人生は、選びたくもない選択を、しなくてはならない時がある。
金髪の美青年は、母親に捨てられ過酷な少年時代を送った。少年は生きる為に、どんな仕事でもした。十二歳の時、少年は傭兵団で雑用の仕事をしていた。
傭兵達が昼の休憩時間を取っていた時、ロシアドは馬に飼料をやっていた。傭兵達は余興でロシアドに剣を持たせた。相手はロシアドの倍の身長がある古参の傭兵だ。
勝負は一撃でついた。ロシアドは古参の傭兵の剣を弾き落とした。傭兵達は驚愕した。それを見ていた傭兵団の長は、その日からロシアドに剣を教えた。
ロシアドは恐るべき速度で強くなって行った。独学で魔法も覚え、十六歳になる頃には、ロシアドは傭兵の世界で知らぬ者は居ない程の存在になった。
ロシアドが十七歳の時、所属する傭兵団がある二カ国間の戦争に参加した。だが、敵となる相手国の兵力はこちらの三倍。負ける事が分かっていた戦いだった。
だが大方の予想を覆し、敵国の軍隊を破った。ロシアドが相手国の将軍を討ち取ったのだ。あり得ない勝利の代償は大きかった
。
二カ国はその後、泥沼の戦争を続ける事となったのだ。ロシアドは考えた。あのまま順当に自軍が負けていたら、不平等とは言え、何かしら条約が締結され、戦争は終わっていたのでは無いかと。
自分の行為が、戦争を長引かせてしまった。ロシアドは、この時初めて自分の力は危険だと感じた。
真紅の髪の青年が、ロシアドの前に現れたのはそんな時だった。アルバ名乗った男は、ロシアド自身が考えていた事と、同様の事を言った。
「君の力は強大過ぎる。人間の歴史を変えてしまう程に」
ロシアドはアルバに導かれるように、青と魔の賢人の組織に入った。アルバはロシアドに語った。我々で新しい世界を創ろうと
。
アルバの語る新しい世界は、戦争が決して起きない世界だった。傭兵として、戦争の悲惨さを目の当たりにして来たロシアドは、アルバの語る世界に希望を見出した。
ロシアドは希望の世界の為に組織に忠誠を誓い、どんな仕事でもこなした。時には要人を暗殺し、時には有望な人材を誘拐し、時には涙を流し命乞いをする無力な者を、口封じの為に斬った。
生真面目な性分に、それらの汚れた仕事は堪えた。だがロシアドは耐えた。全ては戦争が起こらない、平和な世界の為に。それは遠い未来の話では無い。
自分が信じた同志。アルバは確かにそう言った。
「······細菌を使って、世界を滅ぼすだと?」
ロシアドの形のいい口が歪んだ。満席で賑わう店内の喧騒は、金髪の若者の耳から一時消え失せた。
ネグリットはアルバにとって政敵だった。しかし、殺害までするとは。そして、その方法として使われた細菌。
モンブラと名乗る少年の話は、アルバの部下であるロシアドには、にわかに信じられる内容では無かった。
長テーブルに座る面々は、黒い甲冑を纏った魔族の男以外、一様に驚きの表情を見せている。
「······細菌?人から人に感染する?そんな代物を造る事が可能なのか?」
ウェンデルが誰に質問するでも無く呟いた。アルバの行為とその殺人兵器は、紅茶色の髪の青年の理解を超えていた。
「古代書を使ったな。それも禁書指定の中でも最悪の部類の物を」
ボネットが冷静な口調でウェンデルの疑問に答える。青と魔の賢人の城には、世界中からありとあらゆる分野の古代書が集めれていた。
その中には、あまりに危険な知識が存在しており、組織の先人達が禁書とし、城の地下深くに封印していた。
ボネットの説明に、モンブラも驚愕していた。少年はネグリットに信頼され、全ての書庫の管理を任されていた。そんな彼でも
、古代禁書の存在などつい先程まで知らなかったのだ。
「······だが、禁書が手に入ったとしても、そんな細菌を造れる訳でもない。そのアルバとやらは、知識の量と、魔法精製の技術が飛び抜けている奴のようだ」
「ボネットさんは、青と魔の賢人の組織の人なんですか?」
チロルは大きな瞳で、短髪の魔族の顔を真っ直ぐに見る。
「······二十年も前の話だお嬢ちゃん。組織って奴は俺の肌に合わなくてな。師であるネグリットと大喧嘩して城を飛び出しちまった」
ボネットは両目を細め嘆息した。その両目は、過去を振り返っていたようにヨハスには見えた。ボネットは再び開いた両目を、モンブラに向ける。
「坊主。ネグリットの思惑は知らんが、俺にそんな事を打ち明けても無意味だ。俺にはどうする事も出来ん」
炎上するネグリットの執務室から脱出し、盗賊や山賊に襲われ、ついには魔族の軍隊に拘束されるも、奇跡的に逃れる事が出来た。
その苦難の道の結果は、ボネットの取り付くしまが無い態度で報われた。だがモンブラは絶望しなかった。このボネットの返答は、想定内だったのだ。
ネグリットから、ボネットの性格は聞いていた。どんな遺言であれ、奴はそんな事知るかと答えるだろう。ネグリットはそう予想していた。
モンブラは席を立ち上がり、自分の考えと思いを言葉にする。
「ボネット様。ネグリット先生は、自分の後継者となる候補が幾人かいました。ネグリット先生を殺害したアルバ賢人も、かつてはその候補の一人でした」
モンブラはひと呼吸置いた。自分の考えを整理する為だ。ペンダントをつけた黒髪の女性が、用意してくれた果実水を一口飲む
。
「それでも、ネグリット先生は自分の手首を届ける相手を、貴方に選びました。その事をよくお考え下さい」
無力な人間の少年は、ボネットを怯まず見据える。一見、生意気に見えるその行為は、ボネットにとって不快では無かった。
「······坊主。お前はなかなか骨がある奴のようだ。だが過分に期待はするな。俺は世界の秩序より、自己の自由を選んだ男だ」
ボネットは自嘲気味に短い笑みを浮かべた。
「それよりも、モンブラが言う各国の軍隊の方が目先の問題だよ。この街の近くでそんな戦争が起きたら、ここはただじゃ済まない」
エルドはそう言いながら、以前アルバから感じた、形容し難い恐ろしさを思い出していた。人間と魔族を皆殺しにする。あの真紅の悪魔は、ここまでの事を考えていたのかと。
エルドの問題提起に対し、全員が考え込む。一体そんな大軍勢が戦う相手とは、どこの勢力なのか。
「相手はバタフシャーン一族だ」
長テーブルに座る十人全員が、声のする方向を見た。そこには、血の気が失せた表情のタクボが立っていた。
「どう言う事なの?タクボ」
マルタナが、タクボの様子が普通では無い事に気づきながら、質問する。
「今しがたターラから話を聞いた。バタフシャーン一族と各国の軍隊が戦う。その後に、青と魔の賢人達が参戦するらしい」
ヨハスとボネット以外の全員が、金髪の美青年に注目する。ロシアドは額に汗を浮かべ、自分に注がれる視線に固まる。
「······その戦争の事も、細菌の話も私は聞いていない」
ロシアドは両の手を握り、震えた拳をテーブルに置いたまま俯いた。
「開戦は一週間後だ。チロル、ヒマルヤ。急いでこの街を出るぞ
」
タクボはチロルの腕を掴んだが、少女は席を立とうとしなかった。
「分かっている。野良猫達も一緒に連れて行く。さあ荷物をまとめに行くぞ」
タクボはチロルの掴んだ手に力を入れた。それでも少女は動かない。チロルは大きな瞳で我が師を見つめる。
「師匠。この街の人達はどうなりますか?」
「町長にでも伝えて、避難勧告でも出してもらえばいい。私を困らせるなチロル」
少女は師の言葉に頭を振った。そして悲しそうな笑みをタクボに向ける。
「······駄目です、師匠。この街は、師匠と出逢えた大切な場所です。見捨てられません」
少女の純真さが鏡となり、その鏡に映る自分は、あまりに薄汚れていた。その自分への苛立ちが募り、タクボは声を荒げる。
「チロル!今度起こる戦争は、我々がどうこう出来る規模の話ではないんだ。私はお前とヒマルヤの保護者として、二人を守る義務がある!」
一歩も引かないタクボとチロルの交錯する視線は、モンブラの言葉で中断された。
「避難したほうがいいです。軍隊は人間だけではありません。ゴドレアと言う魔族が率いる軍も近くに潜んでいます」
「コドレアだと!?モンブラとやら。今、ゴドレアと言ったか!
?」
ヒマルヤが席を立ち、掴みかかりそうな勢いで、モンブラの前に駆け寄った。モンブラが見たチロルの顔は、穏やかや表情から一変し、殺気立っていた。
「······ごめんなさい。師匠。この街を離れられない理由が、もう一つ出来ました」
「······ヒマルヤ。お前もチロルと同じ考えか?」
聞くまでもない質問を、タクボは承知しながらもする。
「当然だ!サウザンドの仇を討つ機会を逃すものか!」
タクボはチロルの腕を離した。そして苦々しく言葉を絞り出す
。
「······なら、二人共勝手にしろ」
そう一言だけ言い残し、タクボは踵を返し、店の出口に向かって歩いて行った。マルタナがそれを追い、二人の姿は店の外に消えた。
「······大司教に計られたかもしれん」
ヨハスが静かに口を開く。各国に出兵命令を下す事が出来る組織は、青と魔の賢人以外あり得ない。当然、カリフェースにも出兵命令は下っていた筈だ。
それは丁度、ヨハス達聖騎士団がカリフェースを出立した時期と、時を同じくしていたと推測される。
大司教はヨハス達を利用した。ヨハス達の目的地は、偶然にも出兵先と同一だったのだ。
ヨハス達がそこに向かえば、命令を履行した事になり、戦争でヨハス達騎士団が倒されれば、大司教には重畳極まりないと言った所だろう。
「あの肥満した大司教の、笑う姿が目に浮かぶな」
ボネットは吐き捨てるように大司教を罵る。ヨハスとボネットの会話は、シリスにとって教団内の闇を匂わせ、彼女を不安にさせた。
自分が信じていた教団に、今何が起こっているのか。シリスの頭の中は、その事で一杯だった。
「······どうする?ウェンデル」
エルドの問いかけに、紅茶色の髪の青年は両腕を組み考え込む。
「肝心のタクボがあの様子ではな。とにかくタクボの言う通り、町長に避難勧告を出してもらおう。それが最優先だ」
明日朝一番で町長を訪問する。この場で決められる事は、それが精一杯だった。張り詰めていた緊張感が少し和らいだ時、マルタナが戻って来た。
マルタナは浮かない顔で首を振り、タクボを止められなかった事を無言で報告した。マルタナの目に、沈んだ表情のチロルが映った。
長テーブルに座る十人は、各々黙って考え込み、店内の喧騒は、彼らを置き去りにしたように響いていた。
翌朝、タクボは朝一番で銀行に行き、十年以上に渡って貯蓄していた、引退後の資金を全て手元に戻した。
初老の受付が、何の為に使うのかと余計な質問をしてきたので、タクボは老後の為だと答えた。
宿屋の部屋に戻ると、隣のベットで寝ていたチロルの姿は無かった。タクボはチロルのベットの上に、全資金の三分のニを置いた。ヒマルヤと二人で使うよう、書き置きも残す。
使い古した革の鎧を身に着け、麻の袋に荷物をまとめ、宿を出る。タクボの鬱屈とした気分とは裏腹に、空は秋晴れで暖かい日差しが地上に降り注いでいた。宿屋の前には、ウェンデル、エルド、マルタナが立っていた。
最後まで暇な奴らだ。タクボはそう呟き、三人を無視し歩を進める。タクボはもう、うんざりしていた。
平穏な生活。タクボが望むのはたったそれだけだった。だが、彼の希望とはあまりにもかけ離れた事が続き過ぎた。
原因は分かっていた。余計な事に首を突っ込み、他者と深く関わったからだ。もう沢山だ。タクボは心の中で叫んだ。
他人と関わらなければ、自分の望む生活が手に入る。タクボはそう信じ、歩みを速めた。
「師匠!」
タクボの背中から、聞き慣れた声が聞こえた。振り返ると、銀髪の少女が腕の中に猫を三匹抱え、立っていた。
「師匠。質素、平穏、安寧は私が責任を持って世話します。安心して下さい」
チロルは笑顔でタクボに宣言した。
「······ああ」
タクボはそう一言だけ答え、再び歩き出す。
「師匠!師匠はお酒に酔うとお腹を出して寝る癖があります。寝冷えには気をつけて下さい」
「ああ······」
タクボは歩みを止めない。
「師匠!師匠は歳のせいか、加齢臭が出始めてます。入浴を丹念にしないと、お嫁さんが来てくれません」
「······」
タクボは西門に向かって歩き続ける。
「······師匠!」
震えた声が、タクボの耳に届いた。
「······私を、一人にしないで下さい······」
少女の口から溢れた、か細く小さい声は、心細そうにしている足元に落ちた。それに引きずられるように、少女の膝は崩れ落ちる。
俯く少女の顔を、胸に抱いた三匹の猫達が不思議そうに見上げている。その時少女は、頭の上に何かがある事に気づいた。
チロルは顔を上げる。目の前にはタクボがいた。タクボの手の平が、チロルの頭に添えられている。
「······口の減らない弟子だな。歳のせいは余計だ」
タクボはチロルを抱きしめた。それは、自分の手で捨てようとした、他者との繋がりを引き戻した瞬間だった。チロルはタクボの肩に額を預けながら、大きな瞳から涙を流した。
「全く。あの守銭奴は人を心配ばかりさせるわね」
「首尾一貫しない男だが、案外それがタクボの魅力かもしれんな」
「とにかく良かったよ。チロルの悲しむ顔は見たくないしね」
マルタナ、ウェンデル、エルドが不器用な師弟を思い思いに見つめていた。
チロルの胸の中から、三匹の猫が餌を要求する大きな鳴き声を上げた。驚いたタクボとチロルは、猫を見た後互いの顔を見る。
タクボとチロルは、同時に吹き出した。師弟の笑い声は大きく、秋晴れの空に響いていく。猫達の欲求を満たすために、タクボとチロルは、餌を取りに行く事を決めた。
タクボとチロルは手を繋ぎながら、慣れ親しんだいつもの宿屋に、二人で駆けて行った。




