死神は草原に散り、少年は少女と共に復讐を誓う。
荒涼な険しい山間に、元魔王ヒマルヤの居城は在った。サウザンドは不在の主君の代わりに、国政の処理に当たっていた。
他国に潜伏していた密偵から報告を受けたのは、そんな時だった。
「トレルギア国の首都が陥落した?」
密偵の報告は続いた。首都を落とした盗賊団は、休む間も無く軍を北進させていると言う。
サウザンドの部下が、テーブルの上に地図を広げる。その進路は、真っ直ぐこの城を目指しているように思われた。
その進路の途中には、他国の城や砦が行く手を阻んできたが、それらを次々と落として進軍していると言う。
「······サウザンド様。こ奴らの目的は?」
サウザンドの部下が、汗をかきながら地図を凝視している。
「我が国。それも、この城が奴らの目的だろう。そうでなければ、この戦略を無視した行軍進路の説明がつかない」
他国の領内を突破して、その先にあるまた他の国に攻め入るなど、戦略常識上、あり得ない行動だった。
そもそも、そんな行軍で補給路の確保が出来る筈も無かった。この盗賊団の首領ゴドレアなる者は、どうやって兵を食わせているのか?
サウザンドの元へ、このゴドレアから書簡が届いたのは、その三日後だった。その文面に目を通したサウザンドは、長く考える事も無く、部下達に指示を与え始めた。
全ての準備を終えたサウザンドは、ヒマルヤが居る辺境の街に趣いた。一晩をそこで過ごすと、彼は城に戻ること無く、ある場所へ向かった。
そこは、自国と隣国の国境線にある草原だった。
ゴドレアは、トレルギア国の首都を落としてから、暫くは戦後処理の為に、この国に留まるつもりだった。
その方針が変わったのは、部下からサウザンドの話を聞いたからだった。サウザンドの名は、魔族の国々で広く知れ渡り、魔族最強の戦士と言われていた。
ゴドレアは魔族の国の中で、最強の軍事力わ誇るこの国を落とした。後は最強の戦士を葬れば、名実ともに魔族の最高位に立つ
。
ゴドレアはすぐさま、軍を出発させた。部下が補給路の目処が立たないと悲鳴を上げたが無視した。
「糧食は、行軍途中にある城や砦から奪えばいい」
部下は開いた口が塞がらなかった。自分が負ける事など、一切考えていない行動としか思えなかった。
領民から略奪しろと言わなかった所が、まだ救いか。落としたばかりのこの王都を、ゴドレアが離れれば、暴動が必ず起きる。
部下はそう説得したが、ゴドレアは王都に布告を出させた。それは、一度反抗すれば降伏を認めないという内容だった。
その布告を見た者達は戦慄した。ゴドレアに反逆すれば、皆殺しにあうと警告されたからだ。
かくしてゴドレアは軍を出発させた。宣言通り、行軍進路にある他国の城を落とし、糧食を補給して行った。
アルバに案内された山に居た盗賊団を配下に収めてから、ゴドレアの兵力は増え続けた。五つの盗賊団を潰し、その勢力をまとめ、トレルギア国の王都を攻め落とした。
コドレアは、出発前にサウザンドに書簡を送った。それは、一騎打ちを望む挑戦状だった。サウザンドから出向いて来れば、ゴドレアがわざわざ遠征する必要がなくなる。
だが、今時一騎打ちを鵜呑みにする者も居ないだろうと、ゴドレアはさして期待していなかった。
だが、ゴドレアの予想はいい意味で裏切られた。国境線らしい草原地帯に、その男は静かに佇んでいた。
コドレアは軍を静止させ、自分の馬をその男に近づける。
「お主は何者だ?只の旅人だったら、道を開けろ。そこは我が軍の通り道だ」
ゴドレアは威圧的な口調で男に命令する。男は空を見ていた。今日の空は、雲ひとつなく晴れ渡っていた。
「我が名はサウザンド。貴公の挑戦を受け、一騎打ちに参った」
サウザンドの口調は、友人に天気の具合を語るかのような穏やかさだった。
「······本当に出向いて来るとは思わなかったぞ。お主、今時珍しい男だな」
ゴドレアの口調には、相手を称賛する成分が含まれていた。
「ゴドレアよ。そなたの書簡の内容を今一度確認する。そなたの目的は私と戦う事。我が国には一切興味が無いのだな?」
「二言は無い。お主の国、北の果ての国になど用は無い。俺は魔族最強の戦士と戦いたいだけだ」
「了解した」
サウザンドがそう言い終えた瞬間、死神の細い両目が大きく見開き、その眼光は殺意の色に変わっていく。
それを見たゴドレアは、笑みを浮かべ、馬から降り地に足を着けた。左腕に比べ、異常に太い右腕が、更に太くなって行く。
魔族最強の戦士。その称号を賭けた両者の戦いが始まった。
サウザンドは距離を取りながら、触れると爆発する、光の玉をコドレアに放つ。ゴドレアは大剣を抜き、その光の玉を叩き落とす。
光の玉が剣に触れた瞬間、爆発が起きた。他の玉も次々と誘爆を起こす。コドレアの軍から、動揺の声が上がる。
土埃が舞い、大きな煙の中から何かが飛び出してきた。それは太く、長い鞭のように見えた。
黒い光の鞭がサウザンドを襲う。死神は後方に下がり、漆黒の鞭の間合いを測ろうとした。
鞭が地面に叩きつけられる度に、爆発音と共に、地面の形が変わった。サウザンドは、この鞭の間合いを測る事を断念した。鞭が余りに高速な為だ。
サウザンドは魔法石の杖を握り、漆黒の鞭を発動させた。ゴドレアの太い鞭に比べ、死神の鞭は極細だった。
その極細の鞭は、コドレアの上を行く速さで、伸びていく。土埃が散った頃、両者は互いに鞭を目で追えない速さで激突させていた。
サウザンドは、ゴドレアの太い鞭を自身の鞭で弾き、ゴドレアの首めがけて鞭を放つ。先程の爆発で、ゴドレアの身体は血だらけになっていた。
その傷など無かったかのように、ゴドレアは俊敏にサウザンドの鞭をかわす。両者の鞭が地に当たる度に、草原が削られ、地形が変化して行く。
サウザンドの額に汗が滲む。この漆黒の鞭は、使い手の体力を貪っていく。まだこの鞭を会得してから日が浅いサウザンドは、想像異常の負担を身体に強いていた。
一方のゴドレアは、時間遡及治癒の呪文で、全盛期の身体を取り戻している。その身体は、正に疲れ知れずと言わんばかりに躍動していた。
サウザンドは賭けに出る事を決断した。このまま消耗戦を続ければ、体力が尽きるのは自分が先なのは明らかだったからだ。
サウザンドは、光の矢の呪文を唱えた。高速の光の矢が、ゴドレアの眉間を襲う。ゴドレアは鞭でその矢を弾く。
次の瞬間、二つ目の矢がゴドレアの眼前に迫る。ゴドレアは首を捻り、回避を図った。矢はゴドレアの頬を削り、後方に消え去った。
頬から溢れる血を舌で舐め、コドレアはこの命のやり取りに、興奮を抑えられなかった。彼をここまで追い詰めたのは、かつてのネグリット以外いなかった。
ゴドレアは雄叫びを上げ、サウザンドに向かって突進を始めた。そのゴドレアの足元から、何かが飛び出してくる。
それは、サウザンドが地中に忍ばせていた漆黒の鞭だった。死神は、黒い巨体を倒した時の戦法をなぞらえた。
鞭がゴドレアの左足に巻き付く。黒い光の鞭は途端に足に食い込み、ゴドレアの左足は切断されるかと思われた。
「これしきの攻撃が何だ!!」
獣のような咆哮を発し、ゴドレアはサウザンドの鞭を右手で掴み、大口を開き鞭に噛み付いた。
コドレアの常識外れの顎と右手の力によって、サウザンドの鞭は引きちぎられた。ゴドレアの口と右手から、大量出血が起こる。
サウザンドは驚愕した。漆黒の鞭を、生身の口と手で切るなど
、あり得ない事だった。その代償に、ゴドレアは満身創痍になった。
死神は全ての魔力を込め、光の矢を唱えようとする。その標的の姿を見据えた時、サウザンドは異変を感じた。
ゴドレアの右手から、魔法石の杖が消えている。サウザンドの鞭を掴んでいたのも右手だった。ゴドレアの杖は何処に消えたのか。
ゴドレアが左腕を天に掲げている。その左手には、杖が握られていた。
サウザンドの背中に、鈍い衝撃が走った。その衝撃は左肩から肺を貫き、内臓まで達した。
サウザンドの口から血が溢れる。ゴドレアは杖を左手に持ち替え、鞭を空高く伸ばしていた。その鞭は落下し、サウザンドの死角の頭上を襲った。
サウザンドの右手から、魔法石の杖が滑り落ちる。サウザンドは震える両足を奮い立たせる。倒れてはならない。死に瀕した死神は、なぜかそう思った。
サウザンドは、全身が鉛のように重くなるのを感じた。それでも僅かな余力を振り絞り、顔を空に向ける。
見上げた空は、青かった。暖かい季節に比べ、太陽の位置が低くなっている。空を一つ見上げるだけで、季節の移ろいを感じる事ができた。
死神の生涯で、そんな事を感じる事は初めてだった。サウザンドは改めて人間の深みを知る。人間達は魔族と違い、変化する季節を丁寧に過ごしている。
春は花を愛で、夏は川の涼みを感じ、蛍を肴に酒盃を傾ける。秋は天の恵みに感謝し、冬は雪の静寂と共に静かに過ごす。
自分は、人間の文化に興味があったのではない。人間そのものに、憧れていたのかもしれない。
「······このような時、人間なら何と言うかな······」
死神は最早、痛覚すらも薄れていく最中、必死で言葉を探っていた。だが、口から溢れた言葉は、思考とは無関係な物だった。
「······義理を果たすか······良い言葉だ······」
元魔王軍、序列一位。魔族の世界でその名を轟かせた死神の、最期の言葉がそれだった。
コドレアは、自分が仕留めた敵の前に、ゆっくり歩んできた。両目を覆う黒い布から見た敵は、立ったまま息絶えていた。
コドレアは自分のマントを外し、サウザンドに被せた。
その死体の前に、甲冑を身に着けた魔族が近寄ってきた。その魔族は、サウザンドの前に膝まづき、嗚咽を漏らした。
「······サウザンド様。見事な戦いぶりでした」
「お主は、そのサウザンドの部下か?」
泣き腫らした魔族の男は立ち上がり、怯む事無く、ゴドレアを睨みつけた。
「······我が名はネーグル。サウザンド様の戦いを見届けに来た者だ」
コドレアは、もう一度だけサウザンドの顔を見た。安らかな、そして満足そうな表情をしていた。
「見事な男だった。丁重に葬ってやるが良い。その男との約束通り、お主らの国には、手は出さん」
コドレアはそう言い残し、軍と共に去って行った。ネーグルは、サウザンドに禁じられながらも、密かに死神の後を追って来ていたのだった。
国境線の草原は、二人の魔族の戦いによって、その形を大きく変えていた。
······夕暮れ時の小さな街で、ネーグルは自分が目撃した事を、全て主君に話した。その主君は、暫く呆然とした後、突然風の呪文を唱え始めた。
「待てヒマルヤ!何処へ行く気だ?」
タクボがヒマルヤに詰め寄る。元魔王の少年は、両目から涙を流していた。
「知れた事を聞くな!今から私がサウザンドの仇を討つ!!」
「落ち着け。サウザンドすら敵わなかった相手だ。お前一人でどうにかなる相手ではないぞ」
タクボは、動揺している自分を棚に置いて、他者に落ち着けと言っている。自分で矛盾していると分かっていた。
「サウザンドは私にとって師、いや、親のような存在だった。その者が殺されて、黙っておれるか!」
「馬鹿者!!」
気づいた時、タクボはヒマルヤを殴っていた。非力な人間の魔法使いが、元魔王の少年を殴り倒したのだ。
集めた風が四散し、ヒマルヤは背中を地に着けた。少年はそのまま両腕で目を隠し泣き叫んだ。その様子を見兼ねて、ネーグルは、二通の手紙を懐中から取り出した。
それは、サウザンドから預かっていた物だった。一通はヒマルヤに。もう一通はタクボに渡された。
ヒマルヤは震える手で、手紙の封を開ける。そこには、ヒマルヤは国を離れ、市井の中で生きて行って欲しいと書かれていた。
少年は手紙を握り、再び涙を流した。タクボも封を開ける。手紙には、人間の字体で、一言だけ書かれていた。その書き慣れていない歪んだ文字は、タクボの涙腺を刺激した。
立ちすくんでいた銀髪の少女は、ヒマルヤに歩み寄った。涙に濡れる少年の両頬に、小さな手のひらを当てる。
「······ヒマルヤさん。サウザンドさんは、私にとっても大事な人でした。私も戦います。二人で一緒に、仇を取りましょう」
チロルの潤んだ両目は、真っ直ぐヒマルヤの目を見つめる。タクボが二人の前に立ち、ヒマルヤに声をかける。
「······ヒマルヤ。今日からお前は、チロルと同様に私の弟子になってもらう。サウザンドの遺言だ。嫌でも従ってもらうぞ」
夕暮れは暗闇を引き連れ、足元にあった影を消して行く。子供達が目の前に居なかったら、タクボは大声で叫びたい所だった。
ヒマルヤ様を頼む。タクボに宛の手紙には、そう一言だけ書かれていた。
「······何が頼むだ!厄介事を人に押し付け、自分はとっととあの世に行くとは、なんて身勝手極まりない奴だ!!」
そう叫びたい衝動を抑えきれなかったが、タクボの口から洩れた言葉は、異なるものだった。
「······大馬鹿者が······」
夜の闇に覆われつつある街の中で、タクボは立ち尽くし、言いしれない喪失感に苛まれていた。




