加齢臭に悩む魔法使いは、最後の晩餐で遠くの友人を想う。
秋晴れが続く気持ちの良い陽気の中、小さな街は騒然としていた。住人達は持てるだけの家財を荷台に置き、家の窓や扉には板を張り釘で止める。いつ帰れるか分からないので、空き巣対策の為だ。
朝から営業している茶店〔朝焼けの雫〕は避難開始日を前日に控えても尚、通常営業していた。
店内の客は、一つの長テーブルを囲う集団のみだった。茶店の主人は、この集団の会話から、守るだの防ぐだのと言う言葉を耳にした。
どうやらこの集団は、四日後この街の近くで起こると言う戦争の話をしている。そして、その戦争からこの街を守る為に行動するつもりらしい。
この冒険者風の連中は、どこまで本気なのだ?茶店の主人は、長テーブルに時折視線を移していた。
「もう一度基本方針を確認するぞ。我々は戦争に関与しない。青と魔の賢人、バタフシャーン一族、各国の軍隊。血を流したがってる連中には、好きなだけやらせればいい」
長テーブルの中央で、タクボが席に座る全員に宣言した。住民を避難させた後、戦える者達で異変に備えて街の壁上に待機する
。
ヨハス達聖騎士団には、街の外で同じく待機してもらう。
「私達が動く時は戦場がこの街に移動した時、若しくは敗残兵がこの街に逃れて来た時だ」
「こちら戦力を超える敵兵が攻めてきたらどうする?タクボ」
ウェンデルがタクボに質問する。相手はバタフシャーン一族の魔物に各国の軍隊。どれぐらいの数が集まるか、検討もつかない
。
その一部でもこの街に雪崩込んで来たら、たちまちこの街は危機に陥ると思われた。
「私はこの街を枕に討ち死にするつもりは毛頭無い。やるだけの事はやるが、無理だと判断したら逃げるさ。ここに居る全員でな
」
タクボはチロルとヒマルヤを見た。二人は頷いている。昨夜タクボは二人に同じ事を伝えていた。
全力を尽くして、駄目な時は街を捨て生き延びようと。チロルとヒマルヤは納得してくれた。
ゴドレアという魔族に関しては、二人を説得するのは骨が折れた。何しろその魔族が現れたら、チロルとヒマルヤは二人で戦場に突撃する恐れがあったからだ。
タクボは二人に念を押す。そのゴドレアが単騎でこの街に近づいた時のみ、戦う事を認めると。
タクボの粘り強い説得により、二人は渋々了承してくれた。
「バタフシャーン一族の魔物達は、どこから現れるのかな?」
エルドが両手を頭の後ろで組み、長テーブルの上に置かれている地図を眺める。
「魔物達は多分、この街から北西。北に駐留している各国の軍隊から見て西の位置に出現すると思われます」
少年モンブラが、控えめに手を上げ発言する。
「坊主。なぜそう思う?各国の軍隊の北側や東側の可能性もあるぞ」
黒い甲冑を纏った短髪の魔族。ボネットは酒を飲みながらモンブラに問い正す。
「街の住民の方に聞いたのですが、この地方は秋の時期に西風がよく吹くそうです。魔物達が風上に立つ可能性は高いと思います
」
風上に立てば弓矢の威力は増し、敵の弓矢の威力を削ぐ。少年の予想は、理にかなっていると思われた。
「······ほう。モンブラ少年は、なかなか優秀だな」
白い長髪に、白い甲冑。ボネットの隣に座っていたヨハスは、興味深い表情でモンブラを称賛した。
「戦争は静観して、敵がこの街に近づいたら逃げる。そう言う事でいいの?タクボ」
マルタナが全員分の飲み物をテーブルに置きながら、タクボを見る。
「兵や魔物がこの街に入ったら最後、この街は破壊されるだろう
。そして、避難した住民達は帰るべき場所を失う」
タクボは独語するように呟く。破壊された街を見て絶望する住民達。想像しただけで、心寒くなる。
「······一つだけ、戦いを止める方法がある」
タクボの呟きに、長テーブルに座る全員が注目する。タクボは続ける。どんな戦いも、総指揮官を失ったら継続は困難だ。降伏か、撤退をするしか無い。
「······つまり、敵の大将を殺っちまうって事か」
ボネットが不敵に笑い、タクボ見ながら酒瓶を手の中で揺らす
す。タクボは頷き、続ける。
「青と魔の賢人達は論外だ。あの連中に勝てる訳が無い。各国の軍隊も難しい。統一された指揮系統がある訳ではないからな。と、なると残りはバタフシャーン一族の魔物達だ」
バタフシャーン一族の魔物を指揮する者を倒せば、魔物達は組織的な行動が出来なくなり、戦いが終る可能性があった。タクボは、全身に黒い衣服を身に着けた少年を見る。
「······なぜ幼少の頃から暗殺の世界に身を置いていたのか、理由が分かったよ。今日この日、一世一代の大役を引き受ける為だったんだね」
エルドは陽気に笑い、タクボの意図を理解した。バタフシャーン一族の指揮者を暗殺する。エルド以外に、それができる者は居なかった。
「馬鹿な!危険過ぎる。大軍が入り乱れる中に、エルド一人を放り込むのか!」
ウェンデルが机を叩き立ち上がる。当の本人は、冷静な表情で紅茶色の髪の青年を見る。
「落ち着きなよウェンデル。大軍の中だからいいのさ。大人数に紛れた方が僕には都合がいい」
ウェンデルは更にエルドに何か言おうとしたが、タクボが手でそれを制した。
「勿論、これは最後の手段だ。仮に実行するにしても、我々が全力でエルドを支援する」
ウェンデルは完全に納得してなかったが、その方策以外、街を救う術は無いと思われた。
「エルド。もしそうなったら、私は必ずお前と一緒に行くぞ」
心配性の兄貴分に、エルドはため息をついた。
「残念だかウェンデル。お前は住民達の避難に同行してもらう」
「何だと?どう言う事だタクボ?」
只でさえ、緊急避難に住民達は不安がっている。雇われた冒険者が護衛に付くとは言え、街の外で魔者や盗賊に襲われる危険もあった。
住民達には、安心出来る材料が必要だった。例えば誰もが知る
、田舎の英雄が同行してくれれば、住民達は幾分かは安心出来るだろう。
「そう言う訳だ。ウェンデル、お前は別行動になる」
タクボの言葉に、ウェンデルが大声で抗議する。するとエルドが立ち上がり、紅茶色の髪の青年を一喝した。
「ウェンデル。人にはそれぞれ適任の役目がある。僕は自分の役目を果たす。だから君も、自分の役目を果たしてくれ」
エルドの真剣な視線と言葉に、ウェンデルは黙ってしまった。顔を俯け、静かに席に座る。
「先程タクボが申したが、人間達の軍隊が結束する可能性は皆無か?」
ヒマルヤが誰にでも無く、疑問を投げかける。それに答えたのは、ロシアドだった。
「あり得ないな。今頃連中は、実りの無い会議でも開いているのでは無いか?」
金髪の美青年の予想は、現実の物となっていた。
小さな街の北側に、各国の軍隊は陣を張って待機していた。その中心地に、大きな天幕が設営され、臨時の会議所になっていた
。
各国の将軍はこの天幕に集い、円卓の机に着席し、今後の方針について討論していた。だが、十二カ国の代表が集る予定が、二カ国欠けていた。
「ロンド国と、カリフェース国の代表は何故来ないのだ?」
「ロンド国は何処かの軍隊に蹴散らされ、既に帰国したらしい。カリフェースは分からんな。あの宗教国は何を考えているのか」
将軍達の報告と偏見が、円卓の席に飛び交う。ロンド国の軍隊は行軍途中、ゴドレアの軍と遭遇してしまい、敗走させられた。指揮官を失った彼等は、帰国するしか選択の余地が無かった。
「ここに集った十カ国で、統一した指揮系統を作った方が得策だが。何なら私がその役目を務めてもいい」
発言したのは、十二カ国の中でも最大の国力と領土を誇るサラント国の将軍だった。当然、他の国の将軍達は認め無かった。
ここでそれを認めると言う事は、今後サラント国の風下に立つ事に成りかねないからだ。事は単純に今回の戦争に留まらない。
この会議での自国の役回りで、今後の外交の力関係に関わってくる。反対の声が多数上がり、統一された指揮系統は断念された
。
唯一決まったのが、各国の軍隊が密集して魔物達を撃退すると言う案だった。
「あ、あの。密集は避けた方が良いと思います」
自信に欠いた不安げな声が、円卓の会議所に上がった。将軍達は声の主を見る。その声の主は、癖っ毛の黒髪を手で掻きながら、緊張からか汗を流していた。
気弱そうな表情に、小柄な身体。年齢は三十代後半と思われた
。
「トワイス国のフィンド中将であります。皆さん申し上げます。密集は避けた方がいいです。敵に何か強力な攻撃手段があった場合
、こちらの被害が大きくなる可能性があります」
フィンド中将と名乗った男は、更に汗を流し、言い終えた後俯いてしまった。
「何故大軍の利点を捨てる必要がある?我らが一斉攻撃をかければ、魔物達なと一撃で倒せる」
「その通りだ。所でフィンド中将。貴国が引き連れた兵の数は如何ほどか?」
将軍達の質問に、フィンドは慌てで顔を上げる。
「さ、三千であります」
天幕の中で、複数の失笑が起きた。各国の軍は、それぞれ一万前後の兵力を引き連れていた。
「いや、これは失礼。貴国のような小国にも出兵を命じられるとは災難でしたな中将」
言葉の最後にも嫌味が含まれていた。各国の将軍の階級は、フィンド以外全員大将だった。トワイス国は、兵の数や人材の層の薄さを痛烈に突かれた格好になった。
「その兵力だと中将も不安でしょう。何なら貴国だけここから離れた、安全な場所に居るといい」
フィンド中将は汗を手の甲で拭い、再び顔を俯け、黙り込んでしまった。フィンドの後ろに控えていた二人の男女が、自分達の上司の背中を見つめる。その背中は、小さく丸まっていた。
ロシアドの予想通り、実りの無い会議は終わった。結局各国の軍隊は密集体系を採用し、後はそれぞれ各国が独自の判断で戦う事となった。
フィンド中将は天幕を出て、自軍の陣営に戻る為に、早歩きで小柄な身体を動かす。その後ろから、女の声が聞こえた。
「フィンド中将!もう少し毅然とした態度を取って頂かないと困ります。我が軍と我が国が、他国から軽んじられますよ」
フィンドは汗をかきながら後ろを振り返る。上司を叱責したのは、銀色の神官衣を身に着けた女だった。黒の長い前髪から覗かせる顔は、若く美しかった。
「そう怒るなルシンダ。中将は精一杯他の将軍達に忠告をした。それを一笑に付すのは将軍達の勝手だが、我々は自分達が出来る最善の事をすればいい」
緑色の甲冑を纏った騎士が、女神官を諌める。細身の長身に端正な顔立ちは、何処かの育ちのいい貴族を思わせた。ルシンダと呼ばれた神官は、甲冑の騎士を睨む。
「ドネルは中将に甘いわ!そんな事だから、トワイス国は小国と侮られるのよ」
ドネルと呼ばれた騎士は、ルシンダの言い様にため息をつく。話題を変えようと、ドネルはフィンド中将に自軍の方針を聞く。
「······わが軍の目的は戦争で勝つ事じゃない。こんな無名の師から、一人でも多くの兵を故郷に無事に帰す事だ。我々はここから離れた場所に移動する」
弱々しい物言いだったが、フィンドは断言した。この言い方をした時のフィンドは、決してその言葉を違えない。ドネルとルシンダは、その事を知っていた。
「ううっ!」
フィンドは急に下腹部を手で抑え、慌てて駆け出していく。その様子を、ドネルとルシンダは見慣れた光景のように見送る。
「······また始まったようね」
「ルシンダ。お前の言い様がきつかったからだぞ」
ドネルに問責され、ルシンダは拗ねたような表情になる。神経が細いフィンドは、心理的圧力を強く感じると、腹を下す癖があった。
日も暮れた頃、小さな街にある茶店〔朝焼けの雫〕では、ささやかや晩餐会が開かれていた。
一行に避難の準備をする気配を見せない茶店の主人に、客達は深く追求せず、有り難く料理を作ってもらう。
「あれを見ろ。チロルは末恐ろしい娘だな。十三歳にして、三人の男を虜にするとは」
ウェンデルは麦酒を飲みながら、チロル達が座るテーブルを見る。チロルの左右にヒマルヤ、モンブラが座り、向かいにはロシアドも座っていた。
「三人って、ロシアドは流石に違うんじゃない?」
エルドは隣に座るシリスに白ワインをつぎながら否定する。
「分からないわよ。五年後位には、金髪さんとチロル。結構お似合いになってるかもしれないわ」
マルタナが蒸留酒を口にしながら、そう遠くない未来を予言した。
「まあ、誰がチロルを射止めるか分からんが、チロル本人より、あの保護者を説得する方が骨が折れるかもしれないな」
ウェンデルは、カウンターに顔を向ける。そこには、一人で酒を飲むタクボがいた。
「違いない」
「違いないわね」
エルドとマルタナが同時に同意し、未来のチロルの相手に、心から同情した。
カウンターで酒杯を重ねていたタクボは、すっかり酔いが回り、両目は虚ろだった。一人酒は好きだが、あの死神と飲む酒も悪く無かった。
タクボはそんな事を思い返していると、ふとカウンターに置かれている花瓶に目が行く。
赤い花弁を開いた花に、タクボの視線はしばらく奪われた。この花は確か、百日草と言ったか。
百日草の花言葉は何と言ったか?タクボは酔いのせいか、普段考えもしない事を思った。
「店主。この百日草の花言葉を知っているか?」
タクボは、自分でもろれつが回っていない事を感じていた。無愛想な店主の事だ。酔っ払いの戯言など無視されるだけと、タクボは返答をさして期待していなかった。
「遠くの友人を想う。それが百日草の花言葉だ」
茶店の主人は、食器を洗いながら低い声で答えた。質問者からの反応は無い。主人がカウンターを見ると、質問者は腕を枕に眠りに落ちていた。
眠った男の手元には、空のグラスが倒れていた。男の隣の席に、もう一つグラスが置かれている。そのグラスは、注がれた酒が一滴も減る事なく、眠る男の隣に佇んでいた。




