白と黒のローブは、氷の迷宮で殺し合う。
太陽を覆い隠すように、空に炎の天井が現れた。それは、四百メートル四方まで広がっている。
小さな街の周辺で一番高い丘の上から、男はその光景を眺めていた。男の周囲には白いローブを纏った者達が五人立っている。
「アルバ議長。あれが例の四兄弟ですか?」
五人の内の一人が、真紅の髪の男に話しかける。男は頷いた。
「来たか。餌に釣られた四兄弟」
アルバは冷酷な笑みを浮かべた。四兄弟はこれまで、常に数的有利を味方にして賢人達と戦ってきた。だが、この戦場ではそれが完全に逆転している。
復讐を逸って冷静さを欠いたのか。それとも何か秘策があるのか。
「見せてもらおうか」
真紅の髪の男は、腰に結んでいる布袋を無意識に触っていた。その布袋には、小さな小瓶が入っていた。
巨大な炎の天井から、次々と火球が落下してくる。その火球は、街の北門に集まった魔物に降り注いだ。
「オガアアッ!!」
身体を炎で焼かれ、呼吸も出来ず悶え苦しむ魔物達が倒れて行く。壁上の立つ者達は、その有様を呆然として見ている。
「ターラさん?」
チロルの声に、タクボは我に返った。後ろを振り返ると、灰色の髪の女が黒いローブを風に揺らし立っていた。
「······ターラ。この戦いから手を引けと言っただろう」
苦言を呈するタクボに、ターラは優しげな笑みを向け、唇をゆっくりと動かした。タクボはそれが何の言葉か理解する前に、ターラは転移の術で姿を消した。
「馬鹿な!賢人達が何人いると思っているんだ!勝てる訳がないだろう!」
タクボは叫びながら周囲を見回した。だが、ターラを見つける事は出来なかった。
「以前、この街に迷惑をかけた償いです······ターラさんは、そう言っていました」
チロルの言葉に、タクボは顔を歪めた。ターラのあの笑みは、今生の別れの挨拶のようにタクボには思えた。
バタフシャーン一族の頭目は、空に出現した炎の天井を大鷲の上に乗りながら眺めていた。
「天井炎火包囲陣か。あの四兄弟、ようやく参戦しおったわ。だが、いい時に来たわい」
頭目は賢人達の死を一人でも多く祈りながら、手にした角笛を噴いた。
炎の天井は、無数の火球を地上に降らした。標的になった賢人達はその対応に追われ、魔物達から後退せざるを得なかった。
魔物達と賢人達に距離が生まれた時、その中間地点に何かが飛来して来た。
「アガオオオオォォッ!!」
気弱な者が聞いたら卒倒しそうな禍々しい雄叫びを上げ、その黒い巨体は地響きと共に地上に降り立った。その数十三体。
四メートルを超える巨体は、全身黒い毛に覆われている。オークとサイクロプスを足して割ったような顔に、左肩からはドラゴンが胴体を伸ばしている。
「黒いローブの四兄弟に、黒い巨体。アルバ議長の言っていた連中か」
賢人バッハルは、空の炎を不快げに見る。賢人達五人一組の小隊は、四兄弟が戦場に現れた時の対策だった。
黒い巨体も出現が予想されたが、四兄弟と同時に現れるとなると、賢人達にとって事態は楽観出来なくなって来た。
黒い巨体の集団が動き始める。賢人達は武器を手に身構える。
「油断するな!四兄弟が何処から襲ってくるか分からんぞ!」
賢人ロールハックは、槍を構え味方に注意を促す。あの目障りな炎の天井は、上空の五人が対応する筈だった。二十五人の賢人達は、地上の敵に集中する。
風の呪文で空に座す五人の賢人は、巨大な炎の天井を無力化する事を即断する。
「これ以上、地上を攻撃させんぞ」
五人の内の三人の賢人が、炎の天井に氷結の呪文をと唱える。白い吹雪の嵐は、炎を包むように覆っていく。
センブルク軍の歩哨は、馬で逃げながら空を見ていた。空に炎が広がったと思ったら、今度はその炎が凍りついていく。
歩哨はもう沢山だった。現実離れしたこの戦場から、一刻も早く立ち去りたいと馬を走らせる。
「······あの双頭の大鷲、怪しいな」
氷結の呪文を唱えた賢人の一人が、一羽の大鷲を注視する。その大鷲は、一定の速度で旋回していた。
賢人の一人は、風の刃の呪文を唱えた。風の刃が空気を裂き、大鷲の羽を切り刻んだ。苦痛の鳴き声を上げ、大鷲は回転しながら落下する。
その大鷲から飛び降りる人影が見えた。見間違いようがない、黒いローブだ。
「天井炎火包囲陣の術者か!」
大鷲から飛び降りた男は風の呪文を推進力に使い、高速で落下して来た。黒いローブを纏った隻眼の男が、賢人の一人に接近する。
「ぐわっ!」
隻眼の男は、賢人の一人とすれ違いざまに剣を一閃し、賢人の胸を切り裂いた。
「テヘロン!大丈夫か?」
黒いローブの男はそのまま地上に落ちて行った。二人の賢人が隻眼の男を追おうとした時、仲間が静止する。
「あの凍りついた炎の上に誰かいるぞ!」
賢人達によって巨大な氷塊となった炎の天井の上に、黒いローブを纏った男が立っていた。その男は右腕が無く、左手を足元の凍りついた地表に置く。
四百メートル四方の巨大な氷の塊は、僅かに振動し始めた。その振動は時間と共に大きくなり、氷の塊の至る所でひび割れが起こる。
「······あれは地下振動の呪文!あの男まさか、氷の塊を砕き落とす気か!?」
賢人の一人が、斬られたテヘロンを抱えながら叫ぶ。隻腕の男は巨大な氷の塊を破壊した。無数の大きな氷の破片が、地上めがけて落ち始める。
「いかん!火炎の呪文で溶かすぞ!」
「駄目だ!破片の数が多すぎる!」
空の五人の賢人達は、炎の天井を凍らせた事を逆手に取られ、その光景をなす術無く見る事しか出来なかった。
「退避だ!氷塊が落ちて来るぞ!」
大小無数の氷の塊が地上に落て来る。地上の賢人達は各々回避行動を取った。ある者は障壁で防ぎ、ある者は快足を飛ばし避ける。
奇跡的に賢人達に死傷者は出なかった。しかし、ある賢人の目の前には五メートルの氷の壁が鎮座し、左右も数メートルの塊が視界を遮っている。
落下した氷の塊が、たちこめる冷気と共に、地上に迷路のような地形を作り出した。この退避行動で、地上の賢人達は五人一組の隊列を崩し、氷の迷路に一人一人孤立した。
「······四兄弟!奴等最初から、このつもりで!?」
賢人シーナットは、愛用の武器で氷を砕き難を逃れた。両手に握られた長い棒状の武器は、勇者の剣と同じ希少鉱物で作られた物だった。
「少数弱者の拙い手段です。そう目くじらを立てないで下さい」
シーナットは背後から聞こえた声に、瞬時に前に駆け出し距離を取ろうとする。そのシーナットの足元から、何かが飛び出してた。
「ドラゴンか!?」
その胴体を地中から現したドラゴンは、シーナットの腰を噛み砕こうと大きな口を開く。だが、シーナットの繰り出す突きの方が早かった。
白銀色の長棒が、ドラゴンの口内を突き破った。おびただしい出血に、ドラゴンはうめき声も発せず沈黙する。
長棒を抜こうとした時、シーナットの両目に黒い影が映映った
。何かが氷塊の上から踊り出しシーナットの真上に向かってきた
。
「······黒いローブ!」
黒髪の隻眼の男が、勇魔の剣でシーナットの背中を切り裂いた。その斬撃は、甲冑の上からでも致命傷を与えた。
シーナットは苦痛に耐え、最期の力を振り絞り、ドラゴンの口から抜いた長棒を隻眼の男に振り込む。
隻眼の男は剣で受け流そうとしたが、長棒の打撃が強すぎ、背中から地面に叩きつけられた。
「ザンドラ兄さん!」
シーナットが最初に聞いた声の主が、右足から金属音を発しながら駆け寄る。隻眼の男は口の端から血を流し、自分を襲った相手を見る。
賢人シーナットは、長棒を握りしめながら力尽きていた。
「······流石に賢人と言った所か。容易くはやらせてもらえんな。ラフト。ここからは一瞬の油断で命を落とすぞ」
ザンドラは背中にダメージを負いながらも立ち上がり、弟に念を押す。その弟は眼鏡の下の両目に、狂人めいた色を浮かべていた。
「······ええ、分かってます兄さん。全身全霊を賭けて奴等の相手をしますよ」
ザンドラ達四兄弟は、復讐に我を忘れこの戦場に来た訳では無かった。自分達の正体が青と魔の賢人に知られた以上、今後組織は、必ず賢人達を複数で行動させる筈だった。
それはつまり、これ迄の数的有利が無くなると言う事だった。だがこの戦場には、連合軍、魔物と複数の集団が入り乱れている。
その混沌に紛れ、賢人達に最大限の損害を与え撤収する。それが四兄弟の基本戦術だった。幸い戦場は、ザンドラ達が望む形になりつつあった。
賢人バッハルは一刻も早く仲間と合流する為に、氷の迷路を駆けていった。だが氷塊の数が多く埒が明かないと判断し、風の呪文でこの迷宮から脱しようとした。
地上から三十メール程飛んだ時に、その男はバッハルの真上に現れた。黒いローブを風になびかせ、左腕に握られた剣をバッハルに振り下ろす。
「この男、いつ私に接近していた!?」
バッハルは細身の剣で、素早く男の斬撃を防ぎなから相手を見る。大柄な隻腕の男だった。その男の背後から、もう一人黒いローブを身に着けた者が現れた。
その者は灰色の長い髪を風に揺らし、バッハルと目が合った瞬間、姿が消えた。
「······灰色の髪の女!転移の術か!」
賢人達は、アルバ議長から事前に四兄弟の能力は聞いていた。だが、バッハルの脳裏にその情報が浮かんだ瞬間、灰色の女はバッハルの背後に現れ、バッハルの首を切断した
。
隻腕の男は豊かな声量で大声を発した。その声は子供のようだったが、地上に届くには十分だった。それは氷の迷路にいる賢人達に対する警告だった。
「······風の呪文で空に浮かべば、転移の術者に斬られると言う事か!」
賢人ロールハックは僚友の無残な最期を目撃し、怒りに任せて槍を氷の壁に突き刺した。ロールハックの前に黒い巨体が近づく。
他の十二体も、それぞれ獲物を探し動き始める。ロールハックは槍を壁から抜き取り、怒りの矛先を黒い巨体に向けた。
小さな街の北門では、人間達と魔物達の間で激しい攻防戦が繰り広げられていた。ヨハス率いる聖騎士団と魔物達は乱戦になり、北門周辺は血と怒号が飛び合い、騒然としていた。
「タクボ!ゴーレムの手を見ろ!」
ヒマルヤがタクボに叫ぶ。北門のやや後方から、ゴーレムが黒の傭兵を手に載せ、投げ飛ばした。他のゴーレムもそれに倣い、魔物達が次々と壁上に着地して行く。
「うわっ!?こ、こんな方法で!?」
コリトのすぐ側に、砦の尖兵が着地から立ち上がる。
「コリト逃げて!」
シリスが目の前の黒の傭兵に、至近から矢を浴びせながら叫ぶ。コリトは丁度、矢を切らしていた所だった。
「うわああっ!」
砦の尖兵が剣をコリトに振り上げる。コリトは両腕で顔を覆った。その時、コリトの耳に重く鈍い音が聞こえた。
コリトは薄目を開けると、目の前には砦の尖兵が頭を無くし立っていた。やがて砦の尖兵は崩れ落ちた。
「······あ、あんた茶店の主人か?」
呆然と立ち尽くすコリトの前に、戦斧を持った男が次の獲物を狙うかのように動く。茶店の主人は、黒の傭兵の突きを避け、戦斧を傭兵の右肩に落とした。
右腕を失った傭兵は、バランスを崩し壁上から落下して行く。
「あ、あんた何者だ?」
コリトが唖然とし茶店の主人を眺める。主人は面白くも無さそうに、コリトを一瞥した。
「自分の住む街を、自衛しているだけだ」
主人は戦斧を叩きつける事に専念し、魔物達を次々と壁上から落として行く。だが魔物達はそれを上回る数が空から降ってきた
。
タクボ、チロル、ヒマルヤ、ロシアドも魔物の対応に追われる。
「駄目だ!数が多すぎる」
タクボは衝撃波の呪文で魔物を壁外に落としながら、戦況に危機感を覚えた。敵に対して味方の数があまりにも少なかった。
その時、魔物達を投げ込んでいたゴーレム達が、次々と爆発四散していった。その光景にタクボは一瞬気を取られ、背後に何者かが空から降りてきた事に気が付かなかった。
「俺達が来たからには、もう大丈夫だ!希望を捨てるな!」
黒い魔法衣を着た男が勇ましく叫んだ。その男の左右には、戦士と神官が立っていた。




