氷の迷宮は、賢人の命と引き換えに粉雪に変わる。
小さな街の北門に、空から冒険者達が降り立った。三人は壁上にいる魔物達を倒す為に即座に行動に移った。
黒い魔法衣の男は、風の刃の呪文を使い、砦の尖兵の首を三体まとめて切り落とす。
「ハリアス!またいつかのように、私達まで巻き込まないで下さいよ!」
風の刃の呪文を唱えた男に、白い神官衣の男が叫ぶ。メイスを黒の傭兵の頭部に叩き込み、傭兵の胸部を右足で蹴り壁上から落とす。
「まだ昔の事を、根に持っているのかクリス!ちょっと爆風に巻き込んだだけだろう。そうだろ?ゴント!」
ハリアスは不本意な表情をクリスに向け、赤い鎧の男に同意を求めた。
「······そのちよっとで死にそうになったがな」
ゴントは黒の傭兵を長剣で一刀両断し、低い声で呟いた。ゴントの一言で、ハリアスは話題を変える事にした。
「この場の指揮官は誰だ!?」
ハリアスは砦の尖兵の足を杖で払い、転倒させながら叫ぶ。
「お前達、冒険者か?一体何処から来たのだ!?」
タクボがハリアスに近づき話しかける。先程ゴーレムを攻撃したのも、この黒い魔法衣の男なのか。
「名乗る程の者じゃない。世界を救う予定の英雄の一人だ!」
タクボはこの態度がでかく、自意識過剰の若造を一瞬で嫌いなった。
「言っておくぞ若造!中途半端な手助けなら迷惑だ。やるなら最後まで責任を持って手助けしろ!」
タクボに一喝され、ハリアスは一瞬黙ってしまった。そして自慢の頭を回転させ、タクボの言葉を冷静に吟味する。
「ちょっと待ておっさん!善意の助っ人に対して余りにも礼を欠いているぞ!」
「やかましい!世界を救うなどと大言壮語を吐く前に、この街の北門を救ってみろ!」
タクボとハリアスは、互いに怒鳴り合いながら同時に衝撃波の呪文を唱えた。それを受けた六体の魔物は、壁外に吹き飛ばされた。
賢人ロールハックは、異様な姿を晒す黒い巨体を前にし、距離を取っていた。アルバの情報では、この黒い巨体は身体から無数の触手で攻撃するとあった。
しかもその触手は触れると爆発を起こす。不用意に接近すると触手の餌食になる恐れがあった。
「······ならば遠距離攻撃が有効か?」
ロールハックは火炎の呪文を唱えた。火球が唸りを上げて、黒い巨体の頭部に命中する。
だが、黒い巨体は右手に持った巨大な戦斧で火球を防いでいた。左肩のドラゴンが嘲笑する。
「無駄だ賢人!この戦斧は如何なる魔法も受け付けない特別製だ!」
「······ほう。流石はバタフシャーン一族。攻防一体の便利な物を造る。ならば、こちらも相応の手段に出るまでだ」
ロールハックの緑の瞳に、決意と殺意の色が浮かんだ。その瞬間、手にした槍が光に包まれる。
「不用意に近づいてみよ!こちらには······」
ドラゴンが再び侮蔑の言葉を言い浴びせる前に、ロールハックは地を蹴り黒い巨体に迫った。
「我が光の槍、受けてみろ!」
黒い巨体は戦斧を盾にしたが、光の槍は戦斧を砕き、黒い巨体の胸に突き刺さった。
「アガオオオオッ!?」
黒い巨体が口から血を吐き、悲痛な声を上げる。だが、ロールハックが開けた胸の傷口から、無数の黒い触手がに飛び出し、ロールハックの腰と足に巻き付く。
「愚か者めが!これで貴様は終わりだ!」
ドラゴンが猛々しく勝利宣言を上げる。一方、ロールハックは冷静な表情を一分も崩さない。
「そうか。私は終わりか。ではその前に、空中散歩に付き合って貰おうか」
ロールハックは言い終えた後、魔力の大半を込めて呪文を唱えた。その瞬間、ロールハックと黒い巨体は空に飛んだ。
「何!?」
ドラゴンの顔が衝撃波で歪む。ロールハックは衝撃波の呪文を下から我が身にかけた。槍で繋がれている黒い巨体も、同様にその衝撃波を受け空に弾かれた。
「貴様どういうつもりだ!?」
強力な衝撃波で牙が砕け、口から血を流すドラゴンは恨めしそうにロールハックを睨む。
「他の仲間に知らせる必要があるのだ。貴様を倒す為の戦術をな」
黒い巨体に近づけばどうなるか。そして、どうすれば倒せるか。ロールハックは空に飛び、地上の仲間にそれを見せようとしていた。
この黒い巨体は、複数の人数で対処しなくてはならない。この巨体に致命傷を与えるには、陽動を行う者が必要不可欠だった。
「貴様正気か?お前自身は、死ぬと言う事がわかっているのか!
」
「私一人の犠牲で貴様らが倒せるのなら安い物だ。私達組織をあまり舐めないでもらおうか?」
ロールハックは凄絶な表情で笑みを浮かべた。その時、槍の傷口が光輝いていく。白い光は、黒い巨体の身体中から漏れ始めた
。
「ならば望み通り死ね!特製の魔法高炉と共にな!」
ドラゴンは自らの胴体の根元を黒い巨体の左肩から外し、この場を離脱しようとした。
「うぐっ!?」
ドラゴンの胴体にロールハックの槍が深々と刺さる。
「空中散歩に付き合ってもらうと言っただろう?途中退席はご遠慮願おう」
ロールハックは会心の笑みを見せた。ドラゴンが恐怖と怒りの悲鳴を上げる。黒い巨体の胸が吹き飛んだ瞬間、地上数十メートルで大爆発が起きた。
黒い巨体とドラゴンは爆発四散した。左右に大きく広がる煙の中から、人の形をした塊が煙に巻かれながら落ちていく。
それは全身に裂傷を負い、虫の息のロールハックだった。ロールハックは自己の生存を諦めていなかった。
爆発の瞬間、全魔力を込め魔法障壁を張った。だが、あまりにも至近からの巨大な爆裂に障壁は破られた。それでも即死を免れ、薄れゆく意識でロールハックは呟く。
「······ルトガル。分かっているな?君が何をするべきか······」
ロールハックは自分がこれから命を落とす事を知っていた。だが、最後に見届ける必要があったのだ。自分の意図が仲間に伝わったかどうかを。
ロールハックの壮絶な相討ちは、地上の賢人達は全員目撃していた。そして理解していた。次に何か起こるか。
青い魔法衣の男は、数秒だけ目を閉じた。それは、これから死ぬ仲間を悼む為の儀式だった。
「······済まないなロールハック。君を殺すぞ」
ルトガルは杖をかざした。その杖は、歴史に名を残す高名な魔法使いが使用していたとされる、由緒ある魔法の杖だった。
ルトガルは天地重力の呪文を唱えた。その範囲は、氷の迷宮全てに及んだ。強力無比な圧力が大地を揺らし、氷を砕いていく。
賢人達も、四兄弟も、黒い巨体と他の魔物達も、氷の迷路にいる者全てに、それは等しく降りかかった。
巨大な圧力が、地に倒れていたロールハックを襲った。肋骨が折れ肺に刺さる。口から血を流しながら、ロールハックは自分の思惑が通じた事に満足し、絶命した。
呪文の効力が切れた時、氷の迷宮は姿を消した。ルトガルの天地重力により、氷は全て砕け粉雪に変わり、戦場を遮る物は何も無くなった。
十二体の黒い巨体は、ダメージを負いつつも生き残った。三千余いた魔物達は四割が即死し、三割が戦闘不能に陥った。
賢人達は口元の血を拭い、立ち上がる。誰もが肺にダメージを受けていた。そして粉雪が舞う戦場に無言で集まり始める。
その数二十六人。賢人達の参戦から数時間。彼等は、早くも四人の仲間を失った。誰もが口を開かず、ただ自分達が倒すべき相手を見据えていた。
八千の魔物達と戦い、氷の迷路に孤立させられてからは、四兄弟、黒い巨体、魔物達の一撃離脱戦法に消耗を強いられた。
加えて、ルトガルの天地重力のダメージ。賢人達の中に、疲労していない者はいなかった。バタフシャーン一族の頭目が目論んでいた、賢人達の消耗が、現実の物となって来た。
「魔力の殆どを使ってしまった。後を頼む」
ルトガルの重く静かな言葉を合図に、二十五人の賢人達は再び戦いを再開させた。魔物達も黒い巨体を先頭に応戦する。
季節外れの地表の雪は、飛び散る鮮血で赤く染められていった。
タクボは壁上で、氷の迷宮が消えるのを見ていた。それは、四兄弟が身を隠す場所が無くなった事を意味していた。
北門の攻防戦は、ヨハス率いる聖騎士団の活躍により、こちらが優勢になってきた。魔物を壁上に投じていたゴーレムの数も減り、壁を突破される危機はひとまず脱した。
「おい!黒い魔法衣の若造!この場を任せていいか?」
タクボの居丈高な物言いに、冷静沈着を自称するハリアスは即応した。
「おっさん!それが人に物を頼む態度か!?心が広い俺でも時には怒るぞ!」
タクボはハリアスを無視し、チロルとヒマルヤに近寄る。
「チロル、ヒマルヤ。私はターラを探す。二人はここに居てくれ」
チロルとヒマルヤの返事を待たず、タクボは風の呪文を唱え始める。その時、ロシアドと目が合った。
タクボはロシアドに目で合図した。チロルを頼むと。ロシアドの返答を確認せず、タクボは飛びさって行った。
ロシアドは固い表情で、自分が監視する対象者を見た。その相手は、壁上から飛び降りようとしていた。
「!?チロル、待ちなさい!」
ロシアドの静止を聞かず、チロルに続いてヒマルヤも飛ぶ。二人は着地する寸前に衝撃波の呪文を唱え、落下速度を相殺し着地した。
「チロル!タクボの言いつけを守らなくていいのか?」
チロルを追いながら、ヒマルヤは眼前に迫る黒の傭兵を杖で殴り倒す。
「師匠一人では危険過ぎます。私が師匠の背中を守ります」
チロルは勇魔の剣を振り抜き、一角獣の首を飛ばした。チロルとヒマルヤは、北門の戦場を駆けながら突破して行く。
意図せず乱戦に持ち込まれた聖騎士団は、それでも組織的行動を取り戻し、魔物達を圧倒しつつあった。
ヨハスは各隊に指示を出しつつ、自らも長剣を振るい、馬上から魔物達を倒していった。
「ヨハス!悪いが俺はここから抜けてもいいか?」
黒い大剣を手にしたボネットが、自分の馬をヨハスに近づける。
「放浪好きのお前を、拘束するつもりは無いさ。世界を病原菌から救う気になったか?」
ヨハスは人の悪い笑みを友人に向けた。
「正直俺も分からん。その時に自分がどう行動するかな。だが、世界が滅んだら旨い酒が飲めなくる。それは少し困るな」
ボネットの言葉に、ヨハスは珍しく声高に笑った。
「お前らしいなボネット。この戦いが終わったら、とびきりの美酒で乾杯するとしようか」
「ああ。その為にも死ぬなよ相棒」
ボネットはそう言い残し、後ろにモンブラを伴い馬を走らせて行った。
ルトガルの天地重力は、四兄弟にも傷を負わせていた。特にザンドラは、シーナットの攻撃で負傷した背中が悪化していた。
「ザンドラ兄さん!治癒の呪文を使って下さい」
ラフトの言葉に、ザンドラは気にするなと一言だけ返した。ザンドラは先程の天井炎火包囲陣で、魔力の大半を使っていた。
残りの魔力は、他の兄弟の治癒の為に残しておかなくてはならなかった。氷の壁が消えた以上、四兄弟は魔物達を盾にして戦うしか無かった。
「良くやったな四兄弟。私達同胞を何人も倒した事実は、歴史に残るぞ」
殺意に満ちた言葉と共に、六人の賢人達がザンドラとラフトを包囲する。その六人の賢人の背後に三体の黒い巨体が近づく。
モグルフとターラは、更に過酷な状況だった。八人の賢人達に囲まれ、味方は四体の黒い巨体のみだった。
残りの賢人達は、残存した黒い巨体と魔物達と交戦する。
ラフトは目の前に金貨を撒いた。詠唱を終えると、金貨は光と共に人の姿に形を変えた。
金貨級魔物、白い壁人形。二メートル程の身長で、全身が白い鱗で覆われている。顔には目や鼻、口すらも無かった。
攻撃能力はさして無いが、防御能力は飛び抜けて高かった。白い壁人形が五体、ラフトとザンドラを守るように二人の前に立つ。
一体の白い壁人形の背中から、黒い鞭のような物が飛び出し、ザンドラの腹部に突き刺さった。
「ザンドラ兄さん!」
ラフトが叫ぶ。ザンドラは口から血を流し膝をついた。鉄壁の身体を持つ白い壁人形を、こんなにも容易く貫く黒い光の鞭。ラフトはそれを凝視した。
「人形遊びは終わりか?では、仲間の仇を取らせてもらおうか」
賢人メイトスは、漆黒の鞭を手元に戻し、冷酷な口調で呟く。その時、メイトスの足元の粉雪が微かに揺れた。
「······何の音だ?」
メイトスは周囲を見回した。その音は、複数の馬蹄の音だった。北の方角から、軍勢が雄叫びを上げながら近づいてくる。
その軍勢の先頭で馬を走らせる者がいた。その男の両目には、黒い布が巻かれていた。




