流血王は、自分の居場所に帰還する。
賢人シナモンは、自らの望んで青と魔の賢人の組織に入った。世界の秩序と均衡を守る仕事に、シナモンは十分やり甲斐を感じていた。
たがシナモンは心の片隅に、その日常に満足していない自分を感じていた。若いシナモンには、強い英雄願望があった。
自分の名を、歴史に永遠に刻みたい。そう強く願う自分を、時々持て余してしまう事があった。
シナモンの目の前に、突如現れた軍勢が馬蹄を響かせ猛然と突進して来る。掲げられた軍旗は、シナモンが初めて目にする物だった。
魔物達との戦いで消耗した今、賢人達にとって一万を超える軍勢を相手にするには分が悪かった。
そう思った時、シナモンは既に駆け出していた。謎の軍勢の先頭に立つ男にシナモンは狙いを定める。
何処の馬の骨か分からないが、軍を率いる頭を潰せば残りは四散する。シナモンはそう確信していた。
組織の危機的状況を自分が救う。そうすれば、少なくとも組織の戦史記録には自分の名が残るだろう。
シナモンは、その近い未来を想像しながら剣を抜いた。
「我が名はシナモン!どこの軍の者が知らんが、我々に対して敵意ありと判断する!」
シナモンは敵将と思われる騎乗した男に、下から凄まじい斬撃を繰り出した。その剣先は男の右腕を貫いた。
男の右腕から血が吹き出し、一点の汚れも無い白い粉雪の上に鮮血が降りかかる。シナモンは止めを差す為に、剣を抜き取ろうとした。
その時、褐色の肌をした男の右腕が隆起し、倍の太さに変化した。シナモンがどんなに力を込めても、男の右腕から剣が抜けなかった。
「······馬鹿な!」
シナモンが叫んだ瞬間、褐色の肌の男は左手に握った大剣でシナモンの腹部を切り裂いた。
「シナモン!?」
シナモンの僚友が悲痛な声を上げる。褐色の肌の男の周辺は、赤い血の海に姿を変えた。両目に巻いた黒い布をなびかせ、男は再び馬を進ませる。男の右腕が白銀色に輝き、シナモンに貫かれた傷口は一瞬で無くなった。
謎の軍旗を掲げる軍勢の前に、六人の賢人が立ち塞がった。その内の一人、賢人ウェーデンが声の限り叫ぶ。
「魔力が尽きるまで撃ち続けろ!!」
六人の賢人は、一斉に爆裂の呪文を唱えた。謎の軍勢の隊列に爆発が起き、数百人が吹き飛ぶ。爆発は断続的に起こり、炸裂音と悲鳴と怒号が永遠に続くと思われた。
六人の賢人達が、肩で息をしながら前方を睨みつける。彼等六人は言葉通り魔力を使い果たした。
爆風で舞い上がった粉雪が、戦場に雪を降らした。その雪が止む前に、粉塵の中から敵将の男が踊り出て来た。
「生き残りが来るぞ!武器を構えろ!」
敵将の男が率いて来た兵力は一万八千。六人の賢人の波状攻撃によって、五千の兵が失われた。
褐色の男は残りの兵力を、戦場全体を包囲するように散開させた。自身は単騎で六人の賢人達に突撃する。
その光景を、バタフシャーン一族の頭目は望遠鏡で確認していた。
「······ゴトレア!?ゴトレアか!」
謎の軍勢が掲げている軍旗。三本の剣が剣先を下に向けた紋章。それはゴトレアが昔、流血王と呼ばれていた時代に使用していた軍旗だった。
しかもゴトレアは、絶頂期の頃の姿をしていた。どうやら自身にも時間遡及治癒の呪文を施したらしい。
旧友の突然の乱入に、頭目は狂喜した。それは、賢人達の流す血が多くなると言う事を意味していた。
「あの軍旗は!?」
チロルと共に駆けていたヒマルヤは、謎の軍勢の軍旗を見て叫んだ。あの軍旗の紋章は、モンブラから聞いていた物だった。
サンザンドの仇が今、この戦場に現れた。モンブラは歯を食いしばり、その軍旗を睨みつける。
「ヒマルヤさん。私も一緒に行きます」
二人でサウザンドの仇を討つ。チロルとヒマルヤはそう誓った。ヒマルヤは少女に笑顔を向ける。
「タクボが心配だと顔に書いておるぞ。無理をするなチロル。そなたは大事な者の背中を守れ」
「······でも!」
少女は身体が二つ欲しいと心から思った。何故大事な人達の為に、どちからを選ぶような事をしなくてはならないのか。
「後で美味な料理を食すとしよう。皆でな」
ヒマルヤはそう言い残し、チロルから去って行った。チロルはヒマルヤの背中を見送り、我が師の姿を探す為に駆け出した。
「シナモンを殺したあの男が敵将だ!逃がすな!」
賢人ウェーデンが先陣を切り、戦斧を振り上げゴトレアに渾身の一撃を浴びせようとした。
ゴトレアも、隆起した右手に握った大剣で応戦する。火花が散り、両者の武器は重なり合う。両者の第一撃目は互角かと思われた。
だが、ゴトレアは自ら馬から離れウェーデンに飛びかかった。
「······何を!?」
ゴトレアは狂気の笑みを浮かべ、その強靭な顎と歯でウェーデンの喉元に噛み切った。
「ウェ、ウェーデン!!」
喉から大量出血したウェーデンが背中から倒れた。返り血を浴びたゴドレアは、恍惚の表情を浮かべ、ウェーデンの喉の一部を吐き捨てた。
「どうした?ネグリットの弟子達よ。お前等の力はこんな物か?黄泉の世界で師が嘆いているぞ」
「おのれ賊将が!」
五人の賢人達は、ゴドレアを包囲し一斉攻撃をかける。三本の槍、長剣、大剣がゴドレアの身体に突き刺さった。
五本の武器は、正確にゴドレアの急所を貫いた。流血王は口から吐血する。
「······なる程な。光の剣も漆黒の鞭も使わない所を見ると、お主ら魔力が尽きたか?」
ゴドレアの身体が白銀色に輝く。その途端、致命傷の筈だった傷口が塞がり消えていく。
「馬鹿な!こんな速さで治る治癒の呪文などありえん!」
ゴドレアは右手で大剣を突き出し、左手で漆黒の鞭を発動させ振るった。一人の賢人が肩を大剣で貫かれ、三人の賢人は漆黒の鞭を至近で腹部に受け、吹き飛んだ。
唯一、攻撃を受けなかった賢人ミオリガは、既に行動に移っていた。低い姿勢からゴドレアの喉元に高速の斬撃を繰り出す。
「その首貰った!」
必殺の一撃は、ゴドレアの首を切断し回復の暇を与えない筈だった。だが、ミオリガの目にしたのは、自分の剣がゴドレアの屈強な歯で噛まれている光景だった。
ゴドレアは口から血を流しながら、大剣と漆黒の鞭でミオリガの胸を貫いた。ミオリガは驚愕の表情のまま、雪上に崩れ落ちた。
深手を負い、倒れている四人の内の一人に、ゴドレアは近づき口を開く。
「早くアルバとか言う小僧を、俺の前に連れて来い。貴様らが皆殺しにされる前にな」
ゴドレアはそう言い残し、馬にも戻らず次の獲物を求めて歩き出した。
ゴドレアの軍勢の乱入により、戦場は混沌の度合いを更に増した。賢人達は四兄弟、黒い巨体、生き残った魔物達、ゴドレアとその兵達を同時に相手にしなくてはならなかった。
十九人の賢人達は、三つの小隊に分かれ、徹底抗戦の構えを見せる。その渦中にいたソレットは、戦う振りをしながらこの戦場から移動しつつあった。
自分の目的はアルバの監視であり、この戦闘で命を賭ける気は毛頭無かった。アルバはこの近くできっと戦況を眺めている。
戦線から離脱しつつあったソレットの目の前で、一人の少年が黒い巨体に追われていた。連合軍の逃げ遅れか?ソレットは少年を見殺しに出来ず、黒い巨体に雷撃の呪文を唱える。
荒れ狂う光の龍が黒い巨体の背中に命中し、巨体は苦痛にのけぞった。ソレットはその隙に少年に近づく。
「連合軍の者か?ここは危険だ。早く逃げるんだ」
全身甲冑のソレットに話しかけられ、紺色の髪の少年は驚いた顔を見せた。
「ありがとうございます!でも、貴方達には加勢が必要な筈です」
少年の汚れの無い瞳に、ソレットの息は一瞬止まった。それは、復讐に囚われる前の自分と同じ瞳だった。
そうしてる間にも、黒い巨体は二人に向かって来る。ソレットはこの少年の純真さの為に、戦う事を決断した。
「少年、君の名は?戦う力は残っているか?」
「ラストルです!僕が囮になるので、奴に攻撃して下さい!」
ラストルは一方的に作戦を決め、駆け出して行った。その若さ故の無鉄砲さに、ソレットは少年が眩しく見えた。
ラストルは火炎の呪文を連続で唱え、黒い巨体の右側に回り込む。火球は巨体の戦斧で防がれ、爆炎が広がり巨体の視界を遮った。
ソレットは巨体の左側に突進し、光の剣を発動させる。巨体の左肩からドラゴンが大口を開け、ソレットを襲う。
そのドラゴンが苦痛に顔を歪め静止する。巨体の背後に回り込んだラストルが、下から剣をドラゴンに突き刺していた。
「良くやったラストル!」
ソレットは光の剣で巨体の胸部を切り裂いた。巨体は悲鳴を上げ、胸の傷口から触手がその先端を外に這い出そうとした。
だが、ソレットの氷結の呪文がそれを許さなかった。強力な吹雪が巨体の傷口から内部に入り込み、巨体を凍りつかせていく。
全身が氷の塊になった巨体は沈黙した。ソレットは息を切らしているラストルに駆け寄る。
「良くやったラストル。あのドラゴンの鱗を破るとは大した腕だ」
兜で表情は見えなかったが、ソレットは笑みを浮かべていた。
「この剣のお陰です。戦場で拝借した剣なんですが、すごい剣みたいです」
ラストルは右手に握った剣を改めて見る。見事に装飾されたその剣は、サラント軍、千騎長のロザンが戦場に残した剣だった。
その剣は刀身に魔法石が散りばめられ、魔力を込めると威力が増す魔法剣だった。
「ラストル。私はある目的の為にこの戦場を離れる。良ければ君も手伝ってくれないか?」
ラストルはソレットを見つめ、数瞬考えた。そして真っ直ぐな瞳でソレットを見る。
「······僕で良ければ喜んで。でも、どんな目的か教えてくれますか?」
ソレットは兜の中で再び微笑んだ。
「世界の平和の為さ」
黒いローブの四兄弟、ザンドラとラフトは六人の賢人に包囲されていた。その包囲網に黒い巨体、魔物達、ゴドレアの兵が近づくが、四人の賢人達がそれを阻む。
賢人メイトスとブラームズは、お互い漆黒の鞭を繰り出し、ザンドラとラフトに攻撃の隙を与えなかった。
ザンドラがラフトの前に立ち、勇魔の剣で漆黒の鞭を弾いて防ぐ。だがザンドラの悪化した背中の傷口は、時間と共に隻眼の男から精彩さを奪っていった。
「ザンドラ兄さん!僕が時間を稼ぎます。モグルフ兄さん達と合流して下さい!」
「ラフト!?何を?」
ラフトがメイトスとブラームズに突っ込んで行く。ラフトを守るように前に並ぶ白い壁人形が、次々と漆黒の鞭で刻まれ倒されていく。
鈍い金属音が響き、ラフトの右足が漆黒の鞭で切断される。雪上にラフトが倒れ、右足がメイトスとブラームズの前に落ちる。
「止めだ四兄弟!」
メイトスがラフトに漆黒の鞭を振り上げようとした時、雪の上に転がっていたラフトの右足が白い輝きに包まれる。
「······その右足は金で造られた義足です。特製のね」
ラフトの右足は形を変えた。黒い毛色に、鋭く太い爪を突き出した足を四本地に立てている。首は三本あり各自意思ある動きを見せている。
それぞれ獣の顔をしており、半開きした口からは長い舌と長い牙を覗かせる。
金貨級魔物、底なし穴の霊。三つ頭の猛獣は遠吠えを上げメイトスに襲いかかる。メイトスは目でブラームズに合図する。
三つ頭が三つの口から炎、吹雪、雷撃を吐き出す。メイトスは魔法障壁を張り後退する。障壁に炎、吹雪、雷撃が当たり積もった粉雪を周囲に撒き散らす。
三つ頭は障壁をすり抜け、メイトスに迫る。メイトスは漆黒の鞭を手首で操り、三つ頭の首に巻きつける。
「獣は首輪に繋がれていろ」
メイトスが手首を返し、三つの首を切断した。次の瞬間、首の切断面から新たな頭が生えてきた。
「再生か!?」
三つ頭はメイトスの腕に噛み付く。苦痛に耐えながらメイトスは三つ頭の腹を蹴り上げた。
獣と賢人の戦いを見ながら、ラフトは後方から兄の声を聞いた。それは、兄の最後の言葉だった。
「逃げろラフト」ラフトの耳には、確かにそう聞こえた。ラフトが後ろを振り返ると、漆黒の鞭に首を切られた兄の亡骸が横たわっていた。
「······ザンドラ兄さん?」
ザンドラの死体の踏みつけ、ブラームズは冷酷な視線をラフトに向ける。三つ頭が雪を撒き散らした隙に、ブラームズは迂回しザンドラの後方に回り込んでいた。
深手を負ったザンドラに、ブラームズの渾身の一撃は回避出来なかった。隻眼の男が他の兄弟の為に残していた魔力は、使用される機会を断たれた。
右足を失い身動きが出来ないラフトに、ブラームズが迫る。ラフトの眼鏡に、黒い光の鞭が映った。
その光の鞭はラフトに届かなかった。漆黒の鞭は剣で弾かれた。ブラームズは仲間の復讐を妨害した相手を睨みつける。
その相手は、革の鎧を身に着けた少女だった。




