復讐だけの人生も少しは違った物になったのか。
兄ザンドラは、何を思って死んで行ったのか。心配性の兄の事だ。他の兄弟を思っていたに違い無かった。
自分は最後に何を思って死んでいくのか。ラフトのぼやけた視界に、三つ頭の獣が心配そうにラフトを見ていた。
「······お嬢ちゃん。余計な事をしてくれたお礼だ。僕の最高傑作のこの魔物を君にあげよう」
ラフトは小声で、三つ頭の獣にチロルを新しい主人として仕えるよう命じた。
「この頭が三つある子ですか?せっかくですけど、食費がかかりそうなので遠慮します」
自分の無尽蔵な食欲を棚に置いて、チロルはラフトの好意を断った。
「······全く。君はやっぱり生意気な子だな。いいまじないを教えよう。そうすれば、この魔物は小さく姿を変える」
ラフトは小さな声で、チロルにまじないの言葉を教えた。
「すいません眼鏡のお兄さん。もう一度言って貰えますか?」
余りにも小さな声だったので、チロルは聞き返した。だが、ラフトの返答は無かった。三つ頭がラフトのローブをくわえ、ラフトの身体を雪の上に置いた。
ラフトは穏やかな顔で息を引き取っていた。チロルがラフトのずれた眼鏡を元に直し、三つ頭の獣を見る。
「······あなたの主人は亡くなりました。私と一緒に来ますか?
」
三つ頭の獣は、チロルの首元をくわえ、自分の背中に乗せた。息を荒々しく吐きながら、新しい主人の命令を待つ。
「私の名前はチロルです。お前の名前は今日からラフトです。行きましょう、ラフト」
新たな主人と名前を得た三つ頭の獣は、雪を蹴り上げ走り出した。
賢人達は消耗しながらも、黒い巨体を最優先で倒していった。一人が陽動人員になり、もう一人が黒い巨体に致命傷を与える。
巨体の傷口が爆発する前に、氷結の呪文で凍らせる。亡きロールハックが命を賭して仲間に見せた戦いが、賢人達の戦局を支えていた。
黒い巨体が倒される光景に、他の魔物達やゴドレアの兵は怯み、進軍の足が鈍り始めた。
孤立無援になったモグルフとターラは、六人の賢人達に包囲され、危機に瀕していた。
モグルフは決断する。ターラをこの場から脱出させ、あの天変地異を起こした魔法使いを仕留める事を。
あの巨大な魔力を操る者を倒す機会は、今日以外に無かった。あれだけの呪文を使った以上、残りの魔力は僅かな筈だった。
ターラもそれを理解し、兄を死地に残す事を断腸の思いで耐えた。全ては、青と魔の賢人を滅ぼす為に。
「行け!ターラ!」
モグルフが地下振動の呪文を唱え、賢人達の注意を引く。ターラは駆け出し、包囲の一角めがけて突っ込む。
賢人ダラットとペイウスが、大剣と戦斧でターラを襲う。ターラは大剣を受け流し、回し蹴りで戦斧を持つペイウスの足元を払った。ペイウスは体制を崩し、ダラットに体をぶつける。
ダラットとペイウスは、急いで体勢を立て直し、灰色の髪の女に振り返る。だが、二人の前から女は姿を消していた。
ダラットとペイウスは転移の術を思い出し、反射的に武器を背中に当てる。
二人の賢人の背中に衝撃が来た。転移の術でダラットとペイウスの背後に現れたターラは、高速の斬撃を浴びせた。
二人の賢人は防御のお陰で致命傷は逃れたが、傷を負いターラを追跡出来なかった。この日、ターラによって三人の賢人が斬られた。
「マサカドにその女をやらせろ!奴でなくては対抗出来ん!」
賢人ベロンが仲間の名を叫ぶ。ベロンは組織の最高意思決定機関である、中央裁行部の一人であり、裁行部の中で唯一この戦闘に参加していた。
「マサカド。アルバ議長代理のベロンがご指名だ」
青い魔法衣を纏ったルトガルが、自分の足元で寝そべっている男に声をかける。
「······いいのか?俺はあんたの護衛役だろう」
男は細い目を開けてルトガルを見上げる。ルトガルの表情から、いつもの穏やかさが消えている。
「事態は抜き差しならないと言う事さ」
ルトガルは、真っ直ぐこちらに向かって来る白いローブを着た女に視線を向けていた。
「我が組織の危機。そう言う事か?」
マサカドと呼ばれた男はゆっくりと立ち上がった。黒髪を頭頂部で結い上げ、細目の眼に細身の身体。甲冑は身に着けておらず
、腰の剣は細く、異様な形をしていた。
マサカドは年齢三十前後に見えた。彼はルトガルと同様に、組織の中で稀有の存在だった。彼は魔力が全く無く呪文は使えない。
ただ剣の能力のみを持って、組織に入る事を許された。その剣技に敵う者は、組織の中で誰も居なかった。
仲間から世界一の剣士と讃えられた時、マサカドは遠い目をする事があった。世界と言う言葉を耳にし、彼は遠い故郷を思う時があった。
マサカドは難破船でこの大陸に漂流してきた。砂浜で意識を取り戻した時、覚えていたのは自分の名と、剣の名前のみだった。
斬撃の応酬は、突然始まった。ターラは転移の術でマサカドの真横に現れ、勇魔の剣をマサカドの首に振り抜く。
マサカドは目で追えない速さで抜刀し、それを弾き返した。マサカドの剣は細く長かった。刀身は中間から反って怪しい光を発していた。
ターラは見た事も無いマサカドの剣に視線を移しながら、連続で付きを繰り出す。マサカドはその半分を避け、半分を剣で受け流す。
「俺の剣が珍しいか?これは刀と言う武器でな。俺の国の武器だ。最も、記憶を無くし国の名も、どこにあるのかも忘れたがな」
マサカドはターラに勝る速度で付きを放った。ターラは辛うじて剣で防ぎ、後退する。
「······なんだ。よく見ると若く美しい娘ではないか。若い花をあたら散らせる事も無かろうに。投降する気はないか?」
返答は凄まじい斬撃だった。マサカドはそれを受け流す。今度はマサカドが後退した。
「生き急いでおるな娘。急ぐと息を切らし、進めなくなるぞ」
マサカドは姿勢を低くし、刀を下に傾けた。
「俺の刀はカゲマサと言う名でな。口の悪い仲間は呪われた剣と悪態をつく。まあ、真実たがら仕方ないがな。ただ俺の国の言葉ではこう言われている」
マサカドがゆっくりと円を描くように刀を回す。ターラには剣の残像がいくつも残っているように見えた。
「妖刀と」
マサカドが信じられない速度で刀を突き出した。それと同時に、いくつもの刀の残像も同じく刃を向けてくる。
シンゲンの鋒は空を切った。ターラは転移の術で難を逃れ生命を繋いだ。マサカドの斜めに移動したターラの左腕から、血が滲む。
マサカドの剣速の速さに、転移の術が間に合わなかったのだ。だが、ターラはこの傷口はマサカドの刀による物では無いと感じた。
「これが妖刀の力だ。刀の残像を刃に変える。俺は幾つもの斬撃を同時に繰り出せる」
ターラは戦慄した。マサカドの剣速に加え、あの刀の残像が襲ってくる事実に。ターラは息を吐き、呼吸を整える。
この戦場に参戦してから転移の術を多様し、魔力は余り残って居なかった。風で舞った粉雪がターラの唇に触れる。
自分の唇が乾ききっていた事にターラは気付いた。ターラはマサカドの後方にいる青い魔法衣の男に視線を移す。
あの魔法衣の男を守るように、マサカドは立ちはだかっている。ターラは自分が倒すべき相手は、魔法衣の男と確信した。
「おいおい。他の男に気を取られるなよ。妬いてしまうじゃないか。俺だってそう悪くないだろう?」
ターラは再びマサカドを見据える。あの無数の斬撃をかいくぐり致命傷を与える。それは、遥か高くそびえる、巨大な山の頂きに到達するより困難に思えた。
可能か不可能かではない。そんな選択肢を選ぶ事は許されなかった。自分達四兄弟は、そうやって過酷な日々を生き抜いてきた
。
だが、それが終わる日が来たとしたら?自分達の目的を果たし、戦いの日々が終わった時、自分はどうなってしまうのか。
ターラは抜け殻になった自分を想像した。その時なぜか、タクボの顔が浮かんで消えた。
ターラは一瞬だけ微笑み、足元の粉雪を蹴り駆け出す。意識の中を、殺意の色で埋め尽くしていく。
ターラを離脱させたモグルフは、四人の賢人達に追われていた。間隙なく繰り出される賢人達の攻撃に、モグルフは当初逃げる事しか出来なかった。
黒い巨体や魔物達の群れに紛れ込んでからは、それらを盾にして身を潜め、隙を見て斬り込み、また逃走する。
四人の賢人達はモグルフの撹乱に惑わされる事なく、冷酷に獲物だけを追跡する。
「無様だな四兄弟。その逃げ様が貴様らの生き方を象徴しているぞ」
短気なモグルフは、挑発の言葉にも耐えた。自分に出来る事は、少しでもターラに戦力を割かれない事だけだった。
魔物とゴドレアの兵士達の隊列を切り崩し、二人の賢人がモグルフを挟み撃ちにしようとする。
隻腕のモグルフに、二人の同時攻撃を回避する手段は無かった。覚悟を決めたモグルフは、左手に握った勇魔の剣に光を発動させる。
「ただでは死なん。せめて一人は道連れに付き合ってもらうぞ」
モグルフは雄叫びを上げ、賢人の一人に向かって行く。がら空きになったモグルフの背中を、賢人デロンギが長剣で襲った。
金属音とうめき声が同時に響いた。モグルフは光の剣で、目の前の賢人を切り伏せた。だが、モグルフは自分の身体が無傷な事に驚いた。
もう一人の賢人は何故自分を斬らなかったのか?モグルフは息を切らせ後ろを振り返る。そこには、自分の背後を襲った賢人が倒れていた。
粉雪に顔を埋める賢人の前に、一人の男が立っていた。その男は黄金の剣を握りながら、紅茶色の髪を粉雪で白く染めていた。




