約束の反故と奇襲は、突然空からやってくる。
小さな街で道具屋を営んでいるポソムは、重たい瞼を指で擦り、大欠伸をする。こんなに早起きをしたのは何年振りか。
太陽が隠れた曇り空を一目見て、ポソムは長年営んできた店の看板を愛おしい目で眺める。後ろからポソムの妻が、急いでと声をかける。
仕方ない様子で、ポソムは店の扉に念入りに鍵をかけた。ポソム夫婦は、荷物が満載された荷台を引き、町長が指定した集合場所に向かった。
「住民達の避難開始、大きな混乱が無くて良かったですね」
西門の壁上から、警備隊員コリトは、隊長のカヒラに話しかける。カヒラは頷きながら、西門から整然と街を出ていく住民の列を眺める。
住民の列の先頭には、騎乗しているウェンデルの姿があった。この地方で有名になったウェンデルが同行が、住民達の安心材料に大きく寄与していた。
住民達の脇を、護衛に雇われた冒険者達が固めている。
「コリト。婚約中のお前が何で残った?」
カヒラ隊長は部下に質問する。街の警備隊員達にも、町長は避難するよう促していた。
「婚約者の帰る場所を守りたいだけです。でも、いよいよやばくなったら、一目散に逃げますよ。それを言ったら、隊長もそうじゃないですか」
カヒラは、コリトにそうだなと相槌を打つ。物好きな警備隊員達は自主的に十人程、街に残っていた。
「まあ、物好きと言ったらアイツもそうですけど」
コリトは昨夜、今回の戦いに限り、警備隊員に復帰したいと申し出たシリスの事を言った。コリトは曇り空を見上た。
ふと南の空を見ると、黒い塊が見えた。雷雲だろうか?コリトは住民達の為に、雨にならない事を祈った。
シリスはエルドと共に、西門でウェンデルを見送った。避難する住民達の最後尾も、大分小さく見えるようになった。
シリスはその光景を眺めながら、先日ヨハスから聞いた話を思い出していた。それは、大司教を頂点とする教団の腐敗しきった内情だった。 動揺するシリスに、聖騎士団長は言った。
「シリス。私の話を全て信じる必要は無い。君には君の、信仰心があるからだ。後は君の心のままに選択すればいい」
選択とは、大司教と聖騎士団、どちらかを選べと言う事だろうか。シリスは胸のペンダントを無意識に掴んでいた。
これから起こる戦争が終ったら、カリフェース戻ろう。シリスはそう決意した。そこで自分の耳と目で、真実を見極める。
カリフェースへの帰郷は、懐かしい里帰りでは無かった。そこは大司教と聖騎士団の、血を血で洗う権力闘争の場だった。
「ウェンデル様がカリフェースに行く事になったら、エルドも一緒に行くの?」
シリスは、隣で同じく住民達を見送るエルドに問いかける。
「どこかの魔法使いに、僕も売られたみたいだからね。まあ、カリフェースに行ってみるのも面白いかもね」
エルドは陽気に笑った。エルドがカリフェース来てくれたら、シリスには心強かった。暗殺家業をしていたらしいが、彼の明るさはどこから湧いて来るのだろうか。
自分の性格を暗いと自覚するシリスは、エルドの明るさを羨ましく思った。シリスとエルドは、朝食を摂る為に西門から離れた
。
その時シリスの視線は、南の空に向けられていた。あの空の黒い塊は何か?雷雲にしては、形がいびつだった。
シリスの様子に気付いたエルドは、自分も空を見上げた。南の空の異変に、エルドは直ぐに気付いた。遠目を効かし、その黒い塊の正体を探った。
「······シリス!直ぐにヨハス聖騎士団長に伝えるんだ!」
言い終える前に、エルドは既に駆け出していた。
「エ、エルド?伝えるって何を?」
「魔物が来る!直に戦争が始まる!」
立ち尽くすシリスは、混乱した。会戦は四日後では無かったのか?エルドの姿が見えなくなった頃、シリスはようやく自失を取り戻し、ヨハスの元へ急いだ。
「では、モンブラ君はバタフシャーン一族が会戦の日を守らず、攻めてくると考えているのかな?」
ヨハス、ボネット、モンブラは、〔朝焼けの雫〕で朝食を摂っていた。とうとう避難しなかった茶店の主人は、いつも通り、平然と客の注文を受けていた。
「その可能性は高いと思います。各国の軍隊は、まだ戦争は数日後だと思い、油断しているでしょう。そこに奇襲をかければ、大きな効果が期待できます」
モンブラはヨハスに問われるままに答える。やはりこの少年は優秀だ。ヨハスは心の中で、モンブラをカリフェースへ連れて行く事を決めた。説得はこれからゆっくりすればいい。
穏やかな口調とは裏腹に、鋭い目でモンブラを観察するヨハスに、ボネットは気づいていた。それは、ヨハスが自分の配下にするかどうか、相手を試している時の目だった。
シリスが茶店に駆け込んで来たのは、正にその時だった。
タクボ、チロル、ヒマルヤの三人は、西門の壁上にいた。タクボの手には、花が握られていた。タクボは北の方角を見上げて、手に握っていた百日草を空に投げる。
その時、一瞬だけ南風が吹いた。百日草は風に乗って、どこかに消えていく。
あの花は、風に乗って北の果てまで飛んで行くだろうか。死神が散った北の草原まで。タクボはそんな事を考えていた。
「チロル、ヒマルヤ。この戦いが終ったら、サウザンドが死んだという草原に、三人で行こう」
そこに人間式の墓標を立てる。人間の文化に傾倒していたあの死神は、それを歓迎するだろうか。それとも、魔族式が良いと不平を言うだろうか。
どちらにせよ、死人には文句を言う事が出来ない。勝手に死ぬ奴が悪い。北の空を見上げながら、タクボは小さくそう呟いた。
「はい。三人で行きましょう」
チロルが師と同じ空を見上げながら、笑顔で答える。もう一人の弟子ヒマルヤは、右手に持った魔法石の杖を懐かしそうな目で見る。
その杖は、サウザンドがゴドレアとの一騎打ちで使用した杖だった。サウザンドの死を伝えに来たネーグルが、ヒマルヤ届けてくれた物だった。
三人で草原を訪れた時、この杖も墓標に供えよう。ヒマルヤはそう決めた。サウザンドは国元で国葬で弔らわれたが、ヒマルヤは参列出来なかった。
配下のネーグルに、参加を拒否されたのだ。
「迷惑です」
「何故だネーグル?何故、私がサウザンドの葬儀に出席出来ない!?」
サウザンドの死を伝えに来た翌日、ネーグルは国に戻る際、ヒマルヤにそう言い切った。
「サウザンド様は、ヒマルヤ様が不在でも、国の運営が行える体制を、前々から作られておりました。今更貴方に戻られても、我々が困ります」
ネーグルの言葉に、ヒマルヤは項垂れた。君主として実績を作れなかった自分には、何も言い返せなかったのだ。
「······ヒマルヤ様。市井の中で生きて行って下さい。サウザンド様も、それを望んでいました。国の事は、我々が協力して守って行きます」
厳しい物言いから一転し、ネーグルはヒマルヤに優しく語りかけた。サウザンドの国葬に参加してしまったら、ヒマルヤは責任を感じ、国元に残ってしまうとネーグルは考えていた。
いつか自分が一人前になったら、どんな形でもいい。自分の国に報いよう。ヒマルヤは心に誓った。
西門の階段を、誰かが駆け上がって来た。タクボは、息を切らしてこちらを見るエルドに気付いた。
南の空に見えた黒い靄は、刻一刻とそのその形を広げていった。その靄は、段々と黒い点に見え始める。
黒い点は、一つ一つが左右に翼を広げてた。金貨級魔物、双頭の大鷲。体長は五メートルをあり、頭が二つある大鷲だ。その太く鋭い爪は、人間など簡単に引き裂く。
双頭の大鷲の足に、何かがぶら下がっていた。金貨級魔物、黒の傭兵。全身黒の甲冑で身を固めた魔物が、大鷲一本の足に二体掴まっていた。
大鷲一羽は、両足に合計四体の黒の傭兵を抱え、飛行していた。双頭の大鷲の群れは千を超えていた。人間共の陣にに近づくと、その高度を下げていく。
双頭の大鷲達は、地面すれすれまで低空飛行する。黒の傭兵達が大鷲の足から手を離し、地上に飛び降りる。
黒の傭兵達を降ろした双頭の大鷲は、重りから解放されたかのように、低空から空高く高度を上げた。
地上に降り立った黒の傭兵達は、およそ五千体。この魔物達は、中心が突出し、両翼が下がった陣形を取り、人間達の元へ殺到して行った。
各国の軍隊のうち、一番南側に陣を構えていたのは、強兵で知られるセンブルク国だった。
センブルク軍の歩哨は、退屈そうに大欠伸をしていた。上官の話では、戦いは四日後らしい。まだ先の戦いの為に、緊張感を保つのは難しい。
歩哨は同僚達が羨ましかった。同僚達は皆、テントで足を伸ばし呑気に寝ている事だろう。
曇り空でを見ると、益々気分が沈んで行く気がした。歩哨の耳に、小さい地鳴りのような音が聞こえたのはその時だった。
音は一秒ごとに大きくなって行く。何処かの国が演習でもしているのか?歩哨は音のする方角を注意深く見た。
弛緩した歩哨の表情が、見る見るうちに引きつっていく。歩哨は同じくのんびりとしていた馬の腹を蹴り、自軍の陣へ駆けて行く。
「敵襲!敵襲だ!!魔物達が来たぞ!!」
歩哨は声の限り絶叫した。その叫び声を聞いた二人の兵士が、テントから出て来た。一人はナイフで顎の髭を剃りながら、何かの訓練かと歩哨の声を本気にしなかった。
その瞬間、兵士は手から落としたナイフを残し、地上から姿を消した。もう一人の兵士は驚愕して空を見上げる。
髭を剃っていた兵士は、急降下して来た双頭の大鷲の足に掴まれ、空高く運ばれた。陣の各所で同様の事が起き、悲鳴と絶叫が起きる。
そして程なくして、空から兵士達の身体が落下して来た。双頭の大鷲が、掴んだ兵士達を空中で離したのだ。
落とされた兵士は地上に叩きつけられ、即死した。それを側で見ていた兵士は、同僚の仇を討つために、再び急降下して来た大鷲に、弓矢を射る。
弓は大鷲の片方の頭の目に刺さり、バランスを崩した大鷲は地上に落下した。兵士達は五人がかりで、大鷲に剣と槍を突き立てる。
奇声を上げ、大鷲は沈黙した。兵士達は息を切らしながら、復讐心を満足させた。しかし空を見上げた兵士の心は、復讐心から絶望感に変わった。
空を埋め尽くす大鷲の大群が、地上に向けて一斉に向かって来た。千を越える双頭の大鷲は、次々と人間達を攫い、空から放り投げた。
短時間のうちに、実に千を越える兵士達が双頭の大鷲の餌食になった。その光景は「人間の雨が降った」と後に生き残った兵士が証言している。
大混乱に陥ったセンブルク軍に、五千の黒の傭兵達が突撃して来た。黒の傭兵は長槍を突き出し、センブルク軍の兵士達を串刺しにしていく。
最初に魔物を発見した歩哨は、顔面蒼白の上官に命令される。急いで他国の軍に、この事を知らせろと。
歩哨は命令を実行に移す為に、必死で馬を走らせる。恐怖と混乱から、歩哨は絶叫した。
「一体どうなっている?会戦は四日後だった筈だ!」
「戦争で、口約束を馬鹿正直に守る奴が居る訳無いじゃろ」
一羽の大鷲が戦闘に参加せず、緩やかに高度を保っていた。その背中に、二人の人影があった。
「······本当に良いのですか?お祖父さ、いえ、頭目。アルバ賢人の指定した日時を無視しても」
黄色い髪の青年が、地上を見下ろしながら、自分より若々しい姿の祖父に話しかける。センブルク軍は地上と空からの攻撃で、大混乱に陥っていた。
「聞き間違えた」
「は?」
「会戦の日付を聞き間違えた。ワシは最近耳が遠くてな。いやはや、歳は取りたくない物じゃて」
二十歳前後にしか見えない風貌で、頭目はぬけぬけと言い放った。頭目は無慈悲な視線を地上に送り、次の一手を孫に伝える。
「センブルク軍はもう終わりじゃな。魔物達の勢いも、あと二カ国の軍を潰すまでは続くじゃろ。ベロット。西の魔物も動かせ」
頭目の命令に、ベロットは内心ため息をついた。自分の合図で、また多くの血が流れるからだ。
ベロットは腰袋から角笛を取り出した。魔物を操る為の、一族特製の道具だ。ベロットは西の方角に向けて角笛を吹く。
音は出なかった。だが、耳に聞こえない特殊な音の波動が、確実に伝わっていた。しばらくすると、西の地上の彼方から、砂塵が舞い、地鳴りのような音が聞こえてた。
バタフシャーン一族の頭目は、人間達を南と西からの二つの刃で、串刺しにするつもりだった。




