人生は、歓迎する偶然と、望まない偶然がある。
黒いローブを纏った四兄弟は、再びこの小さな街を訪れた。しかし、以前この街で大きな戦闘を行った為、街の中に入る事は避け、近くの森に潜んでいた。
食料の調達と街の様子を伺う為、末っ子のターラが単身街に入った。ターラは普通の町娘の衣服に着替え、麦わら帽子を深く被り、慎重に街の中を歩いて行った。
ターラが見る限り、街の住民に混乱は見受けられなかった。住民は一週間後の戦いの事を知らない。ターラはそう判断した。
あの魔法使いは、まだこの街にいるのだろうか。ターラはタクボの言葉を思い出していた。あの戦いの最後に、タクボは何故あんな事を自分に言ったのか。
気付くと、ターラの足はこの街に唯一ある小さな宿屋に向かっていた。宿屋の主人が席を外している時を見計らって、帳面を確認する。
すると帳面には、あの魔法使いの名があった。ターラはなぜか、その名を目にしただけで心が落ち着くのを感じた。
その時ターラは、受付台の奥の部屋から、人の気配を感じた。宿屋の主人がその部屋から出で来た。受付台には、開かれた帳面が残され、ターラの姿は消えていた。
「ターラ。どうやってこの部屋に入れたのだ?」
言い終える前に、タクボは自分の記憶力を罵った。ターラは古代呪文、転移の魔法が使えるのだった。
『あなたに聞きたい事があって来ました』
ターラはゆっくりと口を動かし、その言葉と同じ文字を紙に羽のペンで書き、タクボに見せる。
読心術の覚えの無いタクボは、有り難くターラの文字で、彼女の言葉を理解する。続けてターラは綴る。あの戦いでの去り際に、なぜ貴方は私にあんな事を言ったのか?
タクボは先程罵った自分の記憶力を、叩き起こした。幸い飛び起きた記憶力は、直ぐに答えてくれた。
穏やかな、そして静かな暮らし。タクボはそれを望み、ターラにもそんな生活が訪れる事を願った。
「ターラ。君が私と、同じ物を望んでいると感じたからだ」
タクボの言葉に、ターラの表情は一瞬固まった。そして悲しげな目で、首を横に振った。
「······ターラ。復讐に囚われる人生は、静かな生活とは対極の位置にある。君はまだ手遅れでは無い。その気さえあれば、まだ戻れる」
ターラは首を振り続けた。穏やかで静かな暮らし。ターラの望んでいたそんな生活は、過酷な過去と、険しい未来の中に存在する余地は無かった。
ターラが振り続けた首が止まった。彼女の頭には、タクボの手のひらが添えられいた。
「それでも諦めるな。生き残りさえすれば、いつかそんな生活がきっと出来るさ」
タクボは穏やかに笑った。その笑顔を見た瞬間、ターラの瞳から涙が溢れた。ターラは危険を感じた。この魔法使いの側に居ると、自分の決意が揺らぎそうになる。
ターラは長居すべきでは無いと思いつつも、まだここに居たいという自分の感情に戸惑っていた。
『この街に危機が近づいています』
ターラは無理矢理、話題を変えた。彼女の口から語られる内容は、タクボの想像を絶していた。
日はすっかり暮れて、街の中は一面暗闇となっていた。それでも夜に店を開いている場所からは、煌々と明るい光が、建物の中から外に漏れていた。
空腹に耐えながら、少年モンブラは街の中を歩いていた。山を降りる所で山賊に見つかり、命からがら逃げ延びた。
鞄は奪われたが、ネグリットの左手首だけは死守した。靴底に潜ませていた金貨のお陰で、無一文になる事も回避出来た。
しかし、モンブラは馬を調達しなくてはならなかった。この国の馬の相場が分からない以上、手に残った資金を無駄遣いは出来なかった。
だが育ち盛りの胃袋は、不満と不平を音に変えて大きく鳴らす
。どこかでパンをひと切れだけ買おう。
ネグリットの遺言を果たすと言う強い決意と、胃袋の要求に妥協点を見出し、少年は一軒の茶店に辿り着いた。
その店の看板には、〔朝焼けの雫〕と書かれていた。
モンブラが店内に入ると、各テーブルには冒険者と思われる者達が座っていた。丁度夕食の時間帯もあってか、店は満席の様子だ。
モンブラはカウンターに行き、パンをひと切れだけ売ってもらえないかと頼む。店の主人と思われる男は、無愛想な顔と視線を薄汚れた子供に向け、代金は銅貨三枚だと告げた。
少年は、なんとか食事に有り付ける事に安堵し、代金をカウンターに置いた。主人は代金を受け取り、モンブラの前に雑穀パンを置いた。
そのパンは、鶏肉とチーズが二枚のパンに挟まれていた。モンブラが注文した物とは、明らかに違っていた。
モンブラが茶店の主人を見ると、主人はさっさと食べろと言い残し、カウンターの奥に行ってしまった。
主人の優しさにモンブラは頭を下げ、パンを両手で大事に持ち、店の出口に向かって歩き始めた。その時、左目の視界に何かが映った。
そう思った瞬間、誰かがモンブラにぶつかってきた。モンブラは転倒し、貴重なパンを床に落ちてしまった。
モンブラは、ぶつかってきた相手を見るよりも先に、手から離してしまったパンの行方を探した。
木張りの床に落ちたパンの姿を確認すると、少年は肩を落としうなだれた。モンブラの胃袋が半狂乱し、抗議の音を出す。
「ごめんなさい。怪我はありませんか?」
心が折れかけたモンブラは、声の主を見上げた。少年のささやかな晩餐を破壊した相手は、銀髪の少女だった。年齢は自分とそう変わらなく見えた。
少女を見た途端、モンブラの呼吸が一瞬止まった。銀髪の前髪の下にあった大きな瞳から、モンブラは視線を外せなかった。
胸の中の心臓が、激しく暴れていた。少女はモンブラの足元に落ちたパンを両手で拾った。そして、何の前触れも無くそのパンを食べ始めた。
「ちょ、ちょっと止めときなよ。お腹を壊すよ!」
仰天したモンブラは、必死に少女の愚行をその善意から止めさせようとした。
「大丈夫です。食べ物は床に落としてから、五秒以内なら食べられます」
少女は口の中一杯にパンを頬張りながら、行儀悪く答える。モンブラはそんな法則を聞いた事が無かった。
「私の師匠の教えです。間違いありません。貴方の夕食を食べてしまったので、弁償させて下さい」
唖然とするモンブラの返事も待たず、少女は少年の手を引き、店内の奥のテーブルに連れ去る。
「チロル。お替りの注文はいいけど、走ったら危ないよ······ところでその子は誰だい?」
店内の隅にある長テーブルに、六人が座っていた。その内の一人、全身黒の衣服を着ていた男が、少女に話しかけた。
······チロルとは、この銀髪の少女の名だろうか?モンブラはそんな事を考えいたが、自分の右手が少女に握られている事に気づき、また心臓の鼓動が早くなる。
「はい。気をつけます。エルド兄さん。この人の食事を私が食べてしまったので、皆と一緒にこのテーブルで食べてもらいます」
育ち盛りの少女は、注文を待つ事が我慢出来ず、ついに他人の食料を強奪するようになったのか。
エルドはチロルに対し一抹の不安を胸に抱いたが、妹分を深く追求せず、全ての監督責任を、ここに不在の保護者に押し付ける事を即断した。
「そうか。それは災難だったね。お詫びにお腹一杯食べて行ってね」
エルドはモンブラに微笑み、少年の為に空いていた椅子を引く。モンブラは戸惑いながら、席に座った。長テーブルに着席していた者達が、モンブラの視界に入った。
白髪の白い甲冑の男は、静かにグラスを傾けている。その隣の黒い甲冑の男は、モンブラに関心を示さず、骨付き肉を噛み切り、赤ワインで流し込んでいた。
ペンダントをつけた若い女性が、モンブランの前に果実水が入ったグラスを置いてくれた。
モンブラと似た年齢と思われる、長い帽子を被った少年は、何故かモンブラを厳しい目で見ていた。その隣の金髪の美しい青年は、我関せずといった面持ちだ。
「さあ、遠慮せず食べて下さい」
チロルがジャガイモのスープをモンブラの前に置く。そのスープはロシアドの分だったが、エルドは見なかった事にした。
「······ええと。それでは、有り難く頂戴致します」
モンブラは礼儀正しく頭を下げ、両手を合わせた後、スプーンを持った。スープの匂いは、モンブラの胃袋を狂喜乱舞させた。
歓喜の一口を口に入れようとしたその時、銀髪の少女が顔を近づけてきた。
「お名前、なんて言うんですか?私はチロルです」
至福の時を中断させられ、モンブラの胃袋は絶叫していた。だが少女の名を知る事が叶ったモンブラは、胃袋の口を無理矢理塞いだ。
「モ、モンブラと言います」
「ほう。モンブラとやら。そのボロボロの身なりは如何したのだ
?」
長い帽子を被った少年が、強い口調で質問して来た。何故この少年に睨まれるか、モンブラには分からなかった。
「今日は見慣れない人達がいるな」
モンブラが説明しようとした時、後ろから男の声がした。振り向くと、紅茶色の髪をした青年と、長髪の若い女性が立っていた
。
「ウェンデル、マルタナ。今日は遅かったね」
エルドが二人に声をかけた瞬間、白い甲冑を纏った白髪の男が突然立ち上がった。白髪の男は、ウェンデルの前に跪く。
「ウェンデル殿。お初にお目にかかります。私はカリフェース聖騎士団長、ヨハスと申します。貴方にお話があり、本日お邪魔致しました」
カリフェースと聞き、モンブラは胃袋の嘆きを忘れ驚いた。一方、紅茶色の髪の青年は困惑していた。
「頭を上げて下さい。私は貴方に跪かれる理由はありません」
ウェンデルは穏やかに答え、ヨハスの手を取り立ち上がらせた。ヨハスはウェンデルの両目を黙って見つめる。
「······カリフェースは、いや、オルギス教は今危機に瀕しております。貴方のお力が必要なのです。ウェンデル殿」
ヨハスの言葉に、ウェンデルの中のオルギスが素早く反応している事に、紅茶色の髪の青年は気付いていた。
「俺の目の前で、男同士が見つめ合うな。飯が不味くなる。お前ら取り敢えず座れ」
黒い甲冑の短髪の男が、赤ワインが入ったグラスを口につけながら、皇帝の剣を継ぐ者と聖騎士団長に言い放った。
「ボネット!ウェンデル殿に失礼であろう。失礼致しました、ウェンデル殿。この者は礼儀が······」
ヨハスの言葉は、誰かが席を立ち上がる音で中断された。全員が席を立ったモンブラを見る。モンブラは全身を震わせ、黒い甲冑を纏った男を見た。
「······ボネット?今、ボネット様と仰りましたか?」
「なんだ坊主?俺を知っているのか?」
モンブラは、ネグリットからボネットについて、事前に聞いていた事があった。魔族の男で年齢は四十二歳。酒好きで、性格は一言で無遠慮。
少年の目の前の男は、ネグリットの説明に合致していた。そして何より、カリフェースから来た聖騎士団長の連れとなれば、その男もカリフェースから同行して来たと思われた。
モンブラは、急く自分の心を必死に落ち着かせた。こんな偶然があるのだろうかと。自分がこれから馬を調達し、遠く離れたカリフェースへ赴く前に、相手の方から自分の前に現れたのだ。
モンブラはボネットに会えたら、一言だけ言うつもりだった。もし相手が自分の探し人だったら、その一言だけで全てが済むからだ。
「······ネグリット議長が亡くなられました」
モンブラが呟いた瞬間、ワインを口に運ぶボネットの手が止まった。そしてまた、誰かが席を立った。
「少年よ。今、ネグリット議長と言ったか?君は、青と魔の賢人の組織の者か?」
モンブラは、席を立ち上がった金髪の美青年に問い正される。モンブラは自分の記憶を掘り起こす。
よく見ると、この金髪の青年に見覚えがあった。ネグリットの執務室で見かけた事が一度あった。
普段は勇者と魔王の卵を探索しているロシアドは、秘書の少年の顔など覚えて居なかった。
モンブラは混乱していた。何故この席に、賢人であるロシアドが居るのか。確かロシアドは、アルバの派閥に属していた。
この金髪の青年は、アルバの犯行を承知しているのだろうか?そうであるなら、モンブラは窮地に立たされた事になる。
モンブラはロシアドに拘束され、アルバに突き出される可能性を考えた。モンブラは突然の偶然と絶望感に、頭の中は混乱を極めた。
俯くモンブラの肩に、誰かが手を置いた。モンブラが手の主を見ると、それはチロルの手だった。
「安心して下さい。ロシアドさんは信頼出来る人です。何でも話して下さい」
チロルの言葉と微笑みは、不思議とモンブラの心を落ち着かせた。
「······坊主。ネグリットは俺の昔の師だ。そのネグリットが死んだと言ったのか?」
ボネットはグラスを置き、真剣な表情でモンブラを見る。モンブラは確信した。目の前の魔族の男は、自分が探していた人物だと。
「ボネット様。全てを貴方にお話します」
覚悟を決めたモンブラは、腰のベルトから小さな袋を外し、中身をテーブルの上に出した。テーブルに置かれたのは、魔族の手首だった。




